化け物騎士は元令息の血塗られた手を離さない

コムギ

文字の大きさ
30 / 34

30【世話焼き騎士】

しおりを挟む
 マレクが微睡みから目を覚ますと、隣にはバルトルトの寝顔があった。肩や腰に太い腕を巻き付けて、逃さないようにと固定している。

 寝ているときは眉間のシワもなく、頬が緩んでいる。あどけない表情は、隣にいるマレクにだけ許されていると思うと、喜ばしい。頬を擦りつけたり、むにゃむにゃと寝言を言ったりする。

 この時間がマレクのお気に入りだった。

 愛おしさが溢れてきて、眉間に唇を寄せると、くすぐったいのか、シワが寄った。マレクは手を丸めて、忍び笑いをした。

 怪我の具合も良くなった。うつ伏せに寝ていた体も、仰向けで寝られるようになった。

 怪我の初期のときには、母直伝の薬を傷に塗ろうとした際に、バルトルトが「俺がやる」と買って出てくれた。

 背中を晒すのは恥ずかしかったが、他でもないバルトルトが塗ってくれるのは嬉しかった。

「あの野郎は何度殺しても足りんな」

 刺された箇所が傷になっていたからだろう。塞がっていても痛々しく見えたのかもしれない。

 顔だけで後ろを振り返れば、痛みを分かち合うように、バルトルトも苦しそうな顔をしてくれる。それだけで嬉しい。

「ありがと」

 バルトルトは意図がわからないのか、「あ、ああ、いや」と戸惑ったようにうなずくだけだった。

 あの時はおかしかったと思い出し笑いをしていると、瞼に隠されていた琥珀色の瞳が現れた。ぼんやりと焦点が合っていないのは、寝ぼけているからかもしれない。

「おはよ、バル」

 「バル」と愛称で呼ぶと、ますます心の距離が近づいたように思う。バルトルトがやわらかく目元を細めて笑う。

「おはよう、マレク」

 バルトルトは腕の力を込めてマレクを引き寄せると、愛おしそうに背中を撫でてくれた。



 先日、マレクの処遇についての話し合いが設けられた。国王、宰相、各大臣、有力な侯爵家など、発言権を持つ者が集まった。

 死神事件に居合わせたバルトルトの証言が大きかった。フベルトに襲われたため、やむを得ず反撃した。他の死神も同じ理由で、自分の命を守るための行動だとされた。

 ホンザとフベルトの悪行はすべて晒されて、同情の余地はなかった。アラバンドでのことも、王弟を匿っていたことも。

 表立った反発はなく、満場一致の様相で、マレクの罪は不問にされた。

 アラバンドの王弟の処遇はまだ決まっていない。引き続き、取り調べは続くという。

 ホンザは人知れず、処刑された。マレクは見届けることもしなかった。牢獄の中でどんなことを思い、最後に死んでいったのか。それはマレクの知るところではない。

 王妃主催の個人的な茶会に招かれたのは、マレクの怪我がすっかり治った頃合いだった。

 目が覚めた際には、バルトルトがすぐに報告を上げた。王妃はたいへん喜び、日を待たずして書簡を送ってきた。

 それに加えて、花や菓子なども連日届いた。マレクは送られるたびに、御礼状を書いた。

 おかげで毎日、違う花の香りが部屋を満たした。そのことも顔を見て礼を言えば、王妃は泣き笑いで応えた。

「心配で、心配で夜も眠れなかったわ。本当によかった」

 隣の国王は王妃の肩を抱きながら、慈しむように目を細めていた。

「王妃のためにも、マレクが目を覚ましてくれてよかった」
「ご心配をおかけして申し訳ありません」

 様々な人が自分の容態で心を砕いていたと思うと、頭を下げるしかできなかった。

 もちろん、平然と座っているバルトルトにも感謝しきれない。眠っている間も、体が冷えないように擦っていてくれたこと、水を浸した布を唇に当ててくれたこと。後で執事から聞かされた。

 目が覚めてからも、食事であーんをしてくれたり、起き上がるときにも手を貸してくれる。なぜか、風呂に入るときもついてきたり、着替えるときにもいたが、「心配だからだ」と言われると反論もできなかった。

 今も、膝の上のマレクの左手をバルトルトの右手が包み込んでいる。おかげで寂しさを感じることはほぼない。

「それで、マレクにあの話をしたのか? アラバンドの復興の話を」

 聞き覚えのない話に、マレクはバルトルトを反射的に見た。

「どういうこと?」
「いや、話す機会が無くて……」

 歯切れの悪いバルトルトに代わって、国王が説明する。それはマレクにとって、驚きとともに嬉しい話だった。

 侯爵家に生まれたからには、領地や領民を守るのが矜持だとして、政略結婚をする者も多い。

 一部では、おのれの私利私欲を優先させる貴族もいるだろう。

 マレクは確実に前者だった。子爵として、いつか、ホンザとフベルトを追い出し、理想的な領地を治めたかった。

 しかし、壮観だった農地は荒れ果て、人々が築き上げた建物は朽ちていった。

 結局、領民のために人生をまっとうできなかった。ずっと後悔していた。

 マレクは平民になっても、かつて領地だった場所に通った。

 そして、王を失ったアラバンドは統率が取れていない。ならず者たちが溢れ、王都までもが荒れ果てているという。

 それをバルトルトと共に復興させようというのだ。

 道のりはきっと、遠く険しい。それでも、マレクには選択の余地はなかった。

「僕もバルトルトと共に行きます」

 力強く言うと、包まれていた手が一層、固く握られた。見上げると、バルトルトの温かい眼差しがマレクに注がれていた。王妃は「美しいわ」と、ため息をこぼす。

「マレク、あなたと離れ離れになるのは寂しいけれど、向こうに行っても、お手紙をちょうだいね」
「もちろんです、殿下」

 細い指がマレクに伸びたが、国王が横から手を出してきて阻んだ。バルトルトもマレクの手を離してくれない。ふたりは困った男たちに呆れながらも、顔を見合わせて笑った。



 一日の終わりに、ふたりは同じ寝台で眠っている。マレクが怪我をしてからは、手を握ったり、口づけを交わすことはあっても、それ以上の睦み合いはなかった。

 湯浴みを済ませた後で、体が冷めないうちに寝台に横たわる。布団をかけてしまえば、もう寝るだけだ。軽く口づけを交わして、名残惜しそうに視線をやっても、バルトルトは体を離してしまう。

 今夜こそは言うつもりだった。背中の怪我も治ったし、触れたいし、触れられたい。そんな欲望がマレクにもあることに気づいてほしい。

 意を決して口を開くと、突然、手を握られた。期待で鼓動が走り出したが、バルトルトはそのまま動かなかった。どうも雰囲気的には違うらしい。

 恋人同士の繋ぎ方ではなく、迷子になりたくないというような必死さを感じた。

「マレクには、伝えなければならないことがある」
「僕に?」

 「ああ」とうなずいたバルトルトは、マレクを見ていなかった。真剣な面持ちで天井を見つめたままだった。

「明日、連れていきたい場所がある」
「ここでは話せないの?」
「話だけではなく、きちんとお前の目で見てもらいたい」

 緊張をはらんだ声に、マレクはさすがに空気を察した。触って欲しいなどとは、言えない。

 「わかったよ」と答えると、隣の肩が力を抜いた。余程、緊張していたらしい。いつもなら抱き締めてくれる体は、仰向けになっていて、こちらを向いてくれない。

 マレクは胸騒ぎがした。もしかしたらバルトルトは、はじめからマレクに触る気など、ないのかもしれない。「愛している」も親愛の意味で、マレクと同じように胸を焦がすような感情ではないのかもしれない。

 ひとつの綻びを見つけると、すべての網目が簡単に解かれていくようだ。マレクの心がどんどん疑心暗鬼になっていく。暗闇の中で、明日を迎えるのが急に怖くなって、バルトルトの服の裾をつまんだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

バイト先に元カレがいるんだが、どうすりゃいい?

cheeery
BL
サークルに一人暮らしと、完璧なキャンパスライフが始まった俺……広瀬 陽(ひろせ あき) ひとつ問題があるとすれば金欠であるということだけ。 「そうだ、バイトをしよう!」 一人暮らしをしている近くのカフェでバイトをすることが決まり、初めてのバイトの日。 教育係として現れたのは……なんと高二の冬に俺を振った元カレ、三上 隼人(みかみ はやと)だった! なんで元カレがここにいるんだよ! 俺の気持ちを弄んでフッた最低な元カレだったのに……。 「あんまり隙見せない方がいいよ。遠慮なくつけこむから」 「ねぇ、今どっちにドキドキしてる?」 なんか、俺……ずっと心臓が落ち着かねぇ! もう一度期待したら、また傷つく? あの時、俺たちが別れた本当の理由は──? 「そろそろ我慢の限界かも」

異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる

七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。 だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。 そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。 唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。 優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。 穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。 ――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

【本編完結】最強魔導騎士は、騎士団長に頭を撫でて欲しい【番外編あり】

ゆらり
BL
 帝国の侵略から国境を守る、レゲムアーク皇国第一魔導騎士団の駐屯地に派遣された、新人の魔導騎士ネウクレア。  着任当日に勃発した砲撃防衛戦で、彼は敵の砲撃部隊を単独で壊滅に追いやった。  凄まじい能力を持つ彼を部下として迎え入れた騎士団長セディウスは、研究機関育ちであるネウクレアの独特な言動に戸惑いながらも、全身鎧の下に隠された……どこか歪ではあるが、純粋無垢であどけない姿に触れたことで、彼に対して強い庇護欲を抱いてしまう。  撫でて、抱きしめて、甘やかしたい。  帝国との全面戦争が迫るなか、ネウクレアへの深い想いと、皇国の守護者たる騎士としての責務の間で、セディウスは葛藤する。  独身なのに父性強めな騎士団長×不憫な生い立ちで情緒薄めな甘えたがり魔導騎士+仲が良すぎる副官コンビ。  甘いだけじゃない、骨太文体でお送りする軍記物BL小説です。番外は日常エピソード中心。ややダーク・ファンタジー寄り。  ※ぼかしなし、本当の意味で全年齢向け。 ★お気に入りやいいね、エールをありがとうございます! お気に召しましたらぜひポチリとお願いします。凄く励みになります!

Sランク冒険者クロードは吸血鬼に愛される

あさざきゆずき
BL
ダンジョンで僕は死にかけていた。傷口から大量に出血していて、もう助かりそうにない。そんなとき、人間とは思えないほど美しくて強い男性が現れた。

【完結済み】騎士団長は親友に生き写しの隣国の魔術師を溺愛する

兔世夜美(トヨヤミ)
BL
アイゼンベルク帝国の騎士団長ジュリアスは留学してきた隣国ゼレスティア公国の数十年ぶりのビショップ候補、シタンの後見となる。その理由はシタンが十年前に失った親友であり片恋の相手、ラシードにうり二つだから。だが出会ったシタンのラシードとは違う表情や振る舞いに心が惹かれていき…。過去の恋と現在目の前にいる存在。その両方の間で惑うジュリアスの心の行方は。※最終話まで毎日更新。※大柄な体躯の30代黒髪碧眼の騎士団長×細身の20代長髪魔術師のカップリングです。※完結済みの「テンペストの魔女」と若干繋がっていますがそちらを知らなくても読めます。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

異世界転移した元コンビニ店長は、獣人騎士様に嫁入りする夢は……見ない!

めがねあざらし
BL
過労死→異世界転移→体液ヒーラー⁈ 社畜すぎて魂が擦り減っていたコンビニ店長・蓮は、女神の凡ミスで異世界送りに。 もらった能力は“全言語理解”と“回復力”! ……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈ キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん! 出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。 最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈ 攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉ -------------------- ※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!

処理中です...