で、手を繋ごう

めいふうかん

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第1章

偶然的に平凡な再開(1)

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32歳

独身
恋人なし。
無職
貯金は国産の車が1台買えるぐらい。

自分の情報を羅列すると、何も持っていないことに気付いて情けなくなる。
そんなことを考えることが、最近やたらと多くなっていた。




あることをきっかけに仕事を辞めることを決め、実際に仕事を辞めたのは2週間前。
正確にいえば、また有給消化中で、完全な無職になるのは1カ月半後。


俺は一人暮らしもやめることにして、今から実家に戻る。
ほとんどの荷物は単身用の引っ越しサービスで済ませた。
ボストンバック1つに貴重品を入れて、実家に向っている。


昼間の電車は人がまばらにしかいない。
実家の最寄り駅は急行も止まるが、飛び乗ったのが各駅停車だったので、そのまま乗り換えずに乗っている。
窓から差し込む暖かい日差しが、冬の寒さを忘れさせる。長閑な列車は、いつもなら眠気を誘うのに、俺の目は冴えていた。


東京の郊外にある実家の最寄り駅は、各駅停車では新宿から40分かかる。
実家には生まれた時から25になるまで住んでいた。

新卒で入社した会社は、上場企業ではなかったが、中堅の設計会社だった。
入社当初は雑用のような仕事ばかりしていた。2年目になるとすぐ、設計の為に現場に派遣された。が、入る現場がなくなった。と同時に、会社全体が怪しくなって、て2年目に倒産した。

当時は今のような売り手市場ではなく、就職するのも大変だったから、会社が倒産するとわかった時はかなり焦った。

先行きが不安なくせに、俺はあえて実家から遠い会社を探して就職をした。

母親は独り暮らしすることを心配したが、社会人になってもいたし、反対はしなかった。むしろ、地域にこだわらずに「倒産しない」会社を息子に選んで欲しい気持ちが強かった。
そして俺は、母の気持ちをを見越し、すんなり自立するため、実家から遠い会社を選んだのだ。


再就職した会社は、前職と同じ設計会社だった。

ぎりぎり東京といった地域で、ほぼ千葉だ。
社員50人程度の小さな会社。千葉にも支社1つあるが、それほど大きくない。

給料は安かったが、残業代はきちんと出た。サービス残業が当たり前の業界なので、残業をきっちり計算してくれる会社は貴重だと思った。
残業は少ない月でも月50時間はあったので、お金に困ることはなかったが、節約することもなくお金を使ったので、貯金はあまりない。


俺は忙しいのをいいことに、あまり実家に帰らなかった。それでも、年に2回は帰るように努めた。
母さんは会うたびに、俺の不摂生な生活を心配して、早く結婚しろと小言を言う。そのせいで余計に実家に帰る足が遠退くことはわかっていない。


そんな俺がまさか実家に戻ることを自身で決める日が来るとは思わなかった。
あんなことがなければ、絶対に帰ったりしなかった。
今でも気ままに独り暮らしをしている。


仕事を辞めて実家に帰っても、稼業があるわけでも、資産があるわけでもない。

実家には60を少し過ぎだ母が1人で住んでいる。築25年の一軒家で、年季が入ってる。
リフォームを考えてもいい築年数だ。大掛かりなリフォームなら、ローンを組まなければならない。が、ローンを組むべき俺が無職では無理な話だろう。

そう考えると、はやく就職しなければならない。ローンなんて組みたくないが、組めないと組みたくないでは状況が違う。


実家から勤務していた会社は通えない距離ではなかった。だが、残業が多い仕事なので、通勤時間を考えたら、家には寝に帰るだけだ。

それが嫌だったから、思い切って辞めた。

趣味などやりたいことがあるわけじゃない。でも、仕事を生きがいに出来る人間でもないのだ。



電車はゆっくりと降りる駅のホームに滑り込む。
下車する人がドアへと向かう。

俺も降りなければならないのに、腰が重い。
自分で実家に帰ることを決めたが、憂鬱なことには変わらない。



ドアが閉まりそうになった時、俺は立ち上がり、走って列車を飛び降りた。


ホームに出た瞬間、全身をひんやりとした冷気が襲う。俺は反射的に肩を縮めた。


「寒っ」


言葉を呟くと、白い息がぼわっと出る。

山も近いことがあり、このあたりの空気は東京よりも冷たい。
昼間でこの寒さだ。夜はもっと寒くなるだろう。

肩に掛けていたボストンバックがずれそうになったので、足を止めたまま掛け直す。

そして、俯きながら改札へと足を向けた。


「しょーちゃん」


懐かしい呼び名なのに、体はすぐに反応して立ち止まった。


「久しぶり」


目の前にいる人物を見て、俺は驚きを隠せなかった。
だが、彼はそんなことに気付かずに、ごくごく自然体で手を振っている。まるで、先週も会った友達のように。


「お久しぶりです」


少し離れたところに立っている涼さんに、俺はぺこりと頭を下げた。すると、彼の方から近付いてくる。


1年ぶりに見る涼さんに、俺は心の中だけで目を見張った。


相変わらずお洒落だ。
ドラマ以外でスリーピースをカッコよく着こなす人って、なかなか見ない。
そのくせ、ネクタイはしないで、ワイシャツのボタンを2つも開けてるところがエロさを醸し出してる。
スーツの上に羽織っているのはベーシックな黒いコートで、こちらも仕立てが良さそうだった。


まさに大人の色気。


1年前にあった時は少しくたびれた感じがあったが、あんな場所だったから、そう見えただけなのだろう。

まじまじと見そうになりそうな自分の視線を無理やりひっぺがす。


「実家に行くんだよね? 今日は仕事休み?」


どぎまぎしていると、いきなり二つのことを聞かれて、返事の仕方に一瞬迷ったが、事実だけを口にする。


「実家に行くというか、戻ってきたんです。で、職場も遠くなるから思い切ってやめました」


涼さんは涼しげな目をはっと見開いたが、あえて深くは聞いてこないで、話を先に進める。


「おばさん、安心するな」


「そうだといいですけど」


俺たちは並んで歩く。
彼の横に立つと、改めて彼の背の高さを感じた。


「あれ? しょーちゃん、背が縮んだ?」


わざと涼さんはからかうように言って、ニヤニヤと俺の方を向く。
だけど、歩く足は止めない。


「縮んでません」

「そっか」


俺はけっして背が低いわけではなく、高くないだけ。
178センチの涼さんは、そうやって揶揄う。

もっとも、中学生の頃は頭をぐりぐりと手て撫でながら揶揄ってきたが、俺が高校に入ると同時に頭を撫でてくれることはなくなった。

その時の俺は、成長した自分が恨めしかった。

「それにしても、しょーちゃんは親孝行だな」

「まあ、他には何もしてあげられないですから」

「そんなことはないだろう?」

「いや」


俺は言葉を濁す。
本当のことなんて言えない。


「ところで、涼さんは何でここに?」


話題を変えたかっただけでなく、聞きたかったことが口に出る。

涼さんも、ここに住んでいるので駅を利用するのは不思議ではない。
だけど、今は昼の2時だ。
務め人なら仕事をしている時間だ。


「家に帰るところ。昨日、仕事でトラブって、今、帰りなわけよ」

「徹夜で仕事?」

「仮眠はしたけどね。だから、もうクタクタ」

そう口ではいうが、とても徹夜明けの人とは思えない。しっかり寝ていた俺なんかよりしゃっきりしている。目の下にクマができてるとか、やつれた雰囲気が微塵もない。

そして、服に乱れもない。

「今日はボロボロだから無理だけど、明日の夜、飲みに行かないか?」


いきなりの誘いに戸惑う。けっして嫌なわけではない。むしろ、嬉しい。

でも、いきなりだから心の準備がまるでできてない。

戸惑う俺に構わず、涼さんは続ける。


「最近、駅の近くに美味い店を見つけたんだ。引っ越し祝いにご馳走するよ」


「いいです」


自分でも驚くほどきっぱりと断っていた。

前を向いていた涼さんの顔がちらりと俺を見るのがわかった。


「仕事を辞めましたけど、まだ有給消化中で、給料も出ますし、蓄えも少しだけどあるから、割り勘で行きましょう」


「あぁー、そっちかよ!?!」


涼さんは相好を崩し声を出して笑った。
俺は「そっち」がわからずに困惑するが、目尻の皺が可愛いと思ってしまう。


「俺の方が年上なんだから、素直に奢られればいいのに」

「いや、同じ社会人ですし」

収入は違いそうだけど、という言葉は呑み込む。

「しょーちゃん、相変わらず可愛くなくて可愛い」


「どういう意味ですが、思いっきり矛盾してますけど。それに30過ぎだ男に可愛いはないでしょう」


言いながら、自分が可愛くない奴だということはわかっている。
素直にご馳走になれないなんて、可愛くない。


「えっー、俺なんて、30半ばなのに会社の女の子に可愛いって言われて、喜んじゃうよ」


「女の子は何でも可愛いで表現しますからね。この前、女子高生がヨボヨボのおじいちゃんを見て可愛いって言ってましたよ」

俺はわざと意地悪を言ってニヤと顔を緩める。


「確かに。真に受けてはならんな」


「ならんですよ」


俺たちは笑い合うと、改札まで辿り着いた。それぞれ別の改札を通る。


俺たちは改札から少し離れたところで足を止めた。涼さんの家と俺の実家は駅を挟んで反対方向にある。
ここが分岐点だ。


「しょーちゃん、電話番号を教えて」


涼さんはコートの内ポケットからスマホを取り出した。俺は自分の番号を伝えながら、涼さんの細い指と綺麗に磨かれた爪がスマホの上を動くのを見つめる。


綺麗な爪。もしかして、奥さんが手入れしてるとか?!


ふっと、彼の左手を確認してしまう。あるはずの薬指には何もない。


あれ?
前は結婚指輪をしてたのに。


「んじゃ、連絡するから。絶対に出ろよ」

「もちろん出ますよ」


答えながら、俺の頭には別のことが占領する。

俺たちは特に別れの言葉を口にしないで、自然と別れて歩く。


涼さんに背中を向けていたが、俺は目に焼き付いてる残像の涼さんを見つめる。

もしかして涼さん、離婚したのかな?
今、独身だったりするの?

そう思ってから、我に帰る。


たまたま指輪を外しているだけかもしれないし、万が一、離婚していても、俺には関係ない。
関係したくたって、できない。

そんなことで心が揺れ動いてどうするんだよ。


兄の後輩で、俺の3つ年上の涼さんを好きになったのが、俺の初恋だろう。

世界中の誰にも知られることのない、知られてはならない恋をしていた初めての相手。


会う度に心が疼くのは、それは、初めての恋を知った相手への条件反射みたいなものだ。

もしかしたら、もしかしたら、これからは兄を介さずに、2人で会う機会があるかもしれない。
それなら、心が疼かないようにしなければ、涼さんとは付き合って行けない。

もう兄を中間にして付き合うことは、2度とないのだから。
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