衛星のスタジォーネ

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▼ガニメデ1999

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 湿りきり、もわもわする布団を脇にのけて、二日ぶりに何とか軋む身体を起こすのであった。

 静寂。前の住居から持って来て、丈が10cmほど足りなかったが結局そのまま取り付けてあるカーテンの裾下から、容赦なく室内へと侵入してくる冷気と共に、遠くからのバイクを飛ばす音も微かに聞こえてくる。

 暗闇の中、小太りの体をもぞもぞと動かしながら、何とか洗面台までよろぼい出るのであった。

<AM 3:41>

 その途中で目に入った、出窓に鎮座する埃を被ったラジカセの表示は、更け切った夜中なのだか、ひどい早朝なのだか、どうにも判別できない時刻を示していたものの、とにかく喉が渇いてしょうがないのであった。

 全開にしてもちょろちょろとしか流れて来ない蛇口から左掌に受けた冷たい水を、すするように喉奥へと送り込む。しばらくそうやって人心地ついたのか、その無精髭が浮いた丸い顔の覇気の無い若者は、這い上る冷たさも物ともせず、ユニットバスへの上がり口に腰を降ろして、鼻からひとつ息をつくのであった。

 1999年12月31日。久我クガ 学途ガクトは、ついてない年末をひとり迎えようとしていたのであった。

 何をやってもうまくいかない一年だった。大学も二年ともなると、真っ当に勉学に励もうとする姿勢は周囲も己もさらさら取らないものの、それでも必須の単位を自分だけ落としたなどと告げられると、やはり落ち込みと変な気恥ずかしさとで、余計に僕は勉強以外が充実しているもんねというポーズで振る舞う痛々しさを、当たりかまわず撒き散らしてしまうのであった。

 もちろん、他が充実しているわけでも無かった。出逢いを求めて上っ面がひどく楽しそうに見えたテニスサークルに入ったものの、女の子とはろくに喋れないまま、周りから嘲笑されるネタキャラとしての地位を確立していってしまい、今年の夏は訪れた川沿いのキャンプ場で、心無い先輩達からのロケット花火の一斉掃射を食らい、ジャージに焦げた穴をいくつも開けつつ逃げ惑う内に蹴つまづいた挙句、川辺の割と尖った石に顎を打ち付け、四針縫う羽目になった。

 バイト先で、いい感じに少し言葉を交わせていたおとなしそうな女子にガラにも無くいきなり告白をしたら、思い切り引かれ、次の日その子は辞めた。いたたまれなくなり、自分もその次の日に辞意を告げた。

 結果、夏休みが過ぎ去ってからは、勉学もバイトもサークルも、全てにおいてやる気を失くし、冷気がしんしんと染み込むように侵食してくるこの木造のアパートの二階で、こたつ布団にくるまりながら、ケーブルテレビで古い映画やドラマを何と無しに眺めて過ごす日常なのであった。要は腐りきって外界を拒絶しているのであった。

 そして四日前、ひさしぶりに食料を買い求めに出たその日に、ピンポイントでインフルエンザに罹患した。朦朧とする頭で、医者からもらった薬を吸い込んでみたものの、使用方法を間違えていたのか、ほぼ吸引することが出来ていなかったらしく、悪寒と身体の節々に来る痛みに、凍り付くような六畳間の片隅で萎びて固まっている綿の掛布団と、毛羽立ち過ぎた野生の獣のような質感の毛布にくるまり、無駄に数日耐え続けていたのであった。

 そんな孤独な年の瀬だった。親からの月七万の仕送りも無計画に使い果たしており、その親を頼ろうにも、夫婦で仲良くグァムで年越しを楽しむとの連絡を受けた矢先なのであった。

(……まずいよ。本当にお金が無い)

 いまだ軋む体をずるずると引きずり、狭い部屋のあちこちを探ってみるものの、出て来たのはいつか両親にお土産代わりにもらった500リラ硬貨と1000リラ硬貨が一枚づつだけなのであった。

 金色の周囲に銀色の縁取り、または銀色の周囲に金色の縁取り、と、見た目は凝っていて価値が高そうに見えるものの、実際両替しても50円と100円になるだけなのは、久我も何回も両親から聞かされて知っていたので、静かに樹脂製の小物入れにそれらを戻すのであった。

 「……」

 楽し気にディズニーのキャラクター達が踊る表紙の通帳をじっと眺めてみるも、列の最後に記載された数字は、どう見ても「★886★」なのであった。それでも、窓口で受け取れば一食分くらいにはなりそうではあるが、そんな少額をわざわざ対人で降ろすということが、この上なく恥ずかしく感じられてしまう性分なので、よって不可能なのであった。妙なところでプライドの高い男だった。

(……242円)

 結局レシートやらスタンプカードやらでぱんぱんに膨らんだ財布に申し訳程度にあったその小銭が彼の全財産と呼べる。消費税5%を加味すると、230円で新しい年を迎えなければならない算段なのであった。

「無理だ」

 思わず声に出してしまう久我だった。一人暮らしで染みついた独り言は、その病み上がりで掠れながら、ひんやりとした薄暗い1Kの静寂の中に、無情にも余韻ごと吸着されていく。

(待てよ)

 しかし、頭にふとよぎる。

 そして、絶望に包まれ始めた脳裏に浮かんだ、妙案と思ったことの裏付けを取るため、こたつの天板の上に放り投げたままの、鍵をまとめたキーホルダーを取りに再び六畳間に戻るのであった。

 女の子受けするかも、と思って蔵王で買ったオコジョのキーホルダー。しかし可愛らしかったその姿は、何度もジーンズのポケットに出し入れするうちにその体毛はほとんど抜け落ちており、かわいそうどころか、何か根源的な恐ろしさを見た者に与える容貌へと変化を遂げている。

「あった」

 声を出して、確かにそこにあることを確認する。負のオーラを発散し続けるそのキーホルダーに通した鍵の中に、目当てのものを見つけたのであった。

 古びた実家の鍵。つまりは、あるじ不在の家に上がり込み、備蓄されているだろう食料や、あわよくばタンスの中の現金などを失敬しようという、不届きな考えに至った久我なのであった。

 古今稀に見る、見下げ果てた根性ではあったが、とにかく目標を定め、即行動に移すはこの数か月の間、腐りきっていた彼には見られなかったことだったので、少しはいい兆し、と言っても良いのかも知れないが、やはりダメであることにいささかの曇りもないわけなのであった。

 薄暗闇の中、やたら排音がうるさくなったパソコンを立ち上げ、地図を検索する。久我の住むこの古い木造アパートがあるのは、和泉多摩川という、正に多摩川にほど近い、自動車教習所があることくらいしか特色のない町の、さらに奥まった路地を数分くねりながら進んだ辺鄙なところなのだった。

(13.5km。チャリで一時間ちょっとってとこかな)

 一方の実家も、多摩川を下った先の、下丸子という、川からほど近い場所にある。移動手段は自転車しか頭に無い彼だが、これら陸の孤島同士を結ぶためには、仮に電車で行ったとすると、四本も乗り換えをしなくてはならず、却って遠回りなのであった。そしてそもそも現在その電車賃400いくらを払うことは不可能である。

 プリンタは無いので手書きでそのディスプレイ上の地図を印刷に失敗したコピー用紙の裏側に書き写してみるが、ほぼ川沿いを下るだけの一本道なので意味は為さないだろうと思われるのであった。

 いそいそと一本しかないケミカルウォッシュをさらに何度か無造作に洗濯してほぼ色の抜けたジーンズを穿き、だるだるで伸び切ったのセーターの上に薄っぺらいブルゾンを羽織る。マフラーだけは落ち着いた茶色い色合いのカシミヤのいい品だが、これは今年の年始にあまりにも寒々しい彼の姿を見かねた母親が自分の使っていたのを貸してくれた際、その肌触りが気に入ったので、そのまま持って返ってきて使い倒しているであった。とにかくこれが彼にとっての最大の防寒着なのである。

 待てよ、実家いえに入れるのであれば、ここよりも数段居心地のいいそこで年を越せばいいんじゃね? とのまたしても度し難い考えが頭をよぎる。着替えとか持ってっとこう……と雑多に衣類やら用途不明の革靴の空箱やら断線しているイヤホンやらのガラクタが詰まった押し入れの扉を引いて開ける。と同時にまるで襲い掛かってくるかのようにそれらの雑多物が被さり落ちて来るのであった。

「……」

 片付けは年明けて帰ってきてからにしよう……と力無く思うと、何とか着られそうな服を引っ張り出す。とそこにくるまれるようにして、「バター飴」と赤い字で書かれた灰色の缶を見つけるのであった。さらに<がくと・シールよう>と幼い自分が書いたと思われるマジックののたうつ文字が書かれている。

 シール……「ビックリマン」とかこういうの最近、売れるって聞いたことが……ヘッドとかそういうのでもあれば数万円とか……と俄然意気込んでその蓋を開けて中身を確かめるが。

「……」

 要らないものを無造作に入れていた容器だったらしく、本当に大したことのないシールが折れたり曲がったりしながら入っているだけなのであった。そう言えば、いいやつは全部従弟のノブくんにあげちゃってたよ……あれ取っておけば良かった……と、「バクテ裏闇リアン」やら「真空破鬼ぱっき」などの「ビックリマン」の中でも最も価値の低そうなシールをつまみ上げては嘆息するほかない。
 
 他にも様々な烏合のシールたちもあるにはあったが、「封印剣ザニマ」とか、多分買い取って貰えないよな……と力無く缶に戻し閉め直す。

 そう言えば、ヘッド出したことあったよな……それも確か野球観に行った時に。

と、脳裡にうっすらと光る球体が突如浮かんだかと思うや、その初夏の始めくらいに初めて東京ドームへ連れていってもらった時のことが、奔流のように久我の頭の中に溢れ出て来るのであった……

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