アンチ・リアル

岡田泰紀

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アンチ・リアル 32

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「アンチ・リアル」 32

深田薫は、忽然と姿を消した。

携帯は、どうやら着信拒否になっているようだった。
スタジオに電話してみると、実は20日の締日をもって退社していたことを、日出郎はその時初めて知ることとなった。

薫は、最初から、日出郎の手をすり抜けていくつもりだったのだ。
ならば、最初から、日出郎を拒めばよかったのではないか。

薫は何故に、俺を騙したのか…

日出郎は、どうにも感情の整理がつかなかった。
嫌われたり、相手にされなかったり、もしくは関係を終える別れを告げられたなら、それが辛く苦しいとしても受け入れざるを得ないだろう。
物事には、終わりが必要なのだ。

しかし、二人の繋がりは、終わりもなく中吊りのままに、全てが不確かな向こう側に投げ棄てられた。
薫が何を思い、どう感じてきて、跡を残さず去っていったのか、幾ら頭の中からそんな疑問を追い払い、薫を忘れようとしてみたところで、梯子を外された今の日出郎には不可能でしかなかった。

そんな風に誤魔化せるほど、簡単な思慕ではなかったのだ。
だから、理由が欲しいのだ。
何でもかまわないから、こうなってしまった理由が…

日菜子は、「火遊びは、燃えてしまう前に消した方がいい」と言った。
薫は、「私は、あなたが思っているような人じゃないのよ」と、日出郎に言った。
女たちは、いつもどこか見切っている。
俺には、そんな毅然とした想いも、強く断ち切る覚悟も、ありはしないのに…

起きている間、ほとんど頭の中を薫に支配された状態の日出郎は、それを隠して家族と日常生活を送ることが地獄のような苦しみになっていった。
そして、一匹狼として生きてきた自分が、誰も友人としてこなかったツケを、今更ながらに痛感している。

夜になると、日出郎の八重歯を吸った、あの夜の薫の幻影に気が狂いそうになる。
彼女が「さようなら」と走り去る前に、あの華奢な腕を掴まなくてはいけなかった。
その機会は、二度と訪れることはない。

日出郎は何度となく、日菜子に電話をしようと思い、結局その勇気もなく、ただただ躊躇いを繰り返すだけの意気地無しに成り下がっていた。
一層のこと、夜行バスで東京に行こうかとも思ったが、電話の一つもできない様で、そんなことができるはずもない。

怖いのだ。
日菜子にすがりたい自分が。
全部壊れてしまいそうで、それはあまりにも無様なのだから。
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