無冠の皇帝

有喜多亜里

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【03】マクスウェルの悪魔たち(下)

22 悪魔が忠告していました

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 誰かしら人はいるだろうと思ってはいたが、まさかそれが班長と副長、しかもその二人だけだとはまったく想像していなかった。
 十一班第一号待機室の自動ドアが開いた瞬間、エリゴールは唖然としたが、そんな彼にロノウェはやっと来たかとでも言いたげに大きな目を巡らせた。

「おまえら、何でここにいるんだ?」

 ロノウェが実際に言葉を発する前に、エリゴールは怪訝に訊ねた。

「そりゃあ、ムルムスが自殺したって知らされたら、帰るわけにもいかねえだろ」

 呆れたようにロノウェが答えた、それが合図だったかのように、彼の隣に座っていたレラージュが立ち上がり、給湯室へと向かう。

「ザボエスにも詳しい話は聞けなかったしな。おまえならわかると思って待ってたんだが……まさか、朝帰りしてくるとは思わなかったぜ」
「ずっと起きてたのか?」
「まさか。少しは寝たよ。この年になったらさすがに完徹はできねえ」
「少しでも寝られてよかったな。俺はその完徹だ」

 エリゴールは大仰に溜め息を吐き出すと、昨日と同じように、ロノウェとはテーブルの角を挟んだ席に腰を下ろした。

「今までずっと大佐と一緒にいたのか?」
「ああ。今ようやく逃げ出せたとこだ」

 思わずエリゴールの眉間に縦皺が寄る。それをロノウェは不思議そうに見つめた。

「逃げ出すって……いいのか? 逃げ出してきて?」
「俺はあの大佐にはどう思われてもかまわねえ。むしろ嫌ってくれって思って行動してんのに、やることなすこと裏目に出る……」
「はあ?」

 テーブルに両肘をついて頭を抱えたエリゴールに、今度はロノウェが訝しげな声を上げる。と、コーヒーの芳ばしい香りがして、エリゴールは顔を上げた。

「まだ眠られては困りますので」

 両手にホルダーつきのコップを持ったレラージュは、相変わらず愛想のかけらもない顔と声で、ロノウェ、エリゴールの順にコップを置いていく。
 普段、あれだけエリゴールと一緒にロノウェを馬鹿にしていても、序列はロノウェ、エリゴールで、ロノウェのほうが上なのだ。置く順番だけでそのことがわかってしまったエリゴールは、苦笑いしながらコップを手に取った。

「ありがとよ。ここのコーヒーなら〝安全〟だ」
「何じゃそりゃ?」
「……大佐んとこでは、何か盛られそうで……」
「大佐が何盛るってんだよ。せいぜい砂糖くれえだろ」

 パラディンの本性を知らないロノウェは、質の悪い冗談だとばかり思ったようだ。鼻を鳴らしてエリゴールより先にコーヒーを飲む。自分の分は淹れなかったらしいレラージュは、無言で再びロノウェの隣に座った。
 口を開けば毒を吐くこの副長は、意外なことにロノウェに礼を言われることは好まない。たまに言われると、何とも居心地の悪そうな表情を見せる。馬鹿を自称しているロノウェだが、レラージュの扱いに関しては天才かもしれない。

「で? 俺の眠気覚まして、何を訊きたいんだ?」

 半分ほどコーヒーを飲んだところで、エリゴールのほうからそう切り出すと、ロノウェは少し間をおいてから、単刀直入に訊ねてきた。

「ムルムス、自殺じゃねえだろ?」

 エリゴールは目を見張ってロノウェを見た。しかし、ロノウェはその視線を避けるように、強化ガラスのはまった狭い窓のほうに顔を向けていた。

「いや。自殺だった。医務室で自分の〝エス〟飲んで死んだ。そこまではザボエスから聞いてねえか?」

 嘘をつくのは真実を話すより楽で得意だ。だが、見抜いてほしくない嘘に限って、ロノウェはいとも簡単に見抜いてしまう。

「〝エス〟のことは聞いた。でも、あいつは自殺なんてするタマじゃねえだろ」

 ロノウェは舌打ちすると、ヤケ酒のようにコーヒーをあおった。

「今さら自殺なんてするくれえなら、とっくの昔にしてたはずだ。……ザボエスだな? あいつ、ザボエス怒らせるようなこと、何かしでかしたんだろ?」

 一瞬、エリゴールはまた否定しようかと考え、苦く笑ってあきらめた。
 同じ馬鹿でも、このロノウェとアンドラスとでは馬鹿の種類が違う。ロノウェは肝心なところでは間違わない。だから今もレラージュは彼の隣にいるのだろう。

「たぶんな。何で怒らせたかまではわからねえが、〝隠しエス〟使われて殺された。でも、あれなら自殺と断定されるだろ。自殺理由は……もう出世はできないと将来を悲観して……なんてとこか?」
「遺書は偽造しなかったのか」
「そこまでしたらボロが出るだろ。でも、大佐が朝一で十二班にムルムスの部屋調べさせるって言ってたから、もしかしたら遺書か遺書っぽいのが見つかるかもな」

 何に触発されたのか、ロノウェはエリゴールに目を向けた。きっとまた触れてはほしくないところを突いてくる。エリゴールはそう覚悟して、冷めかけたコーヒーを啜った。

「まさか……大佐、知ってんじゃねえだろうな?」

 案の定だ。エリゴールは心の中だけで溜め息をついた。この男とアンドラスだけは〝部外者〟のままにしておこうと思っていたのだが。

「一見、穏和そうに見えるが、あの大佐は……いや、あの大佐クセ者だ。〝隠しエス〟のこともしっかり知ってやがった」
「な……」

 さすがにロノウェも顔色を変えた。しかし、エリゴールはかまわず話しつづける。

「でも、今回は〝自殺〟で処理するそうだ。そのほうが大佐も面倒が少ないからな。だから、おまえらもそのつもりで口裏あわせとけ。ザボエスにも〝自殺〟と思ってるように思わせといたほうがいいぞ。あいつを脅したって得することは何もねえ。ムルムスみたいに消されんのがオチだ」

 ロノウェは眉をひそめると、うんざりしたように一言言った。

「大佐も大佐だが、ザボエスもザボエスだな」
「殺したくなるほど腹立つこと、ムルムスがしでかしたんだろ。まあ、この件に関しては余計な詮索はしないのがいちばんだ。ムルムスは〝自殺〟した。それで八方丸く収まる」

 空に近くなったコップを左右に振って、エリゴールはにやりと笑う。ロノウェにはわからないと答えたが、実は彼にはなぜザボエスがムルムスを殺したのか、ほぼ見当はついていた。
 あの〝無駄吠えが多すぎる〟男は、パラディンに口止めされていたのにもかかわらず、例の偽転属願の件をザボエスに話したのだ。
 おそらく、パラディンが言っていたように、また自分はまったく悪くないと主張したのだろう。ヴァラクの前で禁句を口にしてしまったために、彼からも見捨てられたことはしっかり伏せて。
 やはり、あの男は馬鹿だったとしか言いようがない。もしかしたら、あのアンドラス以上に。決して短いつきあいではなかったのに、ザボエスがいちばん嫌うことが〝秘密を守れないこと〟だと把握できていなかったのだろうか。
 当初、エリゴールはムルムスを精神的に追いつめて退役に仕向けるつもりでいた。それが彼の〝人切り〟の常套手段の一つだった。だが、ヴァラクに〝他の隊に転属になった後なら、何が起こっても知ったこっちゃない〟と〝命令変更〟された時点で、半ばどうでもよくなっていた。
 確かに、ムルムスの〝口〟のことは〝気がかり〟だったが、パラディンなら外部には漏れないようにうまく飼い殺してくれるだろう。そう考えていた矢先、ザボエスがムルムスの口に〝一生剥がせないガムテープ〟を貼りつけてくれた。
 できるものなら、ザボエスにケーキの十ホールも贈ってやりたいくらいだが――あの外見からは想像がつかないが、酒は苦手で、極度の甘党なのである――さすがにそれはできない。だから、せめてもう一人の厄介者が排除されるのを見届けてから退役しようと考え直した。
 もちろん、その前に除隊することができれば迷いなくそうする。〝気がかり〟はあっても〝心残り〟はない。ただただ一日でも早くこの艦隊から離れたい。ここにはもう自分の居場所はないのだから。

「八方丸くねえ……」

 馬鹿だが倫理観はあるロノウェは複雑な表情をしていた。この男はムルムスの〝無駄吠え〟のことを知っても、何もそれくらいのことで殺さなくてもと言うに違いない。
 甘いとエリゴールは思うが(たぶんザボエスたちも)、きっとおかしいのは自分たちのほうで、ロノウェのほうがまともなのだろう(あの趣味はどうかと思うが、他人に迷惑はかけていないので見逃してやろう)。そこもロノウェの数少ない取り柄の一つだ。

「八方丸いだろ。ムルムスは妾の子で、厄介払いも兼ねて士官学校に行かされた口だ。口封じがわりの一時金もらえば、遺族とやらも文句は言わねえ。むしろ感謝だ」
「ああ、そういやそうだった。ほんとにそんな奴らばっかだな、うちの隊」
「そう。帰る場所がない。そこにあの〝クソ野郎〟はつけこんで好き勝手してたわけだ」

 そして、そこにさらに自分がつけこんだ。エリゴールは自嘲すると、すっかり冷めきったコーヒーを飲み干した。

「エリゴール……何かあったのか?」

 ロノウェは人の感情には妙に聡い。心配げに眉をひそめられてしまった。この男にこんなことを言われるとは、自分もすっかり落ちぶれたものだ。エリゴールはますますやさぐれた気分になって笑みを深めた。

「何かって、ありすぎただろ、いろいろと。ところで、もう眠らせてもらってもいいか? 今から家に戻るのは面倒だから、どこか一人で眠れる場所を貸してもらいてえんだが」

 まだロノウェは何か言いたそうな顔をしていたが、エリゴールが瞼の上から両目を揉んでいるのを見て、本当にもう限界に近いのだとわかってくれたらしい。一瞬、レラージュと目を合わせてから、「それなら……」と答えた。

「六号の待機室使え。五号まではうちの奴らが雑魚寝してる」
「何だ、あいつらも帰らせてなかったのか」
「レラージュが居残り特訓させたから、帰りそびれちまったんだよ」
「居残り特訓?」
「何しろ、急な出撃だったからな。うちの操縦士じゃ不安があるからってんで、今回は十班の操縦士に動かしてもらったんだ。でも、それがこいつには気に食わなくてな。帰ってきてから猛特訓だ。まあ、こいつに言われりゃ、うちの奴らは喜んでやるからいいんだけどな」
「……相変わらずだな、おまえんとこは」

 呆れてエリゴールはそう言ったが、当のレラージュはそしらぬ顔をしている。
 ザボエスの班(の一部)に比べればはるかにましだが、この班も決して普通ではない。しかし、それでうまく回っているのだから、ここはこれでいいのだろう。エリゴールはかすかに笑って椅子から立ち上がった。

「じゃあ、六号貸し切りにさせてもらう。俺が起きるまで誰も来させるな。用があったら携帯にかけろ。ただし、たいした用件じゃなかったら、それなりの報復するから覚悟しとけ」
「な、何する気だよ?」
「それはそのとき考える。じゃあな」

 ぶっきらぼうにエリゴールは答え、さっさと第一号待機室を出る。それを黙って見送ってから、ロノウェはぼそりと言った。

「ありゃあ、辞める気満々だな」
「そうですね」

 自動ドアを見やりながら、冷静にレラージュも同意する。

「大佐に嫌われたいと俺たちに漏らした時点でもう確定ですね」
「嫌われたいってなあ。どう考えたって気に入られまくってるだろ。たぶん、あの〝クソ野郎〟以上に」
「でも、退役したい元四班長には、それがどうしようもなく〝うざい〟んでしょう」
「ヴァラクに切られたのがそんなにショックだったか。ヴァラクもなあ。今までさんざん利用しまくって、必要なくなったらポイッてなあ。まあ、あいつらしいっちゃあいつらしいが」
「そのかわり、元六班長にも逃げられましたね」
「ああ、逃げられたな。完全に。どんなコネ使ったんだか知らねえが、しっかりドレイク大佐隊に潜りこんじまった。……フォルカスも気の毒になあ……やっとあいつから逃げられたってのに……」
「前から思ってましたけど、元六班長のあれは何なんですか?」
「病気だ」
「身も蓋もないですね」
「いや、俺らにもよくわかんねえんだよ。あいつにはそっちの気は全然ねえしな。ただ、フォルカスだけは自分の班に配属させてくれってヴァラクとエリゴールに頭下げてたくれえだから、よっぽど顔が気に入ったんだろうな」
「一目惚れですか?」
「ってことになるんだろうけどなあ。何つーか、箱入り娘守ってる親父みてえな感じしたな。フォルカス手元に置いとけりゃ、それでもう満足」
「ああ、だからいきなり転属されて、しばらく廃人になってたんですね」
「あの頃だけは、ヴァラクがセイルの面倒見てやってたな。本当に嬉しそうに生き生きと」
「それでも、元六班長は七班長のことは何とも思っていなかったわけですか」
「何ともってこたあねえだろうが、少なくとも、同僚以上には思ってなかっただろうな。ヴァラクと違って」
「……元四班長がまともに思えてきました」
「まあ、ヴァラクやセイルよりはな。でも、あそこまで仕切り倒しておいて、大佐に辞めさせてもらえるわけがねえって、わからねえとこはまともじゃねえな」
「ああ……やることなすこと裏目に出てるって自分で言ってましたっけね」
「だから、おまえの記憶力こええよ」
「俺は別に、元四班長が辞めようが辞めまいがどっちでもいいんですが、班長は辞めてもらいたくないんですよね?」

 フォルカス同様、〝裏班長会議〟で配属先を決められた副長にさりげなくそう言われ、ロノウェはただでさえ大きな目をさらに大きく見開いた。

「班長、元四班長もこっちに転属されたってわかったとき、ものすごくほっとした顔してましたよ」
「……してたか?」
「してました」
「そうか。おまえがそう言うんなら、そうだったんだろうな」
「やっぱり、あの三人のうちの誰かがいないと不安ですか?」
「……まあな」

 ばつが悪そうに、ロノウェは癖のある黒髪を掻きむしる。

「俺らはずっとあいつらに頼ってきちまったからな。特にエリゴールにはあっち方面で。今回のムルムスのことだって、あいつがいなかったら〝自殺〟にはならなかったかもしれねえぞ?」
「まさか。大佐も〝自殺〟のほうが都合がいいと判断したからでしょう?」
「それなら、エリゴールに〝隠し〟の話はしねえだろ」
「……班長、時々賢くなりますよね」
「これくれえのことは馬鹿でもわかる。ザボエスのことだ、〝自殺〟に見えるようにうまく小細工したんだろ。でも、大佐はそれを見抜いてエリゴールに言った。……ほんとに人は見かけによらねえな。あんなお上品な顔して〝隠し〟のことまで知ってたか。あの〝大佐〟はまともだと思ってたんだがなあ」
「パラディン大佐はまともだと思いますよ。少なくとも、あの〝クソ野郎〟よりははるかに」

 淡々とレラージュが反論した。とたん、ロノウェは不快そうに顔をしかめ、常にないことに語調を強めて彼を叱りつけた。

「レラージュ。おまえはんな汚ねえ言葉使うなっていつも言ってんだろ。おまえなら、マクスウェル大佐隊出身でも必ず出世できる。せめて言葉だけはうちに染まるな」

 レラージュは金色の長い睫に縁どられた緑色の瞳でロノウェを凝視した。が、ぷいと顔をそむけ、ぼそぼそと口答えする。

「俺は出世したいなんて、これっぽっちも考えてませんから」
「んなこと言うな。出世しようと思えばできる奴が出世しなくてどうする。俺ぁおまえを副長どまりにするために預かったわけじゃねえぞ」
「……もし、俺が副長辞めたら、班長はどうするんですか?」
「ん? 俺か? 俺はもともと、弾みで班長になっちまったもんだからなあ。もう隊も変わったし、大佐に班長辞めろって言われりゃすぐに辞めるし、班長続けられるんなら、また俺より頭のいい奴、副長にするし……」

 ロノウェがそこまで答えかけたところで、いきなりレラージュは立ち上がった。

「な、何だよ?」
「俺も一人で仮眠してきます。七号にいますから」

 ロノウェと目線を合わせないまま、一方的にレラージュは宣言すると、さっさと自動ドアに向かって歩いていく。

「あ、ああ……そりゃいいが……自動ドア、ちゃんとロックしとけよ。何かあったらエリゴールに電話しろ。あいつ、腕っ節もつええから」
「……何かって、何があるんですか?」

 ふとレラージュが足を止め、冷ややかに問う。ロノウェは思わず目を泳がせた。

「何って……いや、今はうちの班員しかいねえから〝安全〟だとは思うが、その、一応な……」
「何かあったら班長に電話します! 通路這ってでもすぐ来てください!」

 何がそれほど癇に障ったのか、本当に珍しいことにレラージュは声を荒立てると、自動ドアの間をすり抜けるようにして走って出ていってしまった。
 一人待機室に取り残されたロノウェは、しばらく呆然と自動ドアを見つめていたが、やがて小さく独語した。

「這っていったら、すぐには行けねえだろ……」

 元マクスウェル大佐隊八班長――現パラディン大佐隊十一班長ロノウェは、こういうところが〝馬鹿〟だった。
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