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第六章 ベクトル
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ぎゅうっと、心臓が潰されるみたいに痛い。明るくて、いつも楽しそうで、自分に無いものを全部持ってる、そう思っていた千愛が。クラスで辛い思いをしていたなんて。
「注意って今もしてるの?」
「いじめが無くなるまではね」
「……もう、放っておいていいんじゃない?」
森山は自分のクラスにいじめがあるのかどうかすら知らなかった。クラスメイトの名前だって、曖昧にしか覚えてなくて。「他人に興味が無い」、周りがそう言うの、よくわかる。どうしてだろう、人と関わるのを避けてしまう。大きなトラウマがあるわけでもない。ただシンプルに、自分は人間が苦手で、怖い。
今のクラスにしてもそうだ。喋ったこともないのに、彼らの中では森山の人間像が出来上がっているらしい。
確かに、勉強は得意だ。スポーツも得意だ。千愛が言うには容姿も悪くないらしい。関わりもないくせに、彼らの意識の中には色濃く自分が存在していて、消えてくれない。みんなは、自分の何をそんなに注目しているのだろう。臆病でどうしようもない、こんな自分がみんなにはどう映っているのだろう。
人間が苦手だ。自分が嫌いだ。きっと、関われば幻滅される。本当の森山 有は、「そんなんじゃない」。正しいものが見つからない。
「放って、おけないよ」
「……どうして」
「有ちゃんは世界って、なんだと思う?」
「……へ、世界? えー、と。宇宙とか、そんな感じ?」
突然の意味不明な問いかけに困惑する。千愛は、何を伝えようとしているのか。わからない。
「千愛はね。世界って、ひとりひとりが持っているものだと思うの。マイワールドよ。千愛に今見えているもの、千愛が今知っていること。小さな範囲だけどね。それが、千愛の世界」
「……?」
「千愛の外の世界で、どれだけの『悪いこと』が起こっているのか、わからないけどね。千愛の世界だけは、綺麗でいて欲しいの。見逃しちゃえば、どんどん汚れていく、そんな気がして、怖いから」
「…………」
自分の見えてる範囲……。どく、と心臓が波打った。
それなら、見えてないものばかり気にしている自分は何なんだろう。世界なんて、空っぽだ。なんせ、見えているものは全て、自分から遠ざけている。
「だけど、だからって、世界の中から人が居なくなっちゃ意味ないでしょ。だからね、頑張るの。莉子は第一歩なんだ。友達はたくさん欲しい。だけど、間違ってることは間違ってるって言いつづけるの」
千愛が眩しかった。何もかも自分とは違って、遠くて。同じ孤立でも、明確な世界の中で戦う彼女は、生きている感じがして、憧れだった。
彼女と居ると、いつも思う。自分は何のために此処にいるんだろう。千愛の言葉を借りるならば、自分は世界にどうなって欲しいんだろう。そんな風に。
「もーりやま先輩」
「え、あ」
「何ですか? ぼーっとして。この教室になにか思い入れでも?」
「……べつに」
「森山先輩の『べつに』はいつも嘘ですね。それも言いたくないんじゃなくて、言うのがめんどくさい系の」
「……よくわかってるね」
「まあ正直だこと」
ふ、と息を漏らす。要のうっとうしい言動にもそろそろ慣れてきた。
「つきました。二年三組」
はっと、脳が目覚めたような感覚。そうだ。此処が目的だった。
二年三組。ドアは開いていた。一歩足を踏み出せば、もう教室の中。その境界線を手前に、森山は動けなくなった。
整列しきれていない机たちが、黒板を向いている。辛子色のカーテンは、数学教室と同じ。ううん、全部同じ。なにが違うかなんて、わからない。
だけど、此処が千愛の世界。森山の世界の、外側に存在していた、千愛の世界。此処で千愛がどんな顔をしていたか。自分は知らない。寂しいような、苦しいような、曖昧に鋭い感情が、胸をかすめる。
柊に目を移す。
「…………!」
茫然と突っ立っている、柊。様子がおかしい。まるで、此処に初めて来たみたいに。「此処」に対する感情が、まるで見えない。これは、まずい。もう……。
「ささ。先輩も柊さんも。入りましょうよ、メインイベントです」
「ちょ……」
要が柊の手首を掴み、無理やりひっぱる。抵抗する気力も無いように、柊の体はそのまま教室の中へと入った。それに次いで、森山も足を踏み出す。
ざわざわと、喧騒が響く。これは、全部想像だ。わかってはいる。だけど。まるで、教室に魂が宿っているように。森山は立ち尽くした。此処は、まだ生きている。そんな風に錯覚する。此処に、千愛のクラスメイトが居て、その中には、要くんも居て、柊も……。
(え……?)
ぎょっと、目を見開いた。要も驚いたように柊を見ている。
彼女は、声にならない声を上げながら、その場にうずくまっていた。
「柊? だいじょ……」
「触らないで!!」
伸ばした手が弾かれる。汗と、荒い息。そして、憎しみと恐怖を宿した眼。
「注意って今もしてるの?」
「いじめが無くなるまではね」
「……もう、放っておいていいんじゃない?」
森山は自分のクラスにいじめがあるのかどうかすら知らなかった。クラスメイトの名前だって、曖昧にしか覚えてなくて。「他人に興味が無い」、周りがそう言うの、よくわかる。どうしてだろう、人と関わるのを避けてしまう。大きなトラウマがあるわけでもない。ただシンプルに、自分は人間が苦手で、怖い。
今のクラスにしてもそうだ。喋ったこともないのに、彼らの中では森山の人間像が出来上がっているらしい。
確かに、勉強は得意だ。スポーツも得意だ。千愛が言うには容姿も悪くないらしい。関わりもないくせに、彼らの意識の中には色濃く自分が存在していて、消えてくれない。みんなは、自分の何をそんなに注目しているのだろう。臆病でどうしようもない、こんな自分がみんなにはどう映っているのだろう。
人間が苦手だ。自分が嫌いだ。きっと、関われば幻滅される。本当の森山 有は、「そんなんじゃない」。正しいものが見つからない。
「放って、おけないよ」
「……どうして」
「有ちゃんは世界って、なんだと思う?」
「……へ、世界? えー、と。宇宙とか、そんな感じ?」
突然の意味不明な問いかけに困惑する。千愛は、何を伝えようとしているのか。わからない。
「千愛はね。世界って、ひとりひとりが持っているものだと思うの。マイワールドよ。千愛に今見えているもの、千愛が今知っていること。小さな範囲だけどね。それが、千愛の世界」
「……?」
「千愛の外の世界で、どれだけの『悪いこと』が起こっているのか、わからないけどね。千愛の世界だけは、綺麗でいて欲しいの。見逃しちゃえば、どんどん汚れていく、そんな気がして、怖いから」
「…………」
自分の見えてる範囲……。どく、と心臓が波打った。
それなら、見えてないものばかり気にしている自分は何なんだろう。世界なんて、空っぽだ。なんせ、見えているものは全て、自分から遠ざけている。
「だけど、だからって、世界の中から人が居なくなっちゃ意味ないでしょ。だからね、頑張るの。莉子は第一歩なんだ。友達はたくさん欲しい。だけど、間違ってることは間違ってるって言いつづけるの」
千愛が眩しかった。何もかも自分とは違って、遠くて。同じ孤立でも、明確な世界の中で戦う彼女は、生きている感じがして、憧れだった。
彼女と居ると、いつも思う。自分は何のために此処にいるんだろう。千愛の言葉を借りるならば、自分は世界にどうなって欲しいんだろう。そんな風に。
「もーりやま先輩」
「え、あ」
「何ですか? ぼーっとして。この教室になにか思い入れでも?」
「……べつに」
「森山先輩の『べつに』はいつも嘘ですね。それも言いたくないんじゃなくて、言うのがめんどくさい系の」
「……よくわかってるね」
「まあ正直だこと」
ふ、と息を漏らす。要のうっとうしい言動にもそろそろ慣れてきた。
「つきました。二年三組」
はっと、脳が目覚めたような感覚。そうだ。此処が目的だった。
二年三組。ドアは開いていた。一歩足を踏み出せば、もう教室の中。その境界線を手前に、森山は動けなくなった。
整列しきれていない机たちが、黒板を向いている。辛子色のカーテンは、数学教室と同じ。ううん、全部同じ。なにが違うかなんて、わからない。
だけど、此処が千愛の世界。森山の世界の、外側に存在していた、千愛の世界。此処で千愛がどんな顔をしていたか。自分は知らない。寂しいような、苦しいような、曖昧に鋭い感情が、胸をかすめる。
柊に目を移す。
「…………!」
茫然と突っ立っている、柊。様子がおかしい。まるで、此処に初めて来たみたいに。「此処」に対する感情が、まるで見えない。これは、まずい。もう……。
「ささ。先輩も柊さんも。入りましょうよ、メインイベントです」
「ちょ……」
要が柊の手首を掴み、無理やりひっぱる。抵抗する気力も無いように、柊の体はそのまま教室の中へと入った。それに次いで、森山も足を踏み出す。
ざわざわと、喧騒が響く。これは、全部想像だ。わかってはいる。だけど。まるで、教室に魂が宿っているように。森山は立ち尽くした。此処は、まだ生きている。そんな風に錯覚する。此処に、千愛のクラスメイトが居て、その中には、要くんも居て、柊も……。
(え……?)
ぎょっと、目を見開いた。要も驚いたように柊を見ている。
彼女は、声にならない声を上げながら、その場にうずくまっていた。
「柊? だいじょ……」
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