蛟堂/呪症骨董屋 番外

鈴木麻純

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我が愛しの猟犬

6.

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「多聞丸は、他の犬よりも正義感が強いんです」

 アナライザーを起動しながら、伊緒里が言った。

「正義感が強い?」

 訊き返したのは、律華である。

「思念をトラブルの元凶と想定した訓練を受けておりますので、あの子にとっては特定古物と呼ばれるものや思念を宿したものは〈悪〉なのです」
「それは……」

 複雑そうな顔で、律華が曖昧に言葉を濁した。彼女自身、正義感の強さから呪症を悪と判じて鷹人と揉めたことがある。他人事とは思えなかったのだろう。

「ってことは、多聞丸は思念の解消を目的に行動するわけか」

 後輩の声にかぶせるようにして呟く九雀に、伊緒里も頷いた。

「はい、おそらくは」

 となると、悠長にはしていられない。
 八津坂市内には、多くの特定古物を保管する呪症管理協会の東京支部がある。セキュリティシステムは導入しているだろうが、警告はしておくべきだ。

「お二人は後部座席へ。うちの真田が運転しますので、アナライザーを貸してやってください。俺は隣で、各機関へ警告文を送ります。他に留意点は?」

 後部座席のドアを開け、伊緒里の腰のあたりに触れる。
 他意はない。女をエスコートするときの癖で、つい触れてしまっただけなのだが――彼女が驚いて振り返ってくるより早く、丑雄が腕を割り込ませてきた。いくらか遠慮がちにしつつ、けれど明らかに不機嫌な目で睨んでくる。

「お気遣いいただかなくて結構です。妻のことは、俺が見ますので」
「ああ、すみません」

 さすがに既婚者にまで手を出すような趣味はないので、九雀もすぐに謝って手を離した。肩を竦めながら、律華の隣に乗り込む。
 律華は伊緒里からアナライザーを受け取ると、ダッシュボードの上に固定した。犬の位置を示す赤い点が、八津坂市の地図上にぱっと表示される。

「位置は近いですね。ここから二駅分ほどの距離です。道路が狭そうなのでどこまで車で乗り入れられるか分かりませんが、ひとまず向かいます」

 そう言って、律華が車を発進させた。

「ああ、頼む」

 頷き、九雀も呪症管理協会への警告メールを送る。協会からの返信は早く、八津坂市在住の骨董商や美術商、蒐集家たちにも注意を促しておくとのことだった。
 それから十五分――

「ここは……」

 困惑した顔で口を開いたのは、後部座席の丑雄だ。商店街の外れから一方通行の狭い路地に乗り込んだあたりで、バックミラーに映る彼が落ち着かない様子であたりを見回しはじめたなとは思っていたが――

「心当たりがあるんですか、丹塗矢氏には」

 対象との位置が近付いてきたためか、慎重に車を進ませながら律華が訊ねる。

「ええ……このあたりには、従弟の店が」
「従弟、というと」
「三輪辰史です」

 苦虫を百匹くらい噛みつぶしたような顔で、丑雄が答える――と、そのときである。前方から、ガラスの破裂するような音が聞こえてきたのは。

「多聞丸か!」

 律華が叫び、車を止める。真っ先に飛び出していったのは、丑雄だった。従兄の店が気になったのか、あるいは犬の方が気がかりだったのか。九雀もひとまず、彼を追った。さらに後から、律華が伊緒里を気遣いながら続いてくる。
 それは日本造りの小さな店だった。入り口の真上に掛けられた立派すぎるほど立派な看板に〈蛟堂〉と屋号が書き付けられている。粉々に割れた引き戸の向こうから、人影が猛然と飛び出してきた。

「ふっざけんな! この馬鹿犬が!」

 鰐や毒蛇を思わせる瞳と滲み出る傲慢さが、整った顔立ちを台無しにしている――そんな男だ。九雀は、彼のことを知っていた。

「三輪辰史……」
「さん、を付けろよ! 不良警官!」

 聞こえていたらしい。彼はこちらに気付くと、ますます険悪に唸った。

「しかも、丑雄のやつまで連れてきやがって。なんの用だ? こっちゃ忙しいんだ」

 という彼の指差す先で、一匹のドーベルマンが体を起こしている。

「辰史! お前、多聞丸を傷付けたのか?」

 丑雄が慌てて、辰史と犬の間へ割り込んでいく。

「ああ? 多聞丸? なんだそりゃ」
「犬の名前だ」
「てめえの犬か! その犬、いきなり人の店に飛び込んできたかと思ったら、店の中のものを片っ端から咥えてぶん回しやがったぞ。どんな躾してんだ!」

 顔を真っ赤にして激怒する従弟に、丑雄が生真面目な顔で訂正する。

「そういう躾をしたのは、俺ではない。正確に言えば羽黒の家で生まれ、緒田原家で訓練を受けていた犬だ。正義感が強く、悪を滅ぼすのが己の使命と信じている」
「誰が悪だ! 誰が! くっそ、上海から帰ってきて一息つく暇もなくこれかよ。俺がなにしたってんだ。ふざけやがって……! 全員まとめてはっ倒すぞ」
「だから、犬を傷付けられるのは困ると言っているだろう」
「てめえの事情なんざ、知るか!」

 ――従兄弟仲は、あまりよくないらしい。
 辰史は聞く耳を持たず、右腕を振った。呪符を空中に放り投げ、慣れた動作で印を結ぶ。それは瞬きをするうちに、三つ目のハリネズミへと姿を変えた。更に彼が指を鳴らすと、ヤマアラシ大にまで膨れ上がる。

「天穿、行け!」

 だが、丑雄の方もなにもせずに突っ立っていたわけではなかった。
 天穿と呼ばれた生きものが現れたときにはもう、彼も懐から呪符を出して印を結んでいる。鋭い声で――火雷――と、その名を呼んだ。
 宙に現れたのは、燃え盛る翼を持つ鷲だ。
 二匹が互いへ突進し、衝突する。

「おいおい、なんか始まっちまったぞ……」

 突如始まった異能者同士の喧嘩に、九雀は頭を抱えた。
 隣から、伊緒里のすまなそうな声が聞こえてくる。

「すみません。主人は従弟殿のことになると我を忘れてしまうもので」
「まあ、お互いさまって感じですが。三輪氏の様子からすると」
「などと、悠長に話している場合ではないかと思います。多聞丸を捕獲しなければ」

 後輩の指摘で視線を投じて、九雀もはっと気付いた。犬は式神同士の争いに動揺している。捕獲するなら、確かに今だ。

「先輩は、伊緒里さんのフォローをお願いします」

 他人事のせいか後輩も妙に冷静だな――と思いきや、そんなことはまったくなく。言うが早いか、車内から犬用の保護棒を引っ張り出し、争いの渦中へ飛び込んでいく。

「あー、おい! 真田、待て! 待てだ!」

 捕まえなければいけない犬が、一匹から二匹に増えてしまった。そんな心地で、九雀は律華の背中に腕を伸ばした。指先は、もう少しのところで後輩の腕を掴めない。

「率先して動きゃいいってもんじゃねえぞー……」

 確かに肝心の異能者が役に立たないこの状況では、残った自分たちが動くほかない。異能者ではない伊緒里のフォローを考えると、後輩の判断は至極合理的ではあったのだが――
 過保護な自分を自覚しつつ、毒づかずにはいられない九雀である。
 こちらの心配を余所に、律華は軽やかに二人の間を駆け抜けた。足下を転がっていく天穿を飛び越え、弾ける火の粉をも避け、多聞丸の元に辿り着く
 ドーベルマンが、律華に気付いてピンと尾を上げた。舞い散る火の粉への恐怖よりも、訓練によって培われた警戒心が勝ったのだろう。
 犬の様子に変化を感じてか、律華も間合いの外でぴたりと足を止める。
 そのままにらみ合い、動いたのはどちらが先だったか。


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