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【05】始まりの終わり(中)
28 こっそりお願い追加していました
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「殿下。お約束のクッキーです」
午後二時より五分ほど早く現れたドレイクは、執務机で必死で無表情を装っているアーウィンの前に立つと、クッキー缶の入っている褐色の手提げ袋を両手で持ち、うやうやしく差し出した。
「安物とまでは言いませんけど、ごく普通のクッキーですよ? そんなに食べたかったんですか?」
ドレイクがからかうように苦笑する。無言で手提げ袋を受け取ったアーウィンは、すぐに中身を確認し、ヴォルフにしかわからない程度に口元を緩めた。
(食べたかったっていうか、手渡しでもらいたかったんだよな)
自分専用のソファにもたれたまま、ヴォルフは生ぬるい視線をアーウィンに注ぐ。
キャルはドレイクに挨拶はしたが、すぐに事務仕事に戻ってしまった。今だけはこの部屋でやることがあるキャルが羨ましい。
昨日の昼、ドレイクからクッキーを届けさせる約束を取りつけたときには、アーウィンは小さくガッツポーズをしていた。それを見たときにも呆れたが、即刻通達を出したのにはもっと呆れた。公私混同も甚だしい。
ついでに配置図も送信していたが、それは本来ならもっと前に明らかにすべきものだったからよしとしよう。やはり、問題はあの交換条件である。
無論、ヴォルフも諌言はした。しかし、本人がドレイクに言っていたように、この艦隊にアーウィンを罰せる人間はいないのだ。
(それならそれで、少しは嬉しそうな顔しろよ)
ドレイクがインターホンを押すまで、鼻歌でも歌いそうなくらい上機嫌だったのに、今は三ヶ月ぶりに直接会ったドレイクを不満げに睨んでいる。
「なぜここには配りに来なかった?」
――まだそれを言うか!
ヴォルフは心の中で突っこんだが、ドレイクは腰の後ろで両手を組んだまま、澄ました顔で答えた。
「殿下とは、直接交流は禁止されていませんでしたので」
「それでも、私が解禁してやったんだから、私にも寄こせ」
「メールにも書きましたが、上官が見返り要求しちゃいけません。これはヴォルくんとキャルちゃんに持ってきたことにします。殿下は二人から分けてもらって食べてください」
「くっ……!」
流れるように反論され、アーウィンが拳を握って悔しがっている。
この艦隊にアーウィンを罰せる人間はいない。だが、言いこめられる人間はいる。
結局アーウィンには逆らえないヴォルフにとって心強い存在ではあるが、アーウィンのあのような姿は正直見たくはなかった。
そんなヴォルフの心境を察したわけではないだろうが、ドレイクは軽く首をかしげると、おどけたように眉を吊り上げた。
「でもまあ、これは建前です。七班長の件も含めて、直接殿下にお礼を申し上げるべきでした。大変申し訳ありません」
「え……あ、いや、七班長の件は別にいいんだが……」
いざ部下らしく振るまわれると調子が狂うのか、アーウィンは言葉を濁らせた。
本当に、ドレイクはこういう駆け引きには非常に長けている。本人いわく口下手だそうだが、ほぼ嘘設定である。
「そうですか。ありがとうございます。殿下のご決断のおかげで、右翼はさらに盤石となりました。あとは、適度に見て見ぬ振りをしてくだされば」
「見て見ぬ振りか」
ようやくいつもの自分を取り戻したアーウィンが、ドレイクのほのめかしに呼応するように愉快げに笑う。
「〝この艦隊が敗北しないために〟右翼が死力を尽くしてくれるなら、私は特に何も言うつもりはない。ところで、左翼の前衛と後衛を入れ替えると、いったい何が起こるんだ?」
「そうですね。もしかしたら〝大佐〟の数が、殿下の好きな『5』にまた戻るかもしれません」
「なるほど。ちなみに、おまえの好きな数字は?」
「『9』。次点で『7』」
「そうか。覚えておこう」
「いや、それは別に覚えていただかなくても結構なんですが。それより、左翼に関して、殿下に改めてお願いしたいことがあるんです」
――まだあったのか!
ヴォルフは思わず顔をしかめた。
何でも一度に済ませるのが好きな男だ。今日、クッキーを届けにきたついでに、アーウィンへの追加の〝お願い〟も済ませるつもりだったに違いない。
「お願い?」
怪訝そうに問い返したアーウィンだが、ドレイクの〝お願い〟なら、たいていのことは叶えてしまうだろう。ましてや、今は最高潮に機嫌がいい。即決だ。
今まで、ドレイクの〝お願い〟が原因でアーウィンやこの艦隊が窮地に陥ったことはない。むしろ、逆に救われている。しかし、アーウィンの側近として一抹の不安はある。ヴォルフはこれまで以上に真剣に耳をそばだてた。
「いや、もしかしたら俺の杞憂で終わるかもしれないんですがね。〝保険〟として殿下にお願いしておきたいんです」
ドレイクはそう前置きして、アーウィンに〝お願い〟の内容を説明した。
無意識にか、アーウィンはクッキーの入った手提げ袋を抱えこんでドレイクの話を聞いていたが、最後に「どうでしょう?」と伺いを立てられると、案の定、「わかった」と即答した。
「ありがとうございます。でも、あくまで〝保険〟なので、俺が想定していた事態が起こらなかった場合には、この話はなかったことにしていただけないでしょうか?」
「言われるまでもない。だが、もし起こったとしたら、私が何も言わなくとも、勘づく人間は勘づくだろうな」
アーウィンが薄く笑う。ドレイクは苦笑いして肩をすくめた。
「そいつはまあ、仕方ないですね。俺は日頃の行いが悪いですから。でも、勘づくような人間は、わざわざ吹聴して回ったりはしないと思います」
「同感だ。もしいれば、私が処罰する」
「いや、それは絶対やめてください。殿下が動いたら、蝋燭の火も山火事になります」
真顔でドレイクに止められて、アーウィンは眉をひそめたが、ヴォルフは全面的にドレイクに賛同した。
「それでは殿下。俺はこれで失礼します。そのクッキー缶は、食べ終わったら物入れにでも使ってください」
ドレイクは丁寧に一礼すると、ヴォルフとキャルには片手を上げて雑に挨拶をし、足早に執務室を出ていった。
呼び止めたいような表情はしたものの、結局、アーウィンは何も言わずにドレイクの背中を見送った。が、自動ドアが閉まると、独り言のように呟いた。
「ふむ。今日の午前中にアルスターと会って、そうなる可能性が高いと踏んだか」
「まあ、そうなんだろうな。……いったい何を話しに行ったんだか」
「さあ、それはわからないが。たぶん、アルスターには面白い話ではなかっただろうな」
その気になれば〝大佐〟の執務室での会話も盗聴できる男は、人形のように美しい顔に酷薄な笑みを浮かべると、手提げ袋からクッキー缶を引き出した。
何を買ったかはヴォルフも知っていたが、現物は見たことがない。ヴォルフはソファから立ち上がると、アーウィンの傍らから机上を覗きこんだ。
青くて丸いクッキー缶。おそらく、アーウィンは今まで触れたこともないだろう。
実際、物珍しそうにまじまじと見つめていた。
「よかったな。粘りに粘って、ようやく手に入ったぞ」
昨日の子供のようなやりとりを思い出してヴォルフは嫌味を言ったが、アーウィンはまったく意に介さず、おぼつかない手つきでクッキー缶を開封した。
蓋を外すと、これまでこの部屋で嗅いだことのない、甘い香りが立ちのぼった。
「キャルにも食べられればいいんだが。あとで成分分析させよう」
そんなことを言いつつも、アーウィンはバタークッキーを手に取ると、端を少し齧って咀嚼した。
「……うまいな」
「そうかそうか。部下から脅しとったクッキーだからな。それはさぞかしうまかろう」
「この缶には何を入れておこうか」
「本当に物入れに使う気か?」
ヴォルフは意外に思ったが、ドレイクからもらったものを捨てたくないアーウィンの気持ちは理解できた。
「そうだな。宝物でも入れといたらどうだ?」
「宝物……」
アーウィンはクッキーを持ったまま、天井を見上げた。
「〈ワイバーン〉のメモリカード?」
「そうか。それがおまえの宝物なのか。……決して人には言えないな」
* * *
ドレイクが司令官の執務室にクッキーを届けに行った翌日の午後、またしてもヴァラクがドレイクの執務室を訪ねてきた。
名目はドレイクに食玩の宇宙船を渡すため。イルホンもドレイクもまったく信じていなかったが、前回同様、ヴァラクとその副官クロケルを迎え入れた。
「今日は携帯の電源切ってるのか?」
ソファに座ったまま、ドレイクがそうからかうと、向かいのソファに腰を下ろしたヴァラクは大仰にうなずいた。
「もちろんですよ。ここの電話にも絶対かけるなって言ってあります。もし万が一かけてきたら……セイルと二人きりで休憩してるって言っといてください」
「おいおい。おまえらの痴話喧嘩にうちの隊員巻きこむなよ」
自分の執務机にいたイルホンは、とっさにクロケルを見てしまったが、クロケルは濃茶色の平たい紙箱を持って、ヴァラクの隣に座りかけているところだった。
ドレイクの『痴話喧嘩』に特に驚いている様子はない。実はクロケルもヴァラクとダーナの関係を知っているのか。イルホンはひそかに頭を抱えた。
「それより大佐! 俺の思いつき、あのとき駄目出ししたくせに、しれっと採用しましたね! しれっと!」
今日は自分で持っていた青いマイボトルを、ヴァラクがドレイクに向かって突きつける。
ドレイクは腕組みをすると、わざとらしく溜め息をついた。
「やっぱりな。そう言われると思ってた」
「エリゴールからは名案は出なかったんですか?」
「やっぱり、それも読まれてたか。……いや。アルスター大佐を護衛に飛ばしてもらうっていう、どちらに転んでも俺たちの邪魔にはならない名案を出してくれたよ。でも、彼の本当の望みは、元ウェーバー大佐隊の〝復讐〟を成就させてやることだった。だから」
「殿下に頼んで、左翼の前衛と後衛を入れ替えてもらったと。でも、いいんですか? リスク高いんでしょ?」
「俺なりの元ウェーバー大佐隊に対する贖罪だよ。結果的に戦死者を出した」
「あれは大佐のせいじゃないでしょ」
「殿下がああするとわかっていて、あえて止めなかった」
「無人艦にだって、有人艦を守りきれないときもありますよ」
「どうした? 今日は妙に優しいな」
「今日はって何ですか、今日はって。俺は約束どおり、食玩持ってきてあげたのに」
「そういや、そのために来たんだったな。くれよ、くれくれ」
「じゃあ、セイルに会わせてくださいよ。この前、案を出してくれた礼に、ここにセイルを呼んでくれるって言ってたじゃないですか」
「プライベートでいくらでも会えよ」
「会ってくれないから、上官命令で呼び出してくれって頼んでるんじゃないですか」
「おまえこそ、会うのを避けられている現実を直視しろよ」
「畜生! 顔くらい見せてくれたっていいじゃねえかよ!」
本気で恨めしそうに叫んでから、ヴァラクはマイボトルを開け、おそらくアイスティーをヤケ酒のようにあおった。
「セイルに会わせてくれないから、ほんとはあげたくないけど、約束しちゃいましたからね。……クロケル」
「はい」
間髪を入れず、クロケルが紙箱の蓋を開ける。
中身はイルホンには見えなかったが、間違いなく食玩の宇宙船だろう。
「うおー。こんなちっちゃいのによくできてるなー。さすが『帝国』、いい仕事するな」
箱の中から、やはり食玩の宇宙船――メモリカードくらいの大きさだった――を摘まみ上げたドレイクは、子供のような歓声を上げながら、ためつすがめつ眺めていた。「連合」の食玩の出来はあまりよくなかったようだ。
イルホンには食玩を集める趣味はなかったが、そういえば子供の頃、対戦ゲームもできるカードを収集していたことがあった。途中で飽きてしまってコンプリートはできなかったが、ドレイクに見せたら興味を持ってくれるだろうか。
「元ウェーバー大佐隊は、どちらを選びますかね?」
イルホンが古の記憶に思いを馳せていると、ふいにヴァラクが口を開いた。
「やり返す? やり返さない?」
ヴァラクはにやにや笑っている。そんなヴァラクをちらりと見てから、ドレイクはまた食玩に目を戻した。
「さあな。とりあえず、アルスター大佐には昨日はっきり言ったよ。これがラストチャンスだって」
「わざわざ言いに行ったんですか? やっぱり優しいな。……逆恨みされたでしょ?」
本当に、この童顔の〝大佐〟は〝悪魔〟のようだ。
イルホンは戦慄したが、ドレイクは平然と答えた。
「おまえがここにいてくれてよかったよ、生き別れの〝弟〟」
「俺も大佐がここに来てくれて、本当によかったですよ」
ヴァラクはにこりと微笑むと、マイボトルを傾けた。
「でも、俺以上にそう思っているのは殿下です。それだけはお忘れなきよう。生き別れの〝お兄様〟」
午後二時より五分ほど早く現れたドレイクは、執務机で必死で無表情を装っているアーウィンの前に立つと、クッキー缶の入っている褐色の手提げ袋を両手で持ち、うやうやしく差し出した。
「安物とまでは言いませんけど、ごく普通のクッキーですよ? そんなに食べたかったんですか?」
ドレイクがからかうように苦笑する。無言で手提げ袋を受け取ったアーウィンは、すぐに中身を確認し、ヴォルフにしかわからない程度に口元を緩めた。
(食べたかったっていうか、手渡しでもらいたかったんだよな)
自分専用のソファにもたれたまま、ヴォルフは生ぬるい視線をアーウィンに注ぐ。
キャルはドレイクに挨拶はしたが、すぐに事務仕事に戻ってしまった。今だけはこの部屋でやることがあるキャルが羨ましい。
昨日の昼、ドレイクからクッキーを届けさせる約束を取りつけたときには、アーウィンは小さくガッツポーズをしていた。それを見たときにも呆れたが、即刻通達を出したのにはもっと呆れた。公私混同も甚だしい。
ついでに配置図も送信していたが、それは本来ならもっと前に明らかにすべきものだったからよしとしよう。やはり、問題はあの交換条件である。
無論、ヴォルフも諌言はした。しかし、本人がドレイクに言っていたように、この艦隊にアーウィンを罰せる人間はいないのだ。
(それならそれで、少しは嬉しそうな顔しろよ)
ドレイクがインターホンを押すまで、鼻歌でも歌いそうなくらい上機嫌だったのに、今は三ヶ月ぶりに直接会ったドレイクを不満げに睨んでいる。
「なぜここには配りに来なかった?」
――まだそれを言うか!
ヴォルフは心の中で突っこんだが、ドレイクは腰の後ろで両手を組んだまま、澄ました顔で答えた。
「殿下とは、直接交流は禁止されていませんでしたので」
「それでも、私が解禁してやったんだから、私にも寄こせ」
「メールにも書きましたが、上官が見返り要求しちゃいけません。これはヴォルくんとキャルちゃんに持ってきたことにします。殿下は二人から分けてもらって食べてください」
「くっ……!」
流れるように反論され、アーウィンが拳を握って悔しがっている。
この艦隊にアーウィンを罰せる人間はいない。だが、言いこめられる人間はいる。
結局アーウィンには逆らえないヴォルフにとって心強い存在ではあるが、アーウィンのあのような姿は正直見たくはなかった。
そんなヴォルフの心境を察したわけではないだろうが、ドレイクは軽く首をかしげると、おどけたように眉を吊り上げた。
「でもまあ、これは建前です。七班長の件も含めて、直接殿下にお礼を申し上げるべきでした。大変申し訳ありません」
「え……あ、いや、七班長の件は別にいいんだが……」
いざ部下らしく振るまわれると調子が狂うのか、アーウィンは言葉を濁らせた。
本当に、ドレイクはこういう駆け引きには非常に長けている。本人いわく口下手だそうだが、ほぼ嘘設定である。
「そうですか。ありがとうございます。殿下のご決断のおかげで、右翼はさらに盤石となりました。あとは、適度に見て見ぬ振りをしてくだされば」
「見て見ぬ振りか」
ようやくいつもの自分を取り戻したアーウィンが、ドレイクのほのめかしに呼応するように愉快げに笑う。
「〝この艦隊が敗北しないために〟右翼が死力を尽くしてくれるなら、私は特に何も言うつもりはない。ところで、左翼の前衛と後衛を入れ替えると、いったい何が起こるんだ?」
「そうですね。もしかしたら〝大佐〟の数が、殿下の好きな『5』にまた戻るかもしれません」
「なるほど。ちなみに、おまえの好きな数字は?」
「『9』。次点で『7』」
「そうか。覚えておこう」
「いや、それは別に覚えていただかなくても結構なんですが。それより、左翼に関して、殿下に改めてお願いしたいことがあるんです」
――まだあったのか!
ヴォルフは思わず顔をしかめた。
何でも一度に済ませるのが好きな男だ。今日、クッキーを届けにきたついでに、アーウィンへの追加の〝お願い〟も済ませるつもりだったに違いない。
「お願い?」
怪訝そうに問い返したアーウィンだが、ドレイクの〝お願い〟なら、たいていのことは叶えてしまうだろう。ましてや、今は最高潮に機嫌がいい。即決だ。
今まで、ドレイクの〝お願い〟が原因でアーウィンやこの艦隊が窮地に陥ったことはない。むしろ、逆に救われている。しかし、アーウィンの側近として一抹の不安はある。ヴォルフはこれまで以上に真剣に耳をそばだてた。
「いや、もしかしたら俺の杞憂で終わるかもしれないんですがね。〝保険〟として殿下にお願いしておきたいんです」
ドレイクはそう前置きして、アーウィンに〝お願い〟の内容を説明した。
無意識にか、アーウィンはクッキーの入った手提げ袋を抱えこんでドレイクの話を聞いていたが、最後に「どうでしょう?」と伺いを立てられると、案の定、「わかった」と即答した。
「ありがとうございます。でも、あくまで〝保険〟なので、俺が想定していた事態が起こらなかった場合には、この話はなかったことにしていただけないでしょうか?」
「言われるまでもない。だが、もし起こったとしたら、私が何も言わなくとも、勘づく人間は勘づくだろうな」
アーウィンが薄く笑う。ドレイクは苦笑いして肩をすくめた。
「そいつはまあ、仕方ないですね。俺は日頃の行いが悪いですから。でも、勘づくような人間は、わざわざ吹聴して回ったりはしないと思います」
「同感だ。もしいれば、私が処罰する」
「いや、それは絶対やめてください。殿下が動いたら、蝋燭の火も山火事になります」
真顔でドレイクに止められて、アーウィンは眉をひそめたが、ヴォルフは全面的にドレイクに賛同した。
「それでは殿下。俺はこれで失礼します。そのクッキー缶は、食べ終わったら物入れにでも使ってください」
ドレイクは丁寧に一礼すると、ヴォルフとキャルには片手を上げて雑に挨拶をし、足早に執務室を出ていった。
呼び止めたいような表情はしたものの、結局、アーウィンは何も言わずにドレイクの背中を見送った。が、自動ドアが閉まると、独り言のように呟いた。
「ふむ。今日の午前中にアルスターと会って、そうなる可能性が高いと踏んだか」
「まあ、そうなんだろうな。……いったい何を話しに行ったんだか」
「さあ、それはわからないが。たぶん、アルスターには面白い話ではなかっただろうな」
その気になれば〝大佐〟の執務室での会話も盗聴できる男は、人形のように美しい顔に酷薄な笑みを浮かべると、手提げ袋からクッキー缶を引き出した。
何を買ったかはヴォルフも知っていたが、現物は見たことがない。ヴォルフはソファから立ち上がると、アーウィンの傍らから机上を覗きこんだ。
青くて丸いクッキー缶。おそらく、アーウィンは今まで触れたこともないだろう。
実際、物珍しそうにまじまじと見つめていた。
「よかったな。粘りに粘って、ようやく手に入ったぞ」
昨日の子供のようなやりとりを思い出してヴォルフは嫌味を言ったが、アーウィンはまったく意に介さず、おぼつかない手つきでクッキー缶を開封した。
蓋を外すと、これまでこの部屋で嗅いだことのない、甘い香りが立ちのぼった。
「キャルにも食べられればいいんだが。あとで成分分析させよう」
そんなことを言いつつも、アーウィンはバタークッキーを手に取ると、端を少し齧って咀嚼した。
「……うまいな」
「そうかそうか。部下から脅しとったクッキーだからな。それはさぞかしうまかろう」
「この缶には何を入れておこうか」
「本当に物入れに使う気か?」
ヴォルフは意外に思ったが、ドレイクからもらったものを捨てたくないアーウィンの気持ちは理解できた。
「そうだな。宝物でも入れといたらどうだ?」
「宝物……」
アーウィンはクッキーを持ったまま、天井を見上げた。
「〈ワイバーン〉のメモリカード?」
「そうか。それがおまえの宝物なのか。……決して人には言えないな」
* * *
ドレイクが司令官の執務室にクッキーを届けに行った翌日の午後、またしてもヴァラクがドレイクの執務室を訪ねてきた。
名目はドレイクに食玩の宇宙船を渡すため。イルホンもドレイクもまったく信じていなかったが、前回同様、ヴァラクとその副官クロケルを迎え入れた。
「今日は携帯の電源切ってるのか?」
ソファに座ったまま、ドレイクがそうからかうと、向かいのソファに腰を下ろしたヴァラクは大仰にうなずいた。
「もちろんですよ。ここの電話にも絶対かけるなって言ってあります。もし万が一かけてきたら……セイルと二人きりで休憩してるって言っといてください」
「おいおい。おまえらの痴話喧嘩にうちの隊員巻きこむなよ」
自分の執務机にいたイルホンは、とっさにクロケルを見てしまったが、クロケルは濃茶色の平たい紙箱を持って、ヴァラクの隣に座りかけているところだった。
ドレイクの『痴話喧嘩』に特に驚いている様子はない。実はクロケルもヴァラクとダーナの関係を知っているのか。イルホンはひそかに頭を抱えた。
「それより大佐! 俺の思いつき、あのとき駄目出ししたくせに、しれっと採用しましたね! しれっと!」
今日は自分で持っていた青いマイボトルを、ヴァラクがドレイクに向かって突きつける。
ドレイクは腕組みをすると、わざとらしく溜め息をついた。
「やっぱりな。そう言われると思ってた」
「エリゴールからは名案は出なかったんですか?」
「やっぱり、それも読まれてたか。……いや。アルスター大佐を護衛に飛ばしてもらうっていう、どちらに転んでも俺たちの邪魔にはならない名案を出してくれたよ。でも、彼の本当の望みは、元ウェーバー大佐隊の〝復讐〟を成就させてやることだった。だから」
「殿下に頼んで、左翼の前衛と後衛を入れ替えてもらったと。でも、いいんですか? リスク高いんでしょ?」
「俺なりの元ウェーバー大佐隊に対する贖罪だよ。結果的に戦死者を出した」
「あれは大佐のせいじゃないでしょ」
「殿下がああするとわかっていて、あえて止めなかった」
「無人艦にだって、有人艦を守りきれないときもありますよ」
「どうした? 今日は妙に優しいな」
「今日はって何ですか、今日はって。俺は約束どおり、食玩持ってきてあげたのに」
「そういや、そのために来たんだったな。くれよ、くれくれ」
「じゃあ、セイルに会わせてくださいよ。この前、案を出してくれた礼に、ここにセイルを呼んでくれるって言ってたじゃないですか」
「プライベートでいくらでも会えよ」
「会ってくれないから、上官命令で呼び出してくれって頼んでるんじゃないですか」
「おまえこそ、会うのを避けられている現実を直視しろよ」
「畜生! 顔くらい見せてくれたっていいじゃねえかよ!」
本気で恨めしそうに叫んでから、ヴァラクはマイボトルを開け、おそらくアイスティーをヤケ酒のようにあおった。
「セイルに会わせてくれないから、ほんとはあげたくないけど、約束しちゃいましたからね。……クロケル」
「はい」
間髪を入れず、クロケルが紙箱の蓋を開ける。
中身はイルホンには見えなかったが、間違いなく食玩の宇宙船だろう。
「うおー。こんなちっちゃいのによくできてるなー。さすが『帝国』、いい仕事するな」
箱の中から、やはり食玩の宇宙船――メモリカードくらいの大きさだった――を摘まみ上げたドレイクは、子供のような歓声を上げながら、ためつすがめつ眺めていた。「連合」の食玩の出来はあまりよくなかったようだ。
イルホンには食玩を集める趣味はなかったが、そういえば子供の頃、対戦ゲームもできるカードを収集していたことがあった。途中で飽きてしまってコンプリートはできなかったが、ドレイクに見せたら興味を持ってくれるだろうか。
「元ウェーバー大佐隊は、どちらを選びますかね?」
イルホンが古の記憶に思いを馳せていると、ふいにヴァラクが口を開いた。
「やり返す? やり返さない?」
ヴァラクはにやにや笑っている。そんなヴァラクをちらりと見てから、ドレイクはまた食玩に目を戻した。
「さあな。とりあえず、アルスター大佐には昨日はっきり言ったよ。これがラストチャンスだって」
「わざわざ言いに行ったんですか? やっぱり優しいな。……逆恨みされたでしょ?」
本当に、この童顔の〝大佐〟は〝悪魔〟のようだ。
イルホンは戦慄したが、ドレイクは平然と答えた。
「おまえがここにいてくれてよかったよ、生き別れの〝弟〟」
「俺も大佐がここに来てくれて、本当によかったですよ」
ヴァラクはにこりと微笑むと、マイボトルを傾けた。
「でも、俺以上にそう思っているのは殿下です。それだけはお忘れなきよう。生き別れの〝お兄様〟」
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