化け物騎士は元令息の血塗られた手を離さない

コムギ

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11【妻の代わり】

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 マレクは久方ぶりの風呂で、肌にこびりついた垢を擦り、香油を身体中に塗った。

 その際、使用人の手を一切、借りなかった。

 元々、誰かに触れられるのは好きではない。特に子供の頃から、兄以外の男の手は恐怖の対象だった。

 力が無い時は、身を縮ませて震えるだけだったが、今は反撃できる体術がある。反撃された方が可哀想になるくらいの腕前だ。下手をすると、怪我をさせてしまう。

 そう告げると、バルトルトは了承してくれた。すべて自分の手でやった。

 用意された絹のシャツに身を包むと、貴族の頃に戻ったような気持ちにかられる。フリルのついた袖は、おそらく主人の趣味ではないと思えた。

 主人が着ている服には、装飾が一切ない。剣や腕を振るっても、布が引き攣れないようにできている。

 お針子に寸法も合わせてもらった。どこからどう見ても、マレクのために用意されたシャツにできあがった。

 鏡の前に立っていると、すべてを遠巻きに見ていたバルトルトが寄ってきた。

 隣で顎の辺りを触っている。無言でただ、鏡の中のマレクを見ていた。値踏みするような嫌な視線ではなく、妙に真剣な眼差しだった。

 馬鹿にされているわけではないが、バルトルトに見られているのは落ち着かない。自信があったのに、今はどう見えているのかが気になって仕方ない。

「どう? こうしていれば、貴族っぽいでしょ」

 不安を隠すように戯けた感じで言った。

 自分で言っておきながら、内心は苦笑していた。どれだけ貴族の装いをしても、昔の純粋無垢なマレクはどこにもいない。

 貴族の装いをしていた頃には、いい思い出など何もなかった。令息につけられる家庭教師は皆、厳しく、幼い手をよく棒で叩かれた。折檻をやめてほしいと、父の足に縋りつこうとした手を踏みつけられた。

 令息でなくなってから、何度もこの手を人の血で汚してきた。手のシワに赤が染み込み、乾くと拭うだけでは落ちない。皮膚が荒れるまで水で洗った。

 洗って綺麗になっても、手の感触は覚えている。短剣が皮膚を切り裂いて、肉をえぐっていく感じ。血が吹き出し、とめどなく流れていく様は、瞼を伏せてもよみがえってくる。

 それでもマレクは生きてきた。できるだけ楽観的に構えて、闇に染まりすぎないようにしてきた。

 「どう?」ともう一度、バルトルトに問いかける。

「まあ、見られる姿にはなったな」
「見られる? そんなにひどかったかな」

 黒装束は身軽で、闇に隠れるにはちょうど良かった。血を浴びても目立たない。まさに忍んで生きる者として、これ以上ない服だと自負していたのに。

「貴族の格好をしていれば、近づく者も限られる。街で歩いても変な虫が簡単にはつかんだろう」
「どういうこと?」

 首を傾げても答えはなく、バルトルトに腕を掴まれた。普段は表立っては主張しない鼓動が、やけに大きく感じる。

 直接、琥珀色の瞳とかち合う。また鼓動が跳ね上がった。瞳の奥に熱を感じる。口がからからに乾いていた。

 マレクは腕だけではなく足まで拘束されたように、身動きが取れなくなった。

「妻の代わりとしてと言っていたが、どこまで許される?」
「どういう、意味?」
「お前に触れるのはどこまで許されるのかと、聞いている」

 バルトルトは強気な手をマレクの手首まで滑らせると、口元に持っていき、指先に口づけた。筋肉に覆われた身体は固そうなのに、唇だけはやわらかい。

「男に触られるのは嫌だと言ったな。反撃しないのか?」

 甘い仕草と挑発的な言葉が裏腹で、マレクは面を食らった。

 侯爵家の令息の頃には、婚約者や恋人はいなかった。屋敷では折檻されていたし、怪我を隠すために部屋に閉じこもっていることが多かった。同じ歳ぐらいの子供と遊ぶよりかは、歳の離れた兄に相手をしてもらうのが多かった。

 家が没落した後も、生きていくのに必死で、恋愛に意識が向かなかった。熱い眼差しを感じても、こちらから想いを寄せることはなかった。傭兵の頃は何度か男に迫られることはあったが、うまく逃げてきた。

 もちろん掴まれたときには、反撃するのが常だった。それなのに、バルトルト相手にはできない。

「聞いているのか?」

 不満そうな声も聞いているし、頭は働いている。ただ、答え方がわからないだけで。

「バルトルトは僕をどうしたいの? 寝台で、そういうこと、したいの?」

 だから、正直にたずねた。上目づかいで、バルトルトの顔を覗き込む。

 見つめ返してくる琥珀色の瞳が丸くなった。手の力が強められた気がする。太い喉仏が上下して、獲物にありつくように唇をなめた。それもすぐ終わった。

 掴まれた手が急に放されて、自由になった。漂っていた緊張が解ける。

「冗談だ。お前のような訳のわからぬ男を相手にはしない」
「僕だって厳ついおじさんは無理だけど」
「そうだな。お互いに対象外というわけか。よかった」

 よかったと言う割に、バルトルトは笑わなくなった。大きな背中を見せて、部屋を出ていく。

 風呂に入っているときも、着替えているときも、見張りだと言って立っていたのに、あっさり部屋からいなくなった。

 マレクは戸惑った。血の上った頭が一気に冷静になっていく。

 バルトルトのことを全然、厳ついおじさんだとは思っていなかった。むしろ、騎士団の団長にして、平和に導いた英雄だと、好意的に見ている。

 言葉とは裏腹に、マレクに対して優しくしてくれる。それにつけ込もうとしている自分に、罪悪感を抱くくらいだ。

 マレクは掴まれていた手を指で触れた。この指が柔らかい唇に当たった。壊れないくらいにぎゅっと握られた感触が残っている。

 昨夜もそうだった。誰かに触れられると条件反射で拒むのに、バルトルト相手にはそれがない。むしろ、剣だこのできた岩のような手に触れられたかった。

 どくどくと鼓動が波打っている。首の裏に触れると熱い。

 マレクはこの熱がどこから来ているのか、自分でもわからずに、首を傾げた。



 身体から熱が引くのを待ってから部屋を出ると、バルトルトが扉の横にたたずんでいた。部屋に置き去りにされたと思っていたが、待っていてくれたようだ。両腕を組んで壁に寄りかかっている。

「お前の部屋を案内してやる。こっちだ」

 バルトルトが案内してくれた日当たりのいい部屋は、おそらくお屋敷で一番の部屋だと思われる。

 中の調度品は揃っており、クローゼットの中には着替えがいくつも入っていた。すべてが一級品で、木目調の落ち着いた色合いだった。

 きっとここで生まれ、育ってきたなら、当たり前のように貴族として振る舞えるのだろう。

 もう今のマレクには遠い記憶でしかない。しかも、家にあった調度品は父の趣味で派手な色合いをしていた。金銀は当たり前、絨毯も歩きにくい代物で、ワイン色をしていた。きらきらと眩しく、落ち着かないものだった。

 飾り立てた部屋よりも窓の外の自然の輝きの方が好きだった。

 バルトルトに用意してもらった部屋は、すべてにおいて居心地が良さそうだった。

 ただひとつの難点は、ひとりで使うには広すぎる点だ。湖の辺りにあるくらいの小屋で、十分、雨風はしのげる。

「僕はもっと小さい部屋でいいんだけど」

 戸惑いの目で見やると、バルトルトは「この部屋しか空いていない」と大柄な態度で言った。開けた扉の枠に背中を預けながら、腕を組んでいる。鋭い目で、こちらを見張っているらしい。

 案内なら執事に任せてもいいと思うが、マレクは「信用ならない、逃げられる」とのことだ。

 じっと見つめていると、バルトルトは顎に触れた後で、ため息をつく。

「気に入らないか?」

 気に入らないなんてとんでもないと、首を振る。

「僕が泊まるには豪華すぎるよ」
「俺の妻になるなら、これくらいの待遇に慣れろ」

 何の考えもなしに了承したせいで、バルトルトはからかうときに“妻”を使ってくる。

「素性のわからない男を妻にしたり、住まわせたりしていいの?」
「素性がわからないからこそ、手元に置く。少しでも妙な行動を見せたら、この手で……」

 その先を言わなくても、想像がつく。容赦のない殺意は、マレクに向けられた。普通の人間なら怖気づき、脅しに屈するだろう。あいにくマレクには、繊細な精神を持ち合わせていない。

「逃げたら、ダメ?」
「グロッスラリアでは俺のほうが顔が広い。絶対に見つけ出して、二度と逃げられないように縛り付けておく」

 狂気じみた答えに、怖がって震え上がらないといけないのに、なぜか嬉しいと思ってしまった。

「逃げないよ」
「どうだかな」
「素敵な部屋をありがとう」

 正直に言葉にして笑みを浮かべると、バルトルトの表情は強張った。「あ、ああ」と動揺したような声を上げる。

 マレクがお礼を言うと、決まってふたりの雰囲気が変な感じになる。不思議だった。バルトルトはお礼を言われ慣れていないのかもしれない。

 こういうとき、化け物騎士と呼ばれながらも、人なのだと思える。マレクは何気ないやり取りが好きだった。
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