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ポルノグラフィア 11
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「ポルノグラフィア」 11
「wilde」のカウンターで、日出郎はラフロイグを飲んでいた。
もう数日後には、「茨」は無くなる。
「wilde」も一緒に消える。
日菜子は
「本当はわかってるんでしょ?
自分の居場所だったってことを。
日出郎は、どうするの?」
と言った。
どうするもなにもない気がしたが、日菜子の言ってることも事実で、かと言って、その事実に向き合う覚悟も、井上には持ち合わせがない。
かつて、一人息子の日斗志の親権を巡って永い話し合いをした時、あの時、井上は人生を懸けて日斗志と共に生きたいと思った。
何故、そんな覚悟が据わったのだろう。
何故、現実から逃げずに、諦めることなく臨めたのだろう。
若かったからか?
たった、それだけのことか?
いや、違うんだ。
そんなことじゃないんだ。
妻とは、もう一緒にはいられなかった。
一緒にいるには、愛しすぎていたし、妻はそうではなかった。
日斗志を失いたくなかったのは、両手をもがれることに堪えられなかったからだ。
せめて、片手だけでも、この弱い魂が生き抜くために、何としても残したかったのだ。
親が子をおもう心ではなく、自分で自分を傷つけておいて、その傷を塞ぐ勇気すら無かっただけだ。
きっと…
ラフロイグの、舌を刺す痺れるような酩酊感は、井上の現実逃避に水を差すように、弛んだ頭の中で覚醒を促した。
結局、いつも、どこかで自分の本心に寄り添い抜けないんだ…
今夜は店には秋田しかいない。客も他にいない。
秋田は閉店を、馴染みの客の誰にも話していない。
「どうして?」 と訊ねる井上に
「なんとなくな」としか答えない秋田。
秋田にとっても、井上との関係は「居場所」の命綱みたいなものだったのかもしれない。
誰もいないのをいいことに、井上は「茨」の本棚から、秋田の蔵書を何冊か持ってきて、カウンターに並べた。
金子國義、山本六三、アルフォンス・イノウエ、ハンス・ベルメール、フェリシアン・ロップス…
それを開いて眺めながら、こうも同じ嗜好を持った男がよくいたものだと、井上はあらためて秋田のことを考えた。
秋田は、井上に、自分のことをあまり話さなかった。
何時だったか、「wilde」で飲んでいた時、その夜は秋田の前職の同僚と後輩が店を占めていたのだが、井上は初めて秋田がファイナンシャル・プランナーだったことを知ったのだ。
横に座った、秋田の後輩と名乗る男は、秋田が敏腕のFPだったと証言したが、同時にこうも言った。
「秋田さんは、なんかこう、ちょっとつかみどころがなくて、それが怖く感じることもあるんです。
僕らFPじゃないですか。秋田さんは顧客といる時は、すごく敷居が低いし、やさしいし、話は面白いし…でも、僕らの前では、バカ話も結構するのだけど、全く家庭や家族の影がないし、共感も感じられないんですよね。
時折、家族やパートナーの話題になると、秋田さんは、うまく言えないんだけど、距離があるというか、避けてる訳ではないけど、やろうと思えば取り繕えるのに、それをしない感じがあって
他の人はどう見てたのかわかりませんが、僕は自分の本質とは違う職業で、敢えて結果を出してる凄みみたいなものを感じていました」
店は賑わっていて、後輩の話は秋田の耳には入っていなかっただろう。
井上は、自分の知らない秋田は、やはり自分が思っている秋田のままでいたのだと、その時思った。
家族はいらないと、秋田は言ったことがある。
あの、暖かい感じが苦手だと言った。
あまり自分のことを話さない秋田の、井上が聞いた最も率直な感情だった。
「住みにくい家庭だったの?」
「そんなことはなかったよ。普通だ。その普通が、居心地が悪かったんだ。
説明はできんよ」
説明できたら、こんな店やってないだろうなと考えながら、秋田はどんな顔で同性を抱き、異性に抱かれ、そしてその逆もそうだけど、やっぱりどんな感じか、井上には全く想像もできなかった。
「で、この後どうするの?」
秋田は、店ではなるべく飲まないようにしているのだが、グラスにビールを注ぐと、井上と乾杯した。
「俺の話はいいよ。
日出さんこそ、いつまで日菜ちゃんと一緒にいるわけ?」
井上は、やはり考えないようにしている事を秋田に問われ、どこに行っても何かを訊かれる人生も楽じゃないなと思った。
「wilde」のカウンターで、日出郎はラフロイグを飲んでいた。
もう数日後には、「茨」は無くなる。
「wilde」も一緒に消える。
日菜子は
「本当はわかってるんでしょ?
自分の居場所だったってことを。
日出郎は、どうするの?」
と言った。
どうするもなにもない気がしたが、日菜子の言ってることも事実で、かと言って、その事実に向き合う覚悟も、井上には持ち合わせがない。
かつて、一人息子の日斗志の親権を巡って永い話し合いをした時、あの時、井上は人生を懸けて日斗志と共に生きたいと思った。
何故、そんな覚悟が据わったのだろう。
何故、現実から逃げずに、諦めることなく臨めたのだろう。
若かったからか?
たった、それだけのことか?
いや、違うんだ。
そんなことじゃないんだ。
妻とは、もう一緒にはいられなかった。
一緒にいるには、愛しすぎていたし、妻はそうではなかった。
日斗志を失いたくなかったのは、両手をもがれることに堪えられなかったからだ。
せめて、片手だけでも、この弱い魂が生き抜くために、何としても残したかったのだ。
親が子をおもう心ではなく、自分で自分を傷つけておいて、その傷を塞ぐ勇気すら無かっただけだ。
きっと…
ラフロイグの、舌を刺す痺れるような酩酊感は、井上の現実逃避に水を差すように、弛んだ頭の中で覚醒を促した。
結局、いつも、どこかで自分の本心に寄り添い抜けないんだ…
今夜は店には秋田しかいない。客も他にいない。
秋田は閉店を、馴染みの客の誰にも話していない。
「どうして?」 と訊ねる井上に
「なんとなくな」としか答えない秋田。
秋田にとっても、井上との関係は「居場所」の命綱みたいなものだったのかもしれない。
誰もいないのをいいことに、井上は「茨」の本棚から、秋田の蔵書を何冊か持ってきて、カウンターに並べた。
金子國義、山本六三、アルフォンス・イノウエ、ハンス・ベルメール、フェリシアン・ロップス…
それを開いて眺めながら、こうも同じ嗜好を持った男がよくいたものだと、井上はあらためて秋田のことを考えた。
秋田は、井上に、自分のことをあまり話さなかった。
何時だったか、「wilde」で飲んでいた時、その夜は秋田の前職の同僚と後輩が店を占めていたのだが、井上は初めて秋田がファイナンシャル・プランナーだったことを知ったのだ。
横に座った、秋田の後輩と名乗る男は、秋田が敏腕のFPだったと証言したが、同時にこうも言った。
「秋田さんは、なんかこう、ちょっとつかみどころがなくて、それが怖く感じることもあるんです。
僕らFPじゃないですか。秋田さんは顧客といる時は、すごく敷居が低いし、やさしいし、話は面白いし…でも、僕らの前では、バカ話も結構するのだけど、全く家庭や家族の影がないし、共感も感じられないんですよね。
時折、家族やパートナーの話題になると、秋田さんは、うまく言えないんだけど、距離があるというか、避けてる訳ではないけど、やろうと思えば取り繕えるのに、それをしない感じがあって
他の人はどう見てたのかわかりませんが、僕は自分の本質とは違う職業で、敢えて結果を出してる凄みみたいなものを感じていました」
店は賑わっていて、後輩の話は秋田の耳には入っていなかっただろう。
井上は、自分の知らない秋田は、やはり自分が思っている秋田のままでいたのだと、その時思った。
家族はいらないと、秋田は言ったことがある。
あの、暖かい感じが苦手だと言った。
あまり自分のことを話さない秋田の、井上が聞いた最も率直な感情だった。
「住みにくい家庭だったの?」
「そんなことはなかったよ。普通だ。その普通が、居心地が悪かったんだ。
説明はできんよ」
説明できたら、こんな店やってないだろうなと考えながら、秋田はどんな顔で同性を抱き、異性に抱かれ、そしてその逆もそうだけど、やっぱりどんな感じか、井上には全く想像もできなかった。
「で、この後どうするの?」
秋田は、店ではなるべく飲まないようにしているのだが、グラスにビールを注ぐと、井上と乾杯した。
「俺の話はいいよ。
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