蛟堂/呪症骨董屋 番外

鈴木麻純

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我が愛しの猟犬

8.

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「別に、あなたを責めているわけではないんですがね。蛟堂での一件を鑑みても、呑気に構えてはいられないかなと。一般的には、三輪氏の言うことがもっともです。犬の暴走についても、店の弁済費用についても。たとえば異能者と縁もゆかりもない民間人相手だったら、もっと大事になる可能性もある……と考えると、優先すべきものが見えてくるでしょう」

 いくらか口調を和らげたつもりだったが、内容を考えればそうすることにほとんど意味はなかったか。

「それは、つまり無傷での捕獲は保証しかねると?」

 顔を強ばらせる異能者に、九雀は苦く頷いた。

「俺は、警官ですから。民間人の安全を優先しますよ」

 ――というのは、本音ではないか。
 民間人の安全を優先したがるのは律華だ。犬を傷付けないと約束してしまえば、それを律儀に守るのも律華だ。二つの無理を通すために、躊躇いもなく間に飛び込んでいく。
(そんな真田に無茶をさせないための筋書きを作っておきたいのが、俺か)
 胸の内で、訂正する。
 それを聞いた丑雄が顎に手を当て、ふむと唸った。

「……多聞丸は一歳まで我が家で過ごしていたんです」
「へえ?」
「所詮一時預かりと思われるかもしれませんが、それでも俺たちにとって家族のようなものです。妻が捜索に同行を希望したのも羽黒の責任からというより、愛情からでして――興奮状態を鎮めてやりさえすれば、大人しく捕まってくれると思っています」
「そりゃ、手札と呼べるか微妙なところですね。式神を使う気は?」
「ありません。そんなことをすれば、人間に不信感を抱くようになるでしょう。多聞丸は、あくまで教え込まれた自らの使命を果たそうとしているだけですから」

 ――となると、頼みになるのは犬との信頼関係だけか。
 九雀も腕組みをし、少し考えた。
 あてにするには頼りない。けれど、蔑ろにもしにくいというのが実のところだった。
 信頼関係。奇妙に、胸に響く言葉だ。

「だったら、そうですね……たとえば、多聞丸の気を引くような特定古物を用意しておびき寄せる。作戦の成否次第で、今後の方針を決定するというのはどうでしょう」
「多聞丸の気を引くような特定古物?」

 そんなものあるのかと言いたげな彼に、九雀はさらに考える。
 正義感の強い犬。悪――特定古物とそれに類するものを破壊することこそ使命と信じている。最初に蛟堂が狙われたのも、そうした理由からではないか?
(前にオークションで会ったとき、あいつは孔胡の蒐集家だと言っていたな)
 馬保木孔胡。
 凪弓弦の事件があったときに、少し調べた。近代の良秀とも呼ばれた狂画家である――良秀は芥川龍之介の『地獄変』で有名な絵仏師だ。絵仏師としては一流だが高慢な性格で、〝地獄変〟の屏風絵を描くために溺愛する娘が燃え盛る牛車の中で焼け死ぬ様さえ見守った。馬保木孔胡も同様に、様々な凶悪事件に立ち会い、陰惨な事件現場を自らの作品として昇華させたと言われている。
(普通の特定古物はおよびじゃねえってことだ。馬保木孔胡に匹敵する、特別陰惨な作品……陰惨……魂の穢れ……)
 一つ、思い当たるものがあった。九雀はニッと唇の端をつり上げた。

「俺に一つ、心当たりがあります。多聞丸の気を引くような、とびきり醜く堕落した魂が塗り込められた絵に――ね」

 ****

 そこは白の部屋だった。
 その身に不老不死の呪いを受けた男の仮宿ではない。梓という名前と同様に、どこか柔らかな雰囲気を持つ男。それでいて、非異能者でありながら常に異能社会との関わり方を模索し続けている男として、異能者からも一目置かれている。
 静かな切れ者。あるいは、仮面をかぶり続けた野心家か――九雀には、判断が付かない。
 そんな八津坂署の署長、白鳥梓が君臨する署長室。後輩は呼び出しを受けるたび、まるで断頭台へ登るような心地になると言っていたか。後輩ほどではないにしろ、九雀も彼の前に立つとさすがに多少は背筋が伸びる。

「なるほど。それで、君は〈十河頼成の肖像〉を使いたいのか」
「はい。賭けになる部分はあるでしょうが、うまくいけばこれ以上の被害を出さずに犬を捕獲できます。うまくいかなかった場合も犬への対応をあらためて考えるための材料になりますから、どちらにせよ無駄にはならないかと……」
「無駄には、か。まるで肖像画が傷付くことを想定しているような言い方だ」

 白鳥に指摘され、はじめて気付く。

「あー……いや、傷付けないよう最善の努力はしますよ。もちろん」
「そうは言っても、君の場合はきちんと優先順位を付けるのだろうね」

 嫌みか、そうでないかは判断しかねた。
 こういうときは黙っているのが一番だ。白鳥に視線を向けたまま、続く言葉を待つ。

「君は、よき警官ではないな」

 嫌みですらない。もっと直接的だった。九雀は頷いて、それを認めた。

「まあ、そうですね。自分が一番、よく分かっています」
「だが、よき先輩ではあるのだろう」
「はあ」

 彼はなにを言いたいのだろうか。
 九雀は素知らぬ顔をしつつも、内心では不安を覚えていた。白鳥との会話は、決まりきった辞令を除けば万事がそうだ。腹の探り合いのような、一方的に探られているような、そんな感覚が付きまとう。

「三年どころか一年と経たずに音を上げると思っていたのだよ、わたしは」
「真田のこと、ですか」

 白鳥は顎を引いた。

「仕事を任せればそれなりにうまくやるが、熱意はない。向上心もない――それが、君に対する評価だった。そんな君に、真田くんの世話は荷が重すぎるのではないか、とね」

 嫌になるほど本質を突いている。

「実をいえば、わたしは真田くんのこともそれほどかってはいなかった」
「知っています」
「よき警官になるには、彼女は自責的すぎる。安易に自己犠牲で物事を解決しようとする」

 それもまた、的を射た評価なのだろう。
 九雀は視線を上下させる仕草だけで、肯定した。白鳥が続けてくる。

「だが、思い違いだったようだ。君は真田くんのことを投げ出したりはしなかった。それどころか、今までになく責任をもって面倒を見ている。君という先輩を得た彼女も落ち着いたようだ。思い詰めたようなところが、なくなった」
「いえ。真田はともかく、俺は……」
「謙遜をする必要はないと思うがね。君の知り合いが引き起こした事件でも、自らが疑われることを省みず、被害の拡大を防ぐため密かに捜査を進めていたと聞いたよ」
「…………」

 九雀はなにも言えなかった。すべてが嘘というわけではない。とはいえ、真実からはほど遠い――自分を庇うために律華が泥をかぶったことは鷹人から聞いていたが、白鳥がその報告を真に受けていたのは意外だった。

「わたしには君を疑う気持ちが多少あった。実は、真田くんに調査を頼んでいたんだよ」
「知っています」

 思わず頷いてしまってから、失言だったと思った。いくら律華の先輩贔屓が有名だからといって、任務を引き受けて早々自分に打ち明けてしまったことを知られるのは心証が悪い。白鳥の眼差しが少し鋭くなったことに気付き、九雀は平静を装って言った。

「あいつは分かりやすいですから。あの事件では、ずっと挙動不審でしたよ」
「なるほど。確かに、君相手の密命に適した人物ではなかったな……」

 白鳥は苦笑し、ふと思い出したように顔の前で手を振って言い直した。

「まあ、それについては本人も最初から自己申告していたか。真田くんは君を信じていたし、調査を引き受けたがらなかった。断らせなかったのは、わたしだ」
「そうなんですか?」

 そうだろうなと思ったが、とりあえずとぼけておく。

「意外かな?」

 白鳥はそれこそ意外とでも言いたげだった。九雀は懐疑的な顔を作って、言った。

「真田は、警官という職務に過ぎた理想を抱いています。理想の警官になるため、正義と潔癖と忠勤を重んじています。そんなあいつが、署長に楯突くとは思えません」



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