或る世界線の災厄~全ては救えない私の小さな希望~

桒原真弥

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壱章 枕野凌子

018 別れ

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「那由他さん! 那由他さん!」
 腹から大量の血を流し横たわる那由他さんを揺らす。だが、その瞳に既に光はなく、身体も暖かさが失われつつあった。
「くそっ! くそっ!」
 取り敢えず俺はセーターを脱ぎ、それで那由他さんの腹を押えて止血を試みる。
「なんだよ! なんなんだよ‼」
 訳がわからない。
 何が起こったのか、わからない。
 いや、嘘だ――すべて見ていたので理解している。
 このパーティールームに手榴弾が投げ込まれ、それを見た那由他さんが俺を突き飛ばしながらその手榴弾の上に覆いかぶさったのだ。そして、手榴弾が爆発し、那由他さんは吹っ飛ばされて今に至る。
 状況は理解している。
 『敵』の襲撃であることもわかっている。
 これから何をしなければならないのかもわかっている。
 わかっているが――動けない。
「那由他さん! 那由他さん!」
 白いセーターがどんどん赤くなっていく。
 掌にどんどん嫌な感触が広がっていく。
 別の方法で止血を試みないといけないか――そう思った時である。
 廊下から人の気配を感じた。
 俺は那由他さんの懐からリボルバー式拳銃を抜き、構えながら振り返った。
 対峙するのは自動式拳銃を構える凌子ちゃんであった。
「凌子ちゃん……ッ⁉」
「……――驚いた」凌子ちゃん静かに言った。「まさか手榴弾に対応してくるとは」
「まさか……本当に凌子ちゃんなのか……ッ⁉」
「ああ、そうだよ」
「敵は……凌子ちゃんを狙ってたんじゃ……⁉」
「狙いはお前だよ、針姫」
「な――ッ⁉」
 俺が――狙いだと⁉
「どういう事だ!」
「さぁ、どういう事だろうな。あの世でじっくり考えな」
 凌子ちゃんは何の躊躇もなく引き金を引いた。
 俺は咄嗟に避けながらパーティールームの奥で手榴弾の衝撃により倒れたテーブルの裏に隠れた。
「痛っ……」
 左脇の辺りに痛みが走る。どうやら弾丸を受けてしまったらしい。見てみると、結構な量の出血があった。だが、それほど痛まなかった。恐らくは、アドレナリンが出まくっているせいだ。
「凌子ちゃん! いや、枕野凌子! 一つだけ聞かせろ!」
「やだね」
 凌子は何かを投げた。その何かはすぐにわかた――俺の頭の上を手榴弾が通りすぎた。
 俺はすぐさまそれをキャッチすると、割れた窓ガラスの向こう側の廊下に向かって放り投げた。
 直後、廊下に爆発音が響く。
「意外にやる――」
「黙れ! こっちの質問に答えろ!」
「テレビの悪役じゃないんだ。ターゲットにペラペラ喋るかよ」
「ああ、そうかよ! だったらせめて、宵乃をどうしたかだけ答えろ!」
 一緒にトイレに行った宵乃の生死だけはせめて知っておかないといけない。
 でないと、今後どう動けば良いかがわからなくなる。
「アイツは殺したよ。ペラペラと五月蠅いから、舌を抜いてからな」
「――ッ⁉」
 ツーっと冷たい物が全身を駆け巡った。
 宵乃が死んだ。
 那由他さんも死んだ。
 だったら俺は――
「枕野凌子ォ!」
 俺は立ち上がりながら拳銃を構える。そしてその一瞬後には引き金を引き、鉛玉で枕野凌子の眉間に穴を開ける――そういう算段でいた。
 しかし、それは叶わなかった。
 肝心の『対象』である枕野凌子がそっぽを向いていたからだ。
 この殺すか殺されるかの場面で敵から視線を逸らすなんてそんな馬鹿げた話があるものか。その隙が命取りだ。殺す。――そう言って引き金を引けば、話は終わっていただろう。
 だが、不覚にも、俺も視線を取られてしまった。
 ドアの前で立つ宵乃に。
「ん? なんだ、二人してジロジロ見て。ほら、私の事は構わず続けろよ」
 宵乃は微笑む。その姿は幻や成りすましではない事は直感的にわかった。
「貴様……どうして……」
 対照的に狼狽える枕野凌子。
「首をへし折って、おまけに舌まで抜いたのにどうして生きてるのかって? いや、逆か。舌を抜いた後に首をへし折って殺したのにどうして生きてるのかって? 教えて欲しい? ねぇ、教えて欲しい?」
「いや、結構」
 そう言って枕野凌子は振り返り、宵乃を撃とうとした。だが、その寸前で俺が奴の拳銃を撃ち落とした。
「お、貴君ナイス。のび太くんばりに腕がいいな」
「無駄口叩いてないで逃げろ! 死ぬぞ!」
「いや、死なないよ。私はありとあらゆる怪我を回復させる。そういう能力だ。名前を『現状回帰ベター』と言う」
「お前、神戯ジンギ持ちだったのか⁉」
「そ。言った事なかったけど、ね」
「ベラベラとよく喋る……ッ! もう一度舌を引っこ抜いてやる!」
 枕野凌子はキッと宵乃を睨みつける――直後、枕野凌子はその場に突っ伏した。まるで上からとてつもない荷重がかかっているかのように。
「なんだ……これは……ッ⁉」
「これ? これは『重重力ザ・サン』っていう、重力を何倍にもする能力」
「な……⁉ 神戯ジンギを二つだと……ッ⁉」
「いやいや、私を馬鹿にしちゃいけないよ。お前らちっぽけな人間と同じ尺度で測らないでいただきたい――私は四九個、神戯ジンギを持っている」
「四九個……ッ⁉」
 神戯ジンギは一人一個の筈だ。有史以来、二つ以上を持った者は確認されていない。そもそも神戯ジンギを持つ者も、数万人に一人という稀有な存在なのに……。
「お前、何者だ?」
 俺が問うと、宵乃は「まぁ私の事はいいじゃないか」とはぐらかした。
「それよりも、凌子ちゃんに訊きたい事があるんじゃないか?」
「ああ。山ほどある。だが、コイツもプロだ。拷問しても口を割らないだろうぜ」
「大丈夫。敵に口を割らせる能力も持っているから」
「マジかよ」
「嘘だと思うなら何か訊いてみろ。喜んで答えてくれると思うぞ」
「だったら――お前は単独犯か? それとも他に仲間がいるのか?」
 尋ねると、重力に打ちひしがれる枕野凌子は表情を歪めながら言った。
「外に仲間がいる。私が連絡をしたら突入する算段だ」
「マジで吐いたぜ」
 神妖シンヨウの世界の人間は皆、訓練された兵士だ。どんな拷問でも不利になる情報は吐かない。そんな連中の一員である枕野凌子があっさり吐いたところを見ると、宵乃の『敵に口を割らせる神戯ジンギ』は本物らしい。
 だったら――
「よっこらせ」
 俺は壁にしていたテーブルを乗り越えて近づこうとする。だが、それはすぐに制止された。
「貴君、近づくな。『災厄ディザスター』の有効範囲内に入ってしまう」
「ああ、そうか」
 俺の『災厄ディザスター』は全ての超常現象の発動を無効化してしまう。安易に近づけば、宵乃の重力をコントロールする神戯ジンギや敵に口を割らせる神戯ジンギを掻き消してしまう。そうなれば、折角逆転した形勢が再逆転してしまう。
「うっかりしてた。……うっ‼」
 謎の眩暈に襲われた俺はその場に座り込んでしまった。脇の出血が非道いらしい。
 俺は座り込んだまま、枕野凌子を睨みつけた。
「尋問の時間だ。色々喋って貰うぜ。その後――宵乃、お前にも色々喋って貰う」
「それまで貴君が失血死しなければな」
「言ってろ。――一つ目、狙いは『俺』だと言ったな。それは『針姫小唄』って事か? それとも、『針姫家の人間』って事か?」
「後者だ」
「と言うことは、他の針姫の人間も殺しにかかってると言うことか?」
「ああ、そうだ。針姫家の血を継ぐ人間は全員殺す。今日殺す。……そういう任務だ」
「死んだ事になってる俺まで消そうとするとは、徹底してるな――その任務の立案者は誰だ?」
「枕野凌星様だ」
「前当主だと? 数か月前に亡くなった筈だぞ?」
「それは偽装された死だ。本物の凌星様は比叡山に身を隠しておられる」
「成る程な。と言う事は、那由他さんは一杯食わされた訳だ。どうして偽装した? 針姫の目から逃れる為か?」
「そうだ。そして、最後の不安要素である『針姫小唄の暗殺』を現実のものにするためだ」
「お前が猫崎家に紛れ込んだのは、俺の暗殺の為か?」
「ああ」
 全て計算の内と言う訳か。
 俺はチラッと宵乃の方を見ると、奴はフッと笑った。どうやら勘付いていたらしい。黙っているなんて相変わらず人が悪い。
「俺はもう針姫とは無関係だ。それは知ってるな?」
「関係ない。針姫の血を継ぐ者は全員殺す」
「大した徹底ぶりだな。目的は何だ? 下剋上か?」
「その通りだ。針姫を滅ぼし、一六〇〇年に及ぶ独裁を終わらせる――これからは枕野家が全てを支配する」
「結構な野心だこった」
 ここで俺はとある疑問が浮かんだ。針姫長唄の血を引く枕野凌子はどうなるのか、という疑問だ。
 しかし、その疑問は口に出さない事にした。この疑問を投げかけたせいで取り乱されても敵わないからだ。
「――お前の本当の神戯ジンギは何だ?」
「『操り人形マリオ・マリア』、肉体を自由に操る能力だ」
「他人や獣の肉体も操れるのか?」
「ああ、そうだ」
「成る程な……。あのキョンシーハトはお前が操ってたのか」
「よくわかったな。お前の『災厄ディザスター』の有効範囲を調べるためにハトの死骸を操っていた。お前が気付いていないだけで、沢山試していたんだぞ?」
 妖術で操られているように見せかけてまで――随分と丁寧な仕事ぶりだ。流石はプロと言った所か。
「最後に教えてくれ。お前を殺しても、敵はまだ来るか?」
「無論だ。我々は立ち止まらない。仲間がどれだけ殺されようとも、針姫の血を絶やすまで進み続ける」
「そうか……」
「どうする? 枕野家を全員殺すか?」
「当然だ。針姫がどうなろうと構わないが、那由他さんを殺した報いは――」
 言葉は続かなかった。
 俺はここで気を失った。
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