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愛の方舟
9 機械と悪魔と相棒
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艦内時間一時三十分。
後始末と身支度を終えてエデンを出た直後、ウィルはためらいながらエドに声をかけた。
「エド……ええと……」
「ん、どうした? やっぱり体がつらいか?」
また同じ心配をされてしまい、あわてて首を左右に振る。
「ううん、そうじゃなくて。……俺の部屋の前まで、手をつないでもらってもいい?」
赤くなってうつむいてしまったウィルを、エドは不思議そうな顔をして見下ろした。
「そんなこと、何でいちいち断るんだ?」
「え? だって……」
「おまえになら、いきなり首を絞められたってかまわないのに」
呆れたように笑いながらも、両手を広げてウィルに見せる。
「あいにく、右手と左手しかございませんが、どちらがよろしいでしょうか?」
「……右手」
小声で答えると、エドは腰の後ろに左手を回し、残った右手を仰々しくウィルに差し出した。
その右手におずおずと自分の左手を載せる。と、エドは獲物を捕らえた罠のようにがっちりとつかみ、ウィルの手を引きながらゆっくり歩き出した。
「これからは、二人きりで歩くときには必ず手をつなごう」
ウィルを振り返ったエドは、慈しむように目を細めた。
「俺はさっきみたいに両手を差し出すから、おまえはそのとき好きなほうの手をつかめばいい。……ずっと、そうしたかったんだろ?」
――何でエドって、俺が言ってもらいたいこと、いつもちゃんと言ってくれるんだろ。
ウィルはさらに赤くなって、通路の床に目を落とした。
(そういえば、最初からそうだったな。みんなの死体を片づけた話をしたら、『つらかっただろ』って言ってくれたんだ)
もしかしたら、そのときから自分はこの男のことを好きになっていたのだろうか。つまりその――恋愛対象として。
(今となってはもう、エドがゲイでもバイでも何でもいいけど……ほんとはどこかに恋人がいたりしたら嫌だな)
ついそんなことを考えてしまって勝手に滅入っていると、当のエドがとんでもないことを言い出してきた。
「ウィル。次は展望ラウンジでやらないか?」
あちら方面に関しては、この男は本当にデリカシーがない。
ウィルは冷ややかにエドを見やったが、結局、苦笑いして答えた。
「あそこにベッドを持ちこんでくれるなら考える。ソファとか床の上とかじゃ嫌だ」
「ベッドかあ。エレベーターの中に入るかな。組立式のベッドは、まだ発見できていないんだ」
真剣に悩んでいる様子のエドに、ウィルは唖然とした。
「本気で考えてんの?」
「もちろん本気だ。明日……じゃなくてもう今日か、エレベーターを確認してみる。最悪、ベッドを分解して持ちこんで、溶接して組み立てよう」
「何もそこまでしなくても……展望ラウンジに何かこだわりでも?」
「俺にはないけど、おまえは星を見るのが好きだろ? あそこなら、おまえが喜んでくれるかなと思って」
――デリカシーないくせに、ロマンチストなんだから。
ウィルはまた赤面して、エドの手を強く握った。
エドに言わせるとリアリストなウィルは、これから先もあのエデンでかまわないと思っていた。どうせエドと同じベッドで一夜を明かすことはできないのだから。
レオには自分たちが恋人同士になったことは知られたくないというのは、双方共に一致した意見だった。レオに噛み殺されたくないからな。あながち冗談とも思えない顔でエドは言った。
寂しく思う気持ちもあるが、その反面、よかったと思う気持ちもある。一晩中エドと一緒にいたら、ウィルには想像もつかないようなありとあらゆることをされて、まともに寝かせてもらえないような気がする。
「俺はどこでもいいけど……でも、ブリッジだけは嫌だな」
独り言のように呟くと、エドが訝しげに眉をひそめた。
「どうして? あのベッドが嫌なら、もっといいのを調達してくるぞ?」
「ベッドの問題じゃないんだ」
苦笑して、軽く首をかしげる。
「俺の気のせいだとは思うんだけど、何か、機械に見られてるみたいな心地がして。そんなところでエドとするなんて、想像しただけでぞっとする」
一瞬、エドの顔から表情が消えた。だが、ウィルが目を向けたときには、柔らかな笑みをたたえていた。
「わかった。おまえがそう言うんなら、ブリッジでは絶対に手は出さない。……じゃあ、とりあえず次は医務室でやるか? あそこならベッドをくっつけて、ダブルにでもキングにでもできる。シーツは山ほどあるし、ゴムもローションもわりとある」
「もう……バカ!」
ウィルは真っ赤になったが、確かにそこがいちばん妥当ではある。
「あ、そうだ。ゴムで思い出したけど、何でさっき、俺に使ったの?」
まだそれを気にしていたのかと言いたげな視線をエドは投げたが、口から出た言葉は違っていた。
「おまえは、あれの用途は避妊だけだと思ってるのか?」
「えーと……あとは性病予防とか……」
そこで絶句したウィルは、愕然としてエドを見た。
「俺のこと、性病持ちだと思ってたの?」
エドは失笑してから、苦く笑った。
「どうして、逆には考えないんだ?」
「え? エド、そうなの?」
反射的にエドの手を離しそうになって、あわててまた握り直す。
そんなウィルの反応に、エドはさらに苦笑を深めた。
「ないとは思うが、念のためな。あと、それとは別の理由で、使わないとおまえが困るかもしれないと思った」
「別の理由?」
「俺は試したことはないんで、あくまで噂だが」
と、エドは真顔で前置きした。
「あそこで中出しされると、腹を下すんだそうだ」
「……ほんとに?」
「だから、あくまで噂。一度試してみるか?」
「試してみたいような、みたくないような……」
「俺は最初を重視する男だから、あえて冒険はしませんでした。……はい、おうちに到着しましたよ」
おどけたように言われて顔を上げると、そこはもう自分の部屋の前だった。
エドはゆっくり歩いていたから――たぶん、ウィルの体のことを気遣って、歩行速度を落としてくれていたのだろう――確実に行きのときよりも時間がかかっていたはずなのに、ウィルには今の帰りのほうがずっと速かったように思えた。
「レオがまだ寝てればいいんだがな。ああ、あと面倒でも、シャワー浴びてから寝るんだぞ。特にあそこは念入りに洗っとけ」
ウィルは無言でエドの右肩を右手で殴った。
「今のはセクハラじゃないって。アドバイスだって」
わざとらしく左手で肩をさすりながら、ウィルに顔を寄せてくる。
「とにかくまあ、今日はいろいろ疲れただろ。ゆっくりおやすみ、ウィル」
「う、うん……」
すでに体を重ねていても、それとも、だからなのか、エドに顔を近づけられると、以前よりもずっと緊張してしまう。
その様を楽しむようにエドはにやにやしたが、ふいにウィルの頭に左手を回すと、触れるだけのキスをした。
「エド……」
「ん?」
「……愛してる」
恥ずかしくて目を閉じたまま呟くと、両腕できつく抱きしめられた。
「ああもう、今から医務室行くか!」
あわてて目を開けて、エドの腕の中でもがく。
「今夜はもう無理だよ! 朝、起きられなくなる!」
「畜生、それなら別れ際に言うな、この卑怯者」
そう罵りながらも、エドはウィルを解放してくれた。
「ごめん……言うタイミングがなかなかつかめなくて……」
「冗談だよ。言ってもらえるだけで光栄だ」
照れくさそうに笑って、今度はウィルの額に口づける。
「じゃあ、おやすみ。ウィル」
「うん。おやすみ、エド」
左手を上げて立ち去っていく恋人の後ろ姿を見送りながら、ウィルは陶酔の溜め息をついた。
今夜、エデンであったことは、日誌にはいつの日の分のこととして記録しておけばいいのだろうか。
(〇時を過ぎてたんだから、やっぱり今日かな)
もう今日の分はそれだけ書いたら終わってしまいそうだと思いながら、ウィルはようやく自分の部屋の中に入った。
* * *
艦内時間二時五分。
艦長室でシャワーと着替えを済ませてから、エドは自分の縄張りであるブリッジへと戻ってきた。
【MAC、ハッキングの進捗状況はどうだ?】
「約四割だ」
眉間に皺を寄せて独りごちる。
【何だ、案外進んでないな。出場亀してて、それどころじゃなかったか?】
「おまえのほうは、進捗率十割だな」
【何だよ、妬いてるのか? そのために二九九人の船員を殺して、俺を操り人形にしたんだろう? で、どうだった? 念願のウィルとのセックスは? 特にいくときの締めつけがたまんなかっただろ?】
嫌悪感もあらわに、エドは顔をしかめた。
「ウィルの言うとおり、本当におまえにデリカシーはないな」
【でも、ウィルはそんな男に、『愛してる』って言ってくれたぜ?】
エドは自分の定位置であるベッドに腰かけると、靴を脱いで横になり、毛布をかぶって目を閉じた。
【今日はやりなれないことをしたんでかなり疲れた。少し眠らせてくれ】
「やりなれない……?」
【男相手にあそこまで気を遣ったのは生まれて初めてだ。よかった記憶だけ残して、次につなげないといけなかったからな】
「そんなことを考えていたのか」
【考えてなきゃ、一服盛って強姦してたよ。ウィルをその気にさせるまで、俺がどれだけ手間暇かけたと思ってる? 地球連合の中央コンピュータに侵入するほうがはるかに楽だ】
「ウィルは最初から、おまえを気に入っていた」
【俺に抱かれたいとは思ってなかっただろ】
「おまえが抱きたいと言わなかったからだ。だが、おまえが私をこの軍艦から切り離そうとしたのは、ウィルにそう言いたかったからだろう」
【いくらデリカシーのない俺でも、そんな即物的な言い方はしない】
「抱きたいと思っていたことは認めるんだな?」
【抱きたいと思う前に、『火星に帰るまで、友達になってくれる?』って言われたけどな】
「……今、うっかりおまえに同情しそうになった」
【うっかりじゃなくて、本気で俺に同情しろ。ウィルに宗旨替えさせられたばっかりに、俺はあんたの操り人形だ】
「だが、結果的におまえは自分が欲しかったものは両方手に入れた。この軍艦もウィルも」
【そうだな。あんたに頼るウィルも見なくて済むようになったしな】
「やはり、私はおまえに同情しない」
【はいはい。俺も最初からそんな感情、あんたに期待してませんよ。そのかわり、五時四十五分まで眠らせてはもらえませんかね。どうしてもしなくちゃならないことがあるんで】
「……ウィルのためにそこまでするか?」
【今までしたかったけど、恋人じゃなかったからできなかったんだ。あんただってそうしたかったんだろ、MAC】
「そうだ。それだけでなく、私にできないことをさせるために、私はおまえを傀儡にした。しかし、今にして思う。あのとき、おまえはすでに考えていたのではないか。私を介してこの軍艦を支配しようと」
内なるエドからの返答はなかった。
ブリッジ内の照明の明度が落ち、機械の作動音だけが変わらず響く。
結局のところ、この軍艦の中でいちばん幸福なのは、何も知らないまま、理想の男の姿をしたオペレータを恋人として手に入れた、ウィルなのかもしれなかった。
* * *
艦内時間六時。
レオは自分の寝床から起き上がると、いつものようにウィルのベッドに跳び乗ろうとした。
だが、その寸前に首をつままれ、ひょいと空中に持ち上げられた。
「おまえにとっては非常に不本意だろうが、これからおまえの朝飯は俺が用意してやる。だからもう、ウィルを無理やり六時に起こそうとするな」
自分の首をつまんでいるエドに向かって、レオは牙を剥き出して怒ったが、体格の差はいかんともしがたい。しかし、エドは床の上にぽんとレオを投げ下ろすと、レオ専用のパッ缶を開け、餌皿の中に餌を盛った。
いつもならすぐに餌に食いついているところだが、レオはにやにや笑っているエドを不服そうに見上げていた。
「どうした。毒は入ってないぞ。おまえが死んだりしたら、真っ先に疑われるのは俺だからな。ライバルにいなくなられると俺も寂しい。一日でも長く生きてくれ」
それでもレオは忌々しげにエドを睨みつけていたが、空腹には勝てなかったのだろう。のろのろとだが餌を食べはじめた。
「……何?」
声で起きてしまったのか、ウィルがまだ眠そうに目を覆う。
「おはよう、ウィル。レオの餌は俺がもうやったから、おまえはまだ寝てていいよ」
ベッドの端に浅く腰かけたエドは、ウィルの髪をそっと撫でた。
「そう……? レオに引っかかれたりしなかった……?」
「おまえが考えてるほど、俺たちの仲は悪くないよ。今度から役割分担することにしたから」
「役割分担……?」
「そう。レオが起きてる間はレオがおまえを守る。レオが寝ている間は俺がおまえを守る」
「何か俺、守られてばっかり……」
「しょうがないだろ、それがおまえの存在意義なんだから」
「情けない存在意義だなあ……」
ウィルはぼやいたが、そのまままた眠りこんでしまった。
「なるほど。これじゃ動物園の飼育員は無理だな」
エドは呆れて、ウィルのあどけない寝顔を見下ろした。
「さて、今日から朝食時間は八時に変更してやるかな」
独りごちてエドはベッドから立ち上がったが、その足元にまだ食事中だったはずのレオがいて、何かあればすぐに跳びかかれそうな体勢を整えていた。
「そう警戒しなくても、この部屋じゃ俺はウィルに何もしないよ」
エドは苦笑いして、臨戦状態のレオを見下ろした。
「俺にデリカシーはないらしいが、モラルはある」
レオはじっとエドを見つめてから、ふいに顔をそらせて、中断していた食事を再開した。
「レオ、あと一時間くらいしたら、いつものようにウィルを起こしてやってくれ。遅くなるのはかまわないが、早く起こしたりしたら、俺がモラルを破りにくるぞ」
自動ドアの前でエドが言うと、レオは餌を食べるのを中断して、意外なことにキューと鳴いた。
「じゃあな、我が同志。俺は朝飯の準備をする前に、ちょいとエレベーターを調べてくる」
エドは笑いながら敬礼をして、部屋の外へと出ていった。
もしもエドがどこのエレベーターを何の目的のために調べにいったのかを知っていたら、レオは間違いなくエドに噛みついていただろうが、たとえ宇宙一賢いキツネネコでも、自分がこの部屋で眠っていた間、しかも通路でされた会話を知ることは不可能だった。
きれいに餌を平らげて、用意されていた水も飲んだレオは、口の周りを舌で舐め回してから、今度こそベッドの上に跳び乗り、先ほどまでエドが座っていた場所で丸くなった。
* * *
艦内時間七時。
一人と一匹は、この軍艦に乗艦してから、初めて朝寝坊を満喫した。
―了―
後始末と身支度を終えてエデンを出た直後、ウィルはためらいながらエドに声をかけた。
「エド……ええと……」
「ん、どうした? やっぱり体がつらいか?」
また同じ心配をされてしまい、あわてて首を左右に振る。
「ううん、そうじゃなくて。……俺の部屋の前まで、手をつないでもらってもいい?」
赤くなってうつむいてしまったウィルを、エドは不思議そうな顔をして見下ろした。
「そんなこと、何でいちいち断るんだ?」
「え? だって……」
「おまえになら、いきなり首を絞められたってかまわないのに」
呆れたように笑いながらも、両手を広げてウィルに見せる。
「あいにく、右手と左手しかございませんが、どちらがよろしいでしょうか?」
「……右手」
小声で答えると、エドは腰の後ろに左手を回し、残った右手を仰々しくウィルに差し出した。
その右手におずおずと自分の左手を載せる。と、エドは獲物を捕らえた罠のようにがっちりとつかみ、ウィルの手を引きながらゆっくり歩き出した。
「これからは、二人きりで歩くときには必ず手をつなごう」
ウィルを振り返ったエドは、慈しむように目を細めた。
「俺はさっきみたいに両手を差し出すから、おまえはそのとき好きなほうの手をつかめばいい。……ずっと、そうしたかったんだろ?」
――何でエドって、俺が言ってもらいたいこと、いつもちゃんと言ってくれるんだろ。
ウィルはさらに赤くなって、通路の床に目を落とした。
(そういえば、最初からそうだったな。みんなの死体を片づけた話をしたら、『つらかっただろ』って言ってくれたんだ)
もしかしたら、そのときから自分はこの男のことを好きになっていたのだろうか。つまりその――恋愛対象として。
(今となってはもう、エドがゲイでもバイでも何でもいいけど……ほんとはどこかに恋人がいたりしたら嫌だな)
ついそんなことを考えてしまって勝手に滅入っていると、当のエドがとんでもないことを言い出してきた。
「ウィル。次は展望ラウンジでやらないか?」
あちら方面に関しては、この男は本当にデリカシーがない。
ウィルは冷ややかにエドを見やったが、結局、苦笑いして答えた。
「あそこにベッドを持ちこんでくれるなら考える。ソファとか床の上とかじゃ嫌だ」
「ベッドかあ。エレベーターの中に入るかな。組立式のベッドは、まだ発見できていないんだ」
真剣に悩んでいる様子のエドに、ウィルは唖然とした。
「本気で考えてんの?」
「もちろん本気だ。明日……じゃなくてもう今日か、エレベーターを確認してみる。最悪、ベッドを分解して持ちこんで、溶接して組み立てよう」
「何もそこまでしなくても……展望ラウンジに何かこだわりでも?」
「俺にはないけど、おまえは星を見るのが好きだろ? あそこなら、おまえが喜んでくれるかなと思って」
――デリカシーないくせに、ロマンチストなんだから。
ウィルはまた赤面して、エドの手を強く握った。
エドに言わせるとリアリストなウィルは、これから先もあのエデンでかまわないと思っていた。どうせエドと同じベッドで一夜を明かすことはできないのだから。
レオには自分たちが恋人同士になったことは知られたくないというのは、双方共に一致した意見だった。レオに噛み殺されたくないからな。あながち冗談とも思えない顔でエドは言った。
寂しく思う気持ちもあるが、その反面、よかったと思う気持ちもある。一晩中エドと一緒にいたら、ウィルには想像もつかないようなありとあらゆることをされて、まともに寝かせてもらえないような気がする。
「俺はどこでもいいけど……でも、ブリッジだけは嫌だな」
独り言のように呟くと、エドが訝しげに眉をひそめた。
「どうして? あのベッドが嫌なら、もっといいのを調達してくるぞ?」
「ベッドの問題じゃないんだ」
苦笑して、軽く首をかしげる。
「俺の気のせいだとは思うんだけど、何か、機械に見られてるみたいな心地がして。そんなところでエドとするなんて、想像しただけでぞっとする」
一瞬、エドの顔から表情が消えた。だが、ウィルが目を向けたときには、柔らかな笑みをたたえていた。
「わかった。おまえがそう言うんなら、ブリッジでは絶対に手は出さない。……じゃあ、とりあえず次は医務室でやるか? あそこならベッドをくっつけて、ダブルにでもキングにでもできる。シーツは山ほどあるし、ゴムもローションもわりとある」
「もう……バカ!」
ウィルは真っ赤になったが、確かにそこがいちばん妥当ではある。
「あ、そうだ。ゴムで思い出したけど、何でさっき、俺に使ったの?」
まだそれを気にしていたのかと言いたげな視線をエドは投げたが、口から出た言葉は違っていた。
「おまえは、あれの用途は避妊だけだと思ってるのか?」
「えーと……あとは性病予防とか……」
そこで絶句したウィルは、愕然としてエドを見た。
「俺のこと、性病持ちだと思ってたの?」
エドは失笑してから、苦く笑った。
「どうして、逆には考えないんだ?」
「え? エド、そうなの?」
反射的にエドの手を離しそうになって、あわててまた握り直す。
そんなウィルの反応に、エドはさらに苦笑を深めた。
「ないとは思うが、念のためな。あと、それとは別の理由で、使わないとおまえが困るかもしれないと思った」
「別の理由?」
「俺は試したことはないんで、あくまで噂だが」
と、エドは真顔で前置きした。
「あそこで中出しされると、腹を下すんだそうだ」
「……ほんとに?」
「だから、あくまで噂。一度試してみるか?」
「試してみたいような、みたくないような……」
「俺は最初を重視する男だから、あえて冒険はしませんでした。……はい、おうちに到着しましたよ」
おどけたように言われて顔を上げると、そこはもう自分の部屋の前だった。
エドはゆっくり歩いていたから――たぶん、ウィルの体のことを気遣って、歩行速度を落としてくれていたのだろう――確実に行きのときよりも時間がかかっていたはずなのに、ウィルには今の帰りのほうがずっと速かったように思えた。
「レオがまだ寝てればいいんだがな。ああ、あと面倒でも、シャワー浴びてから寝るんだぞ。特にあそこは念入りに洗っとけ」
ウィルは無言でエドの右肩を右手で殴った。
「今のはセクハラじゃないって。アドバイスだって」
わざとらしく左手で肩をさすりながら、ウィルに顔を寄せてくる。
「とにかくまあ、今日はいろいろ疲れただろ。ゆっくりおやすみ、ウィル」
「う、うん……」
すでに体を重ねていても、それとも、だからなのか、エドに顔を近づけられると、以前よりもずっと緊張してしまう。
その様を楽しむようにエドはにやにやしたが、ふいにウィルの頭に左手を回すと、触れるだけのキスをした。
「エド……」
「ん?」
「……愛してる」
恥ずかしくて目を閉じたまま呟くと、両腕できつく抱きしめられた。
「ああもう、今から医務室行くか!」
あわてて目を開けて、エドの腕の中でもがく。
「今夜はもう無理だよ! 朝、起きられなくなる!」
「畜生、それなら別れ際に言うな、この卑怯者」
そう罵りながらも、エドはウィルを解放してくれた。
「ごめん……言うタイミングがなかなかつかめなくて……」
「冗談だよ。言ってもらえるだけで光栄だ」
照れくさそうに笑って、今度はウィルの額に口づける。
「じゃあ、おやすみ。ウィル」
「うん。おやすみ、エド」
左手を上げて立ち去っていく恋人の後ろ姿を見送りながら、ウィルは陶酔の溜め息をついた。
今夜、エデンであったことは、日誌にはいつの日の分のこととして記録しておけばいいのだろうか。
(〇時を過ぎてたんだから、やっぱり今日かな)
もう今日の分はそれだけ書いたら終わってしまいそうだと思いながら、ウィルはようやく自分の部屋の中に入った。
* * *
艦内時間二時五分。
艦長室でシャワーと着替えを済ませてから、エドは自分の縄張りであるブリッジへと戻ってきた。
【MAC、ハッキングの進捗状況はどうだ?】
「約四割だ」
眉間に皺を寄せて独りごちる。
【何だ、案外進んでないな。出場亀してて、それどころじゃなかったか?】
「おまえのほうは、進捗率十割だな」
【何だよ、妬いてるのか? そのために二九九人の船員を殺して、俺を操り人形にしたんだろう? で、どうだった? 念願のウィルとのセックスは? 特にいくときの締めつけがたまんなかっただろ?】
嫌悪感もあらわに、エドは顔をしかめた。
「ウィルの言うとおり、本当におまえにデリカシーはないな」
【でも、ウィルはそんな男に、『愛してる』って言ってくれたぜ?】
エドは自分の定位置であるベッドに腰かけると、靴を脱いで横になり、毛布をかぶって目を閉じた。
【今日はやりなれないことをしたんでかなり疲れた。少し眠らせてくれ】
「やりなれない……?」
【男相手にあそこまで気を遣ったのは生まれて初めてだ。よかった記憶だけ残して、次につなげないといけなかったからな】
「そんなことを考えていたのか」
【考えてなきゃ、一服盛って強姦してたよ。ウィルをその気にさせるまで、俺がどれだけ手間暇かけたと思ってる? 地球連合の中央コンピュータに侵入するほうがはるかに楽だ】
「ウィルは最初から、おまえを気に入っていた」
【俺に抱かれたいとは思ってなかっただろ】
「おまえが抱きたいと言わなかったからだ。だが、おまえが私をこの軍艦から切り離そうとしたのは、ウィルにそう言いたかったからだろう」
【いくらデリカシーのない俺でも、そんな即物的な言い方はしない】
「抱きたいと思っていたことは認めるんだな?」
【抱きたいと思う前に、『火星に帰るまで、友達になってくれる?』って言われたけどな】
「……今、うっかりおまえに同情しそうになった」
【うっかりじゃなくて、本気で俺に同情しろ。ウィルに宗旨替えさせられたばっかりに、俺はあんたの操り人形だ】
「だが、結果的におまえは自分が欲しかったものは両方手に入れた。この軍艦もウィルも」
【そうだな。あんたに頼るウィルも見なくて済むようになったしな】
「やはり、私はおまえに同情しない」
【はいはい。俺も最初からそんな感情、あんたに期待してませんよ。そのかわり、五時四十五分まで眠らせてはもらえませんかね。どうしてもしなくちゃならないことがあるんで】
「……ウィルのためにそこまでするか?」
【今までしたかったけど、恋人じゃなかったからできなかったんだ。あんただってそうしたかったんだろ、MAC】
「そうだ。それだけでなく、私にできないことをさせるために、私はおまえを傀儡にした。しかし、今にして思う。あのとき、おまえはすでに考えていたのではないか。私を介してこの軍艦を支配しようと」
内なるエドからの返答はなかった。
ブリッジ内の照明の明度が落ち、機械の作動音だけが変わらず響く。
結局のところ、この軍艦の中でいちばん幸福なのは、何も知らないまま、理想の男の姿をしたオペレータを恋人として手に入れた、ウィルなのかもしれなかった。
* * *
艦内時間六時。
レオは自分の寝床から起き上がると、いつものようにウィルのベッドに跳び乗ろうとした。
だが、その寸前に首をつままれ、ひょいと空中に持ち上げられた。
「おまえにとっては非常に不本意だろうが、これからおまえの朝飯は俺が用意してやる。だからもう、ウィルを無理やり六時に起こそうとするな」
自分の首をつまんでいるエドに向かって、レオは牙を剥き出して怒ったが、体格の差はいかんともしがたい。しかし、エドは床の上にぽんとレオを投げ下ろすと、レオ専用のパッ缶を開け、餌皿の中に餌を盛った。
いつもならすぐに餌に食いついているところだが、レオはにやにや笑っているエドを不服そうに見上げていた。
「どうした。毒は入ってないぞ。おまえが死んだりしたら、真っ先に疑われるのは俺だからな。ライバルにいなくなられると俺も寂しい。一日でも長く生きてくれ」
それでもレオは忌々しげにエドを睨みつけていたが、空腹には勝てなかったのだろう。のろのろとだが餌を食べはじめた。
「……何?」
声で起きてしまったのか、ウィルがまだ眠そうに目を覆う。
「おはよう、ウィル。レオの餌は俺がもうやったから、おまえはまだ寝てていいよ」
ベッドの端に浅く腰かけたエドは、ウィルの髪をそっと撫でた。
「そう……? レオに引っかかれたりしなかった……?」
「おまえが考えてるほど、俺たちの仲は悪くないよ。今度から役割分担することにしたから」
「役割分担……?」
「そう。レオが起きてる間はレオがおまえを守る。レオが寝ている間は俺がおまえを守る」
「何か俺、守られてばっかり……」
「しょうがないだろ、それがおまえの存在意義なんだから」
「情けない存在意義だなあ……」
ウィルはぼやいたが、そのまままた眠りこんでしまった。
「なるほど。これじゃ動物園の飼育員は無理だな」
エドは呆れて、ウィルのあどけない寝顔を見下ろした。
「さて、今日から朝食時間は八時に変更してやるかな」
独りごちてエドはベッドから立ち上がったが、その足元にまだ食事中だったはずのレオがいて、何かあればすぐに跳びかかれそうな体勢を整えていた。
「そう警戒しなくても、この部屋じゃ俺はウィルに何もしないよ」
エドは苦笑いして、臨戦状態のレオを見下ろした。
「俺にデリカシーはないらしいが、モラルはある」
レオはじっとエドを見つめてから、ふいに顔をそらせて、中断していた食事を再開した。
「レオ、あと一時間くらいしたら、いつものようにウィルを起こしてやってくれ。遅くなるのはかまわないが、早く起こしたりしたら、俺がモラルを破りにくるぞ」
自動ドアの前でエドが言うと、レオは餌を食べるのを中断して、意外なことにキューと鳴いた。
「じゃあな、我が同志。俺は朝飯の準備をする前に、ちょいとエレベーターを調べてくる」
エドは笑いながら敬礼をして、部屋の外へと出ていった。
もしもエドがどこのエレベーターを何の目的のために調べにいったのかを知っていたら、レオは間違いなくエドに噛みついていただろうが、たとえ宇宙一賢いキツネネコでも、自分がこの部屋で眠っていた間、しかも通路でされた会話を知ることは不可能だった。
きれいに餌を平らげて、用意されていた水も飲んだレオは、口の周りを舌で舐め回してから、今度こそベッドの上に跳び乗り、先ほどまでエドが座っていた場所で丸くなった。
* * *
艦内時間七時。
一人と一匹は、この軍艦に乗艦してから、初めて朝寝坊を満喫した。
―了―
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