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壱章 枕野凌子
008 彗星
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宵乃に引っ張られて二階に向かった俺と那由他さんはスリッパに履き替え、ベランダに出た。そして空を仰いだが――どんよりとした雲しか見つけることが出来なかった。
「めっちゃ曇り空じゃねェか」
「嘘だろ⁉ 貴君、嘘を吐くなよ!」
スリッパが足らずにベランダに出られずに居た宵乃はそう言って大きくジャンプをし、俺の背中に飛び乗った。
俺は危うく後ろに転がりかけたが、グッと踏ん張って堪えた。
「危ないだろ」
俺の言葉は、宵乃の耳には届いていなかった。
「貴君、どう責任を取るんだ」
「なんで俺のせいになるんだよ」
「貴君がグズグズしているから雲の切れ間が消えてしまったんだ。いや、そもそも、貴君が晴れ乞いの方法を知らなかったからこんな事になったんだ。針姫なら晴れ乞いの呪文の一つくらい知っていろ!」
「暴論だな。そんな事言うなら落ちろ」
俺の身体にしがみ付く宵乃の腕を外す。すると宵乃は木から落ちる猿のように尻から地面に向かって行ったが、衝突する寸前に那由他さんが拾い上げ、再び俺の背中に乗せた。
「宵乃ちゃんはみんなで彗星が見たかったんですよね」
「ああ、そうだ。みんなで彗星を見て、素敵な夜にしたかったんだ」
「ふふふ。彗星が見えなくても、素敵な夜ですよ」
那由他さんは心底嬉しそうに笑いながら宵乃の頭を撫でる。
「どうしますか? このまま雲の切れ間が再び現れるのを待ちますか? それとも、コタツで暖まりますか?」
「このまま少し待つ」
「そうですか。じゃあ、私も待ちましょうかね」
「そうですか。じゃあ俺はこれで」
寒いのは御免だ。彗星だか流星だかを見るためにベランダで凍えるのはもっと御免だ。
俺はとっとと退散を決め込もうとしたが、宵乃が首を掴んできたので止まった。
「何の真似だ、この野郎」
「ヤダヤダヤダ! 貴君も一緒じゃなきゃヤダ! 一緒じゃないなら死ぬ! ……貴君が」
「テメェが死ね」
「こらこら二人とも」那由他さんは宵乃の手を外しながら言った。「死ぬとか死ねとか――簡単に言ってはいけません。めっ、ですよ」
「………」
いつも思うが、那由他さんは俺達を何歳だと思ってるのだろうか。
「へいへい。わかりましたよーだ」
「偉い。宵乃ちゃんは偉いです。小唄くんもわかりましたか?」
「……はい」
色々と観念をした俺は欄干に近づき、肘をついた。
先述した通り、今日は曇天だ。しかも、今にも雪が降りそうなくらい不安定だ。こんなのを眺めていても、ちっとも楽しくない。しかし、それは俺だけのようで――宵乃と那由他さんはキラキラとした眼差しで見上げていた。
暫く沈黙が続いた。
その沈黙を破ったのは宵乃だった。
「那由他さん。猫崎家の人間が一人増えたが、家計は大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ。収入も貯金もありますから。あと六人くらい増えたとしても余裕です」
「マジか。那由他さん、稼いでるだねー」
「殺しはやめたんですよね?」
俺は思わず訊いてしまった。
隠していても仕方がないので言ってしまうが、那由他さんは真っ当な市民ではない。金や暴力が物を言う、所謂『裏社会』の人間である。故に、仕事も血塗られているし、報酬も血塗られている。
「はい、完全に足を洗いました。今は偽造パスポートや偽の戸籍の売買をしてます」
「それでもそんなにも稼げるんですね」
「ええ。世も末です」
同感である。
「貴君、あと六人増えても余裕だってさ」
そう宵乃は言うと、那由他さんは首を傾げた。
「どうかしましたか? もしかして、誰かを拾おうとしてますか? 余裕があるんで大丈夫ですよ」
「違うよ、那由他さん。この男、これ以上那由他さんの負担になりたくないからって進学もせずに家を出ようとしてるんだ。どう思う?」
「おまっ……」
配慮という言葉が微塵も含まれていない発言に俺は思わず宵乃を投げ飛ばしたくなったが、ぐっと堪えた。
「それは本当ですか? 小唄くん」
「ええ、まぁ、はい」
「負担なんて、微塵も感じたことはありませんよ」那由他さんの此方を見つめて言った。「それどころか、小唄くんのお陰で楽をさせて貰っているとさえ思っています」
「楽って……」
「嘘ではありませんよ。小唄くんが率先して家事をしてくれているお陰で私は随分と楽をさせて貰っています。とっても楽です。ぶっちゃけ、今出て行かれる方がキツいです」
「ぶっちゃけすぎじゃありませんか?」
「本当の話ですから――それに、小唄くんや宵乃ちゃんと一緒に居てポジティブな気持ちになることはあれど、ネガティブな感情を抱いた事はただの一秒もありません」
「………」
曇りない眼とはこの事を言うのだろう。
那由他さんの瞳には嘘や偽りの類が一切見えない。
俺は思わず目を背けてしまった。
「那由他さんも、大学に行った方がいいと思いますか?」
「さぁ、どうでしょう。私は大学はおろか小学校も出ていないので、大学に進学するメリットはイマイチわかりません。なので、小唄くんが望まないなら、別に無理して進む必要はないと思います」
「じゃあ、どうすれば――」
「お好きになさい。小唄くんの人生ですから――どんな選択をしても、私は全力で応援します。ただ、まぁ、強いて望むのならば、きちんとした職に就いて、小唄くんを愛してくれる奥さんを貰って、子供を授かって、家族みんなで遊びに来てほしいです」
「ソイツは――」
難しそうですね、と言いかけた時。
「あ!」
宵乃は夜空を指した。
「流れ星!」
「本当ですね。うふふ。縁起が良い」
「………」
俺は言わなかったが、雲の切れ間から見えたそれは明らかに人工衛星であった。
「めっちゃ曇り空じゃねェか」
「嘘だろ⁉ 貴君、嘘を吐くなよ!」
スリッパが足らずにベランダに出られずに居た宵乃はそう言って大きくジャンプをし、俺の背中に飛び乗った。
俺は危うく後ろに転がりかけたが、グッと踏ん張って堪えた。
「危ないだろ」
俺の言葉は、宵乃の耳には届いていなかった。
「貴君、どう責任を取るんだ」
「なんで俺のせいになるんだよ」
「貴君がグズグズしているから雲の切れ間が消えてしまったんだ。いや、そもそも、貴君が晴れ乞いの方法を知らなかったからこんな事になったんだ。針姫なら晴れ乞いの呪文の一つくらい知っていろ!」
「暴論だな。そんな事言うなら落ちろ」
俺の身体にしがみ付く宵乃の腕を外す。すると宵乃は木から落ちる猿のように尻から地面に向かって行ったが、衝突する寸前に那由他さんが拾い上げ、再び俺の背中に乗せた。
「宵乃ちゃんはみんなで彗星が見たかったんですよね」
「ああ、そうだ。みんなで彗星を見て、素敵な夜にしたかったんだ」
「ふふふ。彗星が見えなくても、素敵な夜ですよ」
那由他さんは心底嬉しそうに笑いながら宵乃の頭を撫でる。
「どうしますか? このまま雲の切れ間が再び現れるのを待ちますか? それとも、コタツで暖まりますか?」
「このまま少し待つ」
「そうですか。じゃあ、私も待ちましょうかね」
「そうですか。じゃあ俺はこれで」
寒いのは御免だ。彗星だか流星だかを見るためにベランダで凍えるのはもっと御免だ。
俺はとっとと退散を決め込もうとしたが、宵乃が首を掴んできたので止まった。
「何の真似だ、この野郎」
「ヤダヤダヤダ! 貴君も一緒じゃなきゃヤダ! 一緒じゃないなら死ぬ! ……貴君が」
「テメェが死ね」
「こらこら二人とも」那由他さんは宵乃の手を外しながら言った。「死ぬとか死ねとか――簡単に言ってはいけません。めっ、ですよ」
「………」
いつも思うが、那由他さんは俺達を何歳だと思ってるのだろうか。
「へいへい。わかりましたよーだ」
「偉い。宵乃ちゃんは偉いです。小唄くんもわかりましたか?」
「……はい」
色々と観念をした俺は欄干に近づき、肘をついた。
先述した通り、今日は曇天だ。しかも、今にも雪が降りそうなくらい不安定だ。こんなのを眺めていても、ちっとも楽しくない。しかし、それは俺だけのようで――宵乃と那由他さんはキラキラとした眼差しで見上げていた。
暫く沈黙が続いた。
その沈黙を破ったのは宵乃だった。
「那由他さん。猫崎家の人間が一人増えたが、家計は大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ。収入も貯金もありますから。あと六人くらい増えたとしても余裕です」
「マジか。那由他さん、稼いでるだねー」
「殺しはやめたんですよね?」
俺は思わず訊いてしまった。
隠していても仕方がないので言ってしまうが、那由他さんは真っ当な市民ではない。金や暴力が物を言う、所謂『裏社会』の人間である。故に、仕事も血塗られているし、報酬も血塗られている。
「はい、完全に足を洗いました。今は偽造パスポートや偽の戸籍の売買をしてます」
「それでもそんなにも稼げるんですね」
「ええ。世も末です」
同感である。
「貴君、あと六人増えても余裕だってさ」
そう宵乃は言うと、那由他さんは首を傾げた。
「どうかしましたか? もしかして、誰かを拾おうとしてますか? 余裕があるんで大丈夫ですよ」
「違うよ、那由他さん。この男、これ以上那由他さんの負担になりたくないからって進学もせずに家を出ようとしてるんだ。どう思う?」
「おまっ……」
配慮という言葉が微塵も含まれていない発言に俺は思わず宵乃を投げ飛ばしたくなったが、ぐっと堪えた。
「それは本当ですか? 小唄くん」
「ええ、まぁ、はい」
「負担なんて、微塵も感じたことはありませんよ」那由他さんの此方を見つめて言った。「それどころか、小唄くんのお陰で楽をさせて貰っているとさえ思っています」
「楽って……」
「嘘ではありませんよ。小唄くんが率先して家事をしてくれているお陰で私は随分と楽をさせて貰っています。とっても楽です。ぶっちゃけ、今出て行かれる方がキツいです」
「ぶっちゃけすぎじゃありませんか?」
「本当の話ですから――それに、小唄くんや宵乃ちゃんと一緒に居てポジティブな気持ちになることはあれど、ネガティブな感情を抱いた事はただの一秒もありません」
「………」
曇りない眼とはこの事を言うのだろう。
那由他さんの瞳には嘘や偽りの類が一切見えない。
俺は思わず目を背けてしまった。
「那由他さんも、大学に行った方がいいと思いますか?」
「さぁ、どうでしょう。私は大学はおろか小学校も出ていないので、大学に進学するメリットはイマイチわかりません。なので、小唄くんが望まないなら、別に無理して進む必要はないと思います」
「じゃあ、どうすれば――」
「お好きになさい。小唄くんの人生ですから――どんな選択をしても、私は全力で応援します。ただ、まぁ、強いて望むのならば、きちんとした職に就いて、小唄くんを愛してくれる奥さんを貰って、子供を授かって、家族みんなで遊びに来てほしいです」
「ソイツは――」
難しそうですね、と言いかけた時。
「あ!」
宵乃は夜空を指した。
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