Little boy of the side

月琴そう🌱*

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Little boy of the side

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 僕が小さい頃君の家に預けられてたのと同じように、君も僕の家によく来ていた。
少しだけ大きくなった君は、2階の僕の部屋に興味があったのか―― 

 まだよちよち歩きをしてた頃の事。
階段をおぼつかない足取りで、一生懸命上がって来てたものだった。
ちっちゃい足で、コトンコトンいいながら一段一段。
僕と母さん、階段の上と下とでヒヤヒヤしながらそれを見てる。
だって、手を貸そうとすると怒るんだ。
怒った様子がかわいくて、わざと手を貸すこともあった。

 それがいつの頃か、アレって気付いたら僕の部屋の入口にいて、顔だけ出してこちらをジッと見てる。

「お昼寝終わったの?」 

 って聞いたら、ニッコリ笑って「うん」と首を縦に振る。
言葉はまだ覚えたての片言で、今みたいに会話も出来ない。
まあ、それがかわいかったんだけど。
そしてその頃の君の笑い声は、その日あった嫌な出来事も一瞬で吹き飛ばす魔法のようだった。

 初めて君を抱っこしたのは、もう10年以上も前。
その時僕はまだ中学生で、学校から帰ってきたばかり。
いつもと同じに居間に入ったら、親の都合で昔よく預けられていた先のお姉ちゃんとおばさんが来ていた。
お姉ちゃんの腕の中に、スヤスヤ眠ってる君がいたんだ。

「瞬ちゃんお久しぶり元気だった?大きくなったねえ」

 親は変わらず交流していたようだけど、大人がそばにいなくても大丈夫になった頃には、僕には遠くなった付き合いだった。

「コ、コンニチハ」
「瞬、ほらサヤちゃん赤ちゃん連れて来たんだよ」
「ダッコしてみる?」
「えっ」

 初めて触れたその感触は、驚きと怖さと未知の生物的な何かと、そして――

「手、触ってごらん握ってくれるよ」
「え……」 

 自分がいつも食べるおにぎりよりもまだ小さい、ギュッと握られているその手に恐る恐る指先でそっと触れてみた。


「あの時の感動は今も覚えてる・・・」

「っせなぁ またその話するかぁもういい加減やめろおおお!!」

 俺は明翔(ミント)。今、俺の赤ん坊の頃の話をしたその時の瞬と同じ年になった中学三年生。 ――受験生だ。
俺がダラけ始めると、瞬はこの話を始める。もう何回聞いたか!何回聞いたか!!

「もう飽きたーーっ!! ねえ、もう今日は終わりにしようよコンビニ行ってアイス買ってこよ?奢るから!」
「別に奢ってくれなくてもいいよ でもそんなこと言ってていいの~ 僕は別に構わないけど」
「ヤッタ!」

 瞬は昔、俺のばーちゃんやかーちゃんに世話になったからって、お盆や正月の休暇中コッチに帰って来た時、俺の勉強を見てくれる。

「ウチにいてもヒマだしね-」とか言って。

 彼は高校の事務の仕事をしてるんだ。

「こんな事本当は言いたくないけど、君がちゃんと希望校に合格出来ないと僕も悲しいからね」
「分かってるって任せろ大丈夫だ」
「だったらいいけどさ…… そうだこんな受験の年に申し訳ないんだけど、冬は一緒に勉強出来ないな」

 彼はいつも”一緒に勉強する”と言う。

「なんで?」
「結婚するんだ」

「 え……」

 俺たちの間で、一生聞くこともないと思っていた言葉を聞いた気がした。
どうしてそう思ったのか理由は分からなかったけど。

「 へ、へえ……そうなんだ…… いつ?」
「まだ日程ははっきりしていないけどね……そのうち君のお母さんから聞けるんじゃない?」

 彼はいつものやわらかい笑顔でそう言った。自分でもおかしな事だと思ったけど、本当にそんな言葉を聞く所かそんな事がないと思っていた。

「 ・・・だ?」
「ん?なに?」

「どんなオンナなんだよ!俺に黙ってそんな事決めやがって!卑怯だぞ!!」
「!…… ごめんミント……君は僕の一番の親友なのに言うのが遅くなって……」

 チクショーこどもだと思って、おとなだけのこととなると俺のこと省くんだ。

「クソッ」
「ミント、ごめんって言っただろ言葉遣い少し気を付けないと そうだなーかわいい人だよ今度紹介する」
「気が変わった!帰る!!」
「ミント!?」

 自分でもなーーんてこどもっぽい事したんだろうって、今反省してる。反省って言うか……恥ずかしい事したなって。
彼の前だと、どうしてこんなに自分はこどもなんだろって……。

 早くおとなになりたい 早く……

「チキショーー・・・」


 ◇ ◇ ◇


「ミントーーッ!! ホラ、瞬ちゃん来たよーーッ!!」

 下からかーちゃんが俺に叫んだ。
俺はまだ布団の中。ちゃんと眠れなかった。
昨日あんな別れ方したのに、瞬はいつもと同じにウチにやってきた。

「ミント起きて 顔洗っておいで」

 カーテンを開けながら言った。

「待ってるからゴハンもちゃんと食べておいで」

 親かよ

「ったく、休みでもここに出勤してるみたいじゃねえか」
「クス……ホーント…… でも僕は楽しいよ」

 え…… 

 自分でも変なのって思うけど、些細なことでも彼の言葉はそれまでの尖ってた気持ちを途端に緩ませる。

「バカヤロウ 少し待ってろ」
「ミント……言葉気をつけなさい」

 お前の前だけだっつーの

 問題集に視線を落としながら、彼は静かに話す。
部屋の中を回る風と扇風機の音、教科書がめくれる音に風に乗って届く風鈴の音、遠くのセミの声と広葉樹が揺らぐ音、そして彼の声。
その全部が心地良くて俺はおとなしくなれる。
 そしていつもそこから目が離れない。ずっと見てても飽きない。
赤ペン持つ手は俺より骨張ってて、とーちゃんからは遠いカタチ。
日に焼ける事がないのか、薄い肌色から透けて見える血管。

「今日の夜帰る…… ミント、もっと丁寧に字を書かないと、答え合っててもマルもらえないぞ……それ以外問題なし、満点!おめでとう!」
「あったりまえだ!」
「クス……僕が役に立ったのか、立たなかったのか、君は優秀でした!」

 帰っちゃうのか……

「ねえ今日はもう勉強やめにして、散歩でも行こうか」
「そんな事して、また職質とか受けるんじゃねーのか?」
「あっはっはっはっ……あの時はビックリしたよね……まさか自分がそんなふうに見えてるなんて思ったことなかったから、警官が突然”ご兄弟ですか?”なんて、なに言われてるのか最初分からなかったよ…… そんなに僕おじさんなのかなあ……」

「……俺が隣にいるからそう見えるんだろ」
「そうなのか~……この心外な出来事は僕にとってあまりいい思い出ではない 笑い話ではあるけどね ミント、またなんかあったら助けてね」
「分かってるって もしもまた……お前のスマホからかーちゃんに電話するんだろ?スマホちゃんと持ってるか?」
「大丈夫、大事な命綱だ」

 と言って、また笑う。街路樹が風で靡いて葉のくすぐる音と重なる瞬の声。瞬が真剣に怒った声なんて、聞いたことないなあ……。

 自分で言っておいてだけど、俺もショックだ……。
職質受けるほどに俺たちの見掛けは、不釣り合いってことか。

 目の前の真っ青な空に、大きな入道雲。 
宿題は終わったし……残りの夏休み何して過ごそう……

長いなーー・・・


 ◇ ◇ ◇


「おかえりミント、瞬ちゃん来てるよ!」

 え!

 自分でも恥ずかしくなるくらいに走った。
俺は犬じゃねーけどな、飼い犬がシッポ振って主人に飛び付くような、そんな勢い。俺は純真だ!

「コンニチハ ミントくん初めまして会えて嬉しい」

 さっき何となく目に入ってた。
きちんと揃えて置かれたこぎれいなよそ行きの靴二足。
ひとつは男物で、その隣にあった女物……。

「コラ!ミント!お行儀悪いよ!!」

 居間ののれんをくぐった瞬間、かーちゃんと瞬と見た事のない女の人の目が一斉に俺を見た。俺は乱暴にそこを出た。
入って行けなかった。後ろでかーちゃんの怒る声と、それをなだめる瞬の声が聞こえた。

 最初は聞くこともないと思っていた言葉を聞いて
今度は見たくない、自分は見なくていいと思ってたものが向こうから来た。 おとなになるって、こういうことなのかな……。

〈コンコンコン〉 瞬は3回ノックする。

「ミント調子はどう?」

 ベッドの上で学ランのまま寝転んでいた。
マンガでも読んで平然を装うと思ったけど、手の届くところになかった。……彼は端に腰掛け、俺の頭をひと撫でした。

「聞いたよこの前のテスト、クラスで一番だったんだってね ヤッタな!おめでとう僕も嬉しいよ」

「…… …… かよ……」
「ん?」
「勉強のことばっかかよ! 俺のこと、他にないのかよ!」
「ごめん……そうだな…… そんなことないよミント 僕は君のこと、本当の弟のように大事に思ってる 家族と同じだよ」
「…… おとうと? 」
「うん そうだ!受験終わったらゴハン食べに行かない? ……”奥さん”にちゃんと紹介したいんだ 彼女も君と話をしたがっ…」

 自分の中で急になにか込み上げてきて、気が付けば大声出して瞬に枕を投げつけていた。

  そして…… どのくらいの時間が過ぎたのかひとりになった部屋で静かな夕暮れをボンヤリ見ていた。

 もうこんな自分 イヤだ……。

 ◇ ◇ ◇

 ねえ瞬俺、コクられたんだ。ヘヘっ……すげーだろう 
お前、中学の時コクられたことあっか?
どうせお前のことだ、コクったこともないんだろうな。……俺もだけど。
 ”受験生なのに大丈夫?”って言いそうだな。
ま……俺もそう思ったけど……。それは相手も同じだ。
「好きです」って言われた。たったそれだけだ。
けど、きっとそれを言うのに、すごく勇気がいることだろうな。

 俺はなあコクったことはない。
 それは誰かを好きになった事がない からだろうか……。
 違う  違うんだ 

  わざわざ 言わなくても  通じてる、それが普通だって……とでも思ってたのかもしれないな。


「サヤちゃんそんなに心配することじゃない サヤちゃんの気持ちもわかるけど、ミントのことは今まで通りでいいと思うよ 僕がミントと話をする」

 下からかーちゃんと話してる、瞬の声が聞こえる。
まだ夜じゃない。休みでもないのに。今日瞬は学校早引けでもしたのかな……。俺は休んだけど。
……やらかした…… やらかしちゃった……。

 手を繋いで来た。びっくりしてその子の顔を見たんだ。
恥ずかしそうな目で俺のことを見てた。
まあ……”付き合う”ってのはそういうことなのかなあって思って、俺もそのまま黙ってた。
 最初からボンヤリとしか分からない事だった。
それはもしかしたら、その子と俺は同じ気持ちじゃなかったから……。

 もっと早くそう気付いていれば良かった。
……違う最初から失敗してた……。

 この前……俺の顔の真ん前にその子が突然近付いてきたから、俺は思わずその子をおつけた。
その時、咄嗟についた手が悪かったみたいで、その子の右手の小指が骨折しちゃったんだって。
自分より細くて弱いその子を、俺は痛くさせちゃったんだ。
とーちゃんとかーちゃんとその子の家に行って、たくさん謝ってきた。

 ”俺がその子の事を乱暴に押した”

 なぜそんな事になったのか 俺もその子も話せなかった。

 俺がおとなしく……されてたら、こんなことにはならかった。


〈コンコンコン〉

「ミントどうした? 学校休んだんだって?」

 かーちゃんから聞いたんじゃないのかよ。

「……お前こそどーした こんな時間に……忙しいんじゃねーのか」
「ダメ?ここに来たら……サヤちゃんから聞いたよ でもミントがその子を突き飛ばした理由まで聞いてない 一体なにがあったの? 君は理由もなく、そんなことはしないよね? お母さんもきっとそれを分かってるよ なにか言いづらいこと?僕にも言えない?」
「……」

 俺が言うまでずっとそこにいそうだな。そのために来たんだもんな……


「  ……教えてやるよ お前にだけだ」
「うん 誰にも言わないよ約束する」


「そのかわり ビックリすんなよ……」

「大丈夫 僕はいつでも君の見方 だ  よ…」


 なあ瞬 俺に もしこんなことされたら
 瞬だったら どうする……


 逃げられないように、瞬の手に自分の手を重ねたわけじゃない。
じゃない…… けど……

 瞬は驚いたように目を大きくして、カラダを少し仰け反らした

 一瞬開きかけた唇は、何か言おうとしたから?
 なにを言おうとしたの?瞬……


 なあんか寒いと思ったら、雪が降ってた。 俺をおつけることはしなかった けど……なんにも言わないで俺の顔をジッと見てるだけだった。

 ◇ ◇ ◇

 ”かわいいひとだよ” 今度紹介する

 うるせえ! みんなうるせえ!!
 俺のことは放っておいてくれよ……


 合格発表の日の夜、瞬が家に来た。
あんなにはしゃいだ瞬を見たのは初めてだった。
入学する高校は、制服がなく私服。

 卒業式を終えてまた学ランにそでを通した、瞬の結婚式の日。
少し窮屈に感じた。

 おとなの中にいる瞬の顔を、初めて見たような気がする。

 ”幸せの門出を祝って乾杯!!” 

 瞬はこれから これまで以上に幸せになるのか……
そうか…… 良かったな……。

 なんかうるさい    けど……静かだ……。

「 ばーか…… 」



 高校に行って、そこで出来た友だちはまるで俺みたいに口の悪いヤツ。
そしておもしろいヤツだった。彼の忍び笑いは独特で、ひとって見た目だけじゃ分かんないよな。そして「バカヤロー」 
決まりのように、話の頭にそれを言う。
 彼の言う”バカヤロー”は、どうも嬉しい時によく出るようにも聞こえる。
今度、一日に何回言うか数えてみようか。

「お前も結構損するタイプだな」
「コッチの俺が素の俺だ  もちろん弁えはあるから誰にでも素の俺というわけではない  ただそういう付き合いになるってだけだ 他のヤローにはナイショだぞ…プッ」

 コイツのそういう考え好きだな。すぐ友だちになれた。
結構痛いことも言ってくれたりする。
だから俺も瞬には言えないけど、コイツには話せるってことを話してた。

「あのなあ懲らしめてやれ」
「え?」
「俺の妹なんて、彼氏に手形つけるほどアッパレな往復ビンタ食らわしてるんだぞ 分かってほしいのに分からねえニブイヤツには、カラダで教えてやるしかねえんだ」
「……例えばどうやって?」

「まずはお前自身に俺は思うことがある」
「俺!?」

「お前……その兄ちゃんのことが好きなんだろ?兄ちゃんとしてではなく」

 コイツとの付き合いは始まったばかりで、お互いのクセなんてまだ知らない。知らないことの方が多い。
なのにそんなことを飛び越えて、俺の中の的の真ん中にその言葉が真っ直ぐに突き刺さったように感じた。
 ひとに言われてやっと気が付くことってある。

 そうなのか? 本当に?
 本当にそうなの? へえ……
 でも……意味がない  もう遅いや……

 ◇ ◇ ◇
 
 入学祝いだからって、制服のない高校に通う俺のために瞬は入学式に着るためのスーツを買ってやるからって。
かーちゃん黙らして、背中を押されて瞬の車に乗った。

「強引だなかーちゃん困った顔してたぞ」

 って言ったら「あっはっはっはっ」って笑った。

 目ざとい店員が、小走りで駆け寄ってくる。

「ご兄弟ですか?今日は弟さんのスーツかなにか……」
「う ん…… 高校の入学式に着たいんだ この子のスーツを見に来たんだけど……」

 おとうとか……やっぱりそう見えるのか……でも”兄弟”って関係ないじゃないか。

「おとうとさんのためにスーツを!素敵なおにいさ…」
「ミント! ミント……ちょっとこれ着てみて」

 アレもコレもと買わせようと企んでる店員のおべっかなんて、耳に入ってるけど聞いちゃいない。
瞬に持たされたそのままで試着室に入って、見えた値札にビックリ。
でも、ま……とりあえず着て瞬に見せたよ。

「ああ!いい!似合う!いいんじゃない? ねえねえコッチもどう?コレも着てみてよ」
「い、いいよ瞬……ちょっと高くないか?」
「コートとお靴はどうなさいます?」
「ああ!靴!あとで靴屋に行こうミント……靴はいらない コートは僕の着てないヤツあげる ミントはそんなこと気にしなくていいから これは僕の”やりたいことリスト”の結構上の方にあることなんだぞ だから黙って言う通りにして 協力して!」
「へ……そ、そうなんだ……」

 かーちゃんの次は店員を黙らしたり、俺はなんかうまいこと言われて素直にその日瞬に散財させてしまった。

「楽しみだねミント すごく似合ってたよ そうだ、ネクタイの結び方知らないでしょう 帰ったら教えてあげる ……あの色……すごく君に合ってた……」 

 少しだけ大人の彼に近付けた気がした 青信号までの隙間
でも勝手に間違い探しをしてしまう
自分がよく知ってる今までの彼と これからの彼
答えは簡単で とても簡単で 自分に近い方の彼の手には 
真新しいシルバーのリングがハンドルの上で光ってて
光って眩しくて まるで俺を呼んでるみたいに
信号が変わって彼が前を向くと俺はそこにばかり目が行っていた。



 それから―― 雪が溶けて氷が溶けて、道路が乾いて埃っぽくなって
何もなかった枝にプツプツと芽が吹き出して
そしてすっかり風に靡く緑になっていた。

 毎日楽しいよ。勉強は前ほどしなくなったけど。
でも置いてかれることはないから大丈夫。
 すごく気の合う友だちが出来たんだ。ユイヒってちょっと変わった名前の……名前だけじゃない。おもしろいんだコイツ。
お前にも会わせたいな……。


  喉が渇いてちょっとジュースでも と下に降りた時だった。
誰かと電話中のかーちゃんはチラッと俺の顔を見ると、そそくさと奥に行ってしまった。
何だろ……俺に聞かれたくない話?

 瞬なにやってるのかな……。もうずっと会ってないや

◇ ◇ ◇

 自分のいない所で慌ただしい空気を感じていたけど、ずっと部屋に籠もってる俺は特になにも変わらない毎日。
ヒマなような、あっという間なような。
家でも学校でも、窓の外をボンヤリ眺めながらなにか考えてる。
そんな毎日。
 特別欲しい物なんてない。必要な物は自分のそばに揃ってる。
追い掛けるほど夢中になること……自分にあっただろうか。
あると思う 自分も彼らと同じようにきっとある と思う。
   ただ 彼らのように胸を踊らせ追い掛けたくなるほど意識がそれに馴染まない。それらは多分、二番目だから。

 一番欲しいものはきっと 欲しくても手が届かないくらい遠くて
持てないくらい大きくて自分の存在がとてもちいさく映る
二番目を持っていても、全然満足しない
二番目をたくさん集めたって、スースーしてる
一番欲しいものを呼んでみたって、それはニセモノで   自分で自分を抱き締めてるだけ
紛らわしたくない 自分の大事にしてるものをごまかしたくない

 彼はこんなことまで俺に教えてくれたのか

 それでも俺は別に何でもないって顔をして 毎日を送る。   

 ◇ ◇ ◇

 自分が出した年賀状が届くよりいつも”本人”の方がウチに来るのが早くて、元旦から寝坊を決めてる俺に、ウチの雑煮を食べながら顔だけコッチを向けて食卓で雑に正月の挨拶をしてたのが、今年届いたのは寒中見舞い。

『ミント暖かくしてるか?なかなか遊びにいけなくてごめんなんかおいしいもの食べに行きたい 今度付き合って!』

 そんなの 奥さんと一緒に行けばいいじゃないか……。
俺に気づかってるんならやめてくれ。

 ”今度会ったらこれ見せて驚かしてやろう
 ああ あの話を聞かせてやろう きっと大笑いするぞ”

 彼のために胸の中に置いていたものたちは見えない風が自分の後ろに流したように薄れ
そしてそんなことを振り返る自分が、酷くこどもっぽく感じるようになった。 


 「ミントちょっと……」

 今度はかーちゃんと紳士服売り場

「今高いの買ってもサイズ変わっちゃうと思うんだよね~ でもこの黒の違い!迷う!!」
「なに?スーツだったら去年瞬が買ってくれたのがあるからいいじゃん まだ一回しか着てないんだぞ」
「それは着て行けないんだ ……黒じゃないとダメなんだ……」

「――なんで?」

 急に上ずった声になって、喉を詰まらせながらかーちゃんが言ったのは

「こういう時、学校の制服ってありがたいって思うは…… コウさん、瞬ちゃんの奥さん……亡くなった……赤ちゃん産んで一ヶ月……アンタも参列しないと 学校には連絡しておくから」

 え……

「アンタにはコウさんが退院したらって、瞬ちゃんがね…… アンタに大変なところ見られたくなかったんでしょ 瞬ちゃんの気持ちも分かってやって ミント?」

「クソだ……」

 俺はなんにも

「ミント!?」

 なんにも知らなかった!!

「うるせえ! みんなうるせえよ!! 俺はそんなガキじゃねえよ!」

 乱暴な態度が出来るのは、それはきっと自分の方を向いている相手がいるからだ。誰もいない自分ひとりだったら、きっとこんなこどもみたいなことしない。


 ふてくされてるのも飽きて、寝静まった家から出た。こんな真夜中でも行かなければ そう思ったから。

 夕方かーちゃんが、”瞬の家にお参り行くよ”って誘ってきたけど寝てるフリをこいて、部屋から出なかった。
 こんな真夜中でも、煌々と玄関の灯りが点いたまま。
何事かあった ウソじゃなかった って、俺でも分かる。
 しばらく顔を見せてなかったとは言え、自分のもうひとつの家のような存在。けれど静か過ぎる家の中は、知らない所に来たようだった。

「よお……コッチに戻ってたんだってな 今日聞いたばかりだ」

 瞬は新居をそのままにして、実家に戻って来てたらしい。
奥さんのいる病院に行くために、その方が都合が良かったそうだ。
ここから毎日長距離通勤 加えて入院中の奥さんの世話。
それでも何にも言わずに淡々と毎日過ごしてたと。
瞬らしいな……。

 仏間に静かに横たわってる奥さんに付き添うように座り、彼は背を向けたまま俺の顔を見もしないで話す。

「やあ 元気だったかい? ごめんねちっとも一緒に勉強出来なくって…… 会いたかったんだけど、ちょっと色々あってさあ……」 

 いつもと同じ声…… いや……いつもよりやわらかいかも。

「通りで 痩せたんじゃねえのか?ショーガネーから今度俺がメシ奢ってやるよ」
「ふふ……君に奢ってもらうのもタマにはいいかもね…… そうだななにがいいかな……ハンバーガーとか……」
「……アホか…… もっとマトモなもんにすれよ」
「ハハ…… じゃあ……  ――!!」
「”ハハ”じゃねーよ……ったくよお……」

 いつかの時に比べて、瞬のカラダは本当に細くなっていて瞬の顔を見る勇気が出なくて、背中から抱きついた。
 なんでこんな暖房も点いてない寒い所に、ひとりでいるんだよ。
なんで俺をすぐ呼ばないんだよ。
かーちゃんからじゃなくて、俺はお前から聞きたかった。

「 お前はバカヤローだ…… 」
「ねえ……彼女はね 君と話をしたがってた 僕は病院で君のことを話た たくさんねどうしてって?楽しいことばかりだからさ
そして一緒に笑って 彼女は早く元気になって退院して、今度は自分がって僕が毎日のように話す君と、自分も話がしてみたいって、 

 ある日僕は彼女にあの話をしたんだ まだ結婚なんて話も出てなかったし、そういう間柄でもなかった 彼女とは仕事を通じて知り合った そういう出会いだった 彼女は 羨ましい 素敵な出会いだね って 嬉しくなった僕は、”やりたいことリスト”の一番をその時に彼女に話したんだそしたら ”協力するから結婚して” って言われた」

「!」
「はは……女の子からの告白なんて数えるほどもないし、それなのに求婚されるなんて思ってもみない事だったから、ビックリしたなあ…… 
冗談かと思っちゃって……そしたら冗談じゃなく、本気だって……

 酷いんだよ、僕より赤ちゃんがいいまで言い出して…… 
本当はそうすることも危なかったんだ 反対だった 
けど……素敵な出会いを作れるならやってみたい あなたなら分かるでしょって  
”自分がここにいた理由” だって……  
でも最期にごめんねって。。。   ――顔見てくれるかな……」


 薄ら笑っているようにも見える”かわいいひと
”冗談だよって、今にも目を開けそうじゃないか。
あの時はマトモに見てなくって 見る事が出来なくって……
今見る事が出来た…… やっと 今……    

 ごめんなさい……

「 しんじゃった…… 」

「 なんだよ全く…  なんなんだよお!!!そんなに寂しいんなら…そんなに寂しいんならよお! どうしてすぐ俺を呼ばないんだよお 俺がそばにいてやるからよお お前のそんな……いきなり見せられる俺はどうすりゃあいいんだよ! なあ! 瞬!! 」
「……そうだね 君がいるから心強い…… 今だけ……少し……君に甘えてもいいかな…… 付き合ってもらえる?」
「!……そうだ 言いたいことあったら言え! 奥さんの前でも言ってやれ!」
「ハハッ…… ありがとミント君がいて本当良かった」
「俺がいるからよお ずっとそばにいてやるからよお」


「……はなんにも役に立てなかった……」


 ”僕はなんにも役に立てなかった……” 
そう言って瞬は泣いた。

 瞬の泣き声初めて聞いた。 



「やりたいことリストの一番を彼女話したんだ」

 それってなに? どんなこと?

 また俺には言えない、オトナ同士の話なのかな……
彼女がここにいた理由までになった、瞬のリストの一番目
一体どんな大きなことなんだろう

「おはようミント! さあ今日から忙しいぞ喪主の僕の手伝いをしてもらうからな!」
「お、おう」

 いつの間に瞬の部屋に来たんだろ。
着替えを済ませている瞬が部屋のドアを開けたと同時に、彼の部屋のベッドで眠っていたことに気付いた。
今朝の瞬は昨夜の瞬が俺の夢だったのかと思うくらい、しっかりしてる。

「ミントーーッ!!」
「ヤベッかーちゃん」
「アンタ、またヒトんち勝手に上がり込んで!ホラ帰って昨日のリベンジするよ!」
「なに、どうしたのミント ――なーんだサヤちゃん良かったよ、僕が前着てたのあるからそれ着なよ」


 瞬は休むヒマないってくらい、アッチに呼ばれ、コッチに呼ばれ。
たまに一息ついても、きっと奥さんとの思い出なんかに浸れる余裕なんてなさそうだ。
きっと眠ってない。 ずっと眠れてないはず

 俺はお前が倒れてしまわないだろうかと心配で心配で
ずっとお前の事を見てた。


 祭壇に遺影が飾られた 瞬が撮ったの?
こっちを見て笑ってる彼女は、瞬のことを見て笑ったのかな。
素敵な笑顔の”かわいいひと”。

 話をしたくて待ってても、もう返ってくる声がないってどんな気分なんだろう。想像が出来ない。
瞬 もっと彼女と話をしたかったよね。
彼女だってそれは同じ。

 この世界の一番の素敵をあげるから。素敵ですっかり包んであげるから。
どうか安らかに……
そんな気持ちをここにいるひとたちは花に込めて、彼女はたくさんの花で覆われて行く。

〈コンニチハ 会いたかった 私もミントくんと話したかったの〉

 ごめん…… 俺は自分のことばっかだった…… 
俺は……俺はなあ 瞬のことが好きだ 瞬の助けになりたいと思ってる。 
今ならアンタに言える。
あの時はまだ言えなかった。……ただアンタにこどもっぽい嫉妬をしていた。
 約束する俺が瞬の支えになるアンタが心配しないように、アンタがその笑顔でずっといられるように俺が瞬のことを守るから 約束する


「爽!来たな ミント!僕の息子、爽だコウの実家にいたんだ 
     ……ダッコしてみるかい」
「えっ」


《 初めて触れたその感触は、驚きと怖さと未知の生物的な何かと、そして――》


 自分でもどうかしちゃったというくらい、涙が出て来た。
赤ん坊が泣かず、俺が泣いてるヘンなことになってる。

「どうしたミント」

 どうしてだろう 分かんない ずううっと前に見た花火の時と同じ
花火が打ち上がって轟音の間もなくに大きく空に開く花
開いて散って開いて散って ドン ドン ドン
繰り返し繰り返し
腹にまで響くその音を聞いてるうち、涙が込み上げてきた
どうしてだろう何か分からないものを全身で感じてる 

 同じだ あの時も瞬は「どうした?」って聞いて来た。
人混みを隙間を見つけ俺の手を引いて先を行く、斜め後ろの下から見える瞬のホッペをずっと見て歩いてた。
そのうちに夜空のカプセルに跳ね返ったような大きな音が聴こえてきて

「始まった!」

 こどもの俺よりこどもっぽい声と顔して俺を振り返り見た。 
特別花火が好きでも、楽しみにしていたわけでもない。
ただ どうしてだろう泣きたくなったんだ。
 繰り返し繰り返し生まれる花
チリチリと音を鳴らして夜空に溶けて
息をするのも忘れたようになって引き込まれる
生まれて消えて 生まれて消えて
宙に放されて思い切り広がる


 そしていつもの夜に戻った。

「……なんでもない……」

 泣きたくなった理由も言葉も分からなくて、そう答えた。


 周りのおとなたちが俺を見て笑って、そして泣いて。
おかしなことが広がって、恥ずかしさもなくなってみんなで泣いた。

 瞬のことが好きで、結婚して そしてふたりのこどもが出来て
”自分がここにいた理由”を、瞬と赤ん坊に残した。

 あなたはとても素敵なことをした   そう 俺は思う 

 きっと瞬も……赤ん坊だってそうだ。


 やがてキチッとしたおとなたちが集まり出して、ようやくみんなはよそ行きの顔に戻した。


 色とりどりのたくさんの花を抱いた彼女は、とてもきれいだった。
棺を閉める前に瞬は彼女と最期のお別れをして
その時にやっと彼の顔が、彼女の連れ合いの顔になったように見えた。



「ミント ちょっと外出ようか」

 溶けた雪がアスファルトに濡れた染みを作ってる。
瞬は俺と違う所を見ていて、下を向けない理由は空に向かう彼女を見送る以外にもきっとあって 視線は上――

「 今日は少しあったかいね……」



「まだまだやりたいことはあった…… コウ本人が本当はそれが出来ればいいんだけど……だからって、僕ごときが代わりにやろうなんてそれこそ偽善的で不遜 いくら生涯を誓い合った仲とは言え、別個のニンゲンだ コウも迷惑な話だって笑われちゃうよ ……僕はコウの少しでも……役に立っていたかな……」

「コウさんはお前がいないと出来ないことをしたんだ お前がいて良かったんだろ」
「……そう思っていいかな……」
「あたりまえだ」
「くす……」

 小さく笑ったあと、カラダに溜めていたのを出すように息を静かに吐いた。

「ねえミント……」
「俺はまだ死ねねえ 全然まだ納得出来ねえことばかりだ」
「クス……そうだよね……」

「俺はお前のことがす…」「ねえミント僕と爽の支えになってよ」
「えっ」
「僕が今まで君に教えてきたことをさあ 今度は君から爽に教えてほしいのもちろん君がアレンジしてもいいし、僕の間違いを正してもいい君が知ったことを爽に教えてくれるのも、大歓迎だし僕も楽しみ ……ダメ?」

「い、いや……えっと……」
「……ねえ ひとってさあ……こんなふうに巡って巡って 繋いで行くものなんじゃないだろうか……そんな素晴らしいこと途切れさせてしまうなんて、もったいない……コウのお陰……僕にもそれが出来る ……無駄にしてはいけない」
「……」

「なーーんて、ふと思った」
「お前はコウさんの役に立ってないはずないぞ」
「え?」
「爽がお前とコウさんの先をまた繋いで行くんだ まだまだ終わってねえぞ」

「ほんと……そうだよね……なんか嬉しいな……君からそんなことを聞けるなんて……」
「?」  

「一番上にありながら……一番の難題だった……
これね、中々人に言いにくいことだったんだよね……ははっ   どーしたら出来るか……ずっと考えてた……」
「なにが?」
「僕のやりたいことリストの一番は、”初めて君を抱っこした時の気持ちを君にも感じてほしい”」
「――!」

「……感じてくれたらなーーって…… どう? 僕の息子 かわいい?」 

 久々に瞬がこどもっぽい顔を見せた隣で、俺はまた泣いた。
もう泣くつもりなかったのに。  


 そして 何かに触れたように突然思い出した昔の記憶。

「……あ……ははっ……ごめん……どうしてか涙が出て来ちゃった……」

 ふたりで転がり遊んで もっともっとと全身で笑っていた。
楽しくて楽しくて笑っているだけで、それはもう全身運動のようなけたたましさ。遊んでいる途中、瞬が笑いながら涙を溢した。
びっくりしてどうしたらいいのか分からなくて、幼かった俺は瞬のことを抱きしめた。抱きしめたつもりが、小さなカラダの自分の方が逆に抱かれて
 それでも いつも自分がされているように自分が持っているだけの暖かさを、分けてあげたくなった。

 (どっかイタイの?)ナデナデ
 (もうつかれたの?)ヨシヨシ
 (ねむくなっちゃった?)トントン

 いつでも分けてあげるから そして笑わせてあげるから
 あたためてあげるから さびしくなったらいつでもダッコしてあげるから
 だいじょうぶだよ だいじょうぶだよ ミンがいるから

 言葉で瞬に伝えたわけじゃない 言葉は会話出来るほどまだ知らなかった。でもちゃんと伝わっていた。そうだよな 瞬
 俺たちは会話出来る前からもう分かり合えていたよな 

 俺はお前のことずっと見てるから
 お前がなにも言わなくてもすぐそばにいけるように


「あんまり楽しいと涙が出てくるみたい…… ははっ おかしいね……」 


 それまでどんよりしていた空模様が、すっきりとした青空を見せて
春の空に昇りきったコウさんが染み渡って、穏やかな風が吹いたみたいに。

「俺も”やりたいことリスト”作るぞ」
「へえ……出来たら見せて」
「見せるか!」

 お前を お前と爽を、腹がよじれるほど笑わしてやる。
花火みたいに、胸が震える理由の分からない気持ちで泣かせてやる。
 俺のリストの中身は、お前に教えなくてもお前には伝わる。
お前にだけは伝わる きっとだ。
 だって俺たちは会話も出来ない時から分かり合えていたんだから

「僕も新しい”やりたいことリスト”考えないと……」
「飽きないな……」
「そりゃそうさ 君はどんどん大きくなって……」
「……って?」
「大きくなって、僕と対等になるのも近付いて来た」
「で?」

「……ナイショ」
「はあ?またヘンなこと考えてるなお前!」
「そのうち追い抜かれるのかな……それもまた楽しみ……」

 やっと見せてくれた俺の好きな顔でそう言った。

「さ、行こうか」

 幼かった日のものとは少し違う、向けられた彼の手に素直に自分の手を重ねた。



 朝が来て夜が来て 夏が来て冬が来て
泣いて笑って 時々ケンカして 
忘れたくないけど段々薄れて行く思い出たち
でも必ず自分のどこかに残してる 
そうやっておおきくなって行く みんなこどもだった 
忘れてしまいそうだけど 思い出す
だって 自分もちいさなこどもだったから


 君を見ててそうだった……って思い出す

「ミン!」

 小さなカラダいっぱい使って迎えてくれる。
今までの自分が、そんな君のおかげで許されたような気持ちにいつもなる。

「爽!昼寝終わったか?ばーちゃん二号からサツマイモもらって来たぞ!一緒に食うか!」
「……ねえ ミント……」
「お前の分もちゃんとあるから心配すんな」
「うん……ありがとう……っていうかさ……」
「おお甘い!なあ爽、ウマイなあ!」
「…………ま、いっか……」

 ”言葉づかい気を付けなさい” 瞬はそう言うつもりでいたんだ。
でもなあ考えてみろ 俺は全然お前のようにならなかったぞ。


 時々空に向かって呼び掛ける
大変な時もあるけど幸せだよ
こんなに楽しいのはどうしてかな

 どうしてか 知ってる
それに気付いた者だけが感じる幸せ

 ありがとう ありがとう 大事にするから


Little boy of the side  終わり
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