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三章 ムーンライト
002 ボロアパート
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小学生の頃、美夜と氷太朗はよく遊んでいた。遊び場所は専ら公園であったが、暑い日や寒い日や雨の日などは酒月邸で遊んでいた。美夜は家に人を呼ぶ事に抵抗はなかったから別に良かったのだが、ある時、どうしていつも自分の家でばかり遊ぶのか、氷太朗の家ではいけないのか、と疑問に思った。そして、それをそのまま氷太朗にぶつけてみた。すると彼は「ボロ家だから人を呼びたくないんだ」と答えた。
人を呼びたくない位のボロ家――果たしてどんなモノなのか。考えれば考えるだけ、興味が湧き立つ。
好奇心旺盛な美夜は氷太朗に頭を下げ、一度でいいから遊びに行きたいとお願いをした。最初、氷太朗は頑なな態度で突っ撥ねていたが、しつこく何度も頼むと、渋々頷いた。
結論から述べると、彼の家はボロ家という程のものではなかった――氷太朗が住むのは戦後すぐに建てられた長屋で、確かに真新しくはなかったが、だからと言ってひどく傷んでいる様子もなかった。寧ろ、築何百年も経つ酒月邸の方がボロだと思った。
そんな懐かしい思い出に浸りながら、朝日が降り続く中、美夜は長屋を訪れたが――人の気配はなかった。完全に空き家となっていたのだ。
「引っ越してたんだ……」
まったくそのような情報を持っていなかった美夜は、空き家となった旧坂之上宅の前で呆然と立ち尽くした。
すると、老婆に声をかけらた。
老婆は最初、空き家の前でキョロキョロしている美夜を不審がっていたが、ここに住んでいるはずの友達を尋ねて来たと言うと、態度を一転させ――色々と教えてくれた。七年前に坂之上家のご両親が不慮の事故で亡くなった事。その後しばらく遺された姉弟の二人で住んでいた事。更にしばらくしてその二人が近所の『ハイツ針姫』というアパートに移ったこと。その他、色々。まさに老婆心である。プライバシー保護が厳しくなっている昨今においてこの口の軽さは如何なものかと思ったが――美夜は素直に礼を述べ、ハイツ針姫に向かった。
ハイツ針姫は歩いて十分程度の距離にあった。
ハイツ針姫を目にした時、美夜は「これこそがボロだ」と思った。二階建てのアパートなのだが――土壁がにはこも罅が入っており、トタン屋根は風が吹く度にギィギィと音な鳴っている。一階の一番右の部屋に至っては、ドアがなく、代わりにベニヤ板が貼られている。
このボロアパートのどこかに氷太朗は住んでいる――何号室に住んでいるかまでは聞き出せなかった美夜は、外階段の傍の集合ポストの前に立つ。そして――
「狐狗狸さん、狐狗狸さん。氷太朗くんの部屋はどこ?」
人差し指を突き出すと、指は二〇三号室のポストを指した。
美夜の脳が神経を伝い筋繊維を動かせ指したわけではない――狐狗狸さんの仕業である。口寄せで呼び寄せた狐狗狸さんが、その能力で氷太朗の部屋を割り出したのだ。
これは妖術の中でも最もスタンダードな『霊験術』と呼ばれるものである。
妖術には大きくわけて三種類ある。結界術と占術と霊験術の三つだ。
結界術は、対象の周囲に線を引き、対象とそのエネルギーをコントロールする術である。結界を用いれば、特定の場所を神聖な空間にする事は勿論のこと、常夜のような箱庭を創ることも可能だ。
占術は読んで字の如く『占い』で、星や気やエネルギーの流れを読んで未来を予知する。
そして霊験術だが――これは言ってしまえば、口寄せ術の応用だ。口寄せ術は霊を自分に降霊させて、その霊の意思を読み取ったり使役させたりする術だ。その口寄せに一工夫加えれば、神や妖怪の能力だけ口寄せし使用することが出来る。それが霊験術である。今、美夜が行った『狐狗狸さん』がその典型例だ。
勿論、妖術は、口で説明するのは易いが、実行するのは生半可ではない技術である。結界術にせよ、占術にせよ、霊験術にせよ――発動させるには、膨大な妖力と、神や霊などという目に見えないモノを捉える才能が必要だ。どちら一方が欠けただけで、妖術は発動しなくなる。氷太朗や和歌が良い例だ――彼らは妖力の量は多い方だが、才能が無いばかりに、妖術の発動はおろか、その辺に漂っている妖怪の姿すら見る事が出来なかった。
だが美夜は違う。彼女は類い稀なる才能と妖力量、それに絶え間ない鍛錬によって、一七歳という若さで様々な妖術でマスターしていた。
「ありがとう、狐狗狸さん」
美夜は礼を言ってから、口寄せを解除する。そして二〇三号室の方に目をやると――丁度外階段を降りて来た少女と目が合った。
学校で何度かすれ違った事がある少女だ――確か名は、針姫和歌と言ったか。
「よぉ。別嬪さん」
先に挨拶をしてきたのは、意外にも、和歌の方だった。彼女はニタニタと笑いながら階段を降りると、美夜の前に立った。「おはようさん」
「おはよう……ございます」
「昨夜はお楽しみだったか?」
「何のこと?」
「しらばっくれるなよ。昨晩、氷太朗と月見をしたんだろ? 知ってるぜ」
「………」
なんだ、それのことか――美夜は少しだけ警戒心を解く一方で、何も知らない様子の彼女にどう答えようか悩む。
「なんだ、黙り込んで。もしかして、野郎、すっぽかしたのか?」
「そうじゃないけど……そう」
「あぁん⁉ アイツ、逃げたのかよ!」
「違う。色々事情があって約束が流れたの。逃げたとか、そういうのじゃない」
「どういうことだ? ……もしかしてアイツに何かあったのか?」
鋭い。
そう言えば、針姫家に和歌という名前の後継者がいるということを聞いたことがあったが――彼女の事だろうか。もしそうだとすれば、流石としか言いようがない勘の良さだ。
「氷太朗の野郎、事故ったのか? だから、家に帰ってないのか?」
「どうして家に帰ってないことを知ってるの?」
「私もこのボロアパートに住んでんだ。二〇五号室だ。奴の部屋からはかなり離れてるけど、壁が薄いから、氷太朗が帰ってきたら音でわかる。でも、昨夜は音がしなかった。てっきりアンタとお楽しみだったのかと思ってたが――そういうワケでも無さそうだな」
「………」
言葉の端々から、此方をからかっている事はわかるが、言葉の端々から、情報を引き出そうとしているのもわかる。
「何か事情があるのか?」
「氷太朗くんが行方不明になったの」
「嘘だな。行方不明になったのなら、もっと周囲が騒いでるはずだ。警察とか、アンタとか、氷華さんとか――」
「誰にも知らせていないから、誰も知らない。これから知らせる」
「アンタが妙に落ち着いている理由にはならないぜ」
「それは……」
明らかに探られている。それも、かなり切れ味のあるナイフで抉る様に――正直、彼女の慧眼を欺ける自信がない。このまま取り繕っていても、すぐにボロが出るだろう。
いや――無理に取り繕ろう必要は無いのではないか、と美夜は思う。
普通の人間に「氷太朗の魂だけ見つかったけど肉体は行方不明なの」と言っても、笑われるだけで、まともに取り合ってくれないだろう。だが、彼女は針姫の人間である。針姫は妖怪退治のエキスパートであり、霊能力界隈では知らぬものはいない大御所だ。彼女ならこの異常な事態に手を貸してくれるかもしれない。
「和歌さんは……酒月家についてどれだけ知ってる?」
知識量を測るためのジャブを打ってみる。
和歌は顔色一つ変えずに答えた。
「色々知ってるぜ。当主になるためのお勉強の時に色々学んだからな」
「アレの事は……知ってる?」
「アンタの一族が大事に守ってる隠れ里の事か? 詳しい場所までは知らないが、ある程度は知ってるぜ。確か、常夜とか言ったか?」
美夜は少しだけ胸を撫で下ろした。
常夜はトップクラスの機密事項だ――それを知っているのと知っていないのとでは、明かせる情報の量が変わってくる。
安心した美夜は包み隠さず話す事にした。
「その常夜に氷太朗くんが生霊として迷い込んできたの」
「なんで?」
「何者かによって肉体から魂を剝がされたのだと思うけれど――正確な原因はわからない」
「肉体はどこにあるんだ?」
「それはわからない。今探しているところ」
「なるほど。それで手始めに奴の住処であるこのボロアパートに探しに来たってワケか。そうかそうか――じゃあ、探してみるか」
来いよ、と言って和歌は外階段を上った。美夜はコクリと頷き、ついて行く。
妙な軋み音を出す外階段を登ってすぐの所に二〇三号室がある。和歌は何の躊躇もなく二〇三号室のドアノブに手をかける。が、どれだけ力を入れても、捻ることは出来なかった。
「やっぱり鍵が……」
「ちょっと待ってろ」
言って、和歌はドアノブを両手で掴んで激しく揺らし始めた。すると、カチンという、錠が引っ込む音がした。
「このアパートの鍵はこうやって揺らせば鍵が開くんだ」
「セキュリティが緩い……」
「ボロアパートなんてどこもそんなもんさ」
何故か和歌は得意げな顔でドアを開ける。直後、ムワッと熱気が二人の頬を撫でた。この熱気だけで、無人だということがわかった。
美夜は、氷太朗の肉体捜索が目的とは言え、不法侵入には少々抵抗があった。だが、和歌はそんなもの露ほども感じていないらしく、流れるようの玄関で靴を脱いで、吸い寄せられるように奥に這入って行った。その姿を見て、美夜も進む事を決意した。
だが、誰もいなかった。氷太朗の肉体も、氷華の姿も、何もなかった。
収穫無しだ。
「……この件、氷華さんは知ってるのか?」
一頻り部屋を探索したあと、和歌は慣れた様子でキッチンの冷蔵庫から炭酸飲料の缶を取り出しながら問うた。
「氷太朗くんのお姉さん? ううん、伝えてないから知らない」
「じゃあ、電話番号を知ってるから、私の方から伝えておくよ」
「ありがとう。状況が状況だから、針姫家の手も借りたいんだけど――」
「針姫には言わない」
「どうして?」
「坂之上家と針姫家は――と言うか、坂之上氷華と針姫家は犬猿の仲なんだ」
和歌は缶を開け、一口で飲み干す。
「氷華さんが有名な妖怪退治屋なのは知ってるか?」
「知らない」
「じゃあ知っといてくれ――氷太朗の御両親もかなり有名な妖怪退治屋だった。親父さんは坂之上由来の六神通の達人で、お袋さんは妖術の達人だったからな。でも、七年前に起こった事件によって、命を落とした」
「事件?」
「とある妖怪が立てこもり事件を起こしたんだ。氷太朗の御両親は、武力で制圧することも出来たが――被害を最小限に抑えるために、言葉による説得を試みた。そんな二人を踏み躙る様に、後からやってきた針姫は犯人を爆殺したんだ。ご両親はその爆発に巻き込まれて死亡した。吐き気のする事件だよ」
「非道い……」
「だろ? 針姫家の屑エピソードの一つだよ――両親を失った氷華さんは、氷太朗を養うために両親の稼業を引き継いだ。彼女は父親譲りの六神通と母親を超える妖術の才能があったから、引継ぎ自体は簡単にいったらしい。でも、ビジネスは上手くいかなかった」
「どういうこと?」
「多くの妖怪退治屋は自分達で事務所を構えて、自分達で依頼を受けているわけじゃない。針姫の持ち寄られた依頼を針姫から流して貰う、所謂下請け業者なんだ。大きな仕事を遂行しても、ピンハネが高すぎて、貰える金は極僅かだ。それどろか、毎月みかじめ料まで払わせられるから――多くの下請け妖怪退治屋は貧しい思いをしている。氷華さんもその一人なんだ」
「やり方が汚すぎる」
「だろ? 我が実家ながら、ひどすぎて笑えないぜ。話がズレちまったな――こういう経緯があって、氷華さんは針姫が大嫌いなんだ。氷太朗の肉体探し如きで針姫の力を借りて見ろ、私たち焼き殺されちまうぜ」
「……わかった」
針姫の力を借りられれば氷太朗の肉体なぞすぐに見つかるが――そんな大きなリスクがあるなら、止めておくのが無難だろう。
「お姉さんに協力を仰ぐのは無理かな?」
「奴は重度のブラコンだ。氷太朗を溺愛してる。電話をしたら、今やってる仕事を切り上げてでも探してくれるはずだ」
「良かった……」
「私も手伝うから、三人で探そうぜ」
和歌が手を差し出す。
「ありがとう」
美夜は静かに握手をした。
人を呼びたくない位のボロ家――果たしてどんなモノなのか。考えれば考えるだけ、興味が湧き立つ。
好奇心旺盛な美夜は氷太朗に頭を下げ、一度でいいから遊びに行きたいとお願いをした。最初、氷太朗は頑なな態度で突っ撥ねていたが、しつこく何度も頼むと、渋々頷いた。
結論から述べると、彼の家はボロ家という程のものではなかった――氷太朗が住むのは戦後すぐに建てられた長屋で、確かに真新しくはなかったが、だからと言ってひどく傷んでいる様子もなかった。寧ろ、築何百年も経つ酒月邸の方がボロだと思った。
そんな懐かしい思い出に浸りながら、朝日が降り続く中、美夜は長屋を訪れたが――人の気配はなかった。完全に空き家となっていたのだ。
「引っ越してたんだ……」
まったくそのような情報を持っていなかった美夜は、空き家となった旧坂之上宅の前で呆然と立ち尽くした。
すると、老婆に声をかけらた。
老婆は最初、空き家の前でキョロキョロしている美夜を不審がっていたが、ここに住んでいるはずの友達を尋ねて来たと言うと、態度を一転させ――色々と教えてくれた。七年前に坂之上家のご両親が不慮の事故で亡くなった事。その後しばらく遺された姉弟の二人で住んでいた事。更にしばらくしてその二人が近所の『ハイツ針姫』というアパートに移ったこと。その他、色々。まさに老婆心である。プライバシー保護が厳しくなっている昨今においてこの口の軽さは如何なものかと思ったが――美夜は素直に礼を述べ、ハイツ針姫に向かった。
ハイツ針姫は歩いて十分程度の距離にあった。
ハイツ針姫を目にした時、美夜は「これこそがボロだ」と思った。二階建てのアパートなのだが――土壁がにはこも罅が入っており、トタン屋根は風が吹く度にギィギィと音な鳴っている。一階の一番右の部屋に至っては、ドアがなく、代わりにベニヤ板が貼られている。
このボロアパートのどこかに氷太朗は住んでいる――何号室に住んでいるかまでは聞き出せなかった美夜は、外階段の傍の集合ポストの前に立つ。そして――
「狐狗狸さん、狐狗狸さん。氷太朗くんの部屋はどこ?」
人差し指を突き出すと、指は二〇三号室のポストを指した。
美夜の脳が神経を伝い筋繊維を動かせ指したわけではない――狐狗狸さんの仕業である。口寄せで呼び寄せた狐狗狸さんが、その能力で氷太朗の部屋を割り出したのだ。
これは妖術の中でも最もスタンダードな『霊験術』と呼ばれるものである。
妖術には大きくわけて三種類ある。結界術と占術と霊験術の三つだ。
結界術は、対象の周囲に線を引き、対象とそのエネルギーをコントロールする術である。結界を用いれば、特定の場所を神聖な空間にする事は勿論のこと、常夜のような箱庭を創ることも可能だ。
占術は読んで字の如く『占い』で、星や気やエネルギーの流れを読んで未来を予知する。
そして霊験術だが――これは言ってしまえば、口寄せ術の応用だ。口寄せ術は霊を自分に降霊させて、その霊の意思を読み取ったり使役させたりする術だ。その口寄せに一工夫加えれば、神や妖怪の能力だけ口寄せし使用することが出来る。それが霊験術である。今、美夜が行った『狐狗狸さん』がその典型例だ。
勿論、妖術は、口で説明するのは易いが、実行するのは生半可ではない技術である。結界術にせよ、占術にせよ、霊験術にせよ――発動させるには、膨大な妖力と、神や霊などという目に見えないモノを捉える才能が必要だ。どちら一方が欠けただけで、妖術は発動しなくなる。氷太朗や和歌が良い例だ――彼らは妖力の量は多い方だが、才能が無いばかりに、妖術の発動はおろか、その辺に漂っている妖怪の姿すら見る事が出来なかった。
だが美夜は違う。彼女は類い稀なる才能と妖力量、それに絶え間ない鍛錬によって、一七歳という若さで様々な妖術でマスターしていた。
「ありがとう、狐狗狸さん」
美夜は礼を言ってから、口寄せを解除する。そして二〇三号室の方に目をやると――丁度外階段を降りて来た少女と目が合った。
学校で何度かすれ違った事がある少女だ――確か名は、針姫和歌と言ったか。
「よぉ。別嬪さん」
先に挨拶をしてきたのは、意外にも、和歌の方だった。彼女はニタニタと笑いながら階段を降りると、美夜の前に立った。「おはようさん」
「おはよう……ございます」
「昨夜はお楽しみだったか?」
「何のこと?」
「しらばっくれるなよ。昨晩、氷太朗と月見をしたんだろ? 知ってるぜ」
「………」
なんだ、それのことか――美夜は少しだけ警戒心を解く一方で、何も知らない様子の彼女にどう答えようか悩む。
「なんだ、黙り込んで。もしかして、野郎、すっぽかしたのか?」
「そうじゃないけど……そう」
「あぁん⁉ アイツ、逃げたのかよ!」
「違う。色々事情があって約束が流れたの。逃げたとか、そういうのじゃない」
「どういうことだ? ……もしかしてアイツに何かあったのか?」
鋭い。
そう言えば、針姫家に和歌という名前の後継者がいるということを聞いたことがあったが――彼女の事だろうか。もしそうだとすれば、流石としか言いようがない勘の良さだ。
「氷太朗の野郎、事故ったのか? だから、家に帰ってないのか?」
「どうして家に帰ってないことを知ってるの?」
「私もこのボロアパートに住んでんだ。二〇五号室だ。奴の部屋からはかなり離れてるけど、壁が薄いから、氷太朗が帰ってきたら音でわかる。でも、昨夜は音がしなかった。てっきりアンタとお楽しみだったのかと思ってたが――そういうワケでも無さそうだな」
「………」
言葉の端々から、此方をからかっている事はわかるが、言葉の端々から、情報を引き出そうとしているのもわかる。
「何か事情があるのか?」
「氷太朗くんが行方不明になったの」
「嘘だな。行方不明になったのなら、もっと周囲が騒いでるはずだ。警察とか、アンタとか、氷華さんとか――」
「誰にも知らせていないから、誰も知らない。これから知らせる」
「アンタが妙に落ち着いている理由にはならないぜ」
「それは……」
明らかに探られている。それも、かなり切れ味のあるナイフで抉る様に――正直、彼女の慧眼を欺ける自信がない。このまま取り繕っていても、すぐにボロが出るだろう。
いや――無理に取り繕ろう必要は無いのではないか、と美夜は思う。
普通の人間に「氷太朗の魂だけ見つかったけど肉体は行方不明なの」と言っても、笑われるだけで、まともに取り合ってくれないだろう。だが、彼女は針姫の人間である。針姫は妖怪退治のエキスパートであり、霊能力界隈では知らぬものはいない大御所だ。彼女ならこの異常な事態に手を貸してくれるかもしれない。
「和歌さんは……酒月家についてどれだけ知ってる?」
知識量を測るためのジャブを打ってみる。
和歌は顔色一つ変えずに答えた。
「色々知ってるぜ。当主になるためのお勉強の時に色々学んだからな」
「アレの事は……知ってる?」
「アンタの一族が大事に守ってる隠れ里の事か? 詳しい場所までは知らないが、ある程度は知ってるぜ。確か、常夜とか言ったか?」
美夜は少しだけ胸を撫で下ろした。
常夜はトップクラスの機密事項だ――それを知っているのと知っていないのとでは、明かせる情報の量が変わってくる。
安心した美夜は包み隠さず話す事にした。
「その常夜に氷太朗くんが生霊として迷い込んできたの」
「なんで?」
「何者かによって肉体から魂を剝がされたのだと思うけれど――正確な原因はわからない」
「肉体はどこにあるんだ?」
「それはわからない。今探しているところ」
「なるほど。それで手始めに奴の住処であるこのボロアパートに探しに来たってワケか。そうかそうか――じゃあ、探してみるか」
来いよ、と言って和歌は外階段を上った。美夜はコクリと頷き、ついて行く。
妙な軋み音を出す外階段を登ってすぐの所に二〇三号室がある。和歌は何の躊躇もなく二〇三号室のドアノブに手をかける。が、どれだけ力を入れても、捻ることは出来なかった。
「やっぱり鍵が……」
「ちょっと待ってろ」
言って、和歌はドアノブを両手で掴んで激しく揺らし始めた。すると、カチンという、錠が引っ込む音がした。
「このアパートの鍵はこうやって揺らせば鍵が開くんだ」
「セキュリティが緩い……」
「ボロアパートなんてどこもそんなもんさ」
何故か和歌は得意げな顔でドアを開ける。直後、ムワッと熱気が二人の頬を撫でた。この熱気だけで、無人だということがわかった。
美夜は、氷太朗の肉体捜索が目的とは言え、不法侵入には少々抵抗があった。だが、和歌はそんなもの露ほども感じていないらしく、流れるようの玄関で靴を脱いで、吸い寄せられるように奥に這入って行った。その姿を見て、美夜も進む事を決意した。
だが、誰もいなかった。氷太朗の肉体も、氷華の姿も、何もなかった。
収穫無しだ。
「……この件、氷華さんは知ってるのか?」
一頻り部屋を探索したあと、和歌は慣れた様子でキッチンの冷蔵庫から炭酸飲料の缶を取り出しながら問うた。
「氷太朗くんのお姉さん? ううん、伝えてないから知らない」
「じゃあ、電話番号を知ってるから、私の方から伝えておくよ」
「ありがとう。状況が状況だから、針姫家の手も借りたいんだけど――」
「針姫には言わない」
「どうして?」
「坂之上家と針姫家は――と言うか、坂之上氷華と針姫家は犬猿の仲なんだ」
和歌は缶を開け、一口で飲み干す。
「氷華さんが有名な妖怪退治屋なのは知ってるか?」
「知らない」
「じゃあ知っといてくれ――氷太朗の御両親もかなり有名な妖怪退治屋だった。親父さんは坂之上由来の六神通の達人で、お袋さんは妖術の達人だったからな。でも、七年前に起こった事件によって、命を落とした」
「事件?」
「とある妖怪が立てこもり事件を起こしたんだ。氷太朗の御両親は、武力で制圧することも出来たが――被害を最小限に抑えるために、言葉による説得を試みた。そんな二人を踏み躙る様に、後からやってきた針姫は犯人を爆殺したんだ。ご両親はその爆発に巻き込まれて死亡した。吐き気のする事件だよ」
「非道い……」
「だろ? 針姫家の屑エピソードの一つだよ――両親を失った氷華さんは、氷太朗を養うために両親の稼業を引き継いだ。彼女は父親譲りの六神通と母親を超える妖術の才能があったから、引継ぎ自体は簡単にいったらしい。でも、ビジネスは上手くいかなかった」
「どういうこと?」
「多くの妖怪退治屋は自分達で事務所を構えて、自分達で依頼を受けているわけじゃない。針姫の持ち寄られた依頼を針姫から流して貰う、所謂下請け業者なんだ。大きな仕事を遂行しても、ピンハネが高すぎて、貰える金は極僅かだ。それどろか、毎月みかじめ料まで払わせられるから――多くの下請け妖怪退治屋は貧しい思いをしている。氷華さんもその一人なんだ」
「やり方が汚すぎる」
「だろ? 我が実家ながら、ひどすぎて笑えないぜ。話がズレちまったな――こういう経緯があって、氷華さんは針姫が大嫌いなんだ。氷太朗の肉体探し如きで針姫の力を借りて見ろ、私たち焼き殺されちまうぜ」
「……わかった」
針姫の力を借りられれば氷太朗の肉体なぞすぐに見つかるが――そんな大きなリスクがあるなら、止めておくのが無難だろう。
「お姉さんに協力を仰ぐのは無理かな?」
「奴は重度のブラコンだ。氷太朗を溺愛してる。電話をしたら、今やってる仕事を切り上げてでも探してくれるはずだ」
「良かった……」
「私も手伝うから、三人で探そうぜ」
和歌が手を差し出す。
「ありがとう」
美夜は静かに握手をした。
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