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フリック入力
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家に帰ったら、今日は玄関ドアにもたれかかるだけじゃ済まなかった。もたれかかったら急に腰が抜けてズルズルと玄関の冷たい床に座り込んでしまう。
椎名君は! 椎名君は! 椎名君は! かっこいい! かっこいい!
ダンスが始まった時のあの瞬間を思い出して、泣き出してしまう。玄関でしばらくメソメソと泣いたら、何度もキスをしてくれた後のことを思い出して、スマホを見た。
駐車場に入る車の気配で椎名君が唇をそっと離した。そこらへんに置いていた鞄を持って、再び僕の手を引いて歩き出す。植え込みのレンガの縁に座るよう促され、僕はそれに従い座った。
そうしたら椎名君は僕の前に跪いて、真剣な顔で言った。
「連絡先教えて」
椎名君が、かっこいい椎名君が連絡先を教えて欲しいと僕に跪いている! その事実が僕をパニック状態に陥れて、スマホがうまく鞄から出せない。その手を椎名君はそっと握った。
「まだ時間あるから、焦らなくていいよ」
ようやくスマホを出したのに胸が苦しくて、目を瞑ってしまう。
「おっさんはいつもスマホ鞄に入れてるの?」
そうだそうだ、どうせ連絡なんて会社の業務確認か、年に一回くらい実家から呪いの孫の顔みたいコールしか届かないから、鞄にしまっているんだとブンブン頷く。
「今日からは……ポケットに入れてよ……」
僕は目を少し開ける。椎名君が懇願するような顔を見たら声出して泣いちゃうかと思った。
「肌身離さず……椎名君の連絡待ってます……」
泣き出しそうだと言ったが、あれは嘘だ。僕の声はもう半分涙声だった。
椎名君はまた照れたような恥ずかしいような独特の顔をして自分のスマホを取り出した。そして僕に連絡先の二次元バーコード画面を見せた。
連絡先交換の頻度が極端に少ないため毎回人に聞いてやっていた自分の無能さを呪う。あわあわ操作してたら、かして? と椎名君が小さく言って、僕のスマホに秒速で連絡先を登録した。
「じゃあ、そろそろ俺行くわ」
「も、もう!?」
椎名君は優しい目で僕を眺める。片手で僕の耳を撫でて、立ち上がった。
「連絡するけど、明日も来てくれるんだろ?」
「はい!」
椎名君は鼻を掻いて、じゃあ、また明日な、と歩いて行ってしまった。
そこから概ね僕はこの状態である。胸が張り裂けそうでひとことでも発したら泣き出しそうだから、家まで口をギュッと噤んで帰ってきた。
スマホを眺める。僕は自分の感情に手一杯で椎名君の選曲にお礼すら言えてなかった。この玄関でスマホを握りしめて改めて考えるとなかなか失礼極まりない。だからメッセージを送ってみようと入力し始めたときに、椎名君からメッセージが届いて、慌てた拍子に途中で送ってしまった。
椎名:おっさん家に帰った?
須藤:しい
カオスである。
椎名:もしかしてフリック入力できない?
フリック入力はできないが、ローマ字入力ならできる。しかし若者に比べると遅いかもしれない、などと考えていたら、通話呼び出し画面になった。慌てて通話許可をする。
「おっさん? こっちの方がいい?」
椎名君の声だーー!
「フリック入力はできないけど、ローマ字入力はできる。でも椎名君の声が聞けて嬉しい」
完全なる棒読みだった。その機械的な声を聞いて、椎名君は爆笑した。自分でもおかしいことくらいわかってる。
「椎名君が今日僕の好きな曲で踊ってくれて、すごく、すごく嬉しかったのに。お礼も言わずに帰ってきて後悔してる」
「そんなくだらねぇことで後悔すんなよ」
「あのアレンジの曲僕も聴きたい。あのCDの名前教えて?」
「CD? ああ、昨日友達のDJに頼んでサンプリングしてもらったやつだから……」
若者文化にも音楽にもダンスにも詳しくなかったが、椎名君が言っていることの意味くらいはわかった。椎名君が友達と踊っていたときには原曲のままだった。昨日、それはつまり、僕のために作ってもらったという意味だ。もう胸が千切れそうで、ひとことも発することができなかった。
「そんなにあの曲好きなんだな……」
「好きだけど……嬉しくて……」
そのまま変な声で泣き出してしまった。さっきあんなに泣いたのに、気持ちが全然おさまらない。
「俺のいないところで泣くなよ。おっさんが泣いて喜んでるところ見たかったな……」
「ごめんなさぁい……! お礼もできない大人で……うぅっ……ごめんなさい……ひーん」
「また今度俺が踊ってるところ見ればいいだろ」
「見るぅ……椎名君のダンス……見るっうぅっ……ひっうぐっ……ありがどぉー……」
しばらく僕の泣き声を聞くだけの恐ろしい通話が続いて椎名君を困らせた。
椎名君は! 椎名君は! 椎名君は! かっこいい! かっこいい!
ダンスが始まった時のあの瞬間を思い出して、泣き出してしまう。玄関でしばらくメソメソと泣いたら、何度もキスをしてくれた後のことを思い出して、スマホを見た。
駐車場に入る車の気配で椎名君が唇をそっと離した。そこらへんに置いていた鞄を持って、再び僕の手を引いて歩き出す。植え込みのレンガの縁に座るよう促され、僕はそれに従い座った。
そうしたら椎名君は僕の前に跪いて、真剣な顔で言った。
「連絡先教えて」
椎名君が、かっこいい椎名君が連絡先を教えて欲しいと僕に跪いている! その事実が僕をパニック状態に陥れて、スマホがうまく鞄から出せない。その手を椎名君はそっと握った。
「まだ時間あるから、焦らなくていいよ」
ようやくスマホを出したのに胸が苦しくて、目を瞑ってしまう。
「おっさんはいつもスマホ鞄に入れてるの?」
そうだそうだ、どうせ連絡なんて会社の業務確認か、年に一回くらい実家から呪いの孫の顔みたいコールしか届かないから、鞄にしまっているんだとブンブン頷く。
「今日からは……ポケットに入れてよ……」
僕は目を少し開ける。椎名君が懇願するような顔を見たら声出して泣いちゃうかと思った。
「肌身離さず……椎名君の連絡待ってます……」
泣き出しそうだと言ったが、あれは嘘だ。僕の声はもう半分涙声だった。
椎名君はまた照れたような恥ずかしいような独特の顔をして自分のスマホを取り出した。そして僕に連絡先の二次元バーコード画面を見せた。
連絡先交換の頻度が極端に少ないため毎回人に聞いてやっていた自分の無能さを呪う。あわあわ操作してたら、かして? と椎名君が小さく言って、僕のスマホに秒速で連絡先を登録した。
「じゃあ、そろそろ俺行くわ」
「も、もう!?」
椎名君は優しい目で僕を眺める。片手で僕の耳を撫でて、立ち上がった。
「連絡するけど、明日も来てくれるんだろ?」
「はい!」
椎名君は鼻を掻いて、じゃあ、また明日な、と歩いて行ってしまった。
そこから概ね僕はこの状態である。胸が張り裂けそうでひとことでも発したら泣き出しそうだから、家まで口をギュッと噤んで帰ってきた。
スマホを眺める。僕は自分の感情に手一杯で椎名君の選曲にお礼すら言えてなかった。この玄関でスマホを握りしめて改めて考えるとなかなか失礼極まりない。だからメッセージを送ってみようと入力し始めたときに、椎名君からメッセージが届いて、慌てた拍子に途中で送ってしまった。
椎名:おっさん家に帰った?
須藤:しい
カオスである。
椎名:もしかしてフリック入力できない?
フリック入力はできないが、ローマ字入力ならできる。しかし若者に比べると遅いかもしれない、などと考えていたら、通話呼び出し画面になった。慌てて通話許可をする。
「おっさん? こっちの方がいい?」
椎名君の声だーー!
「フリック入力はできないけど、ローマ字入力はできる。でも椎名君の声が聞けて嬉しい」
完全なる棒読みだった。その機械的な声を聞いて、椎名君は爆笑した。自分でもおかしいことくらいわかってる。
「椎名君が今日僕の好きな曲で踊ってくれて、すごく、すごく嬉しかったのに。お礼も言わずに帰ってきて後悔してる」
「そんなくだらねぇことで後悔すんなよ」
「あのアレンジの曲僕も聴きたい。あのCDの名前教えて?」
「CD? ああ、昨日友達のDJに頼んでサンプリングしてもらったやつだから……」
若者文化にも音楽にもダンスにも詳しくなかったが、椎名君が言っていることの意味くらいはわかった。椎名君が友達と踊っていたときには原曲のままだった。昨日、それはつまり、僕のために作ってもらったという意味だ。もう胸が千切れそうで、ひとことも発することができなかった。
「そんなにあの曲好きなんだな……」
「好きだけど……嬉しくて……」
そのまま変な声で泣き出してしまった。さっきあんなに泣いたのに、気持ちが全然おさまらない。
「俺のいないところで泣くなよ。おっさんが泣いて喜んでるところ見たかったな……」
「ごめんなさぁい……! お礼もできない大人で……うぅっ……ごめんなさい……ひーん」
「また今度俺が踊ってるところ見ればいいだろ」
「見るぅ……椎名君のダンス……見るっうぅっ……ひっうぐっ……ありがどぉー……」
しばらく僕の泣き声を聞くだけの恐ろしい通話が続いて椎名君を困らせた。
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