トリプティック

岡田泰紀

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トリプティック 1

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裏表紙に「初版昭和49年」と記された角川文庫のその文庫本は、ルネサンス絵画の名画「シモネッタ・ヴェスプッチ像」の緑色のモノクロ画像を表紙にあしらっている。
当時の侯爵夫人の乳房を露にした横向きの半身像は、胸元のネックレスに蛇がまとわりついていて、観る者の好奇心を一瞬で射抜く印象的な油彩画だが、文庫本の緑色のモノクロでは蛇だけが紅く抜かれている。

装本の狙いは、ゴルゴ13の標的になったかのように見事なものだ。

半世紀近く昔の蔵書は、ページの三方の端が染みのように焼けていた。

「一万一千本の鞭」は、「虐殺された詩人」で有名な、第一次大戦の後にスペイン風邪で倒れたプレ・シュールレアリストとも言える詩人、ギョーム・アポリネールの有名なポルノグラフィティの古典だ。
「若きドン・ジュアンの冒険」と並ぶアポリネールのこの作品を、共に雅な春画ともいえる挿絵と共に、成人誌扱いにせず文庫で出した当時の角川にお世話になった未成年は数知れないだろうと巴は思った。

それはルーマニア、パリ、サンクトペテルブルク、旅順を巡りながら、世界中の人種の女(と男)とあり得ないほど荒唐無稽な交合の果てに、最後凄惨な昇天を遂げる絶倫の王子の物語だ。

忘れ去られた狂気のリベルタン、マルキ・ド・サドの「ソドムの百二十日」を図書館で発見し、世に知らしめたアポリネールのサドへのオマージュであろう。
但し、アポリネールはサドのような無神論的罪悪至上主義の哲学を退け、ひたすら無意味に過剰であっけらかんとした物語にしたのだ。
不埒なユーモアとして。

しかし残念ながら、たかが不倫の体で人生オワタ祭りになってしまう現代社会において、いくら冗談と言えども快楽のために性行為と殺人が当たり前の物語などおおっぴらに語ることなどできない有り様だ。

クソだなと、巴は思った。

お前らのクソみたいな不倫や、動物以下の性行為に「過ち」やら「不実の愛」なんて綺麗事なんか要らねえんだよ。
それに、まあまあエロかったけど、これはおかずにはならない。

私は一体何を言っているのか?
巴はなんだか馬鹿馬鹿しくなった。

男が、貸してくれた。
「巴ちゃんはきっと気に入るよ」
男はそう言って、やっぱりそれは図星で、だからといって素直に喜ぶことではない。

男は撒き餌を使った。
山口椿を、マンディアルグを、岸田理生を、バタイユを、身体でなく頭が官能することを知っているかのように、一枚一枚巴にカードを切ってきた。

世の中には、もしかしたら自分と同じ嗜好の人間がいるのではないか
そう願いながら生きてきた気がするが、多分そうではない。
自分の嗜好を、知らしめる人間がいたのだ。
それと知らない自分の姿を。

そんな輩は、信じてはならない。
巴は唇を噛んで、でもそれは甘噛みで、どこぞのドラマや映画のように血が出てくる訳でもない。

人生は、それほどまでに都合よくいきはしないものだ。
期待を少なく見積って生きるのは、賢くも愚かだ。
期待には落胆が、選択には臆病が、いつもまとわりついている。

巴は、唇に指を這わした。
唾液はグロスのように、無様な光沢を帯びた後、何でもなかったかのように鏡の一部に成り下がった。
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