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若返ることだけはできない
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あれから椎名君は僕が落ち着いた頃合いを見計らって、待ち合わせの時間を指定してくれた。椎名君のバイト終わりの時間にいつものビルの前で待ち合わせすることになった。
16時。長いようで短い時間だった。早朝から家中のタンスをひっくり返して少しでも若く見える服を探した。気がついたら15時で慌てて家を飛び出した。だから外の天候など気にしていなかったのだ。
街には春の優しい雨が降り注いで、休日なのに行き交う人はまばらだった。傘は一応折りたたみと長い傘を持ってきたが、ここに来るまでに椎名君は濡れてしまうのではないだろうか。
いや、僕が気落ちしているのはそれだけじゃない。雨ざらしのこの場所で椎名君は踊れない。それが悲しかった。スマホを確認する。まだ15時45分。ここに濡れて来る椎名君を待つより、今日は雨が降ってるからやめようとメッセージをするのが大人の対応ではないだろうか。
スマホでメッセージを送ろうとしたとき、急に肩を掴まれた。
「おっさん、楽しみにしすぎだろ」
「椎名君!? バイトは!?」
「終わったよ。このビルでバイトしてるの」
「ええ!? なんのバイト?」
「喫茶店のフロアスタッフだよ」
ええ、なにそれ……。超見たいんですけど……。お店専用の制服とかあるんですかね……?
「今度来てくれたら……サービスするよ……」
「本当に!? サービスなんて! 僕がチップ渡したいよ! そこの喫茶店は制服とかあるの? シフトは毎週曜日が決まってるの!?」
突然はしゃぎ出した36歳に椎名君が戸惑う。ごめんなさい、と小さく謝ったら、隣からクスクスと笑い声が聞こえる。
「制服はあるし、シフトは土日だけ」
そーっと見たら椎名君は笑っていたから、胸を撫で下ろした。
「今日はこれじゃ踊れないな」
「そうだね……」
僕は勇気を出して、デートをしないか? と提案を迷っているうちに変な沈黙ができてしまった。優しい雨の音だけがビルの雨除けの下で立ち尽くす2人を包んだ。
「家はこの辺なの?」
「おっさんは何歳なの?」
2人同時に質問して、椎名君は優しく笑い、僕は戦慄で顔をひきつらせる。椎名君は家はこの辺だよ、と答えるが僕は押し黙る。
なぜこの流れでそんな残酷なことを聞くのか。すぐ泣き出す36歳は気持ち悪いと思われるのかと、様々な負のスパイラルが心をかき乱す。
「言いたくないならいいよ」
「ちがっ……36歳です……」
今度は椎名君が押し黙った。絶対引いてる。人の親切にお礼も言わず、家に帰った途端泣き出す36歳を侮蔑している。自分が招いた重苦しい沈黙の責任を取ろうと、質問をした。
「椎名君は何歳なの?」
少し間があった。
「17歳……」
「17歳!? え!? じゃあ高校生ってこと!?」
近くに雷が落ちたくらいの衝撃だった。若いとはいえ、せいぜい大学生くらいかと思っていた。高校生がこんな色気を纏えるものなのか!? 衝撃に打ちひしがれてさらに沈黙が続く。
「やっぱ、こどもは相手にできない?」
眉を下げ、悲しい声を出す椎名君が、これまた色っぽくて、変な声を出してしまった。
「そ、そんなこと……」
いや待て、今計算したところ椎名君と僕の年齢差は19歳。これは下手したら親と同年代の可能性もある。僕が頭でゴチャゴチャ計算しているのを悟ってか、椎名君は顔を背けて俯いた。
「し、椎名君……」
椎名君が今までどうして僕にキスをしてくれるのか全くわからなかった。たまたま通りがかりで見てくれていたおっさんをからかいたかっただけかもしれない。でも、昨日のアレンジされた曲で踊ってくれたあの瞬間の感動は、椎名君がどんな気持ちで接していようと関係がなかった。僕は人生で1番嬉しかったし、そのお礼がちゃんとできていない。若返ることだけはできないけど、僕にだって椎名君にできることくらいあるはずだ!
「今日は雨降ってるし……僕の家で……躍りませんか……?」
混乱していたとはいえ、とんでもない言葉が口から飛び出して驚愕する。そして椎名君がこっちを向かない。自分の過ちが取り返しのつかないものだったと絶望していたら、椎名君が振り向きもせずに手だけを差し伸べた。
「行く……」
僕はまた勇気を振り絞って椎名君の手を握る。そうしたらグッと手ごと体を引き寄せられ、足がもつれてしまった。
「おっさんの家はどこなの?」
顔は見えないけど、声色できっとあの独特な顔をしているんだと思ったら嬉しくて、涙腺が緩む。涙がこぼれないように顔を上げて、声を振り絞る。
「2つ先の駅の近くです!」
その音量に椎名君が吹き出して、振り返った。その細めた瞳が眩しくて僕も目を細める。雨は小雨になっていたけど、椎名君はそんなことお構いなしで歩き出す。きっと今雨が止んでもその歩みを止めないだろう。そう思うと嬉しくて1cmくらい浮いた。
雨で嬉しい日は人生で初めてだった。
16時。長いようで短い時間だった。早朝から家中のタンスをひっくり返して少しでも若く見える服を探した。気がついたら15時で慌てて家を飛び出した。だから外の天候など気にしていなかったのだ。
街には春の優しい雨が降り注いで、休日なのに行き交う人はまばらだった。傘は一応折りたたみと長い傘を持ってきたが、ここに来るまでに椎名君は濡れてしまうのではないだろうか。
いや、僕が気落ちしているのはそれだけじゃない。雨ざらしのこの場所で椎名君は踊れない。それが悲しかった。スマホを確認する。まだ15時45分。ここに濡れて来る椎名君を待つより、今日は雨が降ってるからやめようとメッセージをするのが大人の対応ではないだろうか。
スマホでメッセージを送ろうとしたとき、急に肩を掴まれた。
「おっさん、楽しみにしすぎだろ」
「椎名君!? バイトは!?」
「終わったよ。このビルでバイトしてるの」
「ええ!? なんのバイト?」
「喫茶店のフロアスタッフだよ」
ええ、なにそれ……。超見たいんですけど……。お店専用の制服とかあるんですかね……?
「今度来てくれたら……サービスするよ……」
「本当に!? サービスなんて! 僕がチップ渡したいよ! そこの喫茶店は制服とかあるの? シフトは毎週曜日が決まってるの!?」
突然はしゃぎ出した36歳に椎名君が戸惑う。ごめんなさい、と小さく謝ったら、隣からクスクスと笑い声が聞こえる。
「制服はあるし、シフトは土日だけ」
そーっと見たら椎名君は笑っていたから、胸を撫で下ろした。
「今日はこれじゃ踊れないな」
「そうだね……」
僕は勇気を出して、デートをしないか? と提案を迷っているうちに変な沈黙ができてしまった。優しい雨の音だけがビルの雨除けの下で立ち尽くす2人を包んだ。
「家はこの辺なの?」
「おっさんは何歳なの?」
2人同時に質問して、椎名君は優しく笑い、僕は戦慄で顔をひきつらせる。椎名君は家はこの辺だよ、と答えるが僕は押し黙る。
なぜこの流れでそんな残酷なことを聞くのか。すぐ泣き出す36歳は気持ち悪いと思われるのかと、様々な負のスパイラルが心をかき乱す。
「言いたくないならいいよ」
「ちがっ……36歳です……」
今度は椎名君が押し黙った。絶対引いてる。人の親切にお礼も言わず、家に帰った途端泣き出す36歳を侮蔑している。自分が招いた重苦しい沈黙の責任を取ろうと、質問をした。
「椎名君は何歳なの?」
少し間があった。
「17歳……」
「17歳!? え!? じゃあ高校生ってこと!?」
近くに雷が落ちたくらいの衝撃だった。若いとはいえ、せいぜい大学生くらいかと思っていた。高校生がこんな色気を纏えるものなのか!? 衝撃に打ちひしがれてさらに沈黙が続く。
「やっぱ、こどもは相手にできない?」
眉を下げ、悲しい声を出す椎名君が、これまた色っぽくて、変な声を出してしまった。
「そ、そんなこと……」
いや待て、今計算したところ椎名君と僕の年齢差は19歳。これは下手したら親と同年代の可能性もある。僕が頭でゴチャゴチャ計算しているのを悟ってか、椎名君は顔を背けて俯いた。
「し、椎名君……」
椎名君が今までどうして僕にキスをしてくれるのか全くわからなかった。たまたま通りがかりで見てくれていたおっさんをからかいたかっただけかもしれない。でも、昨日のアレンジされた曲で踊ってくれたあの瞬間の感動は、椎名君がどんな気持ちで接していようと関係がなかった。僕は人生で1番嬉しかったし、そのお礼がちゃんとできていない。若返ることだけはできないけど、僕にだって椎名君にできることくらいあるはずだ!
「今日は雨降ってるし……僕の家で……躍りませんか……?」
混乱していたとはいえ、とんでもない言葉が口から飛び出して驚愕する。そして椎名君がこっちを向かない。自分の過ちが取り返しのつかないものだったと絶望していたら、椎名君が振り向きもせずに手だけを差し伸べた。
「行く……」
僕はまた勇気を振り絞って椎名君の手を握る。そうしたらグッと手ごと体を引き寄せられ、足がもつれてしまった。
「おっさんの家はどこなの?」
顔は見えないけど、声色できっとあの独特な顔をしているんだと思ったら嬉しくて、涙腺が緩む。涙がこぼれないように顔を上げて、声を振り絞る。
「2つ先の駅の近くです!」
その音量に椎名君が吹き出して、振り返った。その細めた瞳が眩しくて僕も目を細める。雨は小雨になっていたけど、椎名君はそんなことお構いなしで歩き出す。きっと今雨が止んでもその歩みを止めないだろう。そう思うと嬉しくて1cmくらい浮いた。
雨で嬉しい日は人生で初めてだった。
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