【完結】悪魔の方舟【R18】

有喜多亜里

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悪魔の方舟

2 二人と一匹

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 ――似てるな。
 それが、その一人と一匹を見た彼の第一印象だった。
 明るい褐色の毛色と杏型の緑色の目が、とてもよく似ている。
 しかし、その表情はまったく別で、一人のほうは本当に心配そうな顔をしていたし、その一人の腕に抱かれた一匹のほうは、まるで関心なしといった様子だった。

「あ、気がついた」

 ほっとしたように一人のほうが言った。
 目線の位置から推察するに、彼は今ベッドの中にいて、一人はその横に椅子を置いて座っている。

「体、大丈夫? 気分は? MACマックはどこにも異常はないって言ってたけど、やっぱり心配で……あ、俺はウィル・スペンサー。こいつはレオ。名前は? どこの星の人? あの宇宙船ふねでどこに行こうとしてたの?」
「頼みがある」

 矢継ぎ早に質問をぶつけてくるウィル――まだ十代の少年に見える――を、彼は上半身を起こしながら、左手を上げて制した。

「今から五分間、あんたは俺の質問にだけ答えてくれないか? その後の五分間は、俺があんたの質問に答えるから」

 ウィルは大きく目を見張ったが、幸い気分を害しはしなかったようで、「うん、わかった!」と愛想よくうなずいた。

「ありがとう。まず、ここはどこだ? 宇宙船の中……だよな?」
「うん。地球連合の宇宙軍艦。艦名は〈レイヴン〉」
「軍艦!?」

 それは彼の予想をはるかに超えていた。とっさに逃げ出したくなったが、まだ自分の正体はばれていないようだ。ここはうかつに動かないほうがいいだろう。

「うん。でも、初めてノン・オペレータ・システムを採用した軍艦だから、試験的に長期航海することになったんだ。火星から出発して、五年後にエリンに到着する予定だったんだけど……」

 そこで、ウィルの表情がにわかに曇る。
 気にはなったが、それ以上に、ウィルが口にしたある用語のほうが引っかかった。

「ノン・オペレータ・システム……ってことは、まさかこの軍艦ふね、トリニティ社製か?」
「そうだけど……それがどうかした?」
「知らないのか?」

 訊き返してから、もしかしたら情報統制がされているのかもしれないと思い直した。それに、これは乗組員には直接関係のない話だ。

「トリニティ社は倒産した。もっとも、つい最近の話だが」

 ウィルはしばらく言葉を失っていた。気持ちはわかる。トリニティ社は地球を代表する宇宙船メーカーの一つだった。ついでに言うなら、ノン・オペレータ・システムを考案したメーカーでもある。

「倒産? あんなでっかい企業が? 何でまた?」

 案の定、ウィルは信じられないようにそう言った。

「まあ、一言で言うなら、三代目の社長がボンクラだった。なまじ、先代が切れ者だったから、あえて先代とは違うことをしようとしたんだろうな。でも、しょせんボンクラだから、やることなすこと裏目に出て、そこに同業連中がうまくつけこんで、あっというまに倒産にまで追いこんだ。ただ、ノン・オペの関係者は倒産前にみんな行方をくらませてて、ノン・オペ狙いだった同業は、いま血眼で探し回ってるそうだ」
「何でだろ……倒産したんなら、他で雇ってもらえばいいのに……」

 まさか、そちらを気にするとは思わなかった。真剣な顔で呟くウィルに、彼は思わず笑ってしまった。

「確かにそうだな。まあ、理由は何にせよ、このまま関係者が見つからなけりゃ、ノン・オペはロスト・テクノロジーになるな」
「え、どうして?」
「結局のところ、真の意味でのノン・オペはトリニティ社にしか実用化できなかった。そもそも、採算性もよくない技術だからな。ノン・オペ導入するより、普通に人間乗せてたほうが、かえって安上がりかもしれない」
「それはそうかもしれないけど……せっかく開発したのに……」
「別に珍しいことじゃない。そうやって世の中から消えていった技術はいくらでもある。しかし、試作とはいえ、ノン・オペ導入した軍艦があったとはな。……火星を出たのはいつだ?」
「ええと……艦内時間でいうと四年前」
「なら、あと一年でエリンに到着するわけか」
「うん。その予定だったんだけど……」

 言いづらそうにウィルは訂正する。

「実は今、火星に引き返してる途中で……MACが言うには、あと二年くらいで帰れるって」
「引き返してる? どうして?」

 ――やっと太陽系外まで逃げ出してきたってのに?
 喉までそう出かかったが、空気と共にあわてて呑みこんだ。

「その……非常事態が起きたから、仕方なく……」
「非常事態? そういや、さっきから気になってたんだが、ここには医者も看護師もいないのか? あんたはどう見たって、そのどっちでもないだろ」
「うん。俺はただの整備士。でも、今この軍艦ふねにいる乗組員は、俺一人だけなんだ……」

 彼は一拍遅れて眉をひそめた。

「何?」
「艦内時間でいうと去年のことなんだけど、ある日突然、みんな死んじゃって……すぐに火星基地に報告しようとしたんだけど、通信機器が原因不明の故障で全部使えなくなってるんだって。みんなの遺体があるから、エリンに行くのはやめて、火星に引き返すことにしたんだ」

 なぜか後ろめたそうに説明するウィルを、彼は呆然と見つめていた。が、ふとそれまで自分が肝心なことを聞き流していたのにようやく気がついた。

「じゃあ、さっきからあんたが言ってるMACっていうのは人間じゃなくて、この軍艦ふねの――」
「うん。人工知能。正式な名前はすごく長ったらしいそうだから、みんな通称のMACで呼んでた」
「この軍艦ふね、出航時には何人乗ってた?」
「俺を入れて三〇〇人」
「三〇〇人? ってことは、二九九人もの人間が、あんた一人を残していっぺんに死んじまったっていうのか? 原因は何だ?」

 そう問うと、ウィルは暗い表情で首を左右に振った。

「俺にはわからない。MACが言うには、みんなが食べたものの中に、誤って猛毒が混入したんじゃないかって。俺はレオがいたから、自分の部屋か職場でしか食事はしてなかったんだ」

 脳天気そうに見えたウィルだが、実は壮絶な体験をしていたようだ。
 幼さの残る小さな顔からは、最初の頃にはあった明るさはすっかり失われてしまっていた。

「朝、目が覚めたら、MACに俺以外の乗組員が全員死んでるって言われて……伝染病の恐れもあるからって、MACが艦内を調べ終わるまで、半日部屋の中に閉じこもってた。結局、そういうのは見つからなくて、やっと部屋の外に出られたけど……地獄ってこういうのをいうのかなって、そのとき初めて思ったよ」
「あんた一人で、二九九人分の死体を片づけたのか?」
「うん。保冷庫へはMACがカートを動かして運んでくれたけど。寝袋みたいな袋に死体を入れて、そのカートに乗せるところまでは俺がやった」
「大変だったな。つらかっただろ」

 艦内の各所に転がっていただろう死体を、この少年がたった一人で回収しているのを想像した彼は、彼にしては珍しく心からそう言った。すると、ウィルは目を見開いて彼を見つめ返した。

「何だ? どうした?」
「ううん……今まで誰にも言われたことなかったから……当たり前だけど」

 照れくさそうに笑って、自分の目を乱暴にこする。

「ところで、俺はまだあんたに質問しちゃいけないの?」
「しまった。時間はかってなかった。……訊きたいことはまだ山ほどあるが、今は後回しにしよう。答えられる範囲内の質問なら受けつける。俺に何を訊きたい?」
「えーと……まず名前」

 一転してウィルは笑顔になった。正確な日数はわからないが、たぶん一年近く小動物と人工知能とだけ暮らしてきたのだ。久しぶりに人間と話ができて嬉しいのだろう。

「名前か……」

 一瞬、彼は本名を名乗ろうかと思ったが、後々のことを考えて、いちばん無難そうな偽名の一つを選んだ。

「エドワード・リー。エドと呼んでくれ」
「エド……」

 自分の脳裏に刻みこむように呟くと、ウィルはまた朗らかに笑った。

「じゃあ、エドはどこの星の人?」
「ノーコメント」
「え?」

 ウィルは面食らったような顔をして、見た目は東洋系の彼――エドを凝視した。

「最初に、答えられる範囲内の質問なら受けつけるって言っただろ。その質問は範囲外」
「えー……なら、エドはいま何歳?」
「ノーコメント」
「これも?」
「つーか、しょっちゅう船に乗ってたから、自分の正確な年齢がわからないんだ。少なくとも、おまえよりは年上だと思うが……おまえは何歳だ?」
「俺? 満二十四歳」

 このとき何かを飲んでいたら確実に噴き出していただろう。エドは恐ろしいものでも見るような眼差しをウィルに向けた。

「おい……冗談だろ? おまえ、どう見たって……」
「ああ、俺、自分ではよくわかんないんだけど、いつも若く見られるんだ。年齢訊かれて答えると、ほとんどの人にエドみたいに驚かれる」

 あっけらかんとそう言うところを見ると、ウィルには自分が若く見えることに対するコンプレックスはないようだ。

「もしかして、俺のほうが年上だった?」
「おまえの目には、俺が自分より年下に見えるのか?」
「いや、俺よりは上だと思うけど……うーん……二十七、八歳くらい?」
「だったら、それくらいなんだろ」

 他人事のように流したが、この青年の目はあなどれないとエドは思った。

「何か、エドには何を訊いても『ノーコメント』って答えられそうな気がする。じゃあ、あの船でどこから来て、どこに行こうとしてたの?」

 エドは悠然と笑って答えた。

「ノーコメント」
「またー?」

 ウィルが不満そうに声を上げる。その反応を見て、エドは逆に楽しくなってきてしまった。

「おまえが俺が答えたくない質問ばかりするからだろ。ほら、もう終わりか? でなきゃ、また俺のほうから質問するぞ」
「なら、エドは何の仕事してる人?」
「仕事……」

 これも『ノーコメント』で通してもよかったが、名前以外何も答えないのもまずいだろう。そう考えて、自分の本来の〝仕事〟に近い〝職業〟を口にした。

「人には公言できない仕事だが、もぐりの運び屋をやってる」
「もぐりの運び屋? じゃあ、あの船で何かを運んでる途中だったの?」
「まあ、そういうことだ。それでついでに訊きたいんだが、今、俺の船はどうなってる?」

 その質問をしたとたん、ウィルは気まずそうな顔をした。
 ウィルのその表情を見ただけで、何となく想像はついたが、なおも畳みかけようとしたとき、第三の声が頭上から降ってきた。

『その質問には、私が代わりに答えるよ』

 とっさにウィルを見ると、彼は口の動きだけで「MACだよ」と言った。
 声に機械くささはまったくない。ウィルと同年代くらいの若い男としか思えなかった。

『今から三時間五十七分前、本艦は大破した小型宇宙船と遭遇した。遠隔ロボットで船内を探索したところ、緊急避難用カプセル内にいる君を発見した。とりあえず、その宇宙船ごと回収し、君を救護したが、その小型宇宙船には有害物質が付着していることが判明したので、回収から約一時間後に廃棄した。……いずれにしろ、もう修理も不可能な状態だったよ。遠距離から攻撃でもされたのかい?』
「ようするに、俺の船は捨てられちまったってことだな」

 額に手を当てて呻くと、ウィルが本当にすまなさそうな顔をしてエドを覗きこんできた。

「ごめんね。せめて、エドが目を覚ましてからにしたほうがいいって言ったんだけど……」

 船全体を統括している人工知能の決定を覆すのはまず不可能だ。エドは嘆息すると、何とか笑顔を作った。

「いや、おまえが謝る必要はない。……確かに、レーダーにも映らないほど遠距離から突然攻撃されて、カプセル内に逃げこむだけで精一杯だった。かと言って、救命信号発信するわけにもいかないしな。まあ、助けてもらったことには礼を言う。ありがとよ」

 安心したようにウィルが笑う。MACからは何の返答もなかった。

「ところでウィル。何か食いもん、食わせてもらえねえかな。腹が減った」
「じゃあ、食堂案内するよ。歩ける?」
「ああ。俺のブーツは……お、あった」

 エドの宇宙用ブーツは、ベッド脇にそろえて置いてあった。それを履いてから、まず慎重に立ち上がり、少し体を動かしてみて、異常がないことを確認した。

「大丈夫そう?」

 椅子から立ち上がったウィルが、心配そうにエドを見上げてくる。
 と言っても、身長差は頭半分程度だ。童顔なせいか、もう少し小柄だと思いこんでいた。

「大丈夫。ちなみに、どうやってここまで俺を運んできた?」
「船内からカプセルを取り出して、ストレッチャーに移動させたのはMACで、ここまで運んできたのは俺」
「そいつは大変だったな」
「そうでもないよ。人間を運ぶのはもう慣れてたから」

 ウィルは力なく笑ったが、その人間たちはたぶん息はしていなかっただろう。
 エドを先導するように、ウィルは出口の自動ドアに向かって歩いていった。しかし、ふと足を止め、白い天井を見上げた。

「ねえ、MAC。エドを船員登録してくれる? 今のままじゃ、どこにも入れないから」

 MACの答えは数秒後に返ってきた。

『わかった。ビジター扱いでいいね?』
「駄目だよ」

 ウィルが軽く怒って言い返す。

「船員で登録して。ビジターじゃ制限が多すぎるだろ」
『……わかった。船員登録にしておくよ』

 渋々とではあったが、あっけないほど簡単にMACは折れた。

『でも、この船を降りるまでだよ。あと、権限は君より下にしておくからね』

 ――何だ、意外とウィルには弱気だな。
 二人――ということに一応しておく――の会話を聞きながら、エドは顔には出さずに驚いていた。もしかして、船に関すること以外ではウィルの言いなりか?

「じゃあ、エド。この認証装置に手を置いて」

 ウィルは部屋の外に出ると、自動ドアの右横にあった認証装置――その上には「医務室」と書かれたプレートが設置されている――を指さした。
 登録はしたくないが、今回はやむをえまい。エドは観念して、認証装置に右手を載せた。

「あ、念のため、左手もね」
「へいへい」

 こうなれば、片手も両手も同じだ。エドはウィルに言われたとおり、左手も認証装置に押し当てた。

「MAC、登録できた?」
『できたよ』
「なら、エド。もう一度、認証装置に右手を置いてみて」
「了解しました、ウィル先輩」

 おどけて認証装置に右手を置く。と、医務室の自動ドアがすぐに開いた。

「うん、登録できてるね。これで公共スペースには全部入れるはずだよ」

 嬉しそうに笑って通路を歩き出す。約一年ぶりに生きている人間に会えて浮かれているのか、足取りは軽い。

「エド、食堂はこっち」
「はいはい」

 エドは苦笑いしながら、ウィルの後を追った。

「それにしても、なんで軍艦でキツネネコなんて飼ってるんだ? そいつはエリン原産で、動物園でも飼えないだろ」

 ウィルの腕に抱かれているものを見ながら言うと、ウィルは目を丸くした。

「キツネネコ、知ってるの? MACが調べてやっとわかったくらいなのに。もしかして動物好き?」
「そういうわけでもないが、猫科は好きなんだ。確か、そいつは〝外見そとみは天使・中身は悪魔〟っていうくらい、人には懐かないはずだが。おまえが人工飼育でもしたのか?」
「ううん。四年前、この軍艦ふねの中に潜りこんでたのを、たまたま俺が見つけたんだ。俺以外の人間には、やっぱり最後まで懐かなかったよ」
「そうだろうな。さっきから、俺のことも睨んでるもんな」
「え?」

 指摘されて、初めてウィルはキツネネコがエドを威嚇しているのに気づいたようだ。

「レオ、何怒ってるんだよ。エドは何もしてないだろ」

 ウィルは呆れたように、キツネネコ――名前はレオというらしい。まったく似合わない――の小さな頭を撫でたが、キツネネコはウィルの腕の中のさらに奧へと潜りこんでしまった。

「ごめんね。レオ、俺以外の人間にはいつもこうなんだ」
「キツネネコなら、それが普通だろ」
「エドはキツネネコに理解があるね」
「無駄な努力はしない主義なんだ」

 そっけないエドの回答に、なぜかウィルは破顔した。

「いいね、それ。今度から俺もそう言い訳しよう」
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