無冠の皇帝

有喜多亜里

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【03】マクスウェルの悪魔たち(下)

23 傍目八目でした

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「何だよ、おまえまで〝宿直〟してたのかよ」

 早朝、ミーティング室兼作戦説明室兼待機室で、キメイスが一人、コーヒーを飲んでいると、ドック直通のドアからフォルカスが姿を現した。

「成り行きでな。六班長だけは帰ったぞ。宿直続きでずっと留守にしてたからって」
「そうか。そいつはよかった」

 フォルカスは露骨にほっとした顔をして給湯室へと歩いていった。多めに淹れておいたから、サーバーにはまだコーヒーが残っている。しかし、そんなことはいちいち説明しなくても、行ってみればわかることだ。そう考えて黙ってコーヒーを飲みつづけていると、案の定、フォルカスは何も言わずにコーヒーの入ったコップを持って戻ってきた。
 バカ話は大好きだが無駄話はしない。その点でもこの同僚とは非常につきあいやすい。確かに切れると恐ろしいが、同じ隊員相手なら、切れるのは整備の邪魔をされたときくらいである(昨日のあれは、あくまでアルスターに対して切れていた。被害を受けたのはキメイスを含む〈旧型〉乗組員たちだったが)。普段は陽気で優しい男なのだ。元上官以外には。

「あとの三人は?」

 向かいの席に腰を下ろしたフォルカスにそう訊ねると、それだけで整備三人組のことだと理解した彼は「たぶん、まだ寝てる」と答えた。

「昨日は内部のチェックだけで切り上げちまったからな。グインは〈新型〉、ラスとウィルヘルムは〈旧型〉にいる」
「おまえもまだ寝てればよかったのに」
「昨日は早めに寝たから、その分、早く目が覚めた」

 そう答えてから、舌を火傷しないよう慎重にコーヒーを啜る。

「やっぱ、大佐んとこのコーヒーのほうがうまいな。豆の違いか?」
「そうかもな。今度、イルホンに豆分けてもらえよ。それでもあっちで飲むほうがうまかったら、それはもう豆じゃなくて、淹れる人間の腕の違いだな」
「すげえな、イルホン。ここ辞めても喫茶店のマスターになれるな」
「喫茶店のマスターになれるかどうかはわからないが、激薄コーヒー専門店のマスターになら確実になれるな。競合店はたぶん現れない」
「大佐以外に需要あんのか、そんな店」
「世の中には大佐みたいに、苦くないブラックコーヒーが飲みたいっていうわがままな人間もいるかもしれない」
「いっそもう茶でも飲めばいいのに。茶っ葉買ったら、イルホンの手間が増えるからか?」
「それもあるだろうが、コーヒー豆以外買いたくないんじゃないのか? 経費削減のために」
「決してケチなわけじゃないんだよな。〈孤独に〉で食わせてもらったオードブルも、一昨日おとといのケータリングも、隊員食堂で食う飯よりよっぽどうまかった」
「それ、隊員食堂のマダムたちには絶対言うなよ」
「言わねえよ。いつもおまけしてもらってるのに」
「ただ笑ってるだけでおまけしてもらえるなんて、おまえ、得だな」
「うらやましかったら、おまえも笑え」
「いや、俺は別におまけはいらない。それより、もっとレベルを上げてもらいたい」
「おまえもそれ、マダムたちには絶対言うな」
「もちろんだ。俺の中では、この艦隊で敵に回してはいけない人間、トップ5の中に入ってる」
「トップ5? 他には?」
「殿下、大佐、あとは非公開」
「非公開って何だよ、非公開って」
「非公開は非公開だ。ところで、フォルカス」
「ん?」
「六班長のこと、もう許してやれよ」

 フォルカスはコーヒーを噴き出しかけたが、無理にそれを抑えこもうとしたために、激しく咳きこむ羽目に陥った。

「おい、大丈夫か?」
「……んなこと言うくらいなら、最初っから言うな……」

 息も絶え絶えにフォルカスが言い返す。マシムがいたら、すかさず背中をさすってやっていただろう。優しくないキメイスは、テーブルの隅に置きっぱなしにしてあるティッシュボックスを彼の前に滑らせるだけに留めた。

「許すも何も……」

 ティッシュボックスから何枚もティッシュを引き出して口元を拭ったフォルカスは、生理的な苦痛のために潤んだ紺碧の瞳でキメイスを睨みつけた。キメイスは何とも思わないが、たぶん六班長――セイルは萌えるだろう。

「俺は怒っちゃいねえよ。ただ、この先一生、口はききたくないだけだ」
「それって、理由は怒ってるからじゃないのか?」
「だから、怒ってはいねえよ。だいたい、何でおまえが六班長の肩持つんだよ? 六班長に頼まれたのか?」
「そんなわけないだろ。現時点であの人がまともに会話できてるのは、大佐やおまえの元同僚三人別にしたら、スミスさんウィズ元ウェーバー大佐隊班長ズくらいのはずだ」
「いや、昨日、マシムが六班長連れてドックに来た」

 思い出したようにそう言って、不快げに眉をひそめる。

「え? ドック?」

 予想外な発言に、キメイスはコーヒーを飲む手を止め、紫色の目を見張った。

「あの二人、ドックに行ってたのか?」

 昨日、決まり悪そうな顔をしたセイルと一緒にここに戻ってきたマシムは、セイルは仮眠室にいたと言っていた。そこで〝決闘〟は行われたのかと一同は思ったが、どう見ても二人にそのような形跡はない。そのため、例の賭けは今回は無効ということになり、スターリング、ディック、オールディスは自分で自分のビールを消費することになった。
 だが、まさかマシムもセイルも嘘をついていたとは。殴り合いはしなかったかもしれないが〝決闘〟の結果は〝ドロー〟で、実はオールディスの総取りだったのかもしれない。

「ああ。俺もびっくりした。〈ワイバーン〉のデータチェックしてたら、外に人がいる気がして、監視カメラ見ないで乗降口開けたら、タラップの前にあの二人が立ってた」
「いつも思うが、なんで何も見ないで、誰かがいるってわかるんだ?」
「さあ。マクスウェル大佐隊にいるときにはわかんなかったから、ここのドックかが俺に教えてくれてるんじゃないか?」
「真顔で言うなよ。ホラーになるだろ」
「何でホラーになるんだよ。ハートウォーミングなSFファンタジーだろ」
「おまえがそう思ってるんならそれでもいいが、俺のハートは一気にクールダウンした」
「夢がねえなあ。まあ、それはともかく、マシムが整備中のドックに来ることなんてありえないから、てっきり六班長に脅されて〝交渉人〟として連れてこられたんだとばかり思ってなあ。あわててマシムに早くここから逃げろって言ったら、自分が六班長連れてきたんだって言い返されちまった。何でも、今日は早く整備切り上げろって俺に言うために、仮眠室からドックに入ろうとしたら、ちょうど仮眠室に六班長がいたから、俺に怒鳴られる道連れにしたんだと。それも六班長に脅されて言わされてるんじゃないかって思って訊いたら、マシムが〝仲間〟になら嫌なら嫌だってはっきり言えるって言うから、とりあえず信じてやったふりはした」
「……なあ。それって全部、六班長の前で言ったんだよな?」
「もちろん。六班長には話しかけなかったし、六班長も何も言わなかったけどな。ただ、俺が〈ワイバーン〉の中に戻った後、しばらく床に両手ついてひざまずいてた。何だったんだろうな、あれ。やっぱり六班長はわけわからねえ」

 平然と答えるフォルカスに、キメイスは呆れ果てて言った。

「……ひどいな、おまえ……」
「何がひどいよ? 俺の盾になってもらってるマシムが六班長と一緒にいたら、まず脅されたんじゃないかって思うだろ?」
「いや、おまえ以外思わない。おまえの六班長に対する認識、とことん歪んでるな」
「どこが歪んでるよ? うちの隊員はみんないい奴らだが、六班長が何かの拍子に切れて殴らないとも限らないだろうが」
「いや、おまえが切れて怒鳴ることはあっても、六班長が切れて殴ることはない」
「そんなこと、何で言いきれるよ?」
「今おまえが自分で言っただろ。おまえが〝いい奴ら〟だと思ってる人間を、これまで六班長がおまえの前で殴ったことがあったか?」

 ふてくされたように唇をとがらせていたフォルカスが、不意を突かれたようにキメイスを見つめ返す。キメイスは大げさに溜め息をつくと、一口コーヒーを飲んでから話を続けた。

「そんな顔するってことは、やっぱりないんだな。……なあ、フォルカス。それほど六班長がまた人殴るかもしれないって不安なら、六班長に〝もう人殴るな〟って直接言ってみたらどうだ? 今まで〝やめてくれ〟って止めたことはあっても、それは言ったことないだろ?」
「まあ……それはな」

 気乗りしない様子で、フォルカスは曖昧にうなずく。

「でも、六班長が俺の言うことなんて……」
「いや、おまえの言うことだから聞くんだ」

 どうして自分の話になるとこれほど鈍くなるのか。不思議に思いながらも言葉をかぶせる。

「例の〝血の粛清〟のときだって、おまえが一言言ったら、殴るのピタッとやめてくれたんだろ? とりあえず、一度でいいから、ちゃんと六班長の目を見て、はっきり〝もう人殴るな〟って言え。そうすりゃ、うちの人間はもちろん、外でも殴ることはなくなる」

 まあ、殴れなくなったら蹴るかもしれないが、それまで禁じられたらセイルもいざというとき困るだろう。真摯な表情で勧めつつ、キメイスは冷静に計算する。とにもかくにも、もう人は殴らないとフォルカスの前で誓わせればいいのだ。

「……本当に?」

 しかし、フォルカスはいかにも不審そうに目を眇める。なぜセイルが自分にこだわるのかわからない(唯一の心当たりは髪の色らしい)フォルカスには、セイルが自分の言うことを聞くというのもまたありえないことのように思えるようだ。
 フォルカスのために重ねただろう暴力行為が、かえって彼に敬遠される原因になったとは、きっとセイルは想像だにしていないだろう。キメイスもフォルカスの思考回路のほうが不可解だが、そういう人間なのだから仕方がない。今度は軽く嘆息してから答えた。

「本当に。万が一、おまえがそう言ってもまだ殴るようなら、マシムに六班長殴らせろ」
「おいおい。何でそこでマシムに殴らせるんだよ?」

 冗談だと思ったのか、フォルカスが苦笑いする。キメイスは真顔でぼそりと呟いた。

「〝決闘〟」
「何?」
「いや、マシムに悪いから、これは誰からも聞かなかったことにしてもらいたいんだがな。……昨日、マシムは六班長捜しにいくって言ってここを出たんだ。六班長連れて戻ってきたときには、六班長は仮眠室にいたって言ってた。たぶん、マシムはおまえを覗……いや、おまえと話がしたくて六班長がドックに行ったんじゃないかって思って、仮眠室で六班長を確保、〝かわいそう〟だから、おまえに怒鳴られないように六班長に付き添ってやったんじゃないのか? 〝整備早く切り上げろ〟っていうのは建前じゃなくて本音だったとは思うが、少なくともマシムはそんな嘘ついてやるくらい、六班長のことはもう〝仲間〟だと思ってるってことだろ。おまえと張るくらい人見知り激しいあのマシムが」
「いやいや、マシムのほうが俺より激しいだろ。でも、ええ、マシムが嘘ついてたのか? ……やっぱり、六班長に脅されてたんじゃ……」
「おまえの中では、六班長は人殴るだけじゃなくて脅しもしてる〝不良班長〟なんだな……」

 セイルはただフォルカスを守りたかっただけだろうに(たぶん)、〝血の粛清〟をしたことで、ここまで誤解されてしまった。つくづく〝かわいそう〟な男である。

「でも、こう言っちゃ何だが、うちの隊員で六班長が脅せるような人間なんて、たぶん、あの整備三人組くらいしかいないだろ。シェルドンだって、理不尽なこと言われりゃ反抗する。まあ、そのときにはティプトリーが六班長の個人情報盗み出して、ネットにさらしまくるだろうけどな」
「ああ……するな……完全にするな……うちでいちばん敵に回しちゃいけないの、実はティプトリーだよな……おまえのトップ5の中に入ってるか?」
「非公開だ」
「入ってるな」
「とにかく、おまえは早いうち、六班長に〝もう人殴るな〟って言っとけよ。それくらいなら何とか言えるだろ。どうしても怖かったら人前で言え。そうだな……元班長ズと一緒にいるときがいちばんいいんじゃないか? 普段はアレだが、一応班長やってた人たちだから、万が一何かあったときでも、何とかしてくれるだろ」
「何だよ……その〝何かあったとき〟って……」

 フォルカスは怯えたような顔をしたが、キメイスはすましてコーヒーを飲んだ。

「〝予定は未定〟ってことだ。まあ、六班長だったら、素直に〝わかった〟って言うよ。そしたら、もう無理に話しかけなくてもいいが、もし向こうから声かけてきたら、無視しないで応えてやれよ。同じ隊にいる〝仲間〟なんだから」
「想像しただけで気が重い……」

 うんざりとそう呟いてから、フォルカスは怪訝な目をキメイスに向けた。

「キメイス。おまえは向こうでもこっちでも、六班長とは一言も口きいたことないんだよな?」
「ないよ。顔くらいは知ってたけど」

 さらに言うなら、六班所属のある美形隊員にちょっかいを出すと、もれなくその六班長に殴られるという都市伝説のような噂話も知っていたが、まさかその隊員がガハガハ笑ってバカ話をしているフォルカスのことだったとは、ごくごく最近までわからなかった。

「んじゃあ、何でおまえ、そんなに六班長のこと気にかけてるんだ? 六班長に殴られる心配はないってわかってるんなら、おまえはこのまま〝現状維持〟でも全然かまわないはずだろ?」
「まあ、確かに俺はかまわないけどな。でも、それだとおまえのそのトラウマは、いつまでたっても解消されないだろ?」

 フォルカスは何を言われたのかわからないようにきょとんとした。キメイスがこんなことを言うとは思ってもみなかったらしい。自分はどれだけ薄情者だと思われているのだろう。キメイスはふとそんなことを考えた。

「俺のためなのか?」

 まだ半信半疑のようにフォルカスが訊ねてくる。念押しされると気恥ずかしいが、この男ははっきりそうと言われないとわからないのだろう。キメイスはことさら大きな声で「そうだ」と答えた。

「大佐は〝怖くなくなるまで〟って言ってたが、おまえの場合、ずっと怖いままで終わっちまいそうだからな。ささやかでも一歩踏み出せ。たとえその一歩で終わったとしても、それは勇気ある一歩だ」
「俺は踏み出したくないんだが」
「踏み出してくれ。頼む。おまえのその一歩で、たぶん六班長もちょっとだけ救われる」
「何で六班長が?」
「その説明はいくらしても、おまえには理解できないだろうから省略させてもらう」
「何だよ、それ」

 フォルカスは不満そうな顔をしたが、これ以上セイルの話題は続けたくないと思ったようだ。音を立ててコーヒーを飲むと、唐突にこう切り出した。

「キメイス。朝飯どうする?」
「朝飯か。食堂行ってもいいが、面倒くさいな。レベル低いし」
「レベルは言うな。……何か、すぐに食えるようなもん、ここにあるか?」
「すぐに食えるもんねえ。……在庫の宇宙食ならすぐに食えるけどな」
「あれは勝手に食ったらまずいだろ。しっかり在庫管理されてるぞ」
「だよな」

 キメイスは天井を見上げて少し考えた後、上着の内ポケットからプライベート用の携帯電話を取り出した。

「どうした? ケータリングでも頼むのか?」
「いや。ギブスンここに呼んで、朝飯作らせる」
「ギブスン? 何でまた?」

 驚いて声を張り上げたフォルカスに、キメイスは携帯電話を握ったまま冷笑する。

「あの器用貧乏は〝転属祝い〟のケータリング見て、この程度なら自分でも作れると豪語しやがった。そこまで言うなら朝飯作るくらい朝飯前だろ。作れなかったらマダムたちに弟子入りしてこい」
「ああ……いかにもあいつが言いそうだが……まだ寝てんじゃないのか?」
「それがどうした。俺はもう起きてる」
「〝年寄り〟は朝早いからな。俺も含めて」
「言われる前に自分から言ったな。小賢しい奴め」
「なあ、キメイス」
「何だ?」
「おまえ、好きな子できたら、その子いじめるタイプだろ?」

 キメイスは一瞬固まってから、自分の向かいに座っているフォルカスを見た。
 意外なことに、フォルカスは冷やかすわけでもなく、真面目な顔でコーヒーを飲んでいる。

「……おまえは?」

 何となく訊ねると、フォルカスはいつものとおり、顔面を崩して笑った。

「俺? 俺はお菓子あげて、頭撫でたくなるタイプ」

 ――ああ。それなら六班長とうまくいくわけないわな。
 保護者タイプが保護されたら、それは癇に障るだろう。キメイスは納得し、改めてセイルを哀れんだが、そのことは口にはしなかった。

「そうか。おまえ、ロリコンだったのか」
「違うわ!」

 あわててフォルカスが叫ぶ。

「でも、年上よりは年下がいいな。犯罪にならない程度の」
「ああ、わかったわかった」

 おざなりにキメイスは答えると、今のところ〝下僕〟の携帯電話に電話をかけた。
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