39 / 55
せつなときずな 39
しおりを挟む
「せつなときずな」 39
サキに選択を促された翌日、刹那の中には曖昧で刹那的(という言葉はもちろん嫌いだった)な覚悟、一つの決断が、それは迷いに揺れる弱気な心に押し出されるように導かれた。
食事の遅い絆に苛立つ毎朝の一こま、保育園の準備をしながら、刹那は心にも無いことを口にする。
「あんたさ、そうやっていつも食べるの遅いけど、いい加減にしないとお母さんあんたを置いてどっか行っちゃうよ。
これから一人で生きていきな」
絆は怖くなって、しくしく泣き出した。
「面倒くせえな」と心の中で舌打ちし、朝食の途中で乱暴に着替えさせて、絆を引きずるように部屋を出た。
どうしてこんなに冷たい母親になったのか、そんなことを考えはするが、それは私のせいじゃないと平気でうそぶけるほど、刹那はどこか他人事のように自分の親子を捉えてるようになってしまった。
いろいろなことがあり、私の人生は外堀が埋められていく。
もう、普通の生き方では進んでいけないのかもしれない。
私は、いつもそんなことを望んではいなかった。
観たことはないが、「嫌われ者松子の生涯」って、そんな感じかもしれない。
嫌われてすら、いないけど…
「黒猫」に着くと、車内でバックミラーに自分の顔を映し、睨み付けるように気合いを入れた。
嫌な話をするんだ。しっかりと目を見て、美緒さゆりに伝えなくてはならない。
店に入り「おはようございます」と声をかける。
「刹那さん、おはよう」
美緒はいつものように笑顔だ。
仕事に入る前に片付けてしまおう。
「さゆりさん、私、昨日お母さんに呼ばれたの。
薄々知ってはいたけど、付き合っていた人と結婚するって話で」
「で、それは、刹那さんには嬉しい話なの?」
美緒は「おめでとう」とは言わなかった。
何でもないように確信をついてくるところが、本心なのか天然なのか、相変わらず読み取れない。
「嬉しいかどうかは正直どうでもよくて、ただ、いいよとだけ言いました」
「刹那さんらしいわね」
美緒はそう言ったが、何が「らしい」のかは刹那にはまるでわからなかった。
「母は家を新築するから一緒に住もうと言ってきました。
それが嫌なら、以前勤めていた母の会社に復帰しなさいとも言われました。
私は、どっちも嫌です」
美緒はパンを切る手を止めて、刹那を凝視した。
「じゃあ、刹那さんはどうしたいの?」
「家にも入らない、家業にも戻らないとなれば、今母から受けている経済的援助は断たれます。
私は、生活保護を申請します。
さゆりさん、すいません。今週でお店を辞めさせてもらいます」
美緒は再びパンを切り出した。
刹那は、美緒が視線を落として作業に戻る様に、とてつもない恐ろしさを覚えた。
「働ける、家族が支援できる、そんな状態で生活保護が受けられるのかしら」
美緒は切り終わったパンをトレーに乗せると、起伏のないトーンのまま刹那に言った。
「仕方ないわね。残念だけど、こればかりは私の範疇じゃないから」
「私は以前、ハートスタッフでDV案件のシングルマザーのために生活保護申請に何度も同行しました。
できるかどうかはわかりませんが、犯罪加害者家族になったことで精神疾患となって就業が困難というストーリーを描いています」
「不正受給、私は別に咎めはしないけど、刹那さん、本当にそれでいいの?」
美緒は刹那の目をじっと見つめながら、はっきりと「不正受給」と断じたのだ。
刹那は気持ちが引いた。
もちろん、本当にいい訳がないのだ。そんなことは、望んでなどいないのだ。
「普通に働いていては絆と二人でやっていくことなんてできない…」
実は林公彦が実刑になる前に、口座に入っていたわずかな貯えは公彦の代理人によって凍結され、裁判費用と被害者への弁済に充てられてしまった。
刹那が公彦を許せないのは、自分たちを犯罪加害者家族に貶めただけでなく、自分の家族を蔑ろにしたことも大きな要因でもあったのだ。
「今の私には、お金は全くありません」
「私と一緒ね」
美緒は店を一瞥して苦笑した。
「ここにすべてを投下した。でも、好きでやったことだから問題はないけどね」
そう言ってカップにカモミールティーを淹れると、刹那に出した。
「もしかしたら誰かを紹介できるかもしれない。
それまで、申請は少し待てるかな。
ただし、覚悟は必要よ」
刹那は美緒の言葉にどきっとした。
美緒さゆりは、きっと普通ではない。
覚悟を必要とする仕事と、不正受給。
天秤にかけなくてはいけないほど、退っ引きならない人生なのかと、刹那はなんともいえない気持ちになった。
サキに選択を促された翌日、刹那の中には曖昧で刹那的(という言葉はもちろん嫌いだった)な覚悟、一つの決断が、それは迷いに揺れる弱気な心に押し出されるように導かれた。
食事の遅い絆に苛立つ毎朝の一こま、保育園の準備をしながら、刹那は心にも無いことを口にする。
「あんたさ、そうやっていつも食べるの遅いけど、いい加減にしないとお母さんあんたを置いてどっか行っちゃうよ。
これから一人で生きていきな」
絆は怖くなって、しくしく泣き出した。
「面倒くせえな」と心の中で舌打ちし、朝食の途中で乱暴に着替えさせて、絆を引きずるように部屋を出た。
どうしてこんなに冷たい母親になったのか、そんなことを考えはするが、それは私のせいじゃないと平気でうそぶけるほど、刹那はどこか他人事のように自分の親子を捉えてるようになってしまった。
いろいろなことがあり、私の人生は外堀が埋められていく。
もう、普通の生き方では進んでいけないのかもしれない。
私は、いつもそんなことを望んではいなかった。
観たことはないが、「嫌われ者松子の生涯」って、そんな感じかもしれない。
嫌われてすら、いないけど…
「黒猫」に着くと、車内でバックミラーに自分の顔を映し、睨み付けるように気合いを入れた。
嫌な話をするんだ。しっかりと目を見て、美緒さゆりに伝えなくてはならない。
店に入り「おはようございます」と声をかける。
「刹那さん、おはよう」
美緒はいつものように笑顔だ。
仕事に入る前に片付けてしまおう。
「さゆりさん、私、昨日お母さんに呼ばれたの。
薄々知ってはいたけど、付き合っていた人と結婚するって話で」
「で、それは、刹那さんには嬉しい話なの?」
美緒は「おめでとう」とは言わなかった。
何でもないように確信をついてくるところが、本心なのか天然なのか、相変わらず読み取れない。
「嬉しいかどうかは正直どうでもよくて、ただ、いいよとだけ言いました」
「刹那さんらしいわね」
美緒はそう言ったが、何が「らしい」のかは刹那にはまるでわからなかった。
「母は家を新築するから一緒に住もうと言ってきました。
それが嫌なら、以前勤めていた母の会社に復帰しなさいとも言われました。
私は、どっちも嫌です」
美緒はパンを切る手を止めて、刹那を凝視した。
「じゃあ、刹那さんはどうしたいの?」
「家にも入らない、家業にも戻らないとなれば、今母から受けている経済的援助は断たれます。
私は、生活保護を申請します。
さゆりさん、すいません。今週でお店を辞めさせてもらいます」
美緒は再びパンを切り出した。
刹那は、美緒が視線を落として作業に戻る様に、とてつもない恐ろしさを覚えた。
「働ける、家族が支援できる、そんな状態で生活保護が受けられるのかしら」
美緒は切り終わったパンをトレーに乗せると、起伏のないトーンのまま刹那に言った。
「仕方ないわね。残念だけど、こればかりは私の範疇じゃないから」
「私は以前、ハートスタッフでDV案件のシングルマザーのために生活保護申請に何度も同行しました。
できるかどうかはわかりませんが、犯罪加害者家族になったことで精神疾患となって就業が困難というストーリーを描いています」
「不正受給、私は別に咎めはしないけど、刹那さん、本当にそれでいいの?」
美緒は刹那の目をじっと見つめながら、はっきりと「不正受給」と断じたのだ。
刹那は気持ちが引いた。
もちろん、本当にいい訳がないのだ。そんなことは、望んでなどいないのだ。
「普通に働いていては絆と二人でやっていくことなんてできない…」
実は林公彦が実刑になる前に、口座に入っていたわずかな貯えは公彦の代理人によって凍結され、裁判費用と被害者への弁済に充てられてしまった。
刹那が公彦を許せないのは、自分たちを犯罪加害者家族に貶めただけでなく、自分の家族を蔑ろにしたことも大きな要因でもあったのだ。
「今の私には、お金は全くありません」
「私と一緒ね」
美緒は店を一瞥して苦笑した。
「ここにすべてを投下した。でも、好きでやったことだから問題はないけどね」
そう言ってカップにカモミールティーを淹れると、刹那に出した。
「もしかしたら誰かを紹介できるかもしれない。
それまで、申請は少し待てるかな。
ただし、覚悟は必要よ」
刹那は美緒の言葉にどきっとした。
美緒さゆりは、きっと普通ではない。
覚悟を必要とする仕事と、不正受給。
天秤にかけなくてはいけないほど、退っ引きならない人生なのかと、刹那はなんともいえない気持ちになった。
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~
めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。
源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。
長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。
そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。
明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。
〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。
あなたの片想いを聞いてしまった夜
柴田はつみ
恋愛
「『好きな人がいる』——その一言で、私の世界は音を失った。」
公爵令嬢リリアーヌの初恋は、隣家の若き公爵アレクシスだった。
政務や領地行事で顔を合わせるたび、言葉少なな彼の沈黙さえ、彼女には優しさに聞こえた。——毎日会える。それだけで十分幸せだと信じていた。
しかしある日、回廊の陰で聞いてしまう。
「好きな人がいる。……片想いなんだ」
名前は出ない。だから、リリアーヌの胸は残酷に結論を作る。自分ではないのだ、と。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる