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9【大きな人の弱点】
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寝室の中で倒れたのが不幸中の幸いだった。どうにか、バルトルトの重い身体を寝台まで引きずっていった。
マレクの叫び声を聞きつけて、執事と思しき人と女性の使用人が部屋に駆けつけてきた。
不思議だったのは、マレクを見ても執事と使用人は驚きを見せなかった点だ。ただ淡々と主人を眺めて、「ああ、これはご無理をなされましたね」と感想を述べた。
「“あれ”を持ってくるように。一杯でも飲めば、熱が下がるでしょう」
執事は的確に使用人に指示を出す。
マレクは“あれ”を、熱冷ましの薬か何かだと思った。使用人は命令にしたがって部屋を出ていく。
荒い息は止まることなく、バルトルトの胸板が何度も速く上下している。牢獄ほどの悪環境でも、この身体は倒れなかった。怪我ができようとも頼もしくもあったのに、首筋、額に至るまで赤く染まっている。
執事は持ってきた水の入った桶に布を浸してから絞った。その布をバルトルトの額にのせた。手持ち無沙汰だったマレクは、それなら自分にもできそうだと声をかけた。
「僕がやってもいいですか?」
「しかし……」
「バルトルトのために、何かしたいんです」
執事は「では、お願いします」と言った。着替えを持ってくると断りを入れて、部屋を去っていく。
扉が閉まると、バルトルトの息づかいが聞こえてきた。
「こんなになるまで無理してたの?」
急に体調が悪くなったように見えたが、疲れが一気に押し寄せたのだろうか。
「しかも、殺すって。すごい殺気だった」
おそらく熱さえ出なければ、首に力を込められて死んでいたかもしれない。
大きな寝台の端に座った。眉間の深いシワは、バルトルトの苦しみを表していた。怪我を治す薬だけでなく、熱冷ましの薬の作り方も兄から教わるべきだった。
絞った布で額の上にのせた。額が冷えたときには、眉間が少し開く。布に熱が移っていくと、また苦しそうな表情に戻る。
こうして人の世話をするのは二度目だ。一度目は倒れた兄を介抱した。その時は、と考えようとして身震いする。嫌な予感を払うように、首を振った。バルトルトは兄とは違う。息絶えたりしない。きっと助かる。
執事は着替えのシャツを持って現れた。ガウンを脱がせて、シャツを着させる。
バルトルトの身体を起こすときに、マレクも手伝った。黒いガウンから白のシャツに着替えると、清潔さが増す。
「バルトルトは本当に大丈夫でしょうか?」
「ええ、これは旦那様の持病、体質といいますか、副作用のようなものです」
「こんなに強いのに」
呟くほどの小さい声だったのに、執事の耳には届いていたらしい。
「どれほど屈強な身体を持った者でも、弱点というものはあるでしょう。マレク様」
マレクは名を呼ばれて、目を見開いた。
「どうして、僕の名前を知っているのですか?」
「旦那様からお話は聞いています。マレク様が旦那様を助け出したことも。近い将来、この屋敷に滞在することも。そのために、隣の部屋を整えました」
主人の部屋に続く隣の部屋が未来の奥方の部屋であることは、マレクにもわかる。そんな大事な部屋を提供しようというのだから、口が開いたままになる。
「なぜ、バルトルトはそんなことを?」
「そこまではわたしの口から申し上げられません。旦那様に直接、お確かめください」
執事と話している間に、使用人が革の水筒を持ってきた。ひょうたん型の水筒で、口にコルク栓がしてある。ふたりは脱がせたガウンと水筒を交換した。使用人はガウンを腕にかけて、部屋から立ち去った。
執事は主人の首の後ろに腕を差し入れた。マレクも反対側からバルトルトの身体を支えた。力の抜けきった身体は重い。腕がしびれるくらいだった。
執事はコルク栓を抜いて、水筒の口をバルトルトの唇に近づけた。
「マレク様。旦那様の顎を持っていただけますか?」
マレクはなるべくバルトルトの顔を見ないようにした。顎を右の手のひらにのせて、支えるために頬に逆の手を当てる。
ワインのような赤い液体が歯の間を通っていく。ある程度、口に含んだところで、バルトルトの喉が動いた。
指を離しても口は開いている。水筒の液体をすべて飲み干した。
口の端に残った赤い液体も舌先で器用になめ取る。最後に喉仏が上下する。
「これで一晩眠れば、大丈夫でしょう」
執事が確信を持ったように言ってくるので、マレクもそう思い込もうとした。そばで祈ることしかできなかった。
マレクの叫び声を聞きつけて、執事と思しき人と女性の使用人が部屋に駆けつけてきた。
不思議だったのは、マレクを見ても執事と使用人は驚きを見せなかった点だ。ただ淡々と主人を眺めて、「ああ、これはご無理をなされましたね」と感想を述べた。
「“あれ”を持ってくるように。一杯でも飲めば、熱が下がるでしょう」
執事は的確に使用人に指示を出す。
マレクは“あれ”を、熱冷ましの薬か何かだと思った。使用人は命令にしたがって部屋を出ていく。
荒い息は止まることなく、バルトルトの胸板が何度も速く上下している。牢獄ほどの悪環境でも、この身体は倒れなかった。怪我ができようとも頼もしくもあったのに、首筋、額に至るまで赤く染まっている。
執事は持ってきた水の入った桶に布を浸してから絞った。その布をバルトルトの額にのせた。手持ち無沙汰だったマレクは、それなら自分にもできそうだと声をかけた。
「僕がやってもいいですか?」
「しかし……」
「バルトルトのために、何かしたいんです」
執事は「では、お願いします」と言った。着替えを持ってくると断りを入れて、部屋を去っていく。
扉が閉まると、バルトルトの息づかいが聞こえてきた。
「こんなになるまで無理してたの?」
急に体調が悪くなったように見えたが、疲れが一気に押し寄せたのだろうか。
「しかも、殺すって。すごい殺気だった」
おそらく熱さえ出なければ、首に力を込められて死んでいたかもしれない。
大きな寝台の端に座った。眉間の深いシワは、バルトルトの苦しみを表していた。怪我を治す薬だけでなく、熱冷ましの薬の作り方も兄から教わるべきだった。
絞った布で額の上にのせた。額が冷えたときには、眉間が少し開く。布に熱が移っていくと、また苦しそうな表情に戻る。
こうして人の世話をするのは二度目だ。一度目は倒れた兄を介抱した。その時は、と考えようとして身震いする。嫌な予感を払うように、首を振った。バルトルトは兄とは違う。息絶えたりしない。きっと助かる。
執事は着替えのシャツを持って現れた。ガウンを脱がせて、シャツを着させる。
バルトルトの身体を起こすときに、マレクも手伝った。黒いガウンから白のシャツに着替えると、清潔さが増す。
「バルトルトは本当に大丈夫でしょうか?」
「ええ、これは旦那様の持病、体質といいますか、副作用のようなものです」
「こんなに強いのに」
呟くほどの小さい声だったのに、執事の耳には届いていたらしい。
「どれほど屈強な身体を持った者でも、弱点というものはあるでしょう。マレク様」
マレクは名を呼ばれて、目を見開いた。
「どうして、僕の名前を知っているのですか?」
「旦那様からお話は聞いています。マレク様が旦那様を助け出したことも。近い将来、この屋敷に滞在することも。そのために、隣の部屋を整えました」
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「なぜ、バルトルトはそんなことを?」
「そこまではわたしの口から申し上げられません。旦那様に直接、お確かめください」
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執事はコルク栓を抜いて、水筒の口をバルトルトの唇に近づけた。
「マレク様。旦那様の顎を持っていただけますか?」
マレクはなるべくバルトルトの顔を見ないようにした。顎を右の手のひらにのせて、支えるために頬に逆の手を当てる。
ワインのような赤い液体が歯の間を通っていく。ある程度、口に含んだところで、バルトルトの喉が動いた。
指を離しても口は開いている。水筒の液体をすべて飲み干した。
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