蛟堂/呪症骨董屋 番外

鈴木麻純

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我が愛しの猟犬

5.

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 信頼の距離感とは、こういうものなのだろうか?
 艶めいた関係を予感させるやり取りはないものの、友情と呼ぶには酷く密だ。親密すぎる。
 九雀自身、距離を詰めすぎている自覚はある。だが、律華の方はもっと無造作だ。礼節を弁えた距離を保っているような顔をして、何気ない会話で不意に間合いに飛び込んでくる。
 あるいは男女の関係といえば不健全で不誠実なものしか経験してこなかったからこそ、こんなにも戸惑うのかもしれない。ぼんやりと考えながら、九雀も残りのリゾットをスプーンでひとすくいして口の中へ放り込んだ。
 味は、よく分からなかった。
 後輩と一緒だから美味しい――なんて言えるほど無邪気ではないが、かといって露骨に顔をしかめてしまうほど無神経にはなれない。
(ま、それが俺か)
 密かに頷き、九雀は水の入ったグラスに手を伸ばした。

 ****

 皇明館大学は、政府が認可する日本屈指の異能大学である。皇明館大学に設けられた教育神学部には、異能者社会でも名を知られた一族の子息令嬢が在籍している。
 たとえば貪欲と呼ばれる三輪一族。比肩する者のいない異能者として知られた三輪尊の末孫、三輪辰史も皇明館大学特殊神学科の卒業生である。同じく三輪一族から、丹塗矢丑雄。碩学で知られる三条院家の双子も、同じく。更には緒田原、朱鷺、十河――日本有数の異能者一族でありながら皇明館大学の出身者を持たないのは、外部との積極的な交流をよしとしない高天くらいのものか。厳密には高天家の末席として加わる天月の娘が在籍していた過去もあるが、彼女は高天の家系図から名を消されている。
 古い歴史を持つわりに、施設は真新しい――誰がいつ足を運んでも、そう感じる――というのは、やはり途方もない資産を持つ異能者一族からの寄付によって、常に運営資金が潤沢なためだろう。
 異能者、非異能者、〈半端な能力者〉と呼ばれる狭間の者――あらゆる学生を内包する広大なキャンパスの中に、ひときわ背の高い建物があった。
 その一室。いわゆる来賓室に、九雀と律華は通されていた。
 中にはすでに、人の姿がある。正面に座る初老の男は、九雀も知っていた。彼こそが皇明館大学の現学長、緒田原修兵。紳士然とした、見るからに穏やかそうな人物だ。
 その向かい、三人掛けのソファに二人で腰掛けているのは彼よりもっと若い男女だった。とはいえ、男の方は九雀よりいくらか年嵩のようではあるか。
 まず口を開いたのは、緒田原だった。

「白鳥から話は聞いていますよ。八津坂署の真田律華さんと――」

 視線が自分の上で止まったことに気付いて、九雀は軽く会釈をしてみせた。

「九雀蔵之介です」
「自分の先輩にあたります。非番でしたが、同行を頼みました。八津坂署への勤務歴、異能事件への対応歴ともに自分より長く、今回の事件に適任かと思われますので」

 すかさず律華が補足する。
 いつの間にか適任にされてしまって、九雀としては苦笑するしかない。
 緒田原はなるほどと頷いて、今度は例の男女に視線を向けた。

「こちらが丹塗矢家の当主、丹塗矢丑雄くんです。隣は伴侶の伊織さん」
「伴侶?」

 資料に妻帯者であるとは書かれていたが、同行しているとは知らなかった。

「奥様も、捜索に加わるおつもりですか?」
「そのつもりですが、問題でも?」

 と訊き返してきたのは、夫の方だ。

「着物を着ていらっしゃいますし、こちらに残られては?」
「ご心配には及びませんよ」

 彼は律華と同種の生真面目さを漂わせた顔で、きっちりかぶりを振ってみせた。

「妻の実家は、羽黒の一族ですから」
「はあ」

 だからなんだ、という話である。
 説明の短い夫に変わって、妻が答えた。

「羽黒は修験道に通じる山の民を祖とする一族です。わたしに異能の才はありませんが、一族の娘として最低限の武芸は仕込まれました。それに――今回逃げてしまったのは、恥ずかしながらわたしの実家で生まれた犬でして……」
「奥様のご実家で?」
「緒田原家のように動物に異能を仕込むことはしませんが、羽黒も生活の供として犬を育てているのです。山には獣がおりますから」

 彼女の言葉に、緒田原も頷く。

「羽黒の家で生まれた犬は、健康かつ身体能力の高い個体が多いものでしてね」

 そんな話を聞きながら、九雀は内心呆れてしまった。
(訓練士にブリーダー、か。異能者一族様ってのは、まったく多才なことで)
 なんとなく気に入らない。だが、悪友風に言うなら――それでも、仕事は仕事だ。
 愛想笑いでやり過ごし、そういうことならと頷いておく。

「では、お言葉に甘えさせていただきます。協力、よろしくお願いいたします」

 律華が敬礼する。丹塗矢丑雄は大仰だと苦笑いするでもなく、真顔で顎を引いて頷いた。見た目どおり、こちらも後輩とよく似たタイプらしい。そんな夫の堅苦しさには慣れているのか、伊緒里も平然として苦笑すら浮かべない。
 ――これは、やりにくそうだ。

「ま、挨拶はこのくらいで。そろそろ捜索に行きましょう」

 皺が寄ってしまいそうになる眉間を指で揉みながら、三人に促す。彼らはそれぞれ――やはり真面目な顔で頷いた。



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