或る世界線の災厄~全ては救えない私の小さな希望~

桒原真弥

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壱章 枕野凌子

017 唄

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 プリクラを手にした時点で時刻は午後六時を回っていた。帰るには丁度良い時間である。俺はてっきりこのまま帰るものだと思っていた。だが、那由他さんは笑顔で「次はどこに行きましょうか?」なんて言ってきた。
 それに対して俺はみんな口を揃えて「帰るに決まってるじゃないですか」と言うと思っていた。だが、宵乃は「カラオケなんてどうだ?」と提案し、あろうことか凌子ちゃんも「実は行ってみたかったんです……!」と目を輝かせた。もう帰ろうと言える雰囲気ではない。
 という事で、我々一同は近所のカラオケボックスに行った。
 カラオケボックスでやけに美人なスタッフに案内されたのは、どういうわけか、優に二〇人は入りそうな二〇畳くらいのパーティールームであった。俺はすぐに「四人ですよ?」と言ったが、やけに美人なスタッフは「空いてるんでこちらどうぞ」と譲らなかった。
 このパーティールームに那由他さんと宵乃がとてもテンションを上げたのは言うまでも無いだろう。
 カラオケは行く前は意気揚々となるが、いざ着いてみると緊張するものである。そして、『誰が一番最初に歌うのか問題』に直面する。この問題を迅速に処理しなければスタートは遅れるばかりである。我々一向もこの問題に直面した。しかし、我々はジャンケンという手段を持っていたので、すぐさまそれを施行した。その結果、宵乃、那由他さん、俺、凌子ちゃんの順番で歌う事が決定した。非常に妥当な順番である。
 一番槍を担う宵乃は考える様子もなく『残酷な天使のテーゼ』を選択し、歌った。
 宵乃は非の打ち所しかない人物であるが、歌声に関しては非の打ち所がなく、相変わらず美しかった。並みの歌手よりも遥かに上手い。常日頃から妙な言動を慎んで歌だけ歌っていればいいのにといつも思う。
 二番手の那由他さんはサカナクションの『怪獣』を歌った。まさかの最近の曲で驚いたが、歌の腕前はノーコメントである。彼女の名誉を考えると、口が裂けても言えない。
 俺はいつものようにゴールデンボンバーの『女々しくて』を歌った。皆のリアクションはまずまずだった。
 凌子ちゃんは歌という歌を知らなかったので、選曲には随分時間を要した。が、思案の結果、童謡の『げんこつやまのたぬきさん』を歌った。両手でマイクを持ち小さい声ながら一生懸命歌うその姿は大いに俺たちを盛り上がらせた。
 こうして無事一周目が終わった。一巡目が終われば大体緊張というものは解れてくるもので、自然に二巡目、三巡目が終わった。そして四巡目が始まろうという時、宵乃は突然立ち上がった。
「ちょっとトイレ」
「おいおい、次お前の番だってのに……順番が来る前に行っとけよ」
 俺が言うと、宵乃は腹を摩った。
「文句を言うなら膀胱に言え。私は膀胱の奴隷なんだ。それともアレか? 貴君は漏らせと言ってるのか? キッショ」
「ちょっとお小言言っただけだろ。黙って行ってこいよ」
「貴君の許可を得ずとも行ってくるよ」
「あ……私も行きます……」
 と、凌子ちゃんは席を離れる宵乃を追った。
「連れション行ってきまーす」
「女の子がそんな事言いません」
 すかさず注意する那由他さん。宵乃はそれに「謝謝」と返して部屋を出た。
 たった二人が消えただけだというのに、パーティールームは更に広く感じられた。
 そんな広すぎるパーティールームに「ぐ~」という間抜けな音が鳴った。
「お腹が鳴っちゃいました」
 那由多さんは恥ずかしそうに言う。
「お腹空いたんですか?」
「はい。お腹空きました……。何か注文してくれませんか?」
「いいですよ」
 俺はスマホを取り出し、壁に貼られてたQRコードを読み込んだ。すると、画面にフードメニューが表示された。そう、ここはモバイルルータースタイルなのだ。
「何食べますか? ポテトとかピザとかありますよ。あ、どて焼きもありますよ」
「良いですね。全部行きましょう。あと、焼酎も呑みたいです。麦ありますか?」
「無いです」
「即答やめてください。せめてちょっと調べる素振りをみせてください」
「敵がいつ攻めてきてもおかしくない状況で酒を飲もうとしないでください」
「私は敵が攻めてくる寸前だろうとも、敵に攻め込む寸前だろうとも、お酒を飲みます」
「なんの宣言ですか」
「お願いします! 一杯で我慢しますから!」
 両手を合わせて懇願する五九歳。なんと情けない光景だろうか。
 大の大人にこう頼まれてはこれ以上拒めない俺は、麦焼酎とポテトとナゲットとピザとどて焼きを注文した。
「はい、オーダーしましたよ。すぐ来ると思います」
「ありがとうございます。今は何でもスマホでする時代なんで、スマホを使いこなせないお婆ちゃんは困ります」
「使いこなせるように練習してください。那由多さんならすぐマスターしますよ。それよりも――今日一日動いていて、敵の気配は感じましたか?」
「感じませんでしたね。小唄くんは?」
「いえ、感じませんでした。しかし、だからと言って油断はできません。神妖シンヨウの世界では周到に事前調査をしてからタイミングを見計らって奇襲をかけるのが定石ですから」
「奇襲ですか……。みんな一緒に居る時に来てくれれば私が何とか出来ますが、バラバラの時に各個撃破を謀られては困りますね」
「そうですね」
 俺は針姫に居る時に護身術程度なら身に付けた。だが、プロの殺し屋相手にそれが通用するとは到底思えない。
 凌子ちゃんは対人戦に慣れているような口ぶりだったが、どこまで戦力になるかわからない。
 宵乃に至っては、ただの女子高生だ。奇襲なぞ受ければ一溜りもないだろう。
「胃がキリキリするぜ……」
 自分が傷つくのは良い。一度死んだ身だ、また死のうとも怖くはない。だが、家族が傷つくのは嫌だ。考えるだけで眩暈がする。
「大丈夫ですよ」
 那由多さんは静かに寄ると、そっと抱きしめてくれた。
「小唄くんも宵乃ちゃんも凌子ちゃんも、みんな私が守ります」
「でも……」
 そしたら誰が那由多さんを守るんですか?
 そう言いかけて、止めた。
 パーティールームの扉が開いたからだ。
 最初、俺は宵乃と凌子ちゃんが帰って来たのだと思った。その上で、この光景を見られたら恥ずかしいと思い、那由多さんから離れようとした。
 しかし、待てど暮らせど二人の影が這入ってくる事は無く――代わりに、一発の手榴弾が投げ込まれた。
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