【完結】悪魔の方舟【R18】

有喜多亜里

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愛の方舟

6 切断と落下と抱擁

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 突然、聞き覚えのある切断音がしてウィルが顔を上げると、前方の床に白い光が点っていた。
 整備班に属していたウィルには、その光の正体の見当はすぐについた。だが、その発想のとんでもなさにあっけにとられている間に、光はまるで透明人間の悪戯描きのようにゆっくり円を描いて消えた。あとには、焼け焦げた跡と臭いが残された。

(あのレーザーカッターで天井に穴を開けたのか? ちょっと調整まちがえたら、この軍艦ふねの外壁に穴を開けちまうぞ? 本当にとんでもない……)

 そう呆れながらも、こみあげてくる笑いを抑えることができない。
 この軍艦の下層には整備工場がある。そこには、天体望遠鏡のような形態をした、三六〇度自由に角度を変えられるレーザーカッターもあった。
 確か、エドがここに来た初日に、戦闘機でも簡単に輪切りにできると自慢したことがある。記憶力もいい彼は、きっとそれを覚えていたのだろう。
 レーザーカッターの操作者は、出力調整も完璧だったが、切断の仕方も見事だった。ウィルが立ち上がって円のそばに行くと、直径五十センチメートルほどの円の内側が少しずつ下へと沈んでいき、大きな音を立てて落ちた。
 できた穴から下を覗いてみれば、先ほど切りとられた床が階下まで落下せずに、お立ち台のように留まっていた。おそらく、そうなるように逆円錐形に切断していたのだろう。本当に頭のいい男だ。

(ここで待ってたほうがいいのかな)

 顔を上げたウィルは、これからどうしたらいいものかと悩んでいたが、やがて床下から人が歩いているような足音が聞こえてきた。

(あ……)

 期待して待っていると、その穴からにゅっと人間の手が伸びてきて、挨拶するように左右に振られた。
 まさか、真っ先に手を見せられるとは思っていなかった。ウィルは驚いてのけぞった。

「ウィル、無事か?」

 エドの声がした。もう二度と聞けないかもしれないと思っていた、あの低い声が。
 無事だと答えようとしたとき、穴から飛び出してきたものがあった。
 それはまるでそこにウィルがいるのを知っていたかのように、床に一度も足をつけることなく、まっすぐ彼の胸の中へと飛びこんできた。

「レオ?」

 これまで離れていた分を取り戻そうとするかのように、レオはキューキュー鳴きながら、ウィルの胸にすがりついていた。ウィルはレオがずり落ちないよう、片手で小さな体を支えてやった。

「俺の体をハシゴにしていきやがったな」

 ようやく、穴からエドが顔を出した。星明かりだけでも、彼がそのセリフとは裏腹に、レオに優しい眼差しを向けて笑っているのがわかった。

「エド……」
「とりあえず、そいつにたっぷり礼を言ってやれ。俺をその壁の前まで案内したあと、壁の下の床を一所懸命掘ろうとしてた。俺はそれを見て、ここの下に整備工場があったのを思い出したんだよ。だから、レオは二重の意味でおまえの恩人だ。よく感謝しとけ」
「おまえ、そんなことしてたの?」

 ウィルはあせってレオの前足を確認してみたが、鋭かった爪の先が多少丸くはなっていたものの、爪がむしれたり、怪我を負ったりはしていなかった。

「よかった、大丈夫だ。ありがとう、レオ。これからは朝の六時に叩き起こされても文句は言わないから」

 ほっとしてレオを抱きしめる。レオは嬉しそうにキューキュー鳴き、そんなレオをエドがうらやましげに眺めていた。

「本当はそこの隔壁を上げて出してやりたかったんだが、開閉装置まで壊れててな。そいつを直すより、床に穴を開けたほうが早いと思って、壁の外とここ、二箇所に穴を開けた。悪いが、天井裏のネズミになったつもりで、この下を移動してくれ」
「エドは何にも悪くないよ。こんなところに入りこんだ俺が悪いんだ。どうもありがとう。それにしても、エドってほんとに器用だよね。あのレーザーカッターまで使いこなせるんだ」
「まあ……それはこの軍艦ふねの中限定だけどな」

 ぼそぼそと答えてから、エドはウィルを手招きした。

「一応、開けても問題ない箇所を選んだつもりだが、この隔壁みたいに突然何が起こるかわからない。とっとと移動しよう」
「うん、わかった。いま行く」

 ウィルはまだ甘えたりない様子のレオの下半身を、自分の上着の内ポケットの中に入れた。こうされると、レオは何があっても逃げ出さずにいてくれる。

「いきなり天井が抜け落ちることはないと思うが、勢いつけずにそっと下りてくれ。狭くて暗くてごちゃごちゃしてるから、頭と足元に気をつけろ」

 そう注意してから、エドは顔を引っこめた。

「うん、わかった」

 ウィルは穴に両腕をかけて、慎重に足を下ろした。そのとき、脇からエドがペンライトの光を当ててくれていたので、どこに下りればいいかは迷わずに済んだ。
 エドが言ったとおり、床下の空間は少し腰を屈めないと頭をぶつけるほど狭かった。おまけに、様々な太さのケーブルやコードが巨大生物の血管か筋肉組織のように詰めこまれている。
 途方に暮れていると、今度は隔壁のある方向にペンライトを向けながら、エドがウィルの右手をつかんで歩き出した。恥ずかしくて反射的に振り払おうとしたが、エドの力のほうが強かった。

「手をつないでないと、おまえ、迷子になりそうだからな」

 前を向いたまま、言い訳のようにエドは言った。

「安心しろ。この中にいる間だけだから」

 ――〝友達〟だと、こんな非常事態のときでもないと、手もつなげないのか。

 エドの言葉を聞いて、今さらそんな当たり前のことに気づかされた。
 そういえば、もうずいぶん長く、誰かとこんなふうに手をつないでいない。
 エドの手はウィルより大きくて温かくて、この手をつかんでいるかぎり、恐れることは何も起こらないような気にさせられた。

 ――この手に、いつでも自分が好きなときに好きなだけ触れられたらいいのに。

 ふとそんなことを考えてしまったウィルは、そんな自分に自分で驚いてしまい、必死で動揺を押し隠した。
 友達のままでいてくれとエドに頼んだのは自分ではないか。今さらそんな身勝手な動機で友達以上になりたいなどと言えるわけがない。
 やがて、ペンライトの光の輪の中に、先ほどウィルが下りた穴の下にあった丸い台座状のものが浮かび上がった。
 さらに近づくと、その台座の上には丸い穴があり、そこから通路の薄暗い天井が目に入った。

「まず、レオを先に上にやったほうがいいな。そのままだと、穴を出るときレオを押しつぶしちまうかもしれない」
「確かにそうだね」

 エドの指摘にウィルは納得すると、自分の懐の中から左手でレオを取り出し、穴の外に向かって掲げた。

「レオ、先に上がって待ってて」

 賢いキツネネコはごねることもなく、素直にウィルの手から通路の床の上へと跳び移った。

「じゃあ、ウィル。次はおまえだ。その切り落とした床の上に乗っかれば、おまえ一人でも上がれると思うが。何なら、俺が下から尻を押してやろうか?」

 ペンライトは足元を照らしていたので、ウィルにはエドの表情は見えなかったが、その口調からすると、きっとにやにや笑っているのに違いない。

「一人で上がれるよ!」

 思わず赤くなって、相変わらずエドに握られたままの右手を振りほどこうとすると、逆にその手を引っ張られて、強く抱きしめられた。
 これまで、ウィルからエドに抱きついたことはあっても――それでも、エドがMACを凍結したと言ったあの日一度だけだ――その逆はなかった。ウィルには言葉を発することも抵抗することもできなかった。

「おまえを助け出せなかったら、どうしようかと思った……」

 ウィルの耳許でエドが囁いた。

「エド……」

 あの美声をこんな至近距離で聞かされたら、ますます身動きがとれなくなってしまう。エドよりもさらに小さな声で、彼の名前を呟くことしかできなかった。

「詳しい話は後で聞かせてもらう。とにかく、早いとこ上に上がってくれ」

 そうしようとしたウィルの邪魔をしたのは自分のくせに、エドはすぐに彼から両腕を離すと、促すようにペンライトを動かした。

「うん……」

 ひどく物足りなく思ったが――もっと何か言われたり、されたりするかと思っていた――エドの言うとおり、いつまでもこんなところにはいられない。ウィルはエドからセクハラまがいの手助けを受けることなく、何とか自力で穴から通路へと這い上がった。
 ほっと溜め息をついていると、レオがまたウィルの胸に飛びついてきた。今は両手を自由に使いたかったので、レオを自分の肩の上に乗せる。

「エド……」

 手を貸そうと思って穴を覗きこもうとした。が、エドはもう通路にいて、自分の体についた埃を払い落としていた。
 嫌味なことにこの男は、運動神経も人並み以上にいいのだ。さすがに開閉装置の修理はできなかったようだが。
 穴は例の隔壁から二メートルほど離れた場所に開けられていた。
 隔壁に近づいてみると、確かに猫が引っかいたような爪跡が床に残っていて、ウィルは改めてレオの小さな頭を撫でてやった。

「この穴は、明日、俺が鉄板持ってきて塞ぐから」

 穴を顎で指しながらエドが言った。

「そういうことなら、俺が専門だからやるよ」

 いつもエドの世話になってばかりなので、ここぞとばかりに申し出ると、彼は真顔でウィルを見すえた。

「駄目だ。おまえはもう二度とここには来るな。つーか、ここ以外の立入禁止区域にも絶対入るな。またどこかに閉じこめられたりしたらかなわない」
「……はい」

 確かにそのとおりだったので、ウィルは神妙にうなずいた。

「俺もここにはあまり長居したくないな。ウィル、いったん食堂に戻って話をしないか? 洗い物、途中で放り出してきちまったし」
「うん、いいよ……」

 そう答えかけてから、ウィルはあっと声を上げた。

「何だ、どうした?」
「食堂で思い出した。その……俺、閉じこめられてる間、ずっと気になってたことがあって……」
「気になってた? 何を?」

 ウィルは上目使いでエドを見た。

「言っても笑わない?」
「おまえが笑うなって言うんなら笑わない」

 生真面目に応じるエドに、ウィルのほうが笑ってしまった。

「いいよ、笑っても。自分でも、何でこんなこと気にするんだろうって思ったくらいだし」
「じゃあ、おかしかったら遠慮なく笑うぞ。いったい何をそんなに気にしてた?」
「……今日のデザートが何だったのか」

 決まり悪くて視線をそらせて答えると、エドは拍子抜けしたように言った。

「デザート?」
「うん。最初は、明日食べるなんて言わなきゃよかったって後悔してたんだけど……そういえば、何のデザートか訊いてなかったなって思って。……おかしいだろ? そんなこと気にするなんて」
「まあ……何というか……確かに俺の理解の範疇は超えてるが……気になっちまったもんはしょうがないやな。何なら、今から食堂で現物食べるか?」
「え?」
「まだ七時十五分を過ぎたばかりだ。デザートを食べるには遅すぎない時間だろ」

 エドはすまし顔で、自分の腕時計を人差指でつつく。

「え? まだそんな時間なの?」

 あわてて自分の腕時計を見たウィルは、エドが嘘をついていなかったのを知って呆然とした。

「俺、もう九時は過ぎてるって勝手に思いこんでた。こうして時計を見ればすぐにわかったことなのに」
「時計を見る余裕もないほど動転してたのか? 俺はずっと時間ばっかり気にしてたよ」

 エドは苦笑いしてから、ウィルを先導するように歩き出した。

「おまえが一人きりでいる時間を、一秒でも短くしてやりたくて」
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