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たぶん緒方

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   ***


 たしか前にもこんなことがあったな、などと頭の片隅にありながら、そんなはずはないだろうと打ち消す。
 一定の間隔をあけ、誉の後方からコツコツと革の靴音が響く。
 振り返る勇気もなく、かといって走る体力もあまり無い今、ただひたすら明るいところをあてどもなく歩いていた。
(なんでこんなときに限って誰も繋がらないんだよ!)
 自宅と母親、姉と順番に電話をかけてみるものの繋がる気配はない。スマホの画面を憎らしげに見ても何の反応も示さなかった。
 この先を進むとコンビニや飲食店などの店舗が少なくなってくる。幸い幹線道路沿いなので極端に明かりが少なくなるわけではないが、駅から離れたぶん、何かあったときに駆け込める交番からも離れ、心許なさが増す。
(たまたま帰り道が同じ方向なんだよ。きっと)
 耳に響く靴音を、極力何でもないことのように自分に言い聞かせる。
 思い込みによって勘違いされる人は世の中にたくさんいる。だから誉の自意識過剰な勘違いこそが勘違いであって欲しいと思った。
 勘違いであれば笑い話だ。むしろ笑われたほうがいい。
 間合いを詰めるわけでもなく後ろからついてくる足音に、神経を尖らせながらも平常心を保とうとする。
 誉の家はここからまだ歩いて十分ほどの距離にある。それまでにこの幹線道路から逸れて住宅街に入り込むから、益々心許ない。
 どうしようかと考えあぐねながら誉はひたすら足を動かした。
 走っててきとうに路地に入って撒くか、それとも自宅のある住宅街への道を通り過ぎ、少し先にあるコンビニへ駆け込む。もしくは電話しているふりで歩調を緩めて相手を先に行かせる。
 考えてはみたものの、どれも失敗しそうで踏み切れない。万が一誉が想像している人物が後ろに居るのなら、なおさら慎重に行動しなければ何が起こるか本当に予想がつかない。 そのとき、握りしめたままだったスマホが、振動とともに着信音を鳴らした。電話の着信音なので親か姉が折り返し掛けてきたのだろうと思い、誉は相手も確認せずに急いで電話に出る。
「お願い、今すぐ迎えに来て!」
「…何があった?」
 思いがけず返ってきた声の低さに驚いて慌てて液晶画面を確認すると、最悪な別れ方をしてもなお思い続けていた、久住からだった。
 途端に頭が真っ白になって、何を言えばいいのか分からなくなる。
「……っ」
「おい、どうした」
 この状況を説明しようにも、極限状態の今、端的にまとめられる気がしない。それにまだ本当につけられているかも分からないのに、余計なことを言えば心配をかけるだろう。
 久住は見かけは厳つくて怖いが、困っている人間を放っておけるほど冷たい人間ではない。
「峰石、今どこに居る」
「…あ…の、家の近くの駅出て、国道沿い歩いてる。二つ目のコンビニに行こうと」
「わかった。すぐ行くからそこで待ってろ」
「で、でも、なんで、そんなこと…」
 訳が分からずしどろもどろにいい募りながらも、見放さなかった久住の優しさに安堵の色が広がっていく。
 放っといてくれと言ったのは自分なのに、身勝手にも甘えて凭れかかりたくなった。
「なんでもクソもあるか! それが俺の役目だろ!」
 怒鳴られてはっとした。
 元々久住は坂上との一件で誉の身を案じて一緒に居るようになったのだ。そこに他意はなく善意だけだった。
 勝手にひとりのぼせ上がった誉がとった態度のせいで、今までの関係が崩れてしまった。 冷水を浴びせられたように冷静さを取り戻した。
 これ以上久住に甘えられない。そして、これ以上幻滅されたくない。
「…ごめん。やっぱり大丈夫だから」
「おい、いいから待ってろ」
「今までありがとう」
 遮るようにそう言うと、スマホのスピーカーから柄の悪い怒鳴り声が聞こえた。それを無視して画面をタップして通話を終了させ、ついでに電源も切った。直に聞いていたら心臓が縮み上がりそうなほどの剣幕だったが、幸いなことに怒鳴り声の主はいない。
 力が抜けたようにふっと笑った。
 コンビニの明かりが誉を待っているかのように辺りを照らしている。あと少し歩けば店に辿り着く。
 これは誉の勝手な意地だと分かっている。だけどもう決めたことだ。
 徐々に歩調を緩めて立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
 勘違いであってほしい、自意識過剰な笑い話であってほしいと思いながら、見据えた先には想像していた人物が立っていた。
「もう…やめてくれませんか、坂上さん」
 突然振り返った誉に驚くでもなく、坂上は少し困ったように笑いながら間合いを詰めてくる。
「じゃあ、今晩だけ付き合ってくれる?」


   ***


 食事時のファミレスでは、老若男女さまざまな客がテーブルで飲食や歓談を楽しんでいる。テーブルごとに仕切られたつい立て兼背もたれで、お互いの会話はほとんど干渉しない。
「誉くん、お腹空いてるだろ。好きなもの頼みなよ」
 誉の向かいに座る坂上がメニューを開いて見せながら寄越す。それを受け取るものの、この状況ではとてもではないが食欲などわいてこない。とはいえ飲食店に入って何も注文しないわけにもいかず、無難にソフトドリンクの一覧を眺めた。
「じゃあ…、カフェオレで」
 そう言うと、坂上は近くに居た店員に声を掛け注文し始める。
 本当にこんなことで諦めてくれるのだろうかと不安と疑念で、誉はメニューを盾にして相手を観察するようにじっと見ていた。
「そんなに見つめられたら、好きなのかと誤解するよ」
 誉の視線に気付いていたずらっぽくそう言うと、盾にしていたメニューを奪って元の位置に戻した。
「…ちがいます」
「知ってるけどね」
 坂上は誉にふっと柔らかい笑みをこぼし、飄々と答えながら胸ポケットから聞こえる着信音を確認すべくスマホを取り出した。仕事絡みだったのか、坂上は「ちょっとごめんね」と言い残して席を立った。
 そういえばこういう人だった、と思い出す。
 坂上と遥夏が付き合っているとき、─遥夏が別れたいがために─美人局役をさせられたことがあるが、からかったりおちょくったり、飄々としてつかみ所のない人間だった。
 美人局をさせられている間も、決して誉のことを本気で好きで手を出したようには見えなかった。わざと乗せられている雰囲気がちらちらと見え隠れしていた。そして久住に助けてもらったあの日も、雨で人通りが少なかったけど、わざと人目につきやすいところを選んだのかもしれない。
 誉にとって本気で恐怖したものだったが、考えてみれば隠れる所もない場所であんな大胆な行動を起こすような人間には思えない。
 むしろ誰かに見せつけているかのような──。
「お待たせしました」
 誉と同い年くらいの女性店員が、注文の品を確認しながらテーブルに並べる。目の前に置かれたカフェオレに、静かに口を付けてぼんやり窓の外を眺めたら、見知った顔が血相変えて通りを走り過ぎていった。
(あ、電源切ったままだったんだ)
 これはまずい、と無意識のうちにカップをソーサーに戻して居住まいを正した。
 あんな風に一方的に話を終わらせれば、誰だって心配するのは当たり前だろう。そもそも誉の身の上を案じてボディガード役を買って出てくれたのだ。一発二発は殴られる覚悟はしておかなければならない。そもそも好きな相手から殴られる覚悟をするとは一体どういうことなんだ、と冷静なのか動揺なのか思考の収拾がつかない。
 気を落ち着かせようと、気休めにカフェオレをまたひとくち啜った。
「ごめんね、急に会社から電話が入って」
 ほっと一息ついたところで、電話を終えた坂上が席に戻ってきた。
「いえ」
「それより本当に何か食べなくていいの? もっと美味しい店に行く?」
「…坂上さん」
 誉が呼びかけると、坂上はコーヒーを一口飲み、うん?と目だけで返事する。
「晩飯付き合ったら解放してくれる、て話…」
「うーん。晩ご飯だけだと割に合わないんだけど、誉クン高校生だしね」
 坂上は大げさにがっかりした風を装い肩を竦めた。
「そういうの、いいですから。そろそろ本当のことを教えてくれませんか」
 その一言で、コーヒーカップをソーサーに戻そうとした手が止まる。
「本当のこと?」
 何のことだか分からないな、と坂上は首を傾げて薄く笑っている。
「ほら、カフェオレ冷めるよ」
 誉のことを気にかけつつ、戻したメニューをまた引っぱり出して甘い物を勧めてくる。演技の上手い俳優のようにそつのないその態度が空々しくて、逆に確信した。
「俺は」
 空気も流れもぶち壊し、深呼吸とともに吐き出す。
「あんな…ことされたけど、坂上さんのことを兄のように感じてたときもありました。だって、本当は遥夏が好きなんでしょ?」
 坂上の瞳が一瞬揺れる。
「あんなことされたのに、そんなこと言ってつけ込まれたいのかな?」
 からかうように言われても、その言葉には何の威力も無かった。誉はただじっと、坂上の本心を聞くまで何を言われようと動じるつもりはなかった。
 坂上はやがて根負けしたのか、開いていたメニューを閉じ、誉に向き直る。
「誉クンはあの頃より少し、格好良くなったね」
 しみじみと過去を懐かしむように、薄ら微笑む。坂上の目には今の誉と昔の誉が並んで見えているかのようだ。
「遥夏はキミがとても大事な弟であり、ライバルだと思っているんだ」
「…え?」
 我が耳を疑うほど聞き慣れない単語が坂上の口から飛び出して、動揺する。
 大事かどうかは別として、弟であることは事実だ。問題はライバルという言葉だ。
(遥夏が俺をライバル視?)
 ありえない。むしろ見下されている。ヒール履いたら物理的にも見下されていた。
 まったく意味が分からず、怪訝な顔で坂上を窺えば大きく吹き出されてしまった。
「そういう顔はやっぱり似てるね」
「そういう顔?」
 益々怪訝顔で問えば、手を伸ばし誉の眉間の皺を伸ばすように押さえた。
「遥夏も納得がいかないことを言われると、同じ顔になるよ」
「…はあ」
 誉も納得がいかないが、第三者が言うのならそうなのだろうと渋々受け入れる。
「今まで嫌な目に合わせてごめん」
 唐突に謝られ、咄嗟に何の反応も返せない。
「最初に〝妹〟だと紹介されたときから、遥夏の企みには薄々気付いてたんだ」
「え! それじゃあなんであんな…」
「茶番? でも遥夏がいつも気にしてたのは〝誉〟だったよ。言葉の端々から負けたくないっていう気持ちがにじみ出てて、でも好きだから、可愛い弟だから守らなくちゃっていう正義感が見てて可哀想になってさ。じゃあ、その企みに乗っかってみようかな、て思ったんだ」
 心底迷惑な話だと思った。だけど、坂上からは遥夏に対する愛情が見え、どうしてこんなおかしな状況になっているのだろうと頭を捻った。
「たぶん誉クンには理解らないと思うよ。遥夏も自分のことを分かっていなさそうだからね。それに愛情の伝え方は人それぞれだから」
「こんなことしてたら逆効果じゃ…」
 誉が不満と不安を目一杯詰め込んだ表情を見せると、坂上は種明かしをした。
「気付いてなかったかもしれないけど、誉クンに手を出したのは遥夏の目の届くところでだよ」 
 あまりの事実に絶句してしまう。
 ということは、美人局をしてたときも、雨の日に公道で襲われたときも、坂上は遥夏を意識してやっていたということになる。
「本当に…、理解出来ません」
 誉は目を据わらせテーブルを見つめると、だろうね、と他人事のように坂上が答えた。
 これが愛情を伝える手段なのか、と自分に問うてみる。しかし理解の範疇を超え答えなど出るはずもなかった。
 もっと分かりやすく気持ちを示せば早く伝わったのではないのか。早く伝われば誉の件(くだり)など必要ない。どうしてこんなややこしいことをしてまで、遥夏に見せつける意味があったのだろう。
「現に、あの雨の日はタイミング良く助けが入ったと思わない? …どこかで見てたんじゃないかな」
「…え?」
「遥夏に揺さぶりかけるなら誉クンだって知ってる人間が、それを最大限に使わない手はない。〝誉の姉〟でも〝誉のライバル〟でもない遥夏を引き摺りだすには、これしかなかったんだ」
「なんだよ、それ……ゲスい」
 誉は坂上の一連の行動の理由に、動揺して敬語も忘れ身も蓋もなく詰った。本気で恐怖に戦いていたのに、ただ利用されていただけだと分かり、安堵と怒りで消化不良を起こしそうになる。
 巻き込んだことは反省してる、と坂上は殊勝に頭を下げた。美人局をさせられていたときも、誉が本気で拒否を示すと率直に反省を述べていた。
 こんな形で関わらなければ良かったのに、と思う。また、こんな形で関わったから知ったこと、気付いたこともある。
 遥夏はどんな気持ちで誉を助ける画策をしたのだろう。
「遥夏は君に無謀なことをさせるのに、君は君で遥夏の話に乗って。まるで…君たちは、共犯者みたいだね」
「ちがいます、遥夏は…」
 それ以上言葉が続かなかった。否定しようにも否定出来る根拠もなかったから。
 共犯者にしたのか、されたのか。
 靄がかかったようにはっきりとしない記憶の中で、一度だけ遥夏が泣いていることがあった。それ以降の遥夏は、もう今と変わらない。
 きっと何かがあったはずなのに思い出せない。なぜ気丈な遥夏が泣いていたのだろう。大事なことのような気がするけれど、同時に、思い出してはいけないことのような気もした。
(なんで思い出したらいけなかったんだっけ…)
 坂上はぬるくなったコーヒーカップを手で包み、ちらりと暗い窓の外を見て笑った。
「彼、いいの? なんかすごく怒ってるけど」
 言われて勢いよく窓の方を振り向けば、鬼の形相で誉を見ている久住と目が合った。反射的に顔を背け、他人の振りをする。無駄な足掻きだとは思うものの、目を合わせるのが非常に怖い。
「スマホ翳して何か言ってるけど、聞いてあげたら?」
 のんびりと、でも愉快そうに坂上はこの状況を楽しんでいる。
 元凶のくせに、と恨みがましい目で睨んでみても、坂上はどこ吹く風で全く意に介していなかった。
 たぶんスマホの電源を入れろと言っているのだろう。恐る恐る電源を入れればすぐさま久住から着信があった。沈鬱な気分のまま電話に出る。
「……はい」
『終わるまで、外で待ってるから』
 予想外に落ち着いた声を電話越しに聞き、思わず久住の方を振り返った。少しだけ不機嫌を残したまま、口の端を片方だけ上げた表情は、ビーフシチューを御馳走になったあのときに似ている。
 どうしてそんな顔をするのだろう。
 どうしてそんなに優しいのだろう。
 どうして、この場所が分かったのだろう。
 どうして、見捨てなかったのだろう。
 疑問が浮かび上がるごとに、久住の輪郭がぼやける。反対に、靄がかかったように不鮮明だった記憶が、洪水のように溢れかえってきた。
 赤い夕日、濡れた洋服、遥夏の涙、繋いだ手のひら。
 一つ一つが昨日のことのように鮮明に思い出される。葬ったはずの過去を掘り起こし、誉は遥夏を想った。
「…っ」
(全部、俺のせいじゃん)
 誉は声を押し殺し、久住を見つめたまま泣いた。


   ***


 遥夏のモデルデビューは、小学生の誉にとって人生を揺るがすほどの出来事だった。家族として、姉弟としてとても誇らしいことだった。だけどそれをひけらかすつもりはなかったし、両親からも吹聴することはないようにと言い聞かされていた。ささやかながらも家族でお祝いに焼き肉を食べに行ったことは今でも覚えている。
 遥夏の後ろを隠れるように付いて歩くのがお決まりだった誉は、これを機に姉離れをしようと心に決めたのはこの頃だったように記憶している。元々多くの人と上手く関わるのが苦手で、少人数と深く付き合うタイプだったため、友だちの数は片手の指で足りるほどだった。
 そんな平穏で波風のない穏やかな毎日が一変したのは、『モデルをしている遥夏の弟』だとどこかから漏れ伝わったことだった。一日もあればそのことは学校中に広がり、休み時間ごとに現れる野次馬たちの対応にも苦慮していた。それどころか、知らない間に増えていく挨拶すら交わしたことのない〝友だち〟が、誉と仲の良かった友だちを追いやってしまったのだ。
「おれたちとは住む世界が違う」
「有名人が家族だから」
「地味グループは用済みだろ」
 ずっと仲が良かったと思っていた友だちからの拒絶の言葉に、頭を殴られたようなショックを受けた。
 自分が上手く対処できなかったからこんなことになったんだ、そう思うしか誉の心を守ることができなかった。
 そこから誉の地獄の生活が始まった。
 有名人が家族にいるということが、逆に足枷になった。姉と違って地味なくせにスカしてて態度が悪いと詰め寄られ、土下座して詫びろと強要された。登下校に、人の見ていないところでランドセルを蹴られたり、わざとぶつかって転ばされたり、生傷が絶えないようになった。
 それでも態度を変えない誉に業を煮やして、その矛先が遥夏に向かった。
 運が良かったことに、たまたま悪事を企てようとしているいじめグループの話を盗み聞くことができた。
 こっそり後を付けて先回りすることにした。タイミングを計り、遥夏の前に飛び出した。
「きゃあ!」
「うわ、何で峰石が出てくんだよ!」
 遥夏に投げつけられるはずだった絵の具入り水風船を、間一髪で誉が盾になって受け止めた。高校受験を控えている一月の寒空の下だった。
「はるちゃん濡れなかった?」
 志望校受験とモデルの両立で大変なときだから、絶対に守らなければと思っていた。
「ばか! あんたが風邪引いたら…」
 遥夏は言うなり鞄を投げ捨てハンカチを渡すと、いじめグループを睨みつけた。
「おまえら…小学生だからって何しても許されると思ってんのか…?」
「はるちゃん…」
「法的に潰すぞコラ! 親呼んで来い!」
 そう遥夏が怒鳴るといじめグループは竦み上がって俯いてしまった。
「はるちゃん、服やばいから。母さんに見つかるとまずいから、ね」
 帰ろう、と促して道ばたに投げ捨てられた遥夏の鞄を拾った。
 残してきたいじめグループのことは知らない。
 帰り道、遥夏の手を握り、家路を歩いた。
 遥夏はずっと泣いていた。誉がそんなに泣かないでと言うと、以前から誉の異変に気付いていて止められなかったことを悔やんでいたと吐露した。
 かける言葉がなかった。気付かれていることに気付かなかった。格好悪いなと思った。でも同時にほっとした。遥夏だけは自分のことを見てくれると安心した。
 遥夏を見上げると、汚い色水でずぶ濡れの誉より頬を濡らしていた。夕日の赤が二人を染め上げていた。
「これからは、私があんたを守るから」
 泣くだけ泣いて気が済んだのか、またいつものちょっと高慢で、気丈な遥夏の顔に戻った。
「…うん」
 誉が頷くと、遥夏は力強く手を握りしめた。
「一人で解決できなくてごめんね」
 そう言うと、また遥夏は泣きそうに顔を歪ませた。だけど歯を食いしばり、眩しそうに夕日に目を向ける。
「私、超有名になってやる。そんで酷いことしてきたやつら跪かせてやる」
「女王様みたい」
「そうよ。だから今日あったことは二人だけの秘密ね。お母さんにも内緒。女王の言うことは絶対だから。分かった?」
「うん。この服はさすがに言えないし、はるちゃんが泣いたことも内緒だね。鬼の目にも」
「だれが鬼だ」
 言うが早いか誉は頭を打たれた。
 先ほどのことなど嘘のようにまた日常が戻ってきた。


   ***


 結局、外で待ってると言った久住は誉の突然の涙に慌てて店に入り、誉を強制連行した。
今は小一時間ほど前まで逃げ込もうとしていたコンビニの駐車場で、ぼんやりと立ち尽くしている。久住はただ誉の横に並んで車の流れを見ていた。
「いつから…姉ちゃんと知り合いだった?」
 ぽつりと問いかけると、久住はややあってから誉の方を向いた。
「もしかして、初めから知ってた?」
「いや、それは違う」
 答えてからはっとして、久住は黙り込んだ。今度は誉が車の流れを眺める。
 車のヘッドライトの光は似ているようで違うんだな、と至極どうでもいいことに気付く。 似ているようで違うものはたくさんある。
 同じ制服を着た誉と久住も、入れられた箱(学校)は同じでも育った環境も考え方も違う。
 交わることのない人生が平行に並んでいるとばかり思っていたところへ、突然の接点ができた。人為的に繋がった接点だとしても、繋がってしまえば点を線にすることは雑作もないことだ。
 点を線にし、その線を長く伸ばすことが重要な作業になる。
 人は人と関わりながら生きて行くのだから。
 しかし本当に、その作業をすることに意味があるのだろうか。どちらか一方が頑張って繋ぎ止めて、その先に何が見えるのだろう。
 酷いことをされても、久住の意思で側に居てくれたのではなくても──、好きでいることは、意味のあることなのだろうか。
「おまえの姉さんだって知らなかった」
 久住は諦めたように吐き出すと、誉に向き直る。
「あの雨の日、バイトしてたら血相変えて常連客が入ってきて、裏で高校生の男の子が絡まれてるから見てくれって言われた」
「常連客…?」
「ああ、それがおまえの姉さんだって知ったのはさっきだけど」
「…?」
 話が読めなくて首を傾げる。
 誉のことを気にかけるようにと、遥夏が裏で久住に頼んでいたのだと思っていた。なのにさっき知ったとは益々どういうことか分からない。
「元々、おまえの姉さんはうちの店の常連客だったんだ。名前も知らない、たまにバイトする日に会って挨拶する程度だったし」
 久住はゆっくり当時を思い出しながら喋る。
「それがあの日、いきなり声かけてきたと思ったら、絡まれてる奴がいるから見てくれって。渋々了承したら、早く行けって捲し立てるし」
「それは、うん。申し訳ない…」
「まあ、結果としておまえが無事で良かったんだけど。後日バイトの日に…絡まれてた子はどうなったって根掘り葉掘り聞かれて、それが面倒だった。かいつまんで話したけど、自分の聞きたいこと聞いたら満足したみたいで、その後はまた普通の常連客に戻ったんだけど…」
 身内の暴挙を聞いて、恥ずかしさで埋まりたい。重ね重ね申し訳ないと、心の中で久住に謝った。
「おまえさ、さっきやっとスマホの電源入れてたけど、その間電話してたのは俺だけじゃなくて、おまえの姉さんもだからな」
「…ほんとだ」
 慌ててスマホのSNSを確認すると、遥夏からメッセージが入っていた。どこに居るのか連絡しろとある。
「姉さん、おまえの電話が繋がらなくて、うちの店経由で俺と連絡取ってきたんだよ。たぶん前に俺がおまえと同じクラスだって端折って言ったから。〝弟を知らないか〟って言われてさ」
 すげー驚いたけどな、と何でもなさそうな顔で久住は言う。
 久住との距離の縮まり方を、遥夏が全部裏でお膳立てしたことだと思っていたから、戸惑い、そして安堵する。
 自分の早とちりで、本当に良かったと思う。久住の優しさが作られたものじゃなくて良かった。
 そしてじわじわと、感覚が数時間前に引き戻されていく。
 あの手で体を暴かれた。
 あの身体を重ね合わせた。
 酷く、熱かった。
 隣にいる久住が、誉を抱いた同一人物とは思えないほど今は穏やかな表情をしている。
 どうして、とまた疑問が浮かび上がる。
 誉のことを怒っていたのではないのか。遥夏に頼まれたわけでもないのに、必死になって追いかけて。
(自惚れてもいいのかな)
 今までの久住の行動は、好意からくる行為だったと、思ってもいいのだろうか。
 隣を見上げ、誉は自分の頬が紅潮していくのが分かる。久住も誉と目を見合わせ、そして目を伏せた。
「なんか色々誤解してると思うから言うけど、俺は誰かに言われて、おまえと居たわけじゃねーから」
 こんなこと言う資格もないけど、と続け、自嘲気味に吐き出した。
 久住の握りしめている掌が少し震えているのは寒さのせいだろうか。それとも何かに耐えているのだろうか。なんでもいい、と思った。
 衝動的に誉はその手を取り、両手で包む。ただあたためてあげたい、安心させてあげたい、その一心だった。
「うん、分かったよ」
 久住は驚きで目を瞬き、包まれた掌を面映そうに見つめた。
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