化け物騎士は元令息の血塗られた手を離さない

コムギ

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28【最期の言葉】

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 地下牢から抜け出せても、危機的状況は変わらない。マスクを被った死神たちが、マレクを取り囲んだ。数はざっと見たところ、十人はくだらない。

 そのすべてが死神と同様のくちばしのあるマスクを被り、黒い服を着ていた。

 手には槍や短剣、鎖鎌など、多彩な武器を持っている。

 殺気が漂っていて、簡単には通してくれそうになかった。

 何か脱出の鍵になりそうなものはないか。敵の動向を気にしながらも、ざっと辺りを見渡した。

 そこには森を切り開いて作られた集落があった。横幅のある木造の建物がいくつか建っている。テラスと階段があり、それなりの文化も見える。

 ただ、建物の屋根から紐で吊るされた数多の骨が垂れ下がっていて、風に揺れている。頭蓋骨の目に獣の骨が突っ込まれていたり、下顎が額の上に乗っていたりと、随分と悪趣味な配置をしている。

 その飾りは、一軒の家屋だけにとどまらない。目に入るすべての建物の屋根から下がっていた。

 死神と交渉するには言葉を用いるしかないのだが、果たして話が通じるかどうか。通じたとしても満足の行く取り引きができるだろうか。

 見計らっている間に、背後からホンザが追いついてきた。はあはあと荒い息を吐き続け、顔は真っ赤に膨れ上がっている。

 えずきながらも呼吸を繰り返して、落ち着きを取り戻したようだった。

 ホンザは自分が死神たちの指導者であるかのように、先頭の位置に立った。マレクを見て、優越感を滲ませて笑う。さながら悪人のようだ。

「これだけの数を相手に、武器も持たずに戦えるか?」

 死神は数においても、武器の助けもあって、マレクよりも戦力が高いのは明らかだ。丸腰では難しい。

 それでもここで、やられるわけにはいかない。武器を奪って、それを使うというのも手だ。上手くいくかどうかは未知数だが、やらない選択肢はない。

 こういうときは、生への執着の強い者が生き残る。弱味を見せた時点で終わる。戦場では常にそうだった。

 全身の血が沸騰したように騒ぐ。興奮を抑えるために、深呼吸した。耳を澄まし、目を凝らして、神経を研ぎ澄ませる。

「やってしまえ!」

 裏返りながらも興奮したホンザの声を合図に、死神たちはマレクに襲いかかってきた。

 迫りくる槍を足で払い、鎖鎌をしゃがんで避ける。拳で短剣の切っ先を反らし、叩き落とす。短剣を足で拾い上げて、手中に収めた。

 頭で考えるよりも、体が勝手に動く。

 戦場で身についた動きは、座学だけで得られるものではない。生存本能の赴くまま、マレクは避け続けた。

 防戦一方になりながらも、隙をついて急所に向け、短剣を突き刺す。生温い血がマレクの頬にかかった。

 次の敵の背後に回ると、首に腕を回して、剣先を素早く横に滑らせる。

 首から飛沫を上げた血は建物の壁を染めていく。腕を下げると、敵の体は支えを失って地面に崩れ落ちた。

 まるでマレク自身も怪我を負ったかのように、手から、ぽたぽたと赤い液体が落ちていく。

 しかし、それはすべて相手のものだった。襲いかかる敵を次々と切り捨てていった。

 マレクを取り囲んでいたマスクは皆、片付けた。残るはホンザ一人だ。

 剣先についた血をはたき落とすと、ホンザの方へと足を進めた。ひとりにされて、急に恐怖がやってきたためだろう。

「ひ、人殺し!」

 ホンザは叫びながらも逃げようとしたが、岩に躓いた。尻餅をついたまま、後ろ手をつく。

 マレクは冷ややかな目で見下ろした。「僕が人殺しですか?」とたずねる声も感情を押し殺して、抑揚がなかった。

「父上にののしる資格がありますか? 血を見せるだけが人殺しじゃないのは、父上がよくご存知でしょう?」
「し、知らん! わしは何も知らん!」

 この期に及んで白を切るホンザを前に、怒りで目の前が真っ赤に染まった。それでも怒りに任せるのではなく、冷静な声を保った。順を追って罪を明かしていく。

「父上は、母上の前夫を、どうやって手にかけましたか? 馬車の事故に見せかけて、崖に落としましたよね。父上が懇意にしていた使用人から聞きましたよ」

 ホンザの金払いの悪さを零していた元使用人から、大まかな話を聞いた。

 馬車の事故は、車体が傾くように車輪に細工したものだった。話の裏をとるために、犯人の男からも証言は取ってある。その男は別の罪で牢に繋がれていて、看守のときに接触した。

 ホンザの顔を見れば、偽りでないのは明らかだ。この男の罪は、それだけにとどまらない。

「無理やり奪った母上を塔の最上階に閉じ込めた後、父上はどうしましたか? 思い通りにならないと知ると、母上のスープに毒を仕込み、病だと偽りましたね」

 その時の担当医の証言を取った。傭兵で稼いだ金を積めば、あっさりと本当の病を教えてくれた。

 医者は抜け目なく、ホンザのサインがされた契約書を持っていた。他言無用とする代わりに、病院に寄付するという名目で金を支払うこと。

 しかし、ホンザが行方知れずになったため、金の支払いは滞った。契約は破棄されている。もう、黙っている必要はないのだと言っていた。

「この話も父上が懇意にしていた担当医から聞きました」

 先程まで赤く腫れていた顔は、血の気が引いていた。ホンザの見開かれた目と震えた唇は、何かに怯えている。「言うな」と口元が動くが、マレクは構わずに話を続けた。

「愛してもいない男に夫を殺された挙げ句、その男の子を産む。毒を飲まされ続ける。どれほど辛かったことでしょう。しかし、死を待つ中でも、まだ希望はあったに違いありません」

 言いながらもどんどん口が重くなった。口に出すことも忌々しい。

「しかし唯一の希望だったはずのルジェク兄さんを毒で殺したのは、ああ、父上ではなく、兄上でしたね」

 ホンザは口を開閉していたが、何も言わなかった。

「ルジェク兄さんは本当に優秀でした。折檻を受けていた僕のこともかばい、励ましてくれた。あの領地を継ぐべきだったのは兄さんでしたよ。フベルトでは到底、無理でした。父上でもいずれ、無くなっていたでしょう」

 一歩近づくと、ホンザは小さな悲鳴を上げた。後ずさろうとするが、腰が抜けているため思い通りにならない様子だ。

「僕が心から尊敬して兄と呼ぶのは、兄さんだけです。僕が今日これまで生きてこれたのも、兄さんが自分の矜持を守れと言ってくれたからです。父上に何度、殺されそうになっても、兄さんが助けてくれたからです」
「た、頼む。わしは何もしていない! 命だけは助けてくれ!」
「そんな兄さんを殺した父上を生かすことはできません」
「この通りだ!」

 ホンザはおのれの矜持などなく、ただ助かりたいと地面に額を押し付けて、震えている。

 様々な人を追い詰めて、傷つけてきた。

 逆にされる側に回って、脆くも「助けてくれ」と命乞いする。

 マレクは同情しなかった。心の底からホンザのことなど、どうでもよかった。

 ホンザは地面に額をつけた後、マレクを見上げて、おのれの両手を擦り合わせた。

「助けてくれ! 誤解だ! お前の母親から誘ってきたんだ! 夫を殺して、わしのものになると! わしはそれに従ったまでだ! 連れ子のことは知らん! フベルトが全部やった! あいつが憎いなら、あいつだけ殺してくれ! わしはお前の父親なんだぞ!」

 亡くなった母やフベルトに罪を着せようとする始末の悪さも、マレクの嫌悪感を誘った。

 やはりこの程度かと、呆れてため息を吐く。父親だった男を、マレクは完全に見下した。

「もういいです。死んで報いを受けてください」

 この血が自分の身体にも流れていると思うと、吐き気がする。死んだほうが楽なのは言うまでもない。

 でもそうしないのは、ルジェクがいつだって、マレクを励ますからだ。今も、マレクの心の中で挫けそうになる心を支え止めてくれている。

 せめて、この手でこの男の息の根を止める。

 短剣を握り直して、ホンザとの距離を詰めようとしたとき、背中に衝撃が走った。体がぶつかってきたのだ。

 マレクは冷静を装っていたが、注意力が散漫になっていた。ホンザとの会話に気を取られていた間に、地下からフベルトが現れたのを知らなかった。

 ぶつかった箇所からどんどん熱くなっていく。皮膚が抉られて、足元に赤い血が落ちていった。

「人殺し」

 フベルトを睨みつけて言うと、青白い顔はすぐに茹だる。

「違う! わたしは父上に言われて、あいつに毒を! 第一、母上のスープに毒薬を仕込んでいたのは、父上が命じた使用人だろ! わたしではない! 父上はいつもずるい! 自分では手を汚さない! 人にばかりやらせるんだ!」

 ホンザもホンザでフベルトを指差して、非難の声を上げた。醜いふたりの姿に呆れもなかった。

「だから、罪悪感を背負わずに生きてこられたんだろ。僕は違う。ちゃんと自分の手を汚して、罪を背負っていくんだ」

 そして、最後の力を振り絞って、フベルトの背中に回り込む。

 悲鳴を上げる間を与えずに、首に短剣を滑らせた。血しぶきが上がり、辺りを真っ赤に染めていく。充血した目はマレクを捉えていたが、痙攣したかと思うと、人形のように力が抜けていった。

 マレクは残骸を地面に投げると、ホンザを睨みつけた。こいつも殺したい。そう思って。

 ホンザの悲鳴が聞こえた。もう少しなのに、立ち上がる力も残っていない。マレクは微かに笑うと、体をふらつかせた。地面に崩れ落ちるかというとき、腰に逞しい腕が回った。抱きとめるくらいならば、微動だにしない。

「バル……」

 真っ赤に汚れたマレクを躊躇いなく抱きしめるバルトルトが、そこにいた。漆黒のマントが騎士団の威厳を放っている。

「この者を捕らえよ。殺す価値もない」

 騎士たちがバルトルトの命令により、ホンザを捕縛した。

 マレクを見下ろした瞬間、驚愕に目を開いた。団長の威厳は消えて、ただ愛しい人を案ずる男の顔になっていた。

「マレク、マレク!」

 剣が背中に突き刺さっていることを教えると、さらにバルトルトは取り乱した。自分の衣服を躊躇いなく短剣で割くと、マレクの体に巻き付けた。

「こんなところで死ぬな! 家に帰ろう!」

 もはや、マレクは意識を保っているのがやっとな状態だった。朦朧とする意識の中で、バルトルトを見上げた。ずっと、くすぶっていた想いを口にした。

「バル、愛してる……」

 それが自分の最期の言葉になると、想像して。
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