来野∋31

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chrono-32∋∞:能力は、無限の可能性であ~るッ!!の巻(誰?

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 四か月ばかりが、経過していた。

 取り戻して、失った、あの日から。

 春休みを利用しておふくろの故郷、プラハに家族四人で渡った俺ら一家だったが、俺は何を思ったかその都市ばしょに留まりたいとか言い出してしまったわけで。何でかはよく分からない。どういう心境の変化か、自分でもうまく説明はできねえが、まあ、何というか、「世界」を見たいって何となく思った。自分以外の、すべての「世界」を。いろいろをリセットする、それは儀式的なものだったのかも知れない。そこまでのほどでも無いか。

 とにかく、慌てず自分の速度で回していこうと考えた。てめえの、人生を。

 達観しすぎかも知れなかったが、おふくろは即OKを出してくれて、自分の実家に俺と共に滞在することを選んでくれた。石造りのカラフルな建物がみっしりと。ともすれば狭い空間に見えてしまうところを、まさに芸術的な収まり方で、見上げる空は広い。思えば初めて訪れるその実家は、俺のルーツでもあった。笑った時に目尻にできる皺以外はおふくろにまったく似ていない恰幅の良すぎる御仁に思い切り抱きすくめられた。物心ついてからは多分初めて会ったばあちゃんは、おふくろと同じにおいがした。

 現地の日本人学校に転入というか体験入学みたいなかたちで通わせてもらえることになった俺は、チェコ語の習得を第一目標に日々を送っていった。が……まあ難しい言語だなこりゃあ……というくらいの難解さで、発音すらままならなかったが、そこは俺の「能力」を……言語力を全開にして体に脳に吸い込ませるようにして会得していったわけで。いやまあ能力というか、とにかく没頭しただけだが。

 そんなこんなで七月も半ばを過ぎて、日本に帰ることとなった。特例で一個上の、実年齢に即した「中学三年生」として二学期からは戻れることになっているが、その手続きやなんやらで夏休み前に一回、学校に顔を出さなければならないらしいので。

 明日奈も元気は元気だそうだが、親父とずっと二人だけというのはもう精神的には限界らしく、思春期ゆえの理由も無い毛嫌いも始まったそうで、汚物扱いされ始めた親父の精神も保たないとのことをおふくろから伝えられ、妹を護らなくてはならない兄としては何においても急いで帰らなくちゃあならねえ、とも思ってた。

 エールフランスでシャルル・ドゴール空港を経由して乗り継ぎ待ち込みで二十時間余り。行く時は高揚と不安で短く感じたもんだが、帰りは、何か高揚だけだからか長く感じた。

 羽田着が木曜朝九時過ぎ。終業式の日ってのも間がいいな、と思った。明日奈には夕方十八時に着くと嘘を告げていて、その実、式終わりの学校でサプライズ登場してやるぜとか考えた俺はだいぶ何かに毒されている気もしたが、それはそれで名案に思えたわけで。

 だが、まだ誰にも言えてねえが、不安不穏に思うところはあった。他ならぬ、自分の「意識」のことだ。明日香とアシタカに別れを告げて、俺としてすべての人格だか意識だかは還ってきたように思えていたが、何となくの、例えるなら舌の下あたりに嵌まり込んだピーナッツの欠片のような、認識はしているけどそれに触れることは出来ないもどかしさ、みたいのを常に感じてきた。まだ俺には何かあるとでもいうのだろうか……

 いや臆するな。てめえ一人で歩いていくって、決めてここまで来たんじゃねえか。崩壊……そんなことはもう欠片すら起こさせねえ。

 それよりも、再会の場への登場はやはりばしっとキメておきたいよな……本日の俺の出で立ちは周りの紺色ブレザーの中で映えるだろう臙脂のシャツに下は生成りのタンクトップ、薄茶のパンツにごつめの黒いサンダル、と少しの中二感を出しつつも結構お高い奴……完璧だ。

 校門をくぐって詰所のおっさんに学生証を見せると、知らない顔でもないだろうに証明写真の顔と現実のツラを二往復くらいされた。まあ成長期だから。

 さて、俺はいまこの瞬間から自分が何かの主人公になったかのように殊更に颯爽と、校舎の階段を軽やかに上ると、今しがたHRが終わったであろうざわめきが響き始めた正にのいいタイミングにて二年B組の教室の扉を引き開け、ザッと音がするほどにそれはもうザッとキメ顔キメポーズで入っていき、これでもかのいい声で言い放つのであった……

「いよぉッ!! おめえらァッ!! 俺が、この俺が帰ってきたのやでェッ!! 渡チェコ中は何かと心配させてすまねえ……枕を挟んで寝れねえ夜もあったかも知れねえが、どっこいこれからはもう寂しい思いはさせねえぞ……明日奈、それから他の××××(自分でも聞き取れなかった)らァッ!! ……この俺の『添い寝券』……今ならまだ順番待ちひと桁台ですよ?」

 瞬間、室内が絶対零度なのか真空空間なのか分からねえが、とにかく把握できないほどの「無」が支配したのかと見まごった。がらんどうの顔、顔、顔たちがこれでもかの真顔で俺の固まった顔を見上げている……

 なんだ、アシロダのやーつアルか、との銀鈴インリィンの道端に唾を吐いたかのような言葉を皮切りに、随分背が伸びたけど、何か余計うっとおしくなったっていうか……との杜条モリジョウのそれよりも自分の枝毛の方が気にかかるみたいな温度の無い言葉や、だが高さを伴う蹴りの練習台にはちょうどいい、との灰炉ハイロの実験動物を見る目つきで睥睨されていることとか、何かプリント届けに来ていたホライズ先輩パイセンの通常より二割増しくらいの冷たい視線に脊椎から震わされそうになっていることや、その横の朋有トモアリ先生、在坂アリサカ、そして明日奈の、苦笑と憐憫と恥辱とあと何かが混ざったような表情の三連と相対させられている自分……

 あ、あら~ん? 思てたんと違ぁーう……ッ!!

 「無力」という二文字が、俺の脳裏を駆ける。そうか……俺こそが俺こそがそうだったんや……

 瞬間、俺の頭の中で、何かが爆ぜた。そして、

 刹那、だった……

「フ、フオオオオオオオオッ!! お、俺は……俺は孤独だ……ッ……もういやだッ!! もぉぁうたくさんだッ!! もう還るッ!! おウチに還るもんねぇぇぇぇッ!!」

 常軌を逸した叫びが無意識に俺の声帯を震わせたかと思った瞬間、俺の意識はグアと飛

「……っとと」

 んじゃったよ。だからあれほど気をつけないとって言ったのに。意識の隅っこで体育座りして心を閉ざしちゃったよ面倒くさいな……っと、それよりも。

「あ、何だろう、『ただいま』って、言えばいいのかな? 天史タカフミはこの数か月本当にひとりで頑張っていたんだけど、やっぱりいつも何か無理してるとこがあって、どうにもならなくなった時の駆け込み寺的に『僕』もまたリビルドされたっていうか、まあ、体のいい『二重人格』みたいな感じに落ち着いたってわけ。あいつはまだ完全に把握はしてないみたいで、ええと、『自分』で言うのもまあ恥ずかしいんだけれど」

 とりあえず説明をしなきゃと思って、つらつら言葉を並べるけれど、あれ? 何かいつの間にか僕の周りには人の輪が出来ていて、こっちを熱っぽい目で見てこられているよ、そうか、こんな厨二も厨二な設定じみた事も、嗚呼……受け入れてくれるんだね、この人たちは。本当に僕は、僕たちは帰ってきてよかった……

 とか勝手に感動に震えていた僕の四方からぐいぐいと圧が高まってきてるけど。明日奈が左腕に抱き着いてきているのはまあいいとして、在坂・灰炉・杜条・銀鈴・先輩に先生までゼロ距離いやさそれを踏み越えての完全に当たってる気がしますよ? そしてみんなして僕をうるんだ上目遣いで見上げてきているけど、こ、これは一体ッ!?

モリ「……何か背伸びたし、精悍な顔つきにもなってる、とか、それでもってその物腰も余裕孕んでさらにその上やわらかくなってるの正直超絶ヤバいんですけど」

ハイ「いつの間にか見下ろされる立ち位置になっているとはな……ようやく外身も私にそぐうようになったか……」

 あれ、なんか対応違くなってない? もしくはあれ? 天史に対してツン、僕に対してはデレ、とか不可思議な状態に陥っていたりしない?

 ちょっとそこまでは、すぐすんなりとは呑み込めそうになかった。

アシ「あ、何か違うんだよ、あくまで天史がメインで、僕はそのリリーフ的な存在だから。そんなに長居も出来ないと思うし。だから……」

イン「そんなの関係ないアル。アシロダの方は『五の倍数と五の付く数』の日にだけ出てくるとかそういう感じにすれば無問題アルね」

アシ「いっやぁ~、そういう事言われるのいちばん応えると思うけどなぁ~、それに中四日を延々とでしょ? それってちょっと精神的におかしくなるのでは……」

ホラ「おかしくなるくらいでちょうどいいのでは……あのテンションだけはどうしても受け入れがたいし、中四日くらいの接し方でちょうどいい塩梅」

トモ「だよねー、アシタカくんの方が全然御しやすいし、いくら勉強できてもあの常に視姦するような目つきはねぇ? 私のことをまず膝のあたりからぬめるように胸元へと視線を往復させてたし……」

アリ「そんなことより来野兄、せっかくだから私はこの以前もらった『添い寝券』を使わせてもらうぞ?」

アス「それただの余ったレジンの塊だから!! これ!! こっちの犬のシルエットが入った方が本物でしたー!! ねっ、お、『おにいちゃん』っ?」

 とんでもない混沌に突き落とされて泡食ってしまうばかりだけれど最後、そんな風におずおずと確かめるかのようにその言葉を紡ぎ出し、そしてその明日奈の目が一瞬すがるような光を帯びたのを……そこだけは見逃す僕では無いわけで。息を吸い込み、はっきりと言ってやる。

「『おにいちゃんっ』って呼ぶのはやめろ……人前じゃ、恥ずかしいから」

 殊更ぶっきらぼうになってしまったけど、「妹」の顔がいつも通り輝くのを間近で見て、ようやく「かえって」きたことを実感する。

 周囲から一斉に鳴らされる腐った舌打ちの連鎖にも負けず、僕は明日奈の部活用のバッグを持ってやりながらクールに教室を辞すわけで。

「かあさんももう家着いてる。今日は久しぶりに普通のカレーとか食べたいな。あ、それと、これまでより迷惑かけるかもだけど、もっと扱いづらくなるかもだけど、よろしくな」

 季節の変わり目なのか、猛暑先取りくらいの熱射に全身を包まれながら、まだ人もまばらな校庭を横切っていく。顔を見ながらは言えそうもなかったから、前方に見えてきた緑の桜の大木に向かってそう言った。そんな僕の後ろを明日奈の弾んだ足音と声が追ってくる。

 どんな風になってもっ、という相変わらず舌ったらずで鈴の音のような声と言葉は、きっとまだ暗い目をしたままの天史にも響き届くはず。

「……おにいちゃんはおにいちゃんだよ? 私のおにいちゃんだもんっ」

 空いてた右手を勢いよく包んできた熱い感触を、確かめるように僕も握り返す。

 かえろう。僕らの、帰るところへ。

 「キミ」も一緒に、と、どうやら脳内から胸元辺りに移動したらしい、少女のような影のイメージにも、意識の奥で声を掛ける。

 面影は薄れてきていたけど、確かに微笑んでくれた、僕にはそう思えたわけで。

 頭上から降り注ぐ、うっとおしいほどの太陽の光と熱はでも、身体が今、ここにあるという事を示してくれているような気がした。かけがえのないものを離さないように、僕は汗ばんできた右手をしっかり握り直して、「帰り道」を二人でゆっくりと歩き続ける。

 これからも、多分ずっと。

(終)
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