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桜、咲き誇る刻 弐

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    『笑ってる……。何だ大丈夫じゃないか』そう気にすることはなかったと、安堵の溜息を吐きかけた時、唐澤さんが口角を上げて微笑む口許を開いた。

    「まあ、デートじゃないよね。デートって恋人同士でするんだし。私達はそういう関係じゃないもんね。でも、ある意味私達の関係って決まってない、未完成なものなんじゃないかな。そう思わない?」

    「う、うん。そう……そうかもしれないし、そうでないかも……」押しまくられて口籠る。

    「そうでないって?ひどっ!じゃあ、こうしようよ。これからどうなるかはともかく、少なくとも赤の他人じゃないよね?だからぁ、まずは名前で呼ぼうよ。これって良くない?」

    正直それは嫌というより、恥ずかしかった。今まで親しい友人と言える人も回りにいなかったし、それ故呼ばれることに慣れていなかったから。そんな僕にお構い無しに、唐澤さんはまたも押しまくってくる。

    「ほら、呼んでみてよ。真坂。ま・さ・か。ほらぁ」

    「いや、呼ばないよ」間髪入れず即答する。

    唐澤さんは聞いてるのかいないのか、人差し指を眉間に当てる仕草の後、今度は白い歯を見せて、再びニッコリと笑みを浮かべている。

    「ああ、もう分かった。分かった。じゃあ、私が呼ぶのはいいよね。そっちが呼ぶのはいずれその時・・・が来たらってことで。いいかな?りゅ、龍之介……」

    「いきなり噛まないでよ」

    「あはは、ごめん。やっぱファーストコールは緊張するなぁ」

    「ファーストコールって言うんだ」

    「いやぁ、私が勝手にそう呼んでるだけ。あ、時間もったいないから、行こっ」

    駅で人混みを掻き分け、僕の手を引いた時より少しだけ強く握る手が僕を導く。

    駅から城趾公園までは徒歩で二十分ほど。公園の駐車場が近づくと、徐々に花見目当ての観光客が増えてきて、駐車場から山頂へ向かう道は人が鈴なりとなって続いていく。

    山頂に登るには二つの方法がある。徒歩で登るのが一つ、もう一つはスロープカーという乗り物で登るというもの。

    このスロープカーというのが、中々味のある乗り物だった。一両編成で一本のレールの上をゆっくりと登って行く。その両脇には桜の木が植えられ、満開の頃合には車窓からの景色は桜で埋め尽くされる。

     唐澤さんが言った桜のトンネルとはこれのことだった。

    ここを訪れた人の多くはこのスロープカーを利用するらしく、結果として今日の待ち時間は約五十分になるとのことだった。

    五十分あったら余裕で歩いて山頂まで行って、戻って来れることだろう。これからどうするのか予想は付くけど、一応の為確認する。

    「五十分だって。どうするの?乗る?止めとく?」

    「先刻さっきも言ったじゃない。桜のトンネル見たくないの?乗るに決まってるでしょ。りゅ、龍之介」言いながら僕の脇を指先で小突いてくる。

    「また噛み噛みだね」その小突くのは恥ずかしいから止めてほしいと思った。ただでも恥ずかしいのに、今はちょっとした人集りの中なんだから。

    僕は結局、唐澤さんに引きずられてスロープカーに五十分待ちして乗ることになった。それが嫌かと訊かれたら、満更嫌ではなかった。でも、決して乗り気という訳ではない。何しろこれは飽くまで、要求されたお礼なのだから、お礼する相手の意に添うのはむしろ当然だ。
    
    そういう訳で、僕達は麗らかな春の陽射しと柔らかな春風の下、五十分待つことにした。

    思えばわざわざ桜を観に来ること何てなかったし、こうして春のぽかぽか陽気の中、自然に囲まれるようなことはなかった。まして、誰かとそうして一緒の時間を過ごすなど……もし、もう一人の自分が僕を見ていたら『一体どうした?熱でもあるのか?』そんな心配をすることだろう。

    確かに、ある意味熱がある、のかもしれない。ただ、その熱の正体が何かはまだ知らない。

    「どしたの?元気ないね。風邪?熱あるとか」

    言いながら、僕の額に指の長い白肌の手を当てようとする。僕は慌てた。二つの理由で。一つは心の中を覗かれたようだったから。もう一つは唐澤さんの行動に驚いたから。それ故の結果として、僕は唐澤さんが額に当てようとした手を払い退けた。

    「あ……ごめん」唐澤さんの唇が小さく開いて動く。

    そのやり取りとその後の間は、そう長いものではなかったはずだが、僕には酷く長く感じられた。多分、唐澤さんも同じなんだろう。あれだけ僕を押しまくっていた唐澤さんが無口になり、真っ直ぐ前を向いている。僕の視野に入るのは唐澤さんの横顔だけ。

    『唐澤さんの横顔ってこんなんだ……』こんな雰囲気なのにそんなことを思ってしまった。

    そう言えば、僕の目の前にある唐澤さんの左頬のハートのフェイスペインティング……何か意味があるんだろうか。

    その時、唐澤さんがチラッと僅かにこちらに視線を向けた。

    「ごめん、ごめん。名前で呼び合う仲になったばかり・・・・・・・・・・・・・・・だもんね。いや、ボディタッチは早いよね……」

    『呼び合う仲・・・・・じゃないけどな……』そう頭の中では返しながら実際の答えは出来るだけ神経を逆撫でしないように、と意識した。

    「ごめん。ちょっと驚いただけだから。気にしないで。慣れてないんだ」

    「ふーん、慣れてないんだ?人の温もりって心地いいけどな。試してみたら?」

   僕の受け答えに、 先刻さっきまでの一瞬の気不味きまずい雰囲気など無かったように、興味深げな表情で覗き込んでくる。

    「え?な、何言ってるの?触る訳ないでしょ?」慌てて、声、表情、手振り、表現出来る全てを総動員して否定した。

    それにしても、どうしてこの人・・・はこうもクルクルと目粉めまるしく表情やら雰囲気が変わるんだろう……。

    「あのね、私の温もり、じゃないよ」

    含み笑いを交えて指差す先には、スロープカーの順番待ちで僕達の前に並ぶ親子の姿があった。

    若い母親に抱き抱えられた、まだ一、二歳くらいの幼児が何かを握りたげに小さな白い手を伸ばしてくる。

    『え?この子をどうしろと?抱き抱える訳じゃないだろうに』

    どうするのか分からず、その場で固まっている僕を見て、唐澤さんは目配せしながら僕の脇腹を肘で小突く。

    口角を上げ、ニヤッと微笑むと人差し指を幼児の前に伸ばした。すると、その子は唐澤さんの人差し指を握り締めて、生きることのしがらみも心のけがれもまだ知らない無垢な笑みを返してくる。

    唐澤さんは目の前の出来事に、穏やかな笑みを浮かべて見詰める。その子の温もりを噛み締めるように。

    『なんか、柔らかい笑顔……するんだな』これは僕の素直な感想。
    
    温もりを堪能すると「龍之介もしてみなよ」目許で微笑みながら囁く。

「……え?僕?」かなり躊躇した、と言うより許否したかった。だけど、唐澤さんはまたも目粉めまるしく表情を変え、今度はちょっと怒ったように睨みつけてくる。

    どうしようか、と迷ったけどこれまでの僅かばかりの経験から大人しく従うが良しということを学んだ僕は、結果唐澤さんの意に従った。

    唐澤さんに急かされ、前の幼児が伸ばす小さな手に人差し指を近づけると、その様子を楽しげに見詰める視線を感じる。

    「見てて楽しいの?」隣の見物人を見もせずにボソリと呟く。

    「もちろん!めっちゃ楽しいっ。」音符メロディーに彩られて歌ってるみたいだ。

    弾ける見物人を横に、人差し指を小さな手に差し出すと、ギュッとその子なりのありったけの力で握り締めてくる。

    「あっ……」思ったよりしっかり握ってくるんだ。

    「どう?温もりの感想は?」

    僕は指を握られただけなのに、体ごと固まってしまった。

    「ん……。柔らかい……よ。あと、意外と湿ってるんだ……」

    「ふふっ、しっとりしてるでしょ?心も肌も乾き切ってる誰かと違って」

    『心って……。そりゃあ、潤ってはないけどさ……』固まったまま、何か一つ言い返してやろうと思ったが、柔和な優しい声に遮られた。

    「あ、ごめんなさい。触っちゃって。手、汚してませんか?」

    その子を抱き抱えた母親は、背後で起きていることに気付き、抱いた我が子を優しくたしなめた。

    「いーえ、大丈夫ですよ。こちらこそごめんなさい。可愛いですね。何か癒されちゃいました。ねっ?」

    笑顔で同調を求めてくる。それに異論のあるはずもなく、目許、口許で精一杯の笑顔を作り上げて頷く。

    その様子を唐澤さんはニヤニヤしながら、伺っている。

    『まったく……。ニヤついて。まあ、それで満足してくれるならいいけど。でも、何か初めての感覚だったな』

    それが唐澤さんの言う、温もりなのか……。確かに悪くはない気がする。心地いい感触が指先に残っている。

「良かったね。一歩前進って感じ、かな。貴重な経験値をゲットしたねぇ」

    満足気な唐澤さんを見て、いいように遊ばれてる気がしたが、要求されたお礼として喜んでくれてるならそれもいいか。それに……人肌に触れたのなんて、何年振りのことか。

    他人《ひと》の温もりに慣れるのにはまだ時間が要るかもしれない。けど、一つ思い出したことがある。それは人の温もりって、単なる体温の伝達じゃなくて肌から伝わる、自分に向けられた感情なんだということ。    

    それを教えてくれたのが、唐澤さん。僕は本音を言うと、ちょっと悔しい。

    僕の中で眠っていた、遠い昔に置き忘れたそれを呼び覚ましてくれたのが――、僕の目の前で緩みきった表情を浮かべ、ニヤニヤしてる人だなんて……。

    思わず肩を落として「はあ……」と溜息としては大きすぎるくらい、肺の中に溜まった空気を一気に吐き出すようにして息を吐く。

    「どうしたの?何か落ち込むことでもあった?あ、いくら落ち込んでも自傷行為あれしちゃダメだよ」

    そんなことしないし、落ち込んだ訳じゃない。

    ただ君にしてやられたことと、君から教えられたことが意外に深く胸に刺さっているのが悔しくて、それを一人噛み締めてるだけだ。

    「しないよ。返ってそんな風に言われてしたら君の煽りに乗ってるみたいだし。」

    「周りの人が私達の話しの核心を知ったら大変だね。私達、かなりヤバい・・・奴だよねぇ」

    『勝手に僕をヤバい・・・くくりに入れないで欲しい』そう思って今度は先刻さっきより小さく溜息を洩らしたところでスロープカーに乗る順番が来た。

    僕達は車内で前方の窓際という、絶好の位置を占めた。車内から前方を見ると、レールの先には両脇から覆い被さるように桜色のトンネルが続いている。

    ドアが閉まり動きだすと、春の麗らかな午後の陽射しが差し込む中、緩やかな勾配の桜色のトンネルをゆっくりと登って行く。

    車窓のすぐ外、手を伸ばせば届きそうなところまで、満開の花を付けた桜の枝が迫って来た。

    すると、此処彼処から「わあ、綺麗」「うわっ、滅茶苦茶、満開だぞ。すごっ!」そんな桜のトンネルについての驚きの声が上がる。

    僕も周りの桜一杯の景色に目を見張ったが、他の乗客とは違って逆に言葉を失って声は出なかった。

    静かに桜を堪能している僕の傍らの人はどうだろう、と横に視線を巡らせると僅かに口許が開くのが見えた。

    「……綺麗」呟いて、僕と同じように見開いた瞳を向ける。

    「龍之介……。一緒に来てくれてありがとう。思ったより綺麗でびっくりしちゃった……」

    「……うん」これまでのちょっとふざけた物言いとは違う純粋ピュアな一面を見たようで、胸の奥で何かがキュッと鳴った気がした。

    だから、僕はたった一言を返すことしか出来なかった。

    車内の人達を幸せに満たした時間は、あっという間に終わりを告げ、スロープカーは城跡の本丸近くの終着点に着いた。

    そこは小高い山の頂上、スロープカーや徒歩でここまで来た人の群れで溢れていた。

賑わう人々の話し声や笑い声など雑多な音色に囲まれた中、唐澤さんの口が無声映画のように動き、白い指先が一点を指している。


    近づいて口許に耳を寄せると、何てことはない、言っていたのは「お腹空いたから、あれ食べよう」だった。指差す先には土産物屋と茶屋を合わせた小さな店がある。

    唐澤さんに手を曳かれ入ると、春の陽光が閉ざされた店内は意外と涼しかった。

    僕を店内に曳き込んだ本人は、入ると直ぐにガラスのショーケースをジッと凝視している。

    「……よし、決めた」呟くと僕を振り返り「私、これにする。三色団子ね。龍之介は?」

    訊かれたものの、唐突だったので当たり障り無く「同じので。えと、三色団子」そう答えた。

    敢えて三色団子と、その商品名を添えたのは、ただ同調したのではなく自分の意志での選択だと主張したかったから。

    「あ、同じだね。いい選択だねぇ」

    思った以上の好評価を得て、自分の選択の正しさに内心安堵した。

    『良かった。段々取扱いが分かってきた気がする。この調子で今日は乗り切ろう』

    心の中の取説を閉じながら、団子と焙じ茶を受け取り店外のベンチに腰を落ち着けた。

    「ん~っ、美味しい~。満開の桜の下で食べるお団子って最高っ!」

    つい先刻さっき僕の胸をキュッと鳴らした人と同じとは思えない、緩んだ表情で団子を頬張りコメントを述べる。

    いや、先刻さっきも今も唐澤さんの純粋ピュアには変わりはないのかもしれない。

    純粋ピュア……、そう言えば同じ印象を感じた人がもう一人いたな……。

    「うん、美味い。焙じ茶とお団子はやっぱ合うよね」

    頭に浮かんだもう一人のことは胸に閉まって、下手な食レポを口に出したが、上機嫌な唐澤さんは気に止めていない様子だ。
    




    


    



    



    
    


  








    






    
    
    

  




    
  






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