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第75話 入学初日

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 先日の通学路の下見の時に通った道のりを、ライトとレオニスの二人が並んで歩く。
 現代日本のような車社会ではないので、交通事故や排気ガスなどの心配はないが、それでも幅広の大きな通りでは多くの馬車が行き交う。

 レオニス名義のラグナロッツァの屋敷も、地理的に貴族街の中にあるので結構な数の馬車が通りを走る。
 ライト達が向かっている、ラグーン学園の方に行く馬車もたくさんいた。

「同じ方に行く馬車って、皆ラグーン学園に通う子が乗ってるのかなぁ?」
「多分そうだと思うぞー。貴族の子息が馬車に乗って通学とか、普通のことだしな」
「へぇー、そうなんだー。すごいねぇ」
「お前も必要なら、毎日馬車の送り迎えの用意もできるぞ?」
「そんなもの要らない要らない、無駄遣いもいいところだし」

 ライトは行列に近い馬車の列を見て、感嘆する。
 そんなライトに、レオニスが馬車の用意も可能な話をすると、あっさりとライトに却下される。

「いやいや、お前の安全のためならば無駄遣いなんてことはないぞ?」
「いーえ、立派な無駄遣いですぅ」
「えー、何でだよー」

 連続で却下されたレオニスは、若干ふくれっ面しながらライトに抗議する。

「だって、レオ兄ちゃんが用意してくれた、この制服と鞄と体育用の運動靴?があれば、ぼくの身の安全は完璧だもの」
「ん、そりゃまぁ、な」
「それに、歩いて10分程度だもの。朝の運動にすらなりゃしない」

 ライトは、紛うことなき大正論にてレオニスの抗議を粉砕する。
 だいたい、こんな装甲列車並みの防御仕様制服を着せておいて更には馬車で送り迎えしようなど、無駄遣いにも程がある。

「毎日送り迎えの馬車を用意するくらいなら、その分お屋敷にいるラウルのお給金と食費の予算を増やしてくれる方が、ぼくにとっては嬉しいな」
「んー、そうだなー。ラウルの給金はともかく、食費はライトと俺のおやつ分をさらに上乗せしてもいいかな」

 レオニス、何気にラウルのおやつを毎日食べるつもりかもしれない。
 まぁ毎日とはいかずとも、かなりの頻度でおやつタイムに顔を出してきそうな勢いだ。

 そんな会話をしながら歩いていると、次第にラグーン学園が見えてきた。
 貴族門と呼ばれるその門の両脇には、槍を手に持った衛兵のような門番が一名づつ立ち構えている。

 今の時点で、歩いて門を潜ろうとしているのはライトとレオニスだけで、他は馬車が入っていくのみである。
 ライトとレオニスは門に近づき、門番に声をかけた。

「おはようございます。ぼくは、今日からこのラグーン学園初等部に通うことになりました」
「門を通ってもいいですか?」

 ライトは門番に対し、礼儀正しく挨拶をする。
 衛兵は、一瞬ライトとレオニスをちろりと見遣り、襟元のピンバッジを確認する。

「どうぞお通りください」

 スッと横にどきながら、頭を下げてライト達を通す。

「ありがとうございます。これからよろしくお願いします」

 ライトもペコリと頭を下げて一礼して、門を潜った。
 レオニスは無言でライトとともに学園内に入る。
 学園の中は、新学期を迎えてたくさんの児童や生徒が集い、とても賑やかだった。

「ライト、俺達はこっちに行くぞ」
「レオ兄ちゃん、どこ行くの?」
「学園理事長室」
「ご挨拶しに行くの?」
「そゆこと」

 学生の流れとは若干違う方向に、レオニスは歩いていく。
 今二人が歩いているのは初等部と幼等部のエリアのようで、ライトよりも小さいちびっ子や少し大きい子がそれぞれの教室に向かう。

 ライト達は、他の子供達の流れに逆行するように歩く。
 先生以外の大人が学園内を歩いているのが珍しいのか、児童達はチラチラとすれ違いざまに二人を見ていく。

 しばらくすると学園理事長室に到着したのか、レオニスはとある一室の扉の前で止まる。
 扉をコンコン、とノックすると、中から
「お入りください」
と声がかけられた。

 レオニスが扉を開けたので、ライトが先に入室する。
 部屋の中に入ると、真正面には立派な執務用の机と、そこに座る壮年の男性がいた。
 その横には、15歳くらいの少年が控えている。

「レオニス・フィア卿、ようこそいらっしゃいました」

 穏やかな声で、壮年の男性がライト達二人を出迎える。
 その男性は、すらりとした身体つきに肩まである青鈍色の髪、爽やかな若葉色の瞳をしており、とても知的なオーラが漂っている。

「お久しぶりです。卿なんてよしてください、そんな柄じゃない」
「何を仰いますやら。貴方が大陸一の英雄であることは、誰もが認めるところですよ」
「英雄なんてのも、俺の柄じゃないですよ。今日はそんな大層なものではなく、この子の一保護者として来てるんですから」
「そうでしたね。こちらの子が、貴方の養い子で?」
「ええ。ライトといいます。さ、ライト、ご挨拶しな」

 学園理事長と思しき壮年の男性とレオニスは、どうやら知り合いのようだ。
 それまで静かにレオニスの横に控えていたライトは、レオニスに促されて口を開く。

「初めまして。ぼくは、ライトといいます。この度は、由緒あるラグーン学園の初等部1年生として通わせていただくことになりました。よろしくお願いいたします」

 ライトはペコリと頭を下げる。
 簡素だが完璧な挨拶に、レオニスは満足そうに小さく頷きながら微笑み、理事長もほう、と感嘆する。

「これはこれは。とてもしっかりしたお子ですね」
「私はこのラグーン学園の理事長を務める、オラシオンと申します」
「ライト君。これからこのラグーン学園で、たくさんのことを学び、より良き未来を歩んでくださいね」
「……はい!」

 オラシオンと名乗る理事長の、穏やかで温かみ溢れる優しい言葉に励まされ、ライトは少しだけ緊張が解れて嬉しくなった。
 オラシオンは横に控えていた少年に向き、ライト達に紹介した。

「こちらは中等部の生徒会会長、ジョルジュ・ミラネージ君です」
「彼が職員室までの案内役をしてくれますので、ライト君は彼についていってください」
「始業式が終了するまで、ライト君は職員室で待機しててください」
「始業式が終わりましたら先生方もお戻りになるので、初等部1年A組担当のフレデリク先生と教室に行ってください」

 オラシオン理事長に紹介されたジョルジュという少年は、ライト達に向かって軽く一礼をする。
 その後、オラシオンは今日のライトの取るべき行動をテキパキと教えてくれる。

「始業式の初日は、午前11時頃には終了します。レオニス卿、お時間が許すならここ理事長室にてお待ちいただければ、ライト君といっしょにお帰りいただけますよ」
「ジョルジュ君、フレデリク先生に帰りの会終了後にライト君を理事長室まで連れてきてくれるよう、言伝しておいてください」
「では、ジョルジュ君、ライト君の案内をお願いします」

 ジョルジュは一言、分かりました、と答え、ライトとともに退室した。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 理事長室には、オラシオンとレオニスの二人きりになった。
 オラシオンは微笑みながら、無言でソファの方にスッ、と手を伸ばし、レオニスへの着席を勧める。
 レオニスは気が抜けたように、ドカッ、とソファに座る。

「……はー、こういう堅苦しい場は苦手だわ」
「はは、相変わらずだね、レオニス」
「でもまぁ、ライトの教育のためにも、きちんとすべき場所では姿勢を正すようにしないとな」
「ふふ、そうだね、年中荒くれ者の姿ばかり晒す訳にはいかないだろうねぇ」

 二人は旧知の仲らしく、人目がなくなった途端にレオニスは気を緩める。
 一方のオラシオンは、先程までと変わらぬ態度でレオニスに接している。

「オラシオン、今回は入学に際して手間を取らせてすまなかった」
「いいえ、気にしないでください。それに、あのように賢い子ならいつでも入学大歓迎ですよ」
「そうだろうそうだろう、うちのライトは賢くて優しくてすごい子だからな!」

 いつでもどこでもライト自慢を欠かさないレオニス。全身全霊全力投球で兄馬鹿モード大全開である。

「……でも、オラシオン。あんたがこのラグーン学園の理事長を務めることになった、と聞いた時はそりゃびっくりしたもんだ」
「そうですか?私はこういう教育の場というのも好きですし、後進の教育に身を投じられることに喜びを感じていますよ」
「あんたほどの冒険者が、突如引退したと思ったら冒険者ギルドの総本部部長になって、その2年後にはこのラグーン学園理事長就任とはなぁ。でもまぁ、賢者として名を馳せたあんたには、最も良い道かもしれんな」

 このオラシオンという男、どうやらレオニスの元同業者らしい。
 外見からはとてもそうには見えないが、オラシオンは穏やかな顔で窓の外を眺めている。

「私もこの目の問題がなければ、もう少し冒険者稼業を続けてもよかったのですが」
「ああ、すまん。別にあんたを責めてる訳じゃないんだ」
「ええ、分かっていますよ。お気になさらず」

 オラシオンは窓から離れて、部屋の隅に置かれているティーポットでお茶を淹れ始めた。

「ただ、俺……いつかあんたと、短期でいいから一度はパーティー組んでみたかったんだ」
「金剛級冒険者にそんなことを思っていただけていたとは、とても光栄ですよ」
「本当のことだぜ?信じてくれよ」
「ええ、もちろん信じますよ?貴方はつまらぬ嘘などつきませんし」

 理事長手ずから淹れた二人分のお茶のティーカップを、応接用のテーブルにそっと置く。
 レオニスに手だけで無言で勧め、自らもソファに座りティーカップを手に取り、ゆっくりとお茶を啜る。

「あのライトという子、あの子もいずれは貴方のような冒険者を目指すのでしょう?」
「ああ、本人はそのつもりのようだな」
「一流の冒険者になるには、道のりはとても険しいものですが……貴方の傍で育つならば、それは夢で終わらず実現することでしょう」
「そうだといいんだがな」

 レオニスは、その手に持つティーカップに目を落としている。
 お茶の水面に映る自分の顔を、ぼんやりと眺めているように見える。

「ライト君がパーティーを組むなら、まずは貴方でしょう?」
「ああ……そんな日がきたら、夢のようだな」
「その夢が実現するまで、貴方は現役最前線で居続けなければなりませんね」
「そうだなぁ……ま、夢のまま終わらないように、俺もまだまだ頑張るとするよ」

 小さな笑みを浮かべながら、ティーカップの水面から視線を外しゆっくりとお茶を飲むレオニスだった。




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 区切りの都合で、ちょいと長めになりました。

 厚生労働省の提言『健康日本21』の資料では、壮年期は25~39歳で、青年期と中年期の間と定義されているようですね。
 ですので、ラグーン学園理事長のオラシオンもアラフォーあたりの知的系美壮年でご想像くださいまし。
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