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あの日の約束
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「おっきくなったら、サリタとケッコンする」
中庭のベンチに座り、幼い僕は彼女にそう宣言した。
隣に座る彼女はただ微笑んだ。その様子に、こんなに近くに居るのに、どこか遠い存在のように思えた。
「ありがとう。でも、それは駄目」
諭すように優しく、しかし曖昧な笑顔で言う。
「やだ。サリタがいい!」
そう言って駄々をこねる僕に彼女は苦労していた。ついに観念したのか、
「じゃあ、約束」そう言って小指を立てたサリタに、僕も小指を絡める。
僕は彼女と約束を交わした――。 いつか本当にサリタと結婚して、彼女と暮らす未来を当然のものと思っていたし、それを疑いもしなかった。大人になったら今度は自分がサリタを守るのだ、と。
それから僕は、早く大人になりたいと考えるようになった。背は中々伸びず、本気で悩んだ事もあった。……背丈だけあっても、大人にはなれないというのに。
珍しく父の自室に呼び出され、一冊の本を手渡される。そこには、自分とそう変わらない歳の女子の写真があった。
「アメリア・シャルヴァン。お前の妻になる女性だ」
十三の頃、突如として舞い込む話。どう反応していいか、分からなかった。
自分の意志とは関係なく、勝手に未来を決められたことに、激しい悔しさと苛立ちを覚えた。しかし、父親には反抗出来なかった。
僕は自室に戻って、悔しさに涙した。昔の事が思い出された。初めてサリタに出会った日。それからの日々。そしてあの指切りをした日――。
僕はどうするべきか、分からなかった。ただ、何もせずこのまま生きていても、サリタとの未来は絶対に来ないという事は理解出来た。
サリタがよかった。……僕たちは約束したんだ。だから、それはもう自分の中では決定事項で、約束は守られるものだと当然の様に感じていたのに。何か障害が立ち塞がったとしても自分ならそれを乗り越えられると、根拠もないのに本気でそう思っていた。
しかし現実は甘くなく、実際には父の決定に身を任せるしかなかった。
それでも、サリタを諦めきれずにいた。募る想いは、どうしようもなくて。
あの日と同じベンチに、二人で座っていた。夕暮れのオレンジが、どこか寂しげな印象を与える。
僕は彼女に打ち明けた。
「父さんが縁談を持ってきた」
僕の言葉に彼女はただ穏やかな笑みを浮かべている。まるで僕を祝福するような微笑み。
違う、そんな顔をして欲しいんじゃない――。その顔を見て、僕は聞くのが怖くなった。それでも聞かなければならなかった。その為に、こうして二人で居るのだから……。
「約束、覚えてる?」
サリタは目を丸くした。だがそれも一瞬で、また微笑みを浮かべる。
「覚えてるよ」
そう言う彼女を見、覚えていてくれた事に少し安堵する。
そしてその約束は叶いそうにないと僕は彼女に謝った。
「謝る事じゃない。本気だと思ってなかったから……」
僕は胸が苦しくなった。あの約束は、なんの効力も持たないものだった。……あれは、幼い僕を納得させる為のただの「方法」でしかなかったのだ。
「あの時、僕は本気だった」
苛立ちから、つい口を衝いて出てしまった言葉。
「……ごめんね」
一瞬、サリタの瞳が揺れた気がした。でも、それはすぐに穏やかな笑みに溶けてしまった。まるで最初から何もなかったみたいに。
こうして隣にいるのに、サリタは遠い存在で――それを実感して。僕の気持ちは、ただの一方通行でしかなくて。
「中に入ろっか。じきに冷えてくるよ」
彼女に促され、屋敷に戻る。部屋まで僕を送り届けた彼女はまたね、と言いドアを締める。
幼い僕の言葉は、彼女にとってはただの子供の言う事でしかなくて、取るに足りないものだった。その事実を突きつけられたのが酷くショックで。しかし同時に、本気にされなくても当然だとも思った。
それからサリタに対し、遠慮が生まれた。
以前みたいに遊びの相手をしてもらう事もなくなり、宿題を見てもらう事もせず一人で終わらせる様になった。
僕が離れた事に対し、彼女は「思春期だから手がかからなくなった」と思っただろう。実際は僕が意図的に遠ざけていた。顔を見れば、彼女への気持ちを諦められなくなってしまう。彼女との接触は必要最低限に留めようと思った。
学園でも、どこか冷めた目で過ごしている自分が居た。望みなんて持たない方が良い。それが叶わなければ、辛いだけで。どうにもならない事は諦めようと――。
「あなたはそれでいいの?」
婚約者同士、関係を深めようと義務感を持ってアメリアと接している時の事だった。アメリアは真っ直ぐな目で僕に問いかける。
その姿が、どこか鮮烈に映った。全てを諦観していた僕の目に、強烈に眩しく。
アメリアは気付いていた。僕には、別に想いを寄せる相手が居ると。アメリアの問いに、僕は胸の中の行き場のない感情がぐちゃぐちゃになった。
諦めたんだ。諦めたというのに……思っていたのは、サリタの事ばかり。手に入らない、彼女との未来。それを思い知らされてもなお、僕は彼女を求めていた。着実に自分を縛る未来が近付いている中でも、諦められないでいた。諦められなくなってしまっていた。それでも、どうすることも出来ない。どうするつもりなのか、自分でも分からなかった。
小鳥の囀りに、不意に空を見上げた。
どこまでも広がる、雲一つない青空。
それはあの日の夕焼けとは違って、僕の心情など知ったこっちゃないと言わんばかりの快晴だった。自由に飛び回る彼らの姿を、僕の目は自然と追ってしまう。少しだけ、彼らを羨ましく思った。
……僕は飛ぶ術を知らないというのに。
中庭のベンチに座り、幼い僕は彼女にそう宣言した。
隣に座る彼女はただ微笑んだ。その様子に、こんなに近くに居るのに、どこか遠い存在のように思えた。
「ありがとう。でも、それは駄目」
諭すように優しく、しかし曖昧な笑顔で言う。
「やだ。サリタがいい!」
そう言って駄々をこねる僕に彼女は苦労していた。ついに観念したのか、
「じゃあ、約束」そう言って小指を立てたサリタに、僕も小指を絡める。
僕は彼女と約束を交わした――。 いつか本当にサリタと結婚して、彼女と暮らす未来を当然のものと思っていたし、それを疑いもしなかった。大人になったら今度は自分がサリタを守るのだ、と。
それから僕は、早く大人になりたいと考えるようになった。背は中々伸びず、本気で悩んだ事もあった。……背丈だけあっても、大人にはなれないというのに。
珍しく父の自室に呼び出され、一冊の本を手渡される。そこには、自分とそう変わらない歳の女子の写真があった。
「アメリア・シャルヴァン。お前の妻になる女性だ」
十三の頃、突如として舞い込む話。どう反応していいか、分からなかった。
自分の意志とは関係なく、勝手に未来を決められたことに、激しい悔しさと苛立ちを覚えた。しかし、父親には反抗出来なかった。
僕は自室に戻って、悔しさに涙した。昔の事が思い出された。初めてサリタに出会った日。それからの日々。そしてあの指切りをした日――。
僕はどうするべきか、分からなかった。ただ、何もせずこのまま生きていても、サリタとの未来は絶対に来ないという事は理解出来た。
サリタがよかった。……僕たちは約束したんだ。だから、それはもう自分の中では決定事項で、約束は守られるものだと当然の様に感じていたのに。何か障害が立ち塞がったとしても自分ならそれを乗り越えられると、根拠もないのに本気でそう思っていた。
しかし現実は甘くなく、実際には父の決定に身を任せるしかなかった。
それでも、サリタを諦めきれずにいた。募る想いは、どうしようもなくて。
あの日と同じベンチに、二人で座っていた。夕暮れのオレンジが、どこか寂しげな印象を与える。
僕は彼女に打ち明けた。
「父さんが縁談を持ってきた」
僕の言葉に彼女はただ穏やかな笑みを浮かべている。まるで僕を祝福するような微笑み。
違う、そんな顔をして欲しいんじゃない――。その顔を見て、僕は聞くのが怖くなった。それでも聞かなければならなかった。その為に、こうして二人で居るのだから……。
「約束、覚えてる?」
サリタは目を丸くした。だがそれも一瞬で、また微笑みを浮かべる。
「覚えてるよ」
そう言う彼女を見、覚えていてくれた事に少し安堵する。
そしてその約束は叶いそうにないと僕は彼女に謝った。
「謝る事じゃない。本気だと思ってなかったから……」
僕は胸が苦しくなった。あの約束は、なんの効力も持たないものだった。……あれは、幼い僕を納得させる為のただの「方法」でしかなかったのだ。
「あの時、僕は本気だった」
苛立ちから、つい口を衝いて出てしまった言葉。
「……ごめんね」
一瞬、サリタの瞳が揺れた気がした。でも、それはすぐに穏やかな笑みに溶けてしまった。まるで最初から何もなかったみたいに。
こうして隣にいるのに、サリタは遠い存在で――それを実感して。僕の気持ちは、ただの一方通行でしかなくて。
「中に入ろっか。じきに冷えてくるよ」
彼女に促され、屋敷に戻る。部屋まで僕を送り届けた彼女はまたね、と言いドアを締める。
幼い僕の言葉は、彼女にとってはただの子供の言う事でしかなくて、取るに足りないものだった。その事実を突きつけられたのが酷くショックで。しかし同時に、本気にされなくても当然だとも思った。
それからサリタに対し、遠慮が生まれた。
以前みたいに遊びの相手をしてもらう事もなくなり、宿題を見てもらう事もせず一人で終わらせる様になった。
僕が離れた事に対し、彼女は「思春期だから手がかからなくなった」と思っただろう。実際は僕が意図的に遠ざけていた。顔を見れば、彼女への気持ちを諦められなくなってしまう。彼女との接触は必要最低限に留めようと思った。
学園でも、どこか冷めた目で過ごしている自分が居た。望みなんて持たない方が良い。それが叶わなければ、辛いだけで。どうにもならない事は諦めようと――。
「あなたはそれでいいの?」
婚約者同士、関係を深めようと義務感を持ってアメリアと接している時の事だった。アメリアは真っ直ぐな目で僕に問いかける。
その姿が、どこか鮮烈に映った。全てを諦観していた僕の目に、強烈に眩しく。
アメリアは気付いていた。僕には、別に想いを寄せる相手が居ると。アメリアの問いに、僕は胸の中の行き場のない感情がぐちゃぐちゃになった。
諦めたんだ。諦めたというのに……思っていたのは、サリタの事ばかり。手に入らない、彼女との未来。それを思い知らされてもなお、僕は彼女を求めていた。着実に自分を縛る未来が近付いている中でも、諦められないでいた。諦められなくなってしまっていた。それでも、どうすることも出来ない。どうするつもりなのか、自分でも分からなかった。
小鳥の囀りに、不意に空を見上げた。
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それはあの日の夕焼けとは違って、僕の心情など知ったこっちゃないと言わんばかりの快晴だった。自由に飛び回る彼らの姿を、僕の目は自然と追ってしまう。少しだけ、彼らを羨ましく思った。
……僕は飛ぶ術を知らないというのに。
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