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第一章 幽霊と始める記憶探し
第十話 まさか雨露ソラと結託しているとはね
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神崎鉄矢というたった四文字の漢字を受け止めきれず、目を擦って何度も画面を見てしまう。
「わからない。オーディションで選ばれたわけではないと思うんだよね」
「じゃあ余計に謎じゃないか!」
「そうなんだ。前々から雨露ソラと一緒に演奏した人の名前は概要欄に記載されていたんだけど、今回はいつもと違うメンバーの名前が書かれていたから、ファンたちがびっくりしたみたい。オーディション後に出した初の動画だったのもあって、色々と憶測が飛び交った結果、トレンドに上がっちゃったみたいだね」
テツ、どういうことだよ。お前、東京の高校に行くって言ってたじゃん。なんでお前、雨露ソラと一緒にバンドやってんだよ。『退屈クラッシャーズ』はどうでもいいっていうのか? 親友だと思っていたのは俺だけで、あいつは違ったのだろうか? わからない。一気にテツが遠くなってしまったように感じた。
「ボクもこみやんも、てっちゃんから進路のことを聞かされたのは卒業式の後だった。いくら当時のボクたちが疎遠になっていたからって、話すのが遅すぎやしないかとは前々から思っていたんだけど、まさか雨露ソラと結託しているとはね」
シューが掌を差し出してきたのでスマホを返すと、彼は真っ直ぐに陽菜を見つめた。
「でも、てっちゃんの進路をひななんは知っていたんじゃないか? てっちゃんはいつもボクたちより早い時間にお見舞いに来ていたからね。もしなにか知っていることがあるなら教えてくれないかな?」
「……てつ君のことを知ってどうするの?」
「質問に質問を返すってことは、知っているって考えていいのかな?」
知りたいことがあっても相手が拒否したら大人しく引き下がるのがいつものシューだけど、また断固として譲らないモードが発動してしまったみたいで、今日は引くつもりがないみたいだ。二人の視線がぶつかり合い、空中で見えない火花が散っている。
「確かに言われてみれば、テツは俺よりも早く見舞いに来てたな。何度か花瓶の花が新しくなってたのを覚えてるぜ。俺からも頼む。もし陽菜が知っていることがあるなら教えてくれないか?」
「はる君まで……」
陽菜が俺を睨んできたが、それは一瞬のことで、天井を見上げて溜息をついた。
「わかったよ。言えばいいんでしょ。私はてつ君から進路を聞いてたけど、二人には言わないように口止めされてたの。はる君がギターを握れないくらいメンタルが不安定になっちゃったのに、自分だけ音楽の道に進むことを気にしてたから」
「うーん。半分本当で半分噓って感じがするな。だって、ボクたちの中で一番絶望していたのは、こみやんじゃなくてひななんなんだから」
「やめて!」
唐突に陽菜が大声を出した。
「本当に言えないの。私の口からは絶対言えないの……」
俯いてしまった陽菜を見て、さすがのシューもそれ以上の追求はしなかった。「ごめん」と言って頭を下げた彼は、ぎゅっと左拳を握りしめていた。陽菜がテツからどんな話を聞いているのか気になるが、今は陽菜から聞き出そうと躍起になっていたシューのほうが気になる。
「陽菜、いきなり来てテツのことを聞き出そうとしてごめんな。もし俺のことを思ってテツのことを言わないでいてくれたのだとしたら、もう心配はいらないよ。俺、ギターを弾けるようになったんだ」
俺の言葉を聞いて、二人が勢いよく顔を上げた。
「はる君、弾けるようになったの……?」
「まだ完璧には程遠いけどな。これを見てくれ」
先程撮影した動画を陽菜たちに見せると、自室で演奏している俺の姿を見て、噓ではないと思ったらしくシューが頷いていた。彼の目が「話したいって言ってたのはこのことだったんだね」と訴えている。首肯して応えると、真剣だった表情が徐々に破顔して、口を震わせながら目尻から滴を垂らした。
「そっか……そっか……こみやんは乗り越えたんだね……良かった」
「な、泣くこたぁねぇだろ」
予想外の反応に戸惑う。こんなにもわかりやすく感情を表に出すシューなんて久々に見る。心配してくれていたのは知っていたけど、泣くほどだとは思っていなかった。
「だって、だって、ボクたちがバンドを結成したのは、こみやんのためじゃないか!」
「は? 俺のため? なに言ってんだ。陽菜を応援するためだろ?」
「違うよ! ならなんでひななんがこんなに絶望していると思ってるんだ! 君がギターを弾けなくなっちゃったからだろう!」
想いの滴を宙に飛ばしながら、シューが叫ぶ。どういうことなのかわからなくて陽菜へと視線を動かすと、ポタポタと滝のように涙を流しながら何度も動画を再生していた。
「ひななんは歌えなくなってしまったことよりも、こみやんが弾けなくなってしまったことのほうが苦しかったんだよ。ボクだってそうだ。君の傷ついた姿を見ているのが辛くて、辛くてしかたなかったんだよ」
「はる君は怖くないの? また罵倒されたり馬鹿にされたりするかもしれないよ?」
不意に涙を拭いた陽菜が俺を見つめてくる。力のこもった瞳だった。わけのわからないことばかり続いていたけど、これだけはわかる。この質問には本気で答えないといけないってことが。
「そうだな。またそういったことが起きるかもしれないな。だからまずは、リンクを知っている人しか見ることができない限定公開機能を使ってギターソロ動画をYouTubeに載せていくつもりなんだ。ゆくゆくは一般公開用の動画を作って、誰でも見れるようにしたいって思ってる」
「そっか。じゃあちょっとだけ期待してみようかな」
陽菜の笑顔を久々に見たような気がした。俺の行動で好いた人を喜ばせられるだなんて、こんなにも嬉しいことはない。もっと頑張ってみようって張り切ってしまうのは、俺が単純だからだろうか。
「私ね、入院してからずっと、自分が生きていていいのかわからなかったの。手術の費用だって高いし、皆に迷惑をかけちゃったから、このまま死んじゃったほうがいいんじゃないかって本気で考えてたんだ。それにね、私たちを責める沢山のコメントを見て、誰のために歌うのか、どうして歌いたいと思ったのか、それすらもわからなくなっちゃって、苦しかった」
「陽菜……」
「私が学校で歌うと友達や先生が喜んでくれた。家で歌えばパパやママが褒めてくれた。私が歌えば皆が笑顔になるんだってわかって、自然と夢は決まってた。歌手になれば日本中の人を笑顔にできるって本気で信じてたの。でも実際は違った。皆を笑顔にするどころか、はる君やしゅう君といった身近な人の笑顔を奪っちゃった」
「お前の歌は人を元気にさせるよ。少なくとも俺はお前の歌に救われた経験がある! だから、知らない誰かの言葉なんかに惑わされるな。俺はお前の歌が大好きなんだよ!」
「うん。うん。ありがとう」
「いずれは一般公開するって言った手前、かっこ悪く聞こえるかもしれないけど、別に日本中の人に認められる必要なんてないと思うんだ。陽菜が想う大切な人のために……唯一無二のために歌えればそれでいいんじゃないか? 割り切りも必要だぜ?」
陽菜が両手で顔を覆い隠して大声で泣き出してしまう。堤防が決壊して、これまで押し留められてきた感情が一気に溢れ出しているように感じた。ずっと、ずっと、一人で背負ってきたのだろう。身に余る大きな苦しみや悩みを、その小さな背で。
「身近な人に届けばいいって言葉にするのは簡単だけど、割り切るのって難しいよ。私は恐怖が身に付いちゃったから、歌いたいって思えない。もう頑張れない。だから頂戴。生きたいって本気で思えるような希望を、未来へと向かう勇気を」
俺は恵に出会ったことで、トラウマに向き合う勇気を持つことができた。その出会いは偶然で、決して必然なんかじゃない。運命とか奇跡とか、そういった言葉が似合うような出来事のお陰で変わることができたんだ。そのくらい勇気を持つことは難しい。難易度の高さを嫌というほど知っているから、俺は陽菜の力になりたいと本気で思える。
「本当に生きたくないんじゃないかって心配だったけど、今の言葉を聞いて安心した。希望を求める気持ちがあるなら大丈夫だ。期待しててくれよ。俺が必ず陽菜を元気にさせる。手術を受けたいって思わせてみせる! だから……」
俺は窓の元へと歩いていき、勢いよくカーテンを横に開いた。
「太陽なんていらないなんて、もう言うな」
暗かった病室内に、昼間の強い日差しが入り込む。斜めに沿うようにして訪れた一本の光線が、未来を夢見る少女へと注がれる。俺やシューにとっては当たり前の太陽が、陽菜には眩しく見えたのか、扉のほうへ目を逸らしてしまう。
「テツのことは言わなくていいよ。本人に直接聞くからさ。あいつがどうして雨露ソラと一緒にいるのかとか、『退屈クラッシャーズ』が結成した本当の理由とか、わかんないことが沢山あるけど、全部と向き合って、俺のことで陽菜が迷う必要ないってことを証明してみせるよ。だから、俺を見ててくれ」
「ああ……やっぱりはる君は眩しいな」
ゆっくりとこちらに顔を動かした陽菜は、目を細めて俺を見つめてくる。
「こみやんを置いていくわけにはいかないからね。ボクも協力させてもらおうかな」
俺が陽菜と見つめ合っていると、シューが俺の隣にやってきて、左肩に腕を乗せてくる。
「いいのか? これは俺が勝手に行動しているだけで、シューは部活なりバイトなり好きなことをする選択肢だってあるんだぞ?」
「こみやん、それ以上言うと怒るよ。ボクだってあのままで終わりにしたくなかったんだよ。楽しい思い出を作るためにオーディションに参加したのに、最悪な思い出になっちゃったから、リベンジしたいんだよね」
「わかった。ありがとな、シュー」
そこからは三人で他愛のない話をした。主に話題は叡山高校のことで、俺とシューが同じクラスになったことや、軽音楽部が廃部になっていたこと。新入生代表のスピーチをしていた人が『BlessingGirl』だったことなどを話した。
けれど、俺もシューも宮川さんを仲間に引き入れようとしたことは言わなかった。いや、言えなかったんだ。陽菜がどんな反応を示すのかわからなかったからだ。
「じゃあ、そろそろボクたちはお暇させてもらうよ」
あっという間に三時間が経過していた。パイプ椅子から立ち上がってガラス窓を眺めると、青から赤へと変わりつつある空が広がっていた。
「うん。今日は二人ともお見舞いに来てくれてありがとう」
「ああ。また明日も来るよ」
陽菜の朗らかな笑顔を見て安堵する。少しだけ生への執着が出てきたみたいで良かった。
これから毎日恵と協力して、演奏できるようになっていかないとな。
「はる君」
ドアの前まで移動した俺に陽菜の声が掛かり、取っ手へと伸ばそうとした手が止まった。
「てつ君が雨露ソラのことを黙ってたのは、決して悪気があったわけじゃないの。二人ともてつ君に言いたいことあると思うけど、責めないであげてね」
「善処するけど、あいつから真相を聞かないとなんとも言えねぇな」
「……もう。そこはわかったって言って安心させてよ。はる君のバカ」
取っ手をぎゅっと握りしめながら振り返る。
柔和な笑みを浮かべている陽菜を見つめながら、いつもより穏やかな雰囲気を漂わせている理由を考える。俺が弾けるようになったことを伝えたから元気なのかもしれないけど、それだけが理由じゃないだろう。
俺たちが病室に入ってきたことに気が付かないくらい動画に夢中になっていたことから、テツが音楽の道で成果を上げたことも嬉しかったんだろうな。
俺は前を向けるようになるまで随分と長い時間を要してしまった。中学三年生のほとんどをドブに捨てて、高一になって恵と出会ってようやく立ち直れるようになったのに、あいつはずっと一人で活動していたのかと思うと、自分の不甲斐なさが嫌になる。俺なんかよりもよっぽど陽菜のために動いてんじゃん。
「いつも不安にさせてばっかりでごめんな。その代わり、俺が弾けるようになっていく姿を見せるよ。陽菜が安心できるくらい強い男になるからさ、待っててくれ」
「うん!」
俺が動画を上げられるようになるには、テツからYouTubeアカウントのパスワードを教えてもらう必要がある。あいつが雨露ソラと協力していようともしてなかろうとも、どうせかかわらなくてはいけない運命にあっただろう。
「またな」
「またね」
俺たちは陽菜に別れを告げて廊下を足早に歩いていく。看護師やモップを使っている清掃員の横を通り過ぎて、エレベーターを目指す。
「テツに電話をして雨露ソラのことについて聞いてみるぞ」
「そうだね。電話に出なかったら、メッセージを送ればいいんじゃないかな」
一階に着いて外来病棟のロビーに戻った俺たちは、外に出てテツに電話をかけることにした。春とはいえ、少しだけ肌寒い夕風に当たりながらスマホを耳にかざす。
俺たちになにも言わずに東京へ向かうことを決めたテツだ。電話がかかってきていることに気が付いても無視してしまうんじゃないかと思っていたが、意外にも二コール目で出た。
「わからない。オーディションで選ばれたわけではないと思うんだよね」
「じゃあ余計に謎じゃないか!」
「そうなんだ。前々から雨露ソラと一緒に演奏した人の名前は概要欄に記載されていたんだけど、今回はいつもと違うメンバーの名前が書かれていたから、ファンたちがびっくりしたみたい。オーディション後に出した初の動画だったのもあって、色々と憶測が飛び交った結果、トレンドに上がっちゃったみたいだね」
テツ、どういうことだよ。お前、東京の高校に行くって言ってたじゃん。なんでお前、雨露ソラと一緒にバンドやってんだよ。『退屈クラッシャーズ』はどうでもいいっていうのか? 親友だと思っていたのは俺だけで、あいつは違ったのだろうか? わからない。一気にテツが遠くなってしまったように感じた。
「ボクもこみやんも、てっちゃんから進路のことを聞かされたのは卒業式の後だった。いくら当時のボクたちが疎遠になっていたからって、話すのが遅すぎやしないかとは前々から思っていたんだけど、まさか雨露ソラと結託しているとはね」
シューが掌を差し出してきたのでスマホを返すと、彼は真っ直ぐに陽菜を見つめた。
「でも、てっちゃんの進路をひななんは知っていたんじゃないか? てっちゃんはいつもボクたちより早い時間にお見舞いに来ていたからね。もしなにか知っていることがあるなら教えてくれないかな?」
「……てつ君のことを知ってどうするの?」
「質問に質問を返すってことは、知っているって考えていいのかな?」
知りたいことがあっても相手が拒否したら大人しく引き下がるのがいつものシューだけど、また断固として譲らないモードが発動してしまったみたいで、今日は引くつもりがないみたいだ。二人の視線がぶつかり合い、空中で見えない火花が散っている。
「確かに言われてみれば、テツは俺よりも早く見舞いに来てたな。何度か花瓶の花が新しくなってたのを覚えてるぜ。俺からも頼む。もし陽菜が知っていることがあるなら教えてくれないか?」
「はる君まで……」
陽菜が俺を睨んできたが、それは一瞬のことで、天井を見上げて溜息をついた。
「わかったよ。言えばいいんでしょ。私はてつ君から進路を聞いてたけど、二人には言わないように口止めされてたの。はる君がギターを握れないくらいメンタルが不安定になっちゃったのに、自分だけ音楽の道に進むことを気にしてたから」
「うーん。半分本当で半分噓って感じがするな。だって、ボクたちの中で一番絶望していたのは、こみやんじゃなくてひななんなんだから」
「やめて!」
唐突に陽菜が大声を出した。
「本当に言えないの。私の口からは絶対言えないの……」
俯いてしまった陽菜を見て、さすがのシューもそれ以上の追求はしなかった。「ごめん」と言って頭を下げた彼は、ぎゅっと左拳を握りしめていた。陽菜がテツからどんな話を聞いているのか気になるが、今は陽菜から聞き出そうと躍起になっていたシューのほうが気になる。
「陽菜、いきなり来てテツのことを聞き出そうとしてごめんな。もし俺のことを思ってテツのことを言わないでいてくれたのだとしたら、もう心配はいらないよ。俺、ギターを弾けるようになったんだ」
俺の言葉を聞いて、二人が勢いよく顔を上げた。
「はる君、弾けるようになったの……?」
「まだ完璧には程遠いけどな。これを見てくれ」
先程撮影した動画を陽菜たちに見せると、自室で演奏している俺の姿を見て、噓ではないと思ったらしくシューが頷いていた。彼の目が「話したいって言ってたのはこのことだったんだね」と訴えている。首肯して応えると、真剣だった表情が徐々に破顔して、口を震わせながら目尻から滴を垂らした。
「そっか……そっか……こみやんは乗り越えたんだね……良かった」
「な、泣くこたぁねぇだろ」
予想外の反応に戸惑う。こんなにもわかりやすく感情を表に出すシューなんて久々に見る。心配してくれていたのは知っていたけど、泣くほどだとは思っていなかった。
「だって、だって、ボクたちがバンドを結成したのは、こみやんのためじゃないか!」
「は? 俺のため? なに言ってんだ。陽菜を応援するためだろ?」
「違うよ! ならなんでひななんがこんなに絶望していると思ってるんだ! 君がギターを弾けなくなっちゃったからだろう!」
想いの滴を宙に飛ばしながら、シューが叫ぶ。どういうことなのかわからなくて陽菜へと視線を動かすと、ポタポタと滝のように涙を流しながら何度も動画を再生していた。
「ひななんは歌えなくなってしまったことよりも、こみやんが弾けなくなってしまったことのほうが苦しかったんだよ。ボクだってそうだ。君の傷ついた姿を見ているのが辛くて、辛くてしかたなかったんだよ」
「はる君は怖くないの? また罵倒されたり馬鹿にされたりするかもしれないよ?」
不意に涙を拭いた陽菜が俺を見つめてくる。力のこもった瞳だった。わけのわからないことばかり続いていたけど、これだけはわかる。この質問には本気で答えないといけないってことが。
「そうだな。またそういったことが起きるかもしれないな。だからまずは、リンクを知っている人しか見ることができない限定公開機能を使ってギターソロ動画をYouTubeに載せていくつもりなんだ。ゆくゆくは一般公開用の動画を作って、誰でも見れるようにしたいって思ってる」
「そっか。じゃあちょっとだけ期待してみようかな」
陽菜の笑顔を久々に見たような気がした。俺の行動で好いた人を喜ばせられるだなんて、こんなにも嬉しいことはない。もっと頑張ってみようって張り切ってしまうのは、俺が単純だからだろうか。
「私ね、入院してからずっと、自分が生きていていいのかわからなかったの。手術の費用だって高いし、皆に迷惑をかけちゃったから、このまま死んじゃったほうがいいんじゃないかって本気で考えてたんだ。それにね、私たちを責める沢山のコメントを見て、誰のために歌うのか、どうして歌いたいと思ったのか、それすらもわからなくなっちゃって、苦しかった」
「陽菜……」
「私が学校で歌うと友達や先生が喜んでくれた。家で歌えばパパやママが褒めてくれた。私が歌えば皆が笑顔になるんだってわかって、自然と夢は決まってた。歌手になれば日本中の人を笑顔にできるって本気で信じてたの。でも実際は違った。皆を笑顔にするどころか、はる君やしゅう君といった身近な人の笑顔を奪っちゃった」
「お前の歌は人を元気にさせるよ。少なくとも俺はお前の歌に救われた経験がある! だから、知らない誰かの言葉なんかに惑わされるな。俺はお前の歌が大好きなんだよ!」
「うん。うん。ありがとう」
「いずれは一般公開するって言った手前、かっこ悪く聞こえるかもしれないけど、別に日本中の人に認められる必要なんてないと思うんだ。陽菜が想う大切な人のために……唯一無二のために歌えればそれでいいんじゃないか? 割り切りも必要だぜ?」
陽菜が両手で顔を覆い隠して大声で泣き出してしまう。堤防が決壊して、これまで押し留められてきた感情が一気に溢れ出しているように感じた。ずっと、ずっと、一人で背負ってきたのだろう。身に余る大きな苦しみや悩みを、その小さな背で。
「身近な人に届けばいいって言葉にするのは簡単だけど、割り切るのって難しいよ。私は恐怖が身に付いちゃったから、歌いたいって思えない。もう頑張れない。だから頂戴。生きたいって本気で思えるような希望を、未来へと向かう勇気を」
俺は恵に出会ったことで、トラウマに向き合う勇気を持つことができた。その出会いは偶然で、決して必然なんかじゃない。運命とか奇跡とか、そういった言葉が似合うような出来事のお陰で変わることができたんだ。そのくらい勇気を持つことは難しい。難易度の高さを嫌というほど知っているから、俺は陽菜の力になりたいと本気で思える。
「本当に生きたくないんじゃないかって心配だったけど、今の言葉を聞いて安心した。希望を求める気持ちがあるなら大丈夫だ。期待しててくれよ。俺が必ず陽菜を元気にさせる。手術を受けたいって思わせてみせる! だから……」
俺は窓の元へと歩いていき、勢いよくカーテンを横に開いた。
「太陽なんていらないなんて、もう言うな」
暗かった病室内に、昼間の強い日差しが入り込む。斜めに沿うようにして訪れた一本の光線が、未来を夢見る少女へと注がれる。俺やシューにとっては当たり前の太陽が、陽菜には眩しく見えたのか、扉のほうへ目を逸らしてしまう。
「テツのことは言わなくていいよ。本人に直接聞くからさ。あいつがどうして雨露ソラと一緒にいるのかとか、『退屈クラッシャーズ』が結成した本当の理由とか、わかんないことが沢山あるけど、全部と向き合って、俺のことで陽菜が迷う必要ないってことを証明してみせるよ。だから、俺を見ててくれ」
「ああ……やっぱりはる君は眩しいな」
ゆっくりとこちらに顔を動かした陽菜は、目を細めて俺を見つめてくる。
「こみやんを置いていくわけにはいかないからね。ボクも協力させてもらおうかな」
俺が陽菜と見つめ合っていると、シューが俺の隣にやってきて、左肩に腕を乗せてくる。
「いいのか? これは俺が勝手に行動しているだけで、シューは部活なりバイトなり好きなことをする選択肢だってあるんだぞ?」
「こみやん、それ以上言うと怒るよ。ボクだってあのままで終わりにしたくなかったんだよ。楽しい思い出を作るためにオーディションに参加したのに、最悪な思い出になっちゃったから、リベンジしたいんだよね」
「わかった。ありがとな、シュー」
そこからは三人で他愛のない話をした。主に話題は叡山高校のことで、俺とシューが同じクラスになったことや、軽音楽部が廃部になっていたこと。新入生代表のスピーチをしていた人が『BlessingGirl』だったことなどを話した。
けれど、俺もシューも宮川さんを仲間に引き入れようとしたことは言わなかった。いや、言えなかったんだ。陽菜がどんな反応を示すのかわからなかったからだ。
「じゃあ、そろそろボクたちはお暇させてもらうよ」
あっという間に三時間が経過していた。パイプ椅子から立ち上がってガラス窓を眺めると、青から赤へと変わりつつある空が広がっていた。
「うん。今日は二人ともお見舞いに来てくれてありがとう」
「ああ。また明日も来るよ」
陽菜の朗らかな笑顔を見て安堵する。少しだけ生への執着が出てきたみたいで良かった。
これから毎日恵と協力して、演奏できるようになっていかないとな。
「はる君」
ドアの前まで移動した俺に陽菜の声が掛かり、取っ手へと伸ばそうとした手が止まった。
「てつ君が雨露ソラのことを黙ってたのは、決して悪気があったわけじゃないの。二人ともてつ君に言いたいことあると思うけど、責めないであげてね」
「善処するけど、あいつから真相を聞かないとなんとも言えねぇな」
「……もう。そこはわかったって言って安心させてよ。はる君のバカ」
取っ手をぎゅっと握りしめながら振り返る。
柔和な笑みを浮かべている陽菜を見つめながら、いつもより穏やかな雰囲気を漂わせている理由を考える。俺が弾けるようになったことを伝えたから元気なのかもしれないけど、それだけが理由じゃないだろう。
俺たちが病室に入ってきたことに気が付かないくらい動画に夢中になっていたことから、テツが音楽の道で成果を上げたことも嬉しかったんだろうな。
俺は前を向けるようになるまで随分と長い時間を要してしまった。中学三年生のほとんどをドブに捨てて、高一になって恵と出会ってようやく立ち直れるようになったのに、あいつはずっと一人で活動していたのかと思うと、自分の不甲斐なさが嫌になる。俺なんかよりもよっぽど陽菜のために動いてんじゃん。
「いつも不安にさせてばっかりでごめんな。その代わり、俺が弾けるようになっていく姿を見せるよ。陽菜が安心できるくらい強い男になるからさ、待っててくれ」
「うん!」
俺が動画を上げられるようになるには、テツからYouTubeアカウントのパスワードを教えてもらう必要がある。あいつが雨露ソラと協力していようともしてなかろうとも、どうせかかわらなくてはいけない運命にあっただろう。
「またな」
「またね」
俺たちは陽菜に別れを告げて廊下を足早に歩いていく。看護師やモップを使っている清掃員の横を通り過ぎて、エレベーターを目指す。
「テツに電話をして雨露ソラのことについて聞いてみるぞ」
「そうだね。電話に出なかったら、メッセージを送ればいいんじゃないかな」
一階に着いて外来病棟のロビーに戻った俺たちは、外に出てテツに電話をかけることにした。春とはいえ、少しだけ肌寒い夕風に当たりながらスマホを耳にかざす。
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