蛟堂/呪症骨董屋 番外

鈴木麻純

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虚妄と幸福

13.葛城の血

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 12月24日 PM: 19:00



 ああ、退屈だ。葛城蓮也は目薬を差して何度か瞬きをすると、珍しく溜息を吐き出した。警視庁に集められた異能者や人外の者の胸の内をいくつ暴いただろうか。スーツのポケットから小さな鏡を取り出して見ると、目は赤く充血している。日頃は酷使するような力でないだけに、蓮也自身、能力の限界が分からない。

 蓮也は同僚の月代総司が名付けたところの「邪視サイコ・アイ」の保有者である。総司たちのような感受領域の発達異常者とは逆に、視覚を通じて相手へ影響を及ぼす能力に長けているのだ。
 非言語による伝達。非言語コミュニケーションの延長。
 意思の伝達に言語を必要とせず、野生動物のように視線によって相手の脳に直接意思を叩き込む。だからこそ相手の心理に作用する力も大きく、遣い方によっては他人の支配さえ可能にする。
 恐ろしい力だと誰もが言う。
 そのたびに愚かしいと思う蓮也である。支配。まさしく愚か者の発想だ。支配の先になにがあるというのか。視線で他人を黙らせ、かしづかせ、それで終わりか?
 それでは、猿山のボスと同じだ。そう、ただ同族を支配するだけなら猿にだってできる。そこから独自に発展させてこそ、人に生まれた意味がある。
 支配者としての素質を持ちつつも、蓮也は研究者であることを選んだ。
 彼がライフワークにしている研究の一つが、精神鑑定結果の収拾と対象の監視である。精神鑑定結果と実際の人格にどれだけの乖離が存在するか調べ、その共通点を探り出す――そうすることによって、より正確な鑑定法を確立しようというのである。
 それは言語が精神に及ぼす影響力を、正しく推し量るためだった。
 隙のない精神鑑定法の確立がライフワークであるというのなら、言語による邪視の再現は蓮也の野望である。視線が持つ伝達力を知っているからこそ、蓮也は言葉の持つ可能性に惹かれる。可能性。誰もが到達していない未知の領域を進み続けることこそ、なににも勝る喜びだ。未開の地を征服していくような高揚感に包まれる。
 それは葛城家の血なのかもしれない。
 蓮也の祖父は、かつてこの国の首相だった。父も政治家として、着実に祖父と同じ道を歩みつつある。兄も同じく政治の道を志し、大叔父は警察庁の次長を務めた。やや出来が悪いといわれる従姉の都も、蓮也に先んじて警官となった。
 他の親戚たちも、彼らほどと言わないまでも似たような経歴の持ち主だ。一人ぐらいは金を食いつぶすだけの怠惰で無能な人間がいてもよさそうなものを、そうなれないのが世間からエリート一族と呼ばれる葛城の人々なのだった。

 それにしても退屈だ――
 蓮也は異能者たちを視ることに、すっかり飽きてしまっていた。名前がないなどと白々しい嘘を吐く〈予報屋〉――予測対策室の室長から、現状を正しく把握するために彼らが失った記憶を暴くよう命じられたものの、ちっとも成果はない。
 十人、二十人、三十人、もっと多かったかもしれない。やや広めの会議室を占領して、集められた異能者たちを片っ端から邪視にかけた。質問は、たった一つだ。
 すなわち「人生のうちでもっとも悲しかった記憶を語れ」
 目が充血するほど彼らの心のうちを探ってみて分かったことは、失った記憶が封じ込められているわけではないという事実のみだった。
 悲しみが消えたと言ったのは、立仙日影だったか。
 正確に言うのなら、悲劇的記憶に紐付けられた感情がすっぽりと消えている。これは、はっきり言って厄介だった。封じ込められているなら暴きようもあるが、本人が自覚もなく失ったものは蓮也の能力では再構築することができない。
 いつものように歯軋りをして笑う気にもなれず、蓮也はぼやいた。

「何人暴いたって同じだ。肝心の原因にたどり着けねー。そういう呪症だ」
「立仙の方はどうかな?」

 〈予報屋〉が、ふむと唸って立仙日影を振り返った。
 いつもは無表情がちの立仙も、どこか疲れた顔をしている。

「……ずっと読んでる……でも……リーディングが安定しない……」
「というと?」
「……特定古物の所有者にアクセスしようとはしているんだけど……被害者たちから消えた感情がノイズになる……いろんな記憶が入り交じって……どれが決め手になるのか分からない……」

 そう嘆息し、〈予報屋〉の手にスケッチブックを押しつけた。
 〈予報屋〉がページをめくり、珍しく驚愕の声を上げる。

「お前、一冊使い切ったのか」
「……それでも……足りなかったくらい」

 彼らの会話に、蓮也も椅子から立ち上がった。〈予報屋〉の肩越しに、スケッチブックを覗き込む。そこにはとりとめもなく、様々な絵が描かれていた。大破した車。炎上した家屋。老人。女。男。子供。赤ん坊。犬。猫。鳥。指輪。玩具――それに加えて女性のような柔らかな字で、日付や時間、病名、死因、原因にまつわるのであろう様々な単語が並んでいる。
 それこそ蓮也が掴めなかった、人々の悲しみの記憶だ。どれも写真のように緻密なのが、立仙のリーディングの特徴だった。悪趣味にデフォルメされた総司のカード――彼は〈世界の縮図〉と呼んでいたか――とは、対照的だ。

「こりゃひでーな。被害者たちの前に持っていって『どーぞ、自分の記憶をご自由にお取りください』って、言いたいところだ」
「それができたら苦労しないんだけどな」

 〈予報屋〉も肩を落としている。
 そんな彼に、蓮也は訊ねた。

「そーゆーあんたの透視サイコメトリーは使えねえのかよ」

 未来予知を可能とする〈予報屋〉だが、三十という若さで予測対策室の室長を務めるだけあって、能力は多岐に渡る。物に宿った過去を視る透視術も、その一つだ。

「透視をするにも、媒介がないからなあ。わたしの能力で生きものを視ることができないのは、お前も知っているだろう?」

 静物と違い、生きものは情報の塊である。息を吸う一秒ごとに、記録が増えていく。〈予報屋〉の――いや、人間の脳では、その情報量を処理することは不可能だ。

「じゃあ、予報はどうだ? 所有者の居場所とか、もっと直接的に、所有者の顔と名前とか……」
「わたしをいじめて楽しいかい、蓮也。わたしたちの予知能力が、そんなに気の利いたものでないことは知っているくせに」
「なんつうか、痒いところに手が届かない能力だよなー……」
「というか、状況がうちに不利すぎるんだな」

 〈予報屋〉が額に手を当てて、嘆いた。

「そもそもうちが得意としているのは、未来に起こりうる事件をランダムで受信し予測を深め、発生前に防ぐことだからさ。すでに起こってしまった事件で、なおかつ物質的手がかりがなく、しかも感受領域に引っかかってしまうノイズが膨大に発生しているだなんて、嫌がらせとしか思えない」

 いつでも飄々とした〈予報屋〉が、そんなふうに弱気になってみせるのは珍しい。
 蓮也はひとつ気付いて、下唇をぺろりと舌で舐めた。

「解析班と捜索班に分かれるなんて、それらしいこと言って戻ってきたけどよ。ぶっちゃけこの状況で使い物になるのが眼鏡オタクくらいしかいねーから、あいつだけ現場に残したんだろ。見栄っ張り」

 総司の〈世界の縮図〉は、彼の主観と直感に頼るところの大きい能力である。そのせいで情報の精確さや具体性を欠くが、だからこそ外部からの影響や同じESP保有者からの捜査妨害を受けにくいという性質を持っている。
 蓮也の指摘に、〈予報屋〉は苦い笑みを浮かべた。

「蓮也。お前って本当に、察しがよくて可愛げがないやつだよ」
「褒め言葉か?」
「そうだな。まあ、お前のそういうところは嫌いじゃない」
「うげー。やめろよ、気持ちわりい」

 そんな軽口をたたき合っていると、立仙が会話に割って入ってきた。

「……どうでもいいけど……なにかひとつくらい、成果を出さないと、まずいと思う……現場の方は、捜査が進んでるみたいだし……」

 そう言いながらも彼自身は、椅子の上でぐったりと四肢を投げ出している――スケッチブック一冊分もリーディングをすれば、疲労するのは当然か。

「そうだなあ。月代によると、彼らのチームは二年前まで〈夜空への誓い〉を所有していた人物と連絡が付いたそうだ。コレクターの甥で、形見分けに譲り受けたらしい。しかし二年前、入れあげていた年下の愛人にプレゼントしてしまったのだとか」
「あー、よくある話だよな。大叔母さんの従兄もホステスにハマって、じいさんから受け継いだ絵画コレクションの一部を店に寄贈しちまったんだわ。相手は高級志向のくせに美術品の価値がいまいち分からないやつだったらしくて、別の男を通じて胡散臭い美術商に二束三文で買い叩かれたって大修羅場」
「解説ありがとう、蓮也」

 〈予報屋〉が肩を竦め、先を続ける。

「まあ、確かに似たような話だよ。実際、こちらも時計の美術的価値になんて興味はなかったんだろうね。さっさと売ってしまったらしい。それも専門家を通したわけではなく、質屋に」
「そっから行方不明ってわけか」
「で――さっき、真田さんと三輪くんが警視庁へ来ていただろう?」
「真田……」

 蓮也はいかにも融通の利かなそうな、警察犬めいた女の顔を思い浮かべた。報復屋の方が来ていたことは――こちらに進捗を聞きにきていたため――知っている。

「八津子ちゃんか。来てただなんて、知らなかったぞ」
「言っていなかったかな」
「だって、うちに顔出してねーだろ。あいつ。なにやってたんだ?」
「吸血鬼への聞き込みだ」

 というと、ドゥクレ社の男か。
 あの得体の知れない男と二人きりで会っていたとは、また剛胆な話だ。呆れ半分、感心半分で唸る蓮也に、〈予報屋〉も大きく頷いた。

「そこが非異能者の怖いところだよ。まあ、おかげで有意義な情報は得られた」
「有意義な情報?」
「今回の事件、吸血鬼たちは自分の悲しみが失われたことを自覚しているだろう。そこを利用したんだな。VP-netに所属する吸血鬼の被害状況から、所有者の所在を絞り込もうというわけだ。この試みは成功した。つまり、都内でも中野区のあたりを中心に、ほぼ円状に被害が広がっていることを確認できたわけだ。中心から離れるほど、被害報告は少なくなっている」
「へー、それって結構でかい手がかりじゃねーか。やるな、八津子ちゃん」
「そうだな。範囲が絞れたということで、今度は三輪くんが式神の探索範囲を変更したそうだ。で、今は結果待ち。月代からは、一応質屋に聞き込みへ向かうという連絡があった――」

 と、そこで彼の携帯が鳴った。

「噂をすれば、月代からだ」

 総司からの続報らしい。メールではなく、短いインスタントメッセージだった。

「オタクちゃん、なんだって?」
「被害区域内にある葬儀関連の施設と企業をリストアップしてほしい……所有者についてのリーディング結果が出たのかもしれないな」
「葬儀関連の施設だァ?」

 また突拍子もない。
 訝る蓮也の向こう側から、立仙の平坦な声が告げてくる。

「……お寺……葬儀会社……斎場……教会……火葬場……墓石店……仏具店……墓地……あとは……遺品整理屋なんかも、そうかな……」
「遺品整理屋って、なんだよ」
「……故人の部屋を片付けたり……遺品の売却を仲介する業者……」
「ふーん。めんどくさそーな仕事だな」
「……誰もが面倒くさがるから、需要があるんでしょ」

 答えるのも面倒になったのか、立仙の返事は投げやりだ。蓮也はふうんと頷いた。

「まあ、おかげでこっちの方針も決まりそうだ」

 〈予報屋〉が、ひとつ手を叩いた。

「立仙はリストアップを頼む。その調子では、しばらく動けないだろうし――」
「……ん」
「わたしと蓮也は捜索班に加わろう。ここまで具体的になってくれば、わたしや蓮也の能力も活かしようがある。そうでなくても月代たちだけでは回りきれない」

 俄然やる気になってきたらしい〈予報屋〉に、蓮也ががっくり肩を落とした。

「電波先輩のことは気遣うくせに、俺のことはまだこき使う気かよ……」
「お前はうちで一番若いんだから、泣き言を言わずに働きなさい」
「俺、あんたみてーな三十路にはなりたくねー」
「はいはい。途中でホットアイマスクを買ってあげような」
「カモミールのやつがいい」

 言い合い、〈予報屋〉とともに会議室を出ようとしたところで――
 蓮也はふと気付いた。

「そういや、電波先輩」
「……なに?」

 立仙はテーブルの上のノートパソコンに手を伸ばしながら、こちらに生気のない目を向けた。精彩を欠いたその表情は、いつもと変わらないように見える。

「あんたは、影響を受けていないのか?」
「……なにが?」
「一年前の、マグ先輩のこと」

 蓮也が配属される前、警視庁には天満あたりという男がいた。伝導体質を持つ、ESP保有者だ。彼は立仙の友人だったが、予測対策室の設置に反対し、傷害事件を起こした。立仙の右目を跨ぐようにして額から頬にかけて走る傷跡は、事件の名残である。

「……なんのこと?」

 立仙は、きょとんと瞬きをしている。〈予報屋〉が、蓮也の背中を押した。

「なんでもないよ、立仙。行くぞ、蓮也」
「おい、〈予報屋〉! ちょっと待てよ。電波先輩、あきらかに――」

 背後を気にする蓮也を〈予報屋〉は廊下に押しだし、唇に人差し指を当てる。
 しーっと声を潜めるよう促し、

「分かっているよ。立仙も、そして恐らくはわたし自身も呪症の影響を受けている」

 彼の言葉に、蓮也は驚いた。

「あんたは、認識してんのか?」
「していない。だが、察してはいる。わたしには『誰にも名前を呼ばせていない』という事実があるから。今回の呪症事件と照らし合わせてぴんとこなければ、危うく自分がなにかを忘れていることに気付かず、名乗ってしまうところだった――」

 勘の鋭い男である。彼は蓮也の唇に指を当てたまま、続けた。

「これは推測だが、捜査チームの中には他にも呪症の影響を受けた者がいる。いや、今回の事件の性質を思えば、影響を受けていない者の方が少ないのだと思う。たとえば、蓮也。お前とか――」
「まあ、そうだな。葛城の一族は、基本的に感傷とは無縁だ」

 頷きながら、蓮也は――でも、と首を傾げた。

「なんで電波先輩に言うのを止めた? 自覚させといた方がよくねーか」
「そりゃお前、気付いていないなら、その方がややこしいことにならないからだよ」
「意味分かんねー」

 さっぱり分からず、ますます眉をひそめる。
 蓮也を見つめて、〈予報屋〉は困ったように笑った。

「葛城一族のお前には分からないだろうけれど、今の状態というのはおそろしく精神衛生にいいんだ。わたしにとっても。所有者が見つからなければ、それはそれで構わないと思いたくなってしまうほどに」
「…………」
「立仙に限らず、このことは秘めておいた方がいい。気付いた瞬間に、味方が敵になるということも――まあ、ありえないことじゃない」

 予言にも似た囁きを残して、〈予報屋〉は一歩後ろへ下がった。唇に触れていた彼の指も、同時に離れていく。

「さ、そろそろ本当に行くぞ。扱いにくい天才異能者、事件慣れした呪症管理者、食えない飼い主、勇敢で無謀な猟犬――と、向こうもそろい踏みだ。次に誰が、自分の異変に気付くとも知れない。その前に事件を解決してしまおう」

 にっこりと微笑む。その目はけっして穏やかではなく、むしろ冷静で計算高いのだ。いつも愚痴っぽい彼が油断のならない本性を覗かせる、その瞬間が蓮也は好きである。
 ――〈予報屋〉は、紛れもないキレ者だ。
 それでこそ、葛城の者が下に就くに値する。
 蓮也は歯軋りをして笑った。

「キシシ。ようやく面白くなってきそうだな」




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