蛟堂/呪症骨董屋 番外

鈴木麻純

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虚妄と幸福

12.憂鬱の飼い主

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 12月24日 PM: 18:00




 悪友と黒衣のESP保有者(?)は、大型の美術資料に食い入っている――彼らをぼんやり眺めながら、九雀は物思いに耽っていた。
(三人、か)
 その数字は、いつも同じだ。しかし、いつものメンツではない。飼い犬のようにぴったりと傍を離れない後輩の代わりに、今はわけの分からない透視術の持ち主が捜査に加わっている。
 つまり、九雀はその事実が気に入らないのだった。
 溜息は、もう何度目になるか分からない。調査に熱中している二人から視線を外し、手元の携帯を見る。ほんの五分前に、律華からの連絡が入っていた。彼女と報復屋は、今は警視庁で吸血鬼相手に聞き込みをしているらしい。
 吸血鬼。なんとも馬鹿げているが、律華の説明によれば〈名のない男〉が言っていた「人間よりも感受力が高い生きもの」が、それらを指しているという話だった。吸血鬼なる生きものたちは独自のコミュニティを持って人間社会に溶け込んでいるというのだから、もう笑うしかない。
(ひっでえクリスマスイブだよな。誰かの夢なんじゃないかって、疑いたくなる)
 とすれば、後輩ではないオカルト青年がチームに加わっているのも悪い夢か。
(真田のやつ、報復屋とうまくやってるかなー……)
 三輪辰史は鷹人と同等か、それ以上に我の強い人間だ。生真面目な律華が、爆発せずにいられるだろうか。
(ああいう手合いってのは、口も回るからな。泣かされてねえか、心配だよな)
 もう十回ほどメールを確認しなおしたが、文面から泣き言は読み取れない。とはいえ、もともと泣きついてくるような女でもないだけに不安は増すばかりだ。

「……い」

(俺がもっとうまくやってりゃな)

「……おい、蔵之介」

(真田の前で気後れしちまうなんてなー)

「おい、蔵之介! なにをぼんやりしているんだ」

 肩を掴まれて、九雀ははっと我に返った。
 ついさっきまで美術資料に目を通していた悪友が、目をつり上げている。

「ああ、悪い。お前らがあまりに熱中してるもんで、気圧されちまった」
「嘘をつけ。君のことだから、どうせ飼い犬のことでも考えていたんだろう?」

 日頃は空気を読まないくせに、こういうときばかり鋭い。
 それを聞いたオカルト青年――総司が、ぴくりと眉を跳ね上げた。

「飼い犬って、真田さんのことですか? よくないですよ。うちの葛城も、ある女性のことをポメラニアン扱いしてますけど……モラル的にどうかと思います」

 ――おいおい、勘弁してくれ。
 大真面目にずれた説教をかましてくる彼に、九雀は顔をしかめる。

「犬扱いしてるのは、石川だけだ。俺は違う」
「飼い主面して、よく言う」
「先輩面と言え――って、んなこた、どうでもいいんだよ」

 いつまでも引っ張るような話でもない。いつもより、やや強引に話題を変える。

「それより、なにか分かったことはあるのか?」
「資料に目もとおしていない君が、なんでそんなに偉そうなんだ」

 鷹人はぐちぐち呟いていたが、美術書の脇にあった紙束に手を伸ばした。

「これを見てくれ」

 悪友の言葉に、九雀も覗き込む。
 報告書のようだ。紙はいくらか黄変しているが、古すぎるというほどでもない。

「過去に発症例がないから手がかりを探すのは難しいかと思っていたが、幸いにもこの腕時計が出品されたオークションに管理協会が関わっていたため、オークション記録として残されていた。2003年……13年前だ」

 そこに記された文字の羅列を指でなぞりながら、鷹人が言った。
 13年前。比較的、最近だ。そういえば時計が発表されたのは1980年といっていたか。

「このときに落札したコレクターをたどって現在の所有者を突き止めることも難しくはないと思う――という話を、総司くんとしていたんだ」

 ――もっとも、君は少しも聞いていなかったようだけれど。
 皮肉で刺されて、九雀はますます顔をしかめる。

「根に持つやつだな」
「君が仕事をしないのが悪いんじゃないか。律華くんの目がないところでも警官らしくふるまってこそ、理想の先輩だと思うのだけれどね」

 九雀は苦い声でぼやいた。

「石川のくせに、正論を吐きやがって」
「出た。八つ当たり。先輩としては上等だが、友人としても警官としても最悪の男だよ、君は」

 悪友は鼻で笑うと、椅子から立ち上がった。

「どこへ行くんだ?」
「管理課だ。資料と記録を照合すれば、時計を落札したコレクターについて、もう少し詳しいことが分かると思う。もしかしたら、連絡を付けてもらえるかもしれない」

 日頃は駄々をこねてばかりの変人だが、こういうときは頼りになる。
 感心して、九雀は呟いた。

「お前、腐っても呪症管理者だったんだなー」
「腐ってもというのは余計だ。君なんて、腐りきった警官のくせに」
「だから腐れ縁なのな、俺たち」
「うまいことを言ったような顔をするんじゃない、気持ち悪い」

 鷹人は素気なく言うと、手の中の資料を振った。

「というわけで、僕は管理課へ行ってくる。君らは先に車へ戻っていてくれ」

 ――というわけで、だって?
 九雀は思わず総司を見た。彼もどこか気まずげに、こちらを見ている。

「……なあ、石川。俺たちも一緒に行こうか?」
「照合を頼むだけだから必要ない。トイレへ行くにも一緒の女子高生ではあるまいし」

 鷹人は肩をすくめると、そうしている時間も惜しいと言わんばかりに歩き出してしまった。九雀は仕方なしに、警視庁のオカルト青年に声を掛けた。

「……仕方ねえ、戻るか」
「あ、はい」

 黒衣の青年は恐縮しきった顔で頷いた。


 ***


「で――結局、透視術クレアヴォイアンスってなんなんだ?」

 狭い車内で二人きりなんて考えただけで息が詰まる。
 車の前で鷹人を待ちながら、九雀はポケットから煙草を取り出した。
 九雀は喫煙者である。
 とはいえ愛煙家というわけでもない。特に、悪友の前では控えるようにしている。副流煙は体に悪いだの臭いだのという小言で気が滅入るのは、目に見えているからだ。後輩の前でも、吸ったことはなかったかもしれない――彼女に副流煙を吸わせるのは、申し訳ない気がしてしまう。
(……警視庁のエリート様が相手だったら気遣わなくていいってのも、おかしな話だよな。我ながら)
 ひとりごちつつ、ちらっと総司を見る。彼はシルバーの車体にもたれかかって袖の中のカードを数えていたが、こちらの視線に気付くと困ったように首を傾げた。

「九雀さん、僕のこと嫌いなんです?」
「どうしてそう思う? それも透視術ってやつか?」
「いえ、露骨じゃないですか。透視術は関係ないです」

 あからさまにしたつもりはなかったのだが、黒衣の青年は唇を尖らせた。
 成人した男が拗ねてみせたって可愛くもなんともねえぞ――
 と、どこか白けた心地で九雀は紫煙を吐き出した。

「別に、嫌いってほどでもねえよ」

 嫌いではない。好きでもない。興味がない。信頼していない。
 それだけだ。

「まあ、いつもと勝手が違ってやりにくいには違いないけどな。あんただって、そうだろ。妙なふうにチームを分けられちまって、サポートしてくれる仲間がいないってんだから。ESPに馴染みのない俺たちじゃあ、あんたの透視術を活かせない」

 透視術。それも胡散臭いのだ。会議室で一度だけ披露してもらったが、まさに占いと同じだ。薄気味悪い、どうとでも取れるようなカードの絵に、それらしい解釈を付けているにすぎない。それで事件の所有者が判明したわけでもなし、結局役に立ったのは、いつもと同じ――呪症管理協会の伝手、だ。ESPもなにもあったものではない。
 愛想もなく告げる九雀に、総司は寝癖だらけの頭を掻いた。

「いえ、うちはいつもこんな感じですよ。個々の能力が特異すぎて、サポートのしようがありませんし。とりあえず個人で手がかりを集めて、大詰めのときにだけ仲間の手を借りる感じですかね」
「へー。優秀な人材が多そうで、羨ましい限りだ」

 やはり気もなく言って、煙草をくゆらせる。
 総司はめげずに続けてきた。

「やりにくいと言うのなら、そちらのやり方を教えてください」

 教えたところで無理だと思うけどな、と九雀は口の中で呟いた。

「一緒に捜査する以上、足並みを合わせる必要があるでしょう?」

 そう、総司は言うが――
 吸いさしの煙草を携帯灰皿に押しつけ、彼を見る。

「……あんた、格闘技は得意か?」
「いえ」
「じゃ、無理だ。うちの真田は筋力トレーニングや格闘訓練を趣味に上げていてな。ついこの間も、警備員に扮した暴漢三人をあっという間に制圧した」
「…………」

 総司は絶句している。
 その反応に少しだけ気を良くして、九雀は唇を微笑ませた。

「真田は努力家なんだ。ポテンシャルも高い。基本的になんだってできるのに、本人は自分の能力を疑ってばかりいる。だから俺があいつを信じて、サポートするのさ。石川に〆てもらうためにも――」
「信頼しているんですね」
「真面目さと誠実さにおいて、真田の右にでるやつはいないからな。少なくとも俺はそう思っているし、多分石川もそうだと思う」

 少し、後輩自慢が過ぎたかもしれない。
 言ってから九雀は恥ずかしくなって、総司から視線を外した。

「別行動の真田さんが気になるのなら、僕が視ましょうか?」
「いや、別にいいって」

 視てもらったところで、信じられるわけでもねえし――とは口には出さず断るのだが、当の総司は車のボンネットにカードを並べ始めている。

「九雀さんは疑っているようですけど、僕の透視術は評判がいいんですよ」
「誰から」
「女性から。宵月満月って聞いたこと、ありませんか?」

 聞いたことはある。口コミで有名な占い師だ。それが、彼だというのだろうか?

「……やっぱり、超能力っていうよりオカルトなんじゃねえかよ」
「まあ、間違ってはいないと思います。オカルトは本来、神秘や超自然的な事象を指しますからね。そもそもESPというのは超感覚的知覚の略称でして。簡単な透視や予知――つまり一般的に占いと呼ばれているものは、感受者にもっとも多く現れる能力でもあります。感受者でない人が占い師を語るケースが多いせいで、胡散臭いイメージが付きまとうようになってしまった――迷惑な話ですよね」

 饒舌に語りながら、カードを三枚。裏返しに並べた。

「真田さんの現在、そして待ち受ける未来と、彼女が必要としているものを……」

 呟きながら、カードをめくる。
 一枚目は、真っ赤な天秤だった。皿の上には、なにも載っていない。どちらにも傾いていない、ただの天秤。そのくせどこか不吉なものを感じさせるのは、絵のタッチが悪趣味だから――いや、本当に、ただ、それだけだろうか?

「空の天秤」

 総司が言った。

「まんまだな」
「ええ、まんま選択の暗示です。皿はどちらも空。実態のないもの、あるいは真田さんに知覚できないもの……けれどどちらも重要で、彼女はどちらを選ぶべきかすごく迷っている。赤は血。身を切られるほどに、血の涙を流すほどに、辛いのかも」
「メールでは、そんな感じはしなかったけどな」
「二枚目は――」

 指摘を無視して、総司の手が次のカードをめくる。

「裂かれた兵士」

 それは兵士というより、銀色の甲冑だった。左右から伸びた手に絡め取られ、文字通り縦に引き裂かれている。悪趣味な絵だな、と九雀は顔をしかめた。

「選択の結果、彼女はどちらも選べない。そう解釈するのが自然ですね。もう少し悲観的に見ると、体を裂かれるような怪我をするか……」
「縁起でもないことを言うなよ」

 九雀の非難に、彼は答えなかった。一種のトランス状態なのかもしれない。眼鏡の奥の目は、カードの絵だけにそそがれている。

「そして三枚目は――」

 最後の一枚。
 描かれているのは、ランプと剣を持った青いフードの老人と幼い少年の姿だ。これだけ、他のカードとは雰囲気が違う。黄色く光るランプに照らされ頬を薔薇色に輝かせた少年が、老人から剣を受け取ろうとしている。
 ヒロイックサーガのはじまりを思わせる絵だった。

「隠者と少年。隠者とはつまり、導く者の意です。導き手が少年に与えるのは、助言と剣。見ようによっては、サポートと現状を断ち切るための一手――つまり……」

 そこまで言われれば、九雀にも分かる。

「俺と石川だ」
「でしょうね」

 総司が頷いた。九雀は難しい顔で唸った。

「……やっぱり、俺にはこじつけのようにしか思えねえな。俺は感受者じゃないが、あいつが一人で困っているだろうってことは簡単に想像できるし、だから今もこうして心配してるんじゃねえか」
「けれど、想像に難くない当たり前の困難が、ときに致命傷として降りかかることもありうるんですよ」

 それはぞっとするような響きを持って、九雀の背筋を粟立たせた。
 彼の無責任な透視を信じるわけではないが、言葉の不吉さに、手は携帯の入ったポケットへと伸びていた。今すぐにでも後輩に連絡したい衝動に駆られながら、九雀は黒衣の青年を睨んだ。

「どういう意味だ」
「意味、意味ですか……」

 まるで別の生きものが、総司の口を借りているようだ。ぼんやりしたままの青年が、再びなにかを告げようと口を開く――が。

「待たせたな! 蔵之介、総司くん。二年前まで所有していた人物の話が聞けたぞ」

 張り詰めた空気を破ったのは、悪友の呑気な声だった。




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