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桜、咲き誇る刻 壱

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    唐澤さんと初めて会ってからの数日間というもの、僕は次に会う約束をどうするかについて――、迷ってはいなかった。

    多分、会いには行くだろう。

    何故なら、唐澤さんの言いたいことは分かったから。ただ、それをどう受け止めて、どう咀嚼したらいいのか、その答えはまだ出せていなかった。

    そのおかげで、一日の中でちょっとでも間の空く時間があれば、僕の意識はそちらへ傾いた。

    今の昼休みの時間も、コンビニで買ってきたサンドウイッチとドリップコーヒーの昼食を取りながら、そのことを考えていた。

    考えながら口にサンドウイッチを運ぼうとした時、肩をポンッと叩かれた。振り返ると椎名さんが相変わらずの穏やかな笑顔でランチボックスを携えて立っていた。

    「ここ、空いてる?座ってもいいかな?」

    ここは会社のフロアの一角、社員の為のイートインスペースだし、同じ営業課の椎名さんを断る理由などないので席を勧めた。

    「何か、吉橋君と話すの久しぶりじゃない?営業回りもすれ違いで顔見掛けるくらいだったもんね」

    確かにここ数日、椎名さんとは挨拶するくらいで会話らしい会話はしていなかった。

    「最近はどう?」

    女子力満点のランチボックスを開けて、綺麗に巻かれた、だし巻き玉子をつつきながら訊いてくる。

    「頑張ってはいますよ。まあ、いい感じです」

    仕事では突っ込まれないくらいの結果は出していたのは事実だった。

    しかし、椎名さんの質問はそもそも本題が違っていた。

    「え?えぇっ?彼女出来たの?いつの間にっ?」

    「へ?彼女?え、えぇぇっ?」

    こっちが驚いた。そっちの話しかよ、と突っ込みたくなった。

    「ち、違いますって。ただ、ちょっと変わった人とは……」言い掛けて、慌てて言葉を呑み込む。

    ボイルしたブロッコリーを口に運びかけた椎名さんは手を止めて、顔を上げると僕をジッと見詰めた。

    「変わった人?え?誰、誰?仕事助けてあげたでしよ?教えなさ~い」

    負い目に漬け込まれて、あっという間に詰まれた僕は沈黙。

    「ほら、ほら、早く言いたまえ、吉橋君」

    終いには、年一回しか会わない社長のもの真似までしてくるので、笑いを堪えて僕は白旗を揚げた。

    「いや、落とした手帳を届けてくれた人なんです。会いたいって言うので、お礼も言わなきゃと思ったんで会っただけで」

    「え?そうなんだ。ドラマみたいだね。で、女の子?どんな感じ?」

    ちょっと身を乗り出し気味に訊いてくるので、僕は引き気味で答える。

    「スラリとした、割りと長身で髪型は……えと、肩位までのミディアムボブ?っていうのかな……そんな感じです」    

    見た目を主観を交えずに伝える。間違っても「自傷行為リストカット仲間です」と言えるはずもない。

    椎名さんは僕の話しを聞きながら、本日のランチのメインと思われるミニハンバーグを頬張り、よく咀嚼してゴクリと呑み込む。

    「ふーん、それで電話番号とか、メアド交換したの?」

    「会う前に電話では話したんで、番号はお互いに知ってますけど。……あの、椎名さん、訊いてもいいです?」

    「うん?何?」

    「こういうのって、どう思います?あ、いや、椎名さんだったらどうするかなって」

    「どうねぇ……行かないかな」

    あれ?横を向き、意外なくらい素っ気ない。

    「え、あ、そうですか。でも、僕は椎名さんが色々な人に興味持って関わったらって言うから、会ってみたんですけど」

    横を見ていた顔をこちらに向けて、何故かちょっと驚いたように眼を見開く。

    「え~、私の影響かぁ。覚えてくれてたのは嬉しいけど、参ったなぁ。あははは、そっかぁ」

    何となく、最後の笑う声は乾いているように感じた。

    「それで、付き合うの?」同じ声色で心臓を突いてくる。

    流れで訊かれるんじゃないか、と思ってはいたがやはり突かれた心臓はビクンと反応する。

    「付き合うとかは……そういう感じではない……かな」

    「ふ~ん、いいの?この先、あるかも、ないかも、だよ?」

    椎名さんの言ってる意味が分からない。

    「え?あるかも、ないかもって……どういうこと?と言うか、何があるかも、ないかも、なの?」

    「ふふっ、痒くて甘ったるいの……まあ、ないかもしれないんだから、頑張りたまえ」

    そう言うと、デザートの苺を頬張りランチボックスの蓋を閉じて立ち上がった。

    そして「何かあったら教えてね。健闘を祈ってるよ」そう言って、また肩をポンと叩いて去って行った。
    
    その二日後、四月十一日の日曜日は朝から落ち着かなかった。

    いつもの日曜なら、下手をすると昼の十二時を過ぎてもベッドの住人なのに、今朝は七時前に目が覚めてしまった。

    ここからだと十時に出ても、待ち合わせには十分間に合う。せっかく時間があるので、コーヒーをドリップしてゆっくりと味わうことにした。

    僕は自分の中のもう一人の自分と会話する。何も僕は、そわそわしている訳ではない。何かを期待しているのでもない。それどころか、もしもの事態も想定していた。唐澤さんから言い出したこととは言え、絶対来るとは限らない。そうなったら、そわそわしてた自分が馬鹿みたいに思えるだろう。そこまで考えて、本当のところを言うと、そんな自分に保険を掛けたかったのかもしれないことに気が付いた。
   
    詰まるところ、僕の頭の中は、今日これから起こることで占められている。

    そういう結論に達した。
   
    その証拠に、実は早起きしてから胃に入れたものといったら、コーヒーだけだ。トーストやら何やら、口にする気にならない。

    結局、予定よりかなり早く部屋を出ることにした。ゆっくり歩いて、地下鉄に乗って……そうしてブラブラと何かをしながら向かう方が落ち着く気がしたから。

    待ち合わせのターミナル駅に着き、地下鉄の改札を出るとエスカレーターと階段を使って地上に出た。待ち合わせ場所のステンドグラスは、駅の二階にあるので、また、エスカレーターに乗って二階に上がった。

    そこは、この辺りでは待ち合わせ場所としてよく使われる為、待ち合わせをしている人々で溢れていた。

    『まだ待ち合わせ時間まで二十分ある。流石に来てないかな』そう思いながら、待ち合わせの人の群れの中に唯一人の人を探す。
    
    いた……でも……一瞬、見落とすところだった。

    どうしてかって……この前は、ミディアムだった髪を切って、ショートのマニッシュボブにしていたから。

    僕には気付かずに、ステンドグラスの前に佇んで、見上げている。

    その姿は、まるで教会で祈りを捧げているように見えた。僕は、意外と長い間その光景を見詰めていたのだと思う。

    僕の視線を感じたように、その人はこちらを振り向いた。

    少し驚いたあと、安心したように口許を緩めて照れ笑いを浮かべている。

    僕は、ステンドグラスの前までゆっくり歩いて、正面に立った。

    「来てくれて、私の我儘聞いてくれて、ありがとう」その人はそう言って、大袈裟なくらい深々と頭を下げた。

    「お礼……してないから。って言うか、お礼の要求したの、そっちでしょ?」

    顔を上げ、僕を正面から見詰める唐澤さんを見れず、視線を外してしまう。

    何故なんだろう……。 

    自分に訊いていると、唐澤さんは「クスッ」と笑みを洩らしてから真剣な表情を作る。

    「まずは、人の目を見て話す、いい?」

    「でないと、変われないよ?」

    そう言うと、僕の手を引いて人混みを掻き分けるように改札の方に歩き出した。

    「ちょ、ちょっと待って。何処行くの?切符は?」慌てて唐澤さんの背中に向かって話す。

    唐澤さんは手を引いたまま振り返った。

    「もう買ってるよ。来てくれたおかげで無駄にならなくて良かった」そう言って片手に持った切符を見せながら笑う。

    改札を通ったところで、改めて唐澤さんに訊いてみた。

    「ねえ、何処に行くつもりなの?」

    にっこり笑顔を見せて、僕の目の前に折り込まれたパンフレットを差し出す。

    「じゃんっ!この季節と言ったらやっぱり桜でしょ!今日は県南の桜の名所に行くよ。ほら、今桜祭りやってるの」

    唐澤さんの話す『桜の名所』は、この駅から在来線で三十分ほどのところにあった。僕も写真やニュース映像では見たことがある。

    川の両岸に、千二百本以上の桜の木が植えられている他、すぐ近くの城趾も公園として整備され、ここも沢山の桜の木が植えられている。全国の桜の名所百選にも選ばれている。

     次の電車まで十分くらい待ち時間があるので、ホームへ降りて先刻さっき唐澤さんが差し出したパンフレットを二人で広げて見た。

    ここでやっと、僕は落ち着いて唐澤さんを見ることが出来た。

    最初に僕を驚かせた髪型は、やはりショートのマニッシュボブで、色はこの前会った時より少しす明るい栗毛色チェスナッツ。長身……自分の身長と比べてみると、百六十七、八センチくらいかと思われた。栗毛色チェスナッツの髪はその長身とよく合っていて、ちょっとボーイッシュな雰囲気を醸し出している。

    服は、この前のカットソーにジーンズ、ロングカーディガンという普段着っぽい感じから、淡い藍色のノースリーブのワンピースに足元はすっきりとしたパンプスという出で立ち。肩からは、鮮やかなブルーの革製トートバッグを下げている。

    女性らしい服装とボーイッシュな見た目は、不思議と違和感なく、自然な感じだった。

    ただこの前と同じ点が一つ。左頬のハートのフェイスペインティング、らしきもの。この前とかなりイメージが変わったのに、何でそこは同じなのだろう。
よほど、好きなのか、何かこだわりがあるのか……。

    「行きたかったけど、中々行けなくて……二人で観る桜はさ、これからの始りって感じだけど、一人で観るのは散る桜を連想して淋しすぎて……ん?ちょっと、吉橋さん!聞いてる?」

    唐澤さんを観察してあれこれ考えてたから、うっかり聞いてなかった。

   「あ……うん、そうだよね」

    横を向くと、明らかな疑いの眼差しをこちらに向けている。

    「……せっかく……告ったのに。聞いてないのね……」

    「え?うわぁぁぁっ!ち、ちょっと今何て……?」

    驚きで次の言葉が出ない僕の脇腹を、指先で突つきながら笑みを溢している。

    「あはは、嘘~っ!これからは私の話し聞いててね。まずは、人の目を見る。そして耳を傾ける。いい?」

    「う、うっくぅ……うん」結局それ以上の言葉は出ない。

    唐澤さんに押しまくられていた、ちょうどそのタイミングで電車がホームに入って来て僕を救出してくれた。

    電車の車内は結構な混雑振りで、乗り込むと僕達は車内の奥に居場所を見つけた。吊革に掴まっていると、その様子を唐澤さんは横目でチラリと見た、ような気がした。

    「ふふっ、今日はしっかり吊革に掴まるんだね」

    「うん?どうかした?」何を言ってるのか分からなかった。

    「ううん、別に。な~んでもないの」

    こちらは見ずに、車窓を眺めて呟き返したかと思うと、吊革に掴まっている僕の肘を引っ張ってきた。

    「あっ、あれ、あれ見て」唐澤さんが見詰める先に視線を走らせた僕は、一瞬息を呑んだ。

    線路のすぐ脇に植えられた桜の木々が、車窓の外を流れて行く。

    まるで、桜色のカーテンが揺れているように。

    「わあ……すげぇ」思わず驚きの呟きを洩らした。

    「まだ驚くの早いよ。桜のトンネルもあるらしいよっ」

    「え、何処?何処に?」

    「あ、降りてからだよ。城趾の公園にあるって。ところで、吉橋さんも段々乗ってきたねっ」

    『乗っている……?そうだろうか?そんなに楽しんでいるように見えるのか。僕はそんなに乗り乗りなのか……?』

    自分に対しての客観的な評価を自分の中で反芻していると、目的地の駅に着いた。

    駅を降りて改札の外に出ると、桜祭りの実行委員会の法被を着た人達が案内のチラシを配っていた。その中の一人、好相をした中年のおじさんが近づいて来てチラシを差し出す。

    「桜観に来たのけ?このチラシに道順載ってっから。持ってきな。今日あたりは見頃だぁ。デートには持って来いだぁ」

    おじさんはいい人だ。きっといい人に違いない。しかし、いい人がいつも正しく事実を捉えているとは限らない。

    現に今日ここに来たのは、飽くまでも『要求されたお礼』の為だ。

     ここで一つ失敗をした。僕はおじさんに正しい事実を告げるという、この場でする必要のない行動を取ってしまった。これが今日一日、自分の首を絞めることの始まりとなる。

    「あ、ありがとうございます。デートとかじゃないんですけどね」そう言って差し出されたチラシを受け取った。

    本当に、何気なく言った一言だったのに。

    おじさんから受け取ったチラシを手に、唐澤さんの方を振り返ると、キョトンとした表情で目をしばたかせている。

    『どうしたんだろう?』という疑問と同時に『うん?ひょっとして今の不味かった?』という予感が交錯した。

    『人の目を見て話す。人の話しに耳を傾ける。その次は何が来る?』次に繰り出される言葉を待って、緊張が走る。

    数瞬の間を置いて、唐澤さんの表情は目紛めまぐるしく変わる。

    そう、遊園地のあれ。何だっけ、ああ、メリーゴーランド。あれのようにクルクルと。

    キョトンとした表情から、僅かに眉間に皺を寄せてちょっと考える表情に変わり、着地点としてニッコリと微笑んだ。

   
    

     


  







    





    

    


   








    
    


    
    





    
    


    
    
   
   
    

   

    
        
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