化け物騎士は元令息の血塗られた手を離さない

コムギ

文字の大きさ
12 / 34

12【騎士の食卓】

しおりを挟む
 朝の訓練を終えたバルトルトはまず身体を清めた。清潔なシャツに着替えてから、マレクの部屋の前に立つ。まだ誰とも声を交わしていないために(執事には頷くだけにとどめた)、軽く咳をして声の調子を整えた。

 ノックをする。しばらく待っても返事は来ない。断りをいれつつ、部屋の中に踏み込むと、すぐに目当てのものを寝台の上で見つけた。

 マレクは端の方で寝ている。中央で寝るのは抵抗があるのか、それとも寝相が少し悪いのか。

 もう一度、寝返りを打つと、台の上から落ちてしまうかもしれない。だから、台の縁に腰掛けた。防壁になりながら、寝顔を見下ろした。

 ただ安らかに呼吸を繰り返している顔なのに、こうも見ていられるのはなぜだろう。同じ男なのに髭が薄いのも不思議でたまらない。

 手を伸ばしかけたところで、自力で膝の上に引き戻す。許可なく触れてはならない。貴族の服を纏ったマレクは、他の虫どころか、歴戦の軍人でさえ触れがたい存在になっている。

 触れたいのに触れられない。食べたいのに食べられない。欲望が果たせないのはどれも同じだ。

 触れられない代わりに顔を合わせると、小言を言いたくなってしまう。小言ばかりか、柄にもない行動までする始末だ。おかげで印象は最悪だろう。

 昨日は、厳ついおじさんは恋愛対象にもならないと言われた。あれは落ち込んだ。よかったと、心にもない強がりを言った。

 どうにか平常心を装って、部屋の外で待っていた。あそこでマレクを放置する選択肢はなかった。

 執事に案内を任せても差し支えなかったが、部屋を見せたときの反応を直に見たかった。だから部屋まで案内した。

 用意させた部屋は恐縮しながらも、こうして使ってくれている。

 文机の上に本が重なっていた。これは昨日、マレクからの要望を受けて、貸した本だ。グロッスラリアの歴史や文化に興味があるというので、バルトルトの自室の棚から持ち出した。

 マレクをつぶさに監視していたが、目を輝かせながら本を読み漁っていた。机の椅子に腰を掛けて、本のページをめくる音だけがした。妙に心地の良い空間だった。

 時折、マレクは本から顔を上げて、バルトルトに質問してきた。騎士団の成り立ちや制度について、説明できる範囲で答えた。

 逆にアラバンド王国についてたずねると、マレクは淀みなく教えてくれた。これまでよく勉強してきたのだろう。

 本を読んでいるのを壁際で見ているだけで、午後は更けていった。

 ろうそくの明かりが必要になる頃合いに、一階の食卓へと場所を移した。

 普段はひとりきりで長テーブルを使うのは、馬鹿馬鹿しい気がしていた。三又の燭台に明かりが灯されるのも、ろうそくの無駄。団長室や自室で、作法を気にせずに軽食を取るだけでも十分だと思っていた。

 しかし、斜め前に着いたマレクの顔を見た時、気が変わった。目が輝いている。まだ何も出てきていないのに、口元が緩んでいる。楽しみを隠しきれていない。

 バルトルトの合図で食事が運ばれてきた。

 マレクとの約束を違わないよう、料理人にグロッスラリア国一、美味しい食事を提供するよう言った。

 口に入るものは皆同じ。そう宣っていた主人の変わりように、料理人は涙ぐんでいた。

 別にバルトルト自身が変わったわけではなく、マレクが食べたいと言っていたからだが、喜んでいるのならそのままでいいだろう。

 名物の肉と乳で作ったスープは濃厚で美味しい。グロッスラリアの山脈で取れるきのこをソースに使い、良い香りを鼻腔に運んでくる。

 美味しい料理というのは、口や舌、鼻奥にまで旨味を伝えてくる。当然ながら胃も満たしてくれるらしい。

 そのことに気がついたのは、マレクが事細かに感想を述べたからだ。

 従騎士になる前のバルトルトは、血と肉を食らって生きてきた。臭覚と味覚といえば、その肉が腐っているか否かを判別するためのものだった。マレクのように手放しで「美味しい」とは言えなかった。

 しかし、こうやって誰かと食べるのも悪くないと思えてきた。初めて「美味しい」と言えるかもしれない。

 バルトルトの口から自然とこぼれた時、料理人はまたしても涙ぐんだ。ますます励むと、決意を新たにしたことだろう。

 執事はマレクの作法に何度もうなずいていた。何にも話を振っていないのにだ。この執事が満足したときによくやる仕草である。おそらく、執事の厳しい目にも、食事の作法が完璧に映ったのだろう。

 確かに、バルトルトの甘い目から見ても、マレクの振る舞いは洗練されていた。椅子に腰を落ち着かせている姿もスプーンを口元に運ぶ仕草も、どこを見ても無駄な動きがない。子供の頃から作法を叩き込まなければ、こういった姿にはならないだろう。

 貴族の姿をしていると、粗があれば目立つが、それがない。

 バルトルトは王都に来るまで、手づかみで食べてきた。スープなど皿に口をつけて飲み干していたが、すべて騎士見習いのときに叩き込まれた。それでも意識していないと、スプーンを噛んでしまう。

「バルトルト? お腹すいたの?」

 絵画のように美しい作法に見惚れ、悪い癖が出ていた。マレクに笑われて気づいた。スプーンを口から離す。執事の冷たい視線を感じたが、知らん振りを通した。

「いや、卑しく食べていないかどうか確かめていた」
「それって、僕を見ていたってこと?」

 飲み下そうとしたスープが吹き出しそうになった。

「そういうわけではない。作法があまりにも完璧で驚いた」

 どうにか喉に通して、目尻をかく。

「作法は子供の頃に習ったよ」

 マレクは、ずっと楽しそうに運んでいたスプーンを置いた。目線も落として、回想しているように瞼を閉じた。

「食事の時間は、あまりいい思い出がないんだ。僕の父は作法に厳しくてね。少しでも不備があると、食事は抜きだった。広いテーブルの上でひとり食べていたこともある。豪華だったけど、こんなに美味しくなかったよ」

 聞いてはいけないことを聞いてしまった。マレクは顔を上げたときには笑って誤魔化したが、バルトルトは軽く流せなかった。ずっと淀んだ泥のように心の奥底に残った。



 昨晩の記憶を振り払うように、頭を振る。今にしても聞くべきではなかった。しかし謎が多すぎる。未だに、マレクの出生の報告は来ていない。

 身動ぐ気配がして、バルトルトは上官を迎える騎士のように立ち上がった。

 マレクは目を擦りながら、間延びした挨拶を告げると、あくびもした。ぱちぱちと瞬きをしてから、バルトルトをようやく見て、微笑んだ。

「バルトルト、今日は何する?」

 休暇はまだ六日もある。そのうちの一日は用事があって、屋敷を離れなくてはならないが、それまではマレクを監視し続けるつもりだ。絶対に離れない。

「朝飯の後に、街に出るか。興味はあるだろう?」
「ある! ある!」

 両手を握りしめて喜ぶ男を見たのは初めてだった。飛び上がらん勢いで寝台から降りると、バルトルトに抱き着いてきた。

 ためらいもなく、恥じらいもない。単なる感謝の想いを込めてだろう。太い首に細腕を巻き付けた。

 バルトルトは反射的に上げた両腕をそのままに、固まっていた。目を見開いて、首筋にかかる吐息を受けた。肩の力を抜いて、両腕を下げる。できれば、自分からも抱き締め返したかったが、加減がわからないのでやめた。

「ごめんね、抱き着いたりして」

 マレクは恥じたように苦笑して腕を離すと、バルトルトを置いて部屋を出ていこうとする。昨日の案内で部屋の位置は把握したらしい。鼻歌を歌いながら、部屋を出ていくマレクを、バルトルトはしばし惚けたように見送っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

バイト先に元カレがいるんだが、どうすりゃいい?

cheeery
BL
サークルに一人暮らしと、完璧なキャンパスライフが始まった俺……広瀬 陽(ひろせ あき) ひとつ問題があるとすれば金欠であるということだけ。 「そうだ、バイトをしよう!」 一人暮らしをしている近くのカフェでバイトをすることが決まり、初めてのバイトの日。 教育係として現れたのは……なんと高二の冬に俺を振った元カレ、三上 隼人(みかみ はやと)だった! なんで元カレがここにいるんだよ! 俺の気持ちを弄んでフッた最低な元カレだったのに……。 「あんまり隙見せない方がいいよ。遠慮なくつけこむから」 「ねぇ、今どっちにドキドキしてる?」 なんか、俺……ずっと心臓が落ち着かねぇ! もう一度期待したら、また傷つく? あの時、俺たちが別れた本当の理由は──? 「そろそろ我慢の限界かも」

異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる

七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。 だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。 そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。 唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。 優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。 穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。 ――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

異世界転移した元コンビニ店長は、獣人騎士様に嫁入りする夢は……見ない!

めがねあざらし
BL
過労死→異世界転移→体液ヒーラー⁈ 社畜すぎて魂が擦り減っていたコンビニ店長・蓮は、女神の凡ミスで異世界送りに。 もらった能力は“全言語理解”と“回復力”! ……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈ キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん! 出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。 最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈ 攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉ -------------------- ※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!

Sランク冒険者クロードは吸血鬼に愛される

あさざきゆずき
BL
ダンジョンで僕は死にかけていた。傷口から大量に出血していて、もう助かりそうにない。そんなとき、人間とは思えないほど美しくて強い男性が現れた。

【本編完結】転生先で断罪された僕は冷酷な騎士団長に囚われる

ゆうきぼし/優輝星
BL
断罪された直後に前世の記憶がよみがえった主人公が、世界を無双するお話。 ・冤罪で断罪された元侯爵子息のルーン・ヴァルトゼーレは、処刑直前に、前世が日本のゲームプログラマーだった相沢唯人(あいざわゆいと)だったことを思い出す。ルーンは魔力を持たない「ノンコード」として家族や貴族社会から虐げられてきた。実は彼の魔力は覚醒前の「コードゼロ」で、世界を書き換えるほどの潜在能力を持つが、転生前の記憶が封印されていたため発現してなかったのだ。 ・間一髪のところで魔力を発動させ騎士団長に救い出される。実は騎士団長は呪われた第三王子だった。ルーンは冤罪を晴らし、騎士団長の呪いを解くために奮闘することを決める。 ・惹かれあう二人。互いの魔力の相性が良いことがわかり、抱き合う事で魔力が循環し活性化されることがわかるが……。

冷徹勇猛な竜将アルファは純粋無垢な王子オメガに甘えたいのだ! ~だけど殿下は僕に、癒ししか求めてくれないのかな……~

大波小波
BL
 フェリックス・エディン・ラヴィゲールは、ネイトステフ王国の第三王子だ。  端正だが、どこか猛禽類の鋭さを思わせる面立ち。  鋭い長剣を振るう、引き締まった体。  第二性がアルファだからというだけではない、自らを鍛え抜いた武人だった。  彼は『竜将』と呼ばれる称号と共に、内戦に苦しむ隣国へと派遣されていた。  軍閥のクーデターにより内戦の起きた、テミスアーリン王国。  そこでは、国王の第二夫人が亡命の準備を急いでいた。  王は戦闘で命を落とし、彼の正妻である王妃は早々と我が子を連れて逃げている。  仮王として指揮をとる第二夫人の長男は、近隣諸国へ支援を求めて欲しいと、彼女に亡命を勧めた。  仮王の弟である、アルネ・エドゥアルド・クラルは、兄の力になれない歯がゆさを感じていた。  瑞々しい、均整の取れた体。  絹のような栗色の髪に、白い肌。  美しい面立ちだが、茶目っ気も覗くつぶらな瞳。  第二性はオメガだが、彼は利発で優しい少年だった。  そんなアルネは兄から聞いた、隣国の支援部隊を指揮する『竜将』の名を呟く。 「フェリックス・エディン・ラヴィゲール殿下……」  不思議と、勇気が湧いてくる。 「長い、お名前。まるで、呪文みたい」  その名が、恋の呪文となる日が近いことを、アルネはまだ知らなかった。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

処理中です...