化け物騎士は元令息の血塗られた手を離さない

コムギ

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26【死の森】

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 死の森とは、幼いマレクが家族に捨てられた場所でもある。

 かつて、バルトルトもそこにいた。

 どうやって自分が攫われて、ここへ来たのか、知るすべはなかった。言葉も失われていたからだ。

 名前もない子供は、どういうわけか、死の森の奥深くに捨てられた。

 記憶は地面に落とされた衝撃から始まる――。

 幼いバルトルトは、拳を握って体を起こそうとするが、全身が痛くてたまらなかった。

 落ちる瞬間、かばうために咄嗟に出した手のひらに、地面の小石が刺さって痛い。足にも擦り傷ができている。

「目を覚ましたか、ぼっちゃん?」

 馬上にいるくちばしのあるマスクが幼いバルトルトを見下ろしていた。短剣を手に持っている。

 この人は誰? と疑問に思いつつも、言葉が出てこない。

 その反面、耳だけはよく聞こえる。マスクに当たる息遣いや、遠くにいるはずの獣の息遣いまで聞こえてきた。

「ちょっと手荒だったかね?」

 頭の中が混乱しながらも、この声は不快の部類に入った。子供ながらに、この大人は信用してはならないと、全身が警告している。

 バルトルトは威嚇するようにうなったが、マスクをした人物は愉快そうに笑うだけだ。

「ほほう、いいねぇ」
 
 馬鹿にしたような笑い声に、胸から怒りが込み上げてきた。奥歯を食いしばりながら、その怒りのままに手をつく。傷の痛みなど些細なことのように感じた。

 バルトルトは手を付きながら、震える自分の足で立ち上がった。土埃が黒い服にかかっていたが、手で払うと少しばかり取れた。恐怖は不思議となかった。マスクの目をしっかりと見つめ返す。

 マスクの下の感情はまったくわからないというのに、笑っているような気がした。

「威勢のいいやつは嫌いじゃない。殺すのが惜しくなるな」

 顎の部分に手を当てて、考えるふりをしている。拳を作り、逆の手のひらにぽんと下ろすと、「そうだ!」とわざとらしく叫んだ。

「俺様は本来、慈悲深いんだよ。お前のようなぼっちゃんを簡単に殺すのは趣味じゃなくてな。ここで生き延びるか、魔物に食われるかはお前の腕次第だってことにしよう。わかるかな?」

 ――わかるものか。

 そう言おうとしたのに、「う、あ」と掠れた声にしかならない。マスクは答えを欲したわけではないようで、バルトルトの答えを待たなかった。

「ああ、声が出ないのか。忘れてた。そうだ、叫ばれないように薬を飲ませたんだった。大丈夫、そのうちに声も戻ってくるさ」

 腕組みをして話してくる姿に、琥珀色の目が据わってくる。子供ながら、胡散臭くて仕方なかった。声が出ないのも、記憶がないのも、おそらく目の前のこいつのせいだ。

「こいつは餞別だ」

 投げて寄こされたのは短剣だった。銀色の艶やかな刃にバルトルトの顔が映る。黒髪に琥珀色の目。長年、この顔で過ごしたはずなのに、初めて見たような心地だった。

 バルトルトは短剣を両手で握り直すと、マスクの男に切っ先を向けた。

「……え、……だ」

 お前は、誰だ? と聞きたかった。言葉にはならなかったはずなのに、マスクは「死神とでも言っておこうか」と返した。

「死神は貴族の子を攫ったり、暗殺したりで忙しいんだ。闇家業でやつだね。お前の場合は、命を奪うようには言われてない。攫って、記憶を消せと命じられただけだ。だから、このまま殺さなくたっていい」

 バルトルトは「死神」の名前を深く胸に刻む。

「忠告しておくが、腹が減ってもこの森の魔物を食うんじゃないぞ。一度食うと、魔物や獣なんかのあらゆる血肉を食い続けないといけなくなるからな」

 「さあて、説明は以上!」マスクは馬の腹を押すと、くるりと背中を向ける。

「恨むなら自分の運命を恨め」

 そう言い残して、駆け出した。バルトルトはついていこうと走るが、馬の脚は速く、すぐに距離は開けられた。背中は霧の中に消えていった。



 それからのバルトルトは死の森を彷徨いながら、魔物から命を守るために戦った。どうやっても腹は空く。幼いバルトルトはとうとう空腹には勝てずに、魔物の血肉を口に入れた。

 その晩のことである。バルトルトの身体に異変が起き始めた。地面に丸まって寝ていた体が、突然、熱を持ち始めたのだ。熱した石を押し当てられたかのように、火傷が広がっていく。痛く、内側からは掻きむしりたいほどの痒みが這い上がってくる。

 瞼を開き、目尻から生理的な涙が溢れていく。首に血管が浮き出て、顎にまで到達している。

 獣の声を漏らしながら、のたうち回る。熱くて首筋を引っ掻くと、赤くただれた。繭のように丸まっていた体が痙攣した後、バルトルトは動きを止めた。

 何時間、その場に倒れていただろうか。死の森の霧が薄くなっても、日差しで辺りが光って見えても、バルトルトは動かなかった。

 ようやく体を起こせるようになった時には、バルトルトは今まで通りの体をしていた。短剣の刃に顔を写して、変化を確かめるが特に問題はない。琥珀色の目が不安そうにこちらを覗いてくるだけだった。

 その後は、血肉を口にしても症状はなかった。だが、しばらく血肉を食べないと熱が出て、動けなくなった。腐った肉をかじってどうにか生き延びたが、どうもマスクが言っていた話は本当だったらしい。

 血肉を得たあとの体は普段より軽く、力が湧いてくる。拳を幹に当てて、太い木を倒した時には、高揚感があった。

 魔物や獣に襲われて血だらけになっても一晩眠れば、立ちどころに傷は塞がった。折れた骨も、割かれた筋肉も、時間が経つと元通りになっている。

 しかし四足になりながら、血肉を食らう自分の姿は、まさに獣だった。本能の赴くまま、血のついた口元を拭うと手は赤く染まる。その姿は「化け物」という名が相応しいほどに、禍々しかった。



 十年も森の中にいた。黒髪は伸びて、背中にまで到達している。体は随分と成長した。死の森を踏破し、大体の位置も把握している。

 死の森を彷徨って狩りに出かけていたとき、ひとりの子供が倒れているのを見つけた。うつ伏せになっていて、土で薄汚れている。バルトルトは近づく前に、木の枝で突っついた。人間を見たのは、久しぶりだった。

 見たところ、血の匂いはするが、獣とは違った。まだ、血肉を口にしていないのだろう。バルトルトは青白い顔をじっと眺めていたが、荒れた唇に目が止まった。

 ――水を飲ませたら、どうだろうか。少しは、顔色が良くなるかもしれない。瞼が上がったとき、どんな瞳の色で自分を見てくれるのか、楽しみになってきた。

 川がどこにあるかは、把握している。幸いなことにそんなに遠くはない。

 バルトルトは人間の体を肩に担ぐと、のそのそと歩き出した。その人間がマレクだということは、後に知った。

 何か食べられるものはないかと探している間に、川へ戻るとマレクは姿を消していた。食べられる木の実は、本当に数えるほどしかないが、ないよりはいいだろう、持ってきた。

 せっかく人に会えたのに。まだ近くにいるかもしれない。川上に向かって駆けた。

 しかし、マレクと再会は叶わなかった。

 思いがけないマレクとの接触により、バルトルトは死の森で過ごすことに疑問を持ち始めた。

 森の中で誰とも会わずに過ごす日々が、くだらなく思えてきた。初めて触れたマレクの肌を思い起こすと、また触れたいなどと思ってしまった。

 想いは日に日に強くなり、とうとうバルトルトは森を出る決断をした。

 その足で、王都に渡った。たまたまアラバンドではなく、グロッスラリア国行きの馬車に乗ったのが、運命の分かれ道となった。バルトルトは体つきがよく、腕力もずば抜けていたため、あらゆる肉体労働をした。

 運良く、名付け親となる前騎士団長との出会いを果たし、騎士としての道を歩き出した。

 牢獄でマレクと出会ったとき、なぜ、初めて会った気がしなかったのか。その答えは死の森にあった。

 それに気づいたとき、どれだけ胸が踊ったか。繋がりを信じたか。

 だからこそ、バルトルトは速やかに、マレクとの始まりの場所に着かなければならない。一刻も早く、マレクをこの腕に抱きしめたい。その一心で馬を走らせた。
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