化け物騎士は元令息の血塗られた手を離さない

コムギ

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17【騎士との口づけ】

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 のしかかってくる大きな身体は、たいへん重い。マレクの肩に顔を埋めて甘えるようにしているのは、大型犬に懐かれているようでもある。主人の存在を確かめるように、背中に回った腕が力を込めてくる。

 ――逃げたりしないのに。

 マレクは笑みを浮かべながら、黒い頭を撫でた。すると、バルトルトは顔を上げて、マレクの頭を腕で囲む。少しでも肘を曲げれば、顔がぶつかる距離だ。

 琥珀色の目が自分の唇を見ている。浮き出た喉仏が上下する。それだけで口づけがしたいのだと、色恋に鈍いマレクにもわかった。顔の横の拳が何度も震えているのが、葛藤しているのだということも。

 手持ち無沙汰だった腕を太い首に巻き付けた。口づけする距離を測ったことは今までない。こんなふうに自分から距離を詰めた経験はなかった。

 だから、腕を回した拍子に、バルトルトの唇に自分の唇が当たった。

「あ、ごめ、んんっ!」

 一瞬にして柔らかいものに包まれて腕を離したのに、すぐにまた感触がやってきた。至近距離でバルトルトのまつ毛を見たのを最後に、目を瞑った。

 触れるだけではなく、今度は唇を押しつぶすような強い圧だった。重なるというよりかは、擦るようだ。角度を変え、何度も唇を擦りつけたり、甘噛する。息ができなくなる頃に適度に離れて、それでも続く。

「バル、んっ」

 ついには唇を割って、厚みのある舌が入り込んできた。歯列をざらりとした舌がなぞっていく。粘膜の絡まる音がして、聞いたマレクの耳は熱くなった。

 半目でのぞくと、バルトルトの伏せた瞼が見えた。いつも表情の少ない顔が苦しそうに歪んでいる。ほんのり赤く染まった肌が興奮していることを告げた。

 必死な顔に見惚れていると、マレクの縮こまった舌がバルトルトに暴かれた。表面も裏も舌先でなぞられて、くすぐったい。

 どうすればいいのか勝手がよくわからず、されるがままになっている。舌を吸い付かれたときには肩が動いた。舌も甘噛されて、表面がじんじんとうずいてきた。

 かと思えば、舌先だけで遊ぶように舐めてくる。バルトルトの口周りが唾液で濡れているのがおかしい。マレクは微笑を浮かべながら、舌先で丁寧に舐め取った。

 親切心だったのに、バルトルトは「くそ」と青筋を立てている。

 さすがに舐めたのは、はしたなかっただろうか。主導権はマレクになかったのかもしれない。

 反省して瞼を伏せたとき、手首が強く握られた。手のひらが重なったかと思うと、指に太い指が絡まった。そんじょそこらの力では外せなくなった。

「いちいち可愛いことをするな」

 酔っ払ったかのように目元を赤く染めたバルトルトは、マレクの下顎に噛みつくように貪ってきた。

 先程の比ではない。口内で舌が暴れ回っている。口の端から唾液が垂れると、厚い舌が舐め取ってくる。息継ぎができなかった。苦しくて頭がぼーっとして、何も考えられない。

 身体が重なっているせいで、腿に硬いものが触れた。気づいた瞬間に、全身が熱くなった。

 身体に異常反応が出ているのに、バルトルトはマレクとの口づけに夢中になっているらしい。熱に浮かされたように「マレク」と呼んでくる。止めるのは野暮な気がして、このまま流されることにした。



 唇が腫れぼったくなるまで口づけは続いた。

 バルトルトは肘をついたまま、横たわっている。その目が細められていて、視線はマレクに注がれていた。

 窒息寸前まで追い込まれて、深呼吸を繰り返す。

「大丈夫か?」

 普段はあまり抑揚のない低い声が、愉快そうに上がっている気がする。珍しく機嫌がいいのかもしれない。

 相変わらず表情に変化はない。それでも興味深く感じ取ろうとすれば、言葉や顔色だけではない表現が、少しだけわかるようになった。

「大丈夫じゃ、ない」

 まだ空気が足りずに、呼吸を繰り返す。「やり過ぎたか」と目を伏せて反省する騎士は、マレクの顎に指を添えた。親指で唇をなぞってくる。先程の感触を思い出して、吐息が漏れた。

「この顔では城に行けないな」

 バルトルトが口の端を上げた。それは決して満面とはいえなくても、笑みを浮かべたのは確かだ。

 マレクは見惚れて、喉が詰まった。胸の辺りから、込み上げてくるものがあったが、どうにか手を当てて抑えた。

「な、何で、行けないの?」

 ふっと小さく笑い声を漏らす騎士に、またしても目の前が真っ赤に染まる。唇に触れていた手が移って、頬を撫でた。

「顔中が真っ赤だ。情事の後のように目が潤んでいる。この顔で部屋から出すのは、良くないだろう……妙な虫に付かれて困る」

 そんな真っ赤だろうかと考えて、羞恥でまた顔が熱くなる。もう一つ気になったのは「妙な虫って何?」ということだ。

「さあな」

 肩をすくめて笑うのはずるかった。マレクはいちいち胸がいっぱいになって、何も言えなくなる。

 隣り合って横たわって話をしているだけのふたりの時間が過ぎていく。顔の熱が落ち着く頃には、すっかり太陽が上がって、部屋に日だまりができていた。



 王城へ向かうために豪奢な馬車に乗ったのは、バルトルトもマレクも目立つ服装をしていたからだ。国王の面前では身綺麗にしなければならず、普段よりも上等な服を着ていた。

 バルトルトは黒い騎士服を着こなし、腰に剣帯をしている。胸元の勲章といい、太い首元を隠した襟には金の糸で縁取られていた。

 前髪は後ろに撫でつけられており、額に何本か落ちていた。髪の毛は一つにまとめられていて、端正な顔立ちを邪魔していない。

 馬車の窓を眺める横顔は、一枚の絵画にしておいてもいいほど、様になっていた。

 マレクは反対に落ち着かない服を着ていた。袖にも襟にもフリルがついた貴族服だ。鮮やかな青の服は、マレクの瞳の色から選んだらしい。

 この服の色やブーツや髪型に至るまで、バルトルトから事細かに注文があったという。お世話をしてくれる侍女に聞いた。

 その時のマレクは「僕は知らないのに!」と、少しだけ苛ついた。しかし、衣装に着替えたマレクをバルトルトが見たときに「やはり、お前には青が似合うな」と笑った。すっかり毒気を抜かれて、「そ、そう?」と満更でもない気持ちになった。

 金糸の髪は後に撫でつけられて、丸い額が出ている。バルトルトのような原始的な雄を思わせる額ではなく、産毛も残り、子供っぽくてマレクは好きではなかった。それも、バルトルトに不意打ちに口づけを落とされたことで変わった。

 ――「可愛いな」

 厳密には何に対して可愛いと言ったのかはわからない。それでもマレクは、丸すぎる額に対して言ったように捉えた。そうするだけで、嬉しかった。丸い額もきらびやかな服も全部、受け入れられた。

 バルトルトの視線が窓に向けられているはずなのに、時折、マレクをちらちら見てくる。見返そうとすると、慌てて窓の外に戻す。何度か繰り返して、マレクは堪らず笑い声を上げた。

「何だよ、バルトルト。何か話したいことでもあるの?」

 気を許した友達のようにバルトルトの隣に座ると、大きな身体が固まったのを感じた。

「いや、何も」と、もごついているのが怪しい。

 見上げると、琥珀色の目がマレクを凝視してきた。

 この目は穏やかな時もあるのに、獲物を狩るように鋭くなる時もある。それを怖いと思うよりかは、不思議と自らすすんで被食者なりたいと思ってしまう。いっそのこと、バルトルトの血肉になりたい。

 望みに近い想いに駆られながら、マレクはバルトルトの袖を掴んだ。そっと自分の方へ引く。瞼を伏せると、優しく柔らかい感触が唇に押し当てられた。

 瞼を開けると、額同士が触れ合う。あまりに近い距離で見つめ合っているのが恥ずかしくて笑う。バルトルトもこり固まっていたはずの頬を緩めていた。


 ふたりが車中でじゃれ合っている間に、馬車は速度を緩めて、やがて完全に止まった。グロッスラリアの王城は、灰色に見えたアラバンド城とはまったく違っていた。

 何より城内の雰囲気がまるで違う。通りかかった令嬢の贅沢をこらした衣装は、アラバンドではまず見られないものだった。

 女性の贅沢はまず先に禁じられた。外に出る男性は権力を誇示するために、贅沢を義務付けられた。

 国の未来を担う女性や子供を道具に扱うアラバンドが破滅に向かったのは、運命だったのかもしれない。

 働く侍女も近衛兵も健康的で明るい顔をしている。それは隣で歩くバルトルトのせいかもしれなかった。令嬢もバルトルトを見る目が夢心地に蕩けていた。侍女は頭を下げているためわからないが、遠くの方で「ガドリン様よ」という声は聞こえた。「お隣の方はもしかして……」

 マレクも認識されていたのが恥ずかしく思えて、歩く速度を緩めたのだが、バルトルトはすぐに気づいた。

「どうした? 疲れたのか?」

 覗き込んできて、太い指が頬に触れる。その時、後ろできゃーと声が聞こえた。すぐに途絶えたが。マレクは太い指を強く握って、首を振った。

「大丈夫。一番緊張するのは、これからだもんね」

 バルトルトが心配してくれていることで、安心して冷静になれた。せめて、バルトルトに恥をかかせないようにしよう。自分の中にある貴族の断片を集めて、どうにか気高く装う。そう決意を新たにした。
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