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第六章 ベクトル
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校門は開いていた。円形の大きな花壇がある中庭。それを横切る。右側にある体育館から、元気のいい声と、ボールが跳ねる音が聞こえてくる。バスケ部だろうか。
「で、昇降口から入るの?」
「ええ。なにか問題でも?」
「べつに」
要はにこりと笑った。なんだかんだ言いながら、自分を頼ってくる森山の物言いに好感を持ったらしい。
「…………」
その笑顔も鼻につく。無意味に声をかけるのはやめよう。
下駄箱を横目に、二階へ繋がる階段を目指す。廊下の奥から、ノイズのような話し声が響く。職員室だ。この空間に、自分たち以外のひとが居る。それだけで、喉の奥が詰まる感覚。緊張。
今回は大丈夫だ。ばれたって、何とでも言い訳出来る。不法侵入なんて、軽い罪。森山は自分に言い聞かせるように、心の中で呟いた。軽い、だなんて。なにと比べているんだろう。
(ま、わかりきっているけど)
馬鹿馬鹿しい。嘲笑する。柊は相変わらず言葉を発さない。どことなく、顔色が悪くなった気がする。まずそうだったら無理やりにでも引き返そう。そんなことを考えながら、森山は階段を上った。
「森山先輩は二年生の時、何組でした?」
「俺? あー、何組だっけ、そういや覚えてないな」
「さすがですね」
笑い声を混ぜて、皮肉が飛んでくる。
「要くんは覚えてるの?」
「もちろん。俺たちは三組です。なんせ色々あったクラスでしたから」
「ああね」
色々、なんて言葉では収まらないだろう。心の中で突っ込む。
この会話から推測するに、自分たちの足は、その二年三組のクラス教室を目指しているのだろう。いきなり本命か。柊の様子をうかがう。不安は大きい。
電気のついてない廊下は、昼間なのにぼんやりと暗い。天気が優れないせいもあるのだろう。
俺たちの中学校の匂いだ。森山は、校舎を見渡した。肌に触れる空気の温度とか、無音が奏でる音も。全部が此処を、自分たちが過ごした空間であると思い出させる。
(一人前に懐かしいとでも思ってるのかな)
こんな自分でも。
ほんの少し前にも来たばかりだが、あの時は何も考える余裕が無かった。
懐かしい、とはいえ、目の前をちらつくものは全て千愛の影だ。きらきら、きらきら。千愛が走り、千愛が笑い、千愛が殺された、校舎。
「あ」
「どうかしました?」
「いや……」
数学教室の前を通り過ぎる。ドアが開いていて、教室の中が見えた。
ざあっと、強い風が吹く。教室の奥、辛子色のカーテンが穏やかに揺れた。
「…………」
さきほどより鮮やかに。千愛の影。いつも、あのカーテンを背に彼女は立っていた。時折吹く風のせいで乱れる髪を、その度整えて。わかりもしない数式を見つめながら、彼女は笑った。
「難しいね、その問題」
「難しいって……。千愛、レベルなんてわからないでしょ」
「わかるよ、それ難しい。だって、有ちゃんが手こずってるもん」
「手こずってないし」
千愛が楽しそうに笑う。その笑顔に苦笑を返した。
昼休みは、いつもふたりでここに籠った。二階の端にあるこの数学教室は、森山と千愛、両方のクラス教室と比較的近い位置にあった。
「聞いて、有ちゃん。聞いて」
「なに?」
「あのね。莉子ってクラスメイトがいるんだけどね。その子に、明日お買い物に行こって誘ったの。そしたらどうなったと思う?」
「……一緒に行くことになったんじゃないかな」
「そうなの! そうなの!」
身を乗り出して叫ぶ千愛。森山は訳がわからないままに、ヨカッタネ、と片言の祝福を口にした。
「えらく嬉しそうだね。特別な友達なの?」
「特別。とても特別だよ。だって、あのクラスでたったひとりのお友達なんだから」
「……え?」
たったひとりの? 顔色が変わった森山に、千愛は眉を下げて笑いかけた。
「千愛のクラスね。いじめがあるの」
「……え、千愛」
「ううん、いじめられてるのは千愛じゃないんだけど」
「ああ、そう……」
ほっと胸をなで下ろす。まあ、千愛みたいな子がいじめられる訳がないだろう。だけど、明らかに穏やかでない話題。
「いじめ、ね、千愛、そういうの嫌だなって。思ったから。注意するでしょう。そしたら、みんなはそれが嫌だったみたいなの」
「……そんなの」
そんなの初めて聞いた。なんで言ってくれなかったんだ、と憤る反面、聞いたところで自分になにが出来るんだろう、と情けない気持ちになる。
「嫌われちゃったかな。なんか、みんなよそよそしくて」
えへへ、と明らかに無理して笑う千愛。
「でも、その、なんだっけ、その子は友達なんだよね?」
「うん。莉子は友達。千愛のところに来てくれたの。嬉しかったなあ」
「で、昇降口から入るの?」
「ええ。なにか問題でも?」
「べつに」
要はにこりと笑った。なんだかんだ言いながら、自分を頼ってくる森山の物言いに好感を持ったらしい。
「…………」
その笑顔も鼻につく。無意味に声をかけるのはやめよう。
下駄箱を横目に、二階へ繋がる階段を目指す。廊下の奥から、ノイズのような話し声が響く。職員室だ。この空間に、自分たち以外のひとが居る。それだけで、喉の奥が詰まる感覚。緊張。
今回は大丈夫だ。ばれたって、何とでも言い訳出来る。不法侵入なんて、軽い罪。森山は自分に言い聞かせるように、心の中で呟いた。軽い、だなんて。なにと比べているんだろう。
(ま、わかりきっているけど)
馬鹿馬鹿しい。嘲笑する。柊は相変わらず言葉を発さない。どことなく、顔色が悪くなった気がする。まずそうだったら無理やりにでも引き返そう。そんなことを考えながら、森山は階段を上った。
「森山先輩は二年生の時、何組でした?」
「俺? あー、何組だっけ、そういや覚えてないな」
「さすがですね」
笑い声を混ぜて、皮肉が飛んでくる。
「要くんは覚えてるの?」
「もちろん。俺たちは三組です。なんせ色々あったクラスでしたから」
「ああね」
色々、なんて言葉では収まらないだろう。心の中で突っ込む。
この会話から推測するに、自分たちの足は、その二年三組のクラス教室を目指しているのだろう。いきなり本命か。柊の様子をうかがう。不安は大きい。
電気のついてない廊下は、昼間なのにぼんやりと暗い。天気が優れないせいもあるのだろう。
俺たちの中学校の匂いだ。森山は、校舎を見渡した。肌に触れる空気の温度とか、無音が奏でる音も。全部が此処を、自分たちが過ごした空間であると思い出させる。
(一人前に懐かしいとでも思ってるのかな)
こんな自分でも。
ほんの少し前にも来たばかりだが、あの時は何も考える余裕が無かった。
懐かしい、とはいえ、目の前をちらつくものは全て千愛の影だ。きらきら、きらきら。千愛が走り、千愛が笑い、千愛が殺された、校舎。
「あ」
「どうかしました?」
「いや……」
数学教室の前を通り過ぎる。ドアが開いていて、教室の中が見えた。
ざあっと、強い風が吹く。教室の奥、辛子色のカーテンが穏やかに揺れた。
「…………」
さきほどより鮮やかに。千愛の影。いつも、あのカーテンを背に彼女は立っていた。時折吹く風のせいで乱れる髪を、その度整えて。わかりもしない数式を見つめながら、彼女は笑った。
「難しいね、その問題」
「難しいって……。千愛、レベルなんてわからないでしょ」
「わかるよ、それ難しい。だって、有ちゃんが手こずってるもん」
「手こずってないし」
千愛が楽しそうに笑う。その笑顔に苦笑を返した。
昼休みは、いつもふたりでここに籠った。二階の端にあるこの数学教室は、森山と千愛、両方のクラス教室と比較的近い位置にあった。
「聞いて、有ちゃん。聞いて」
「なに?」
「あのね。莉子ってクラスメイトがいるんだけどね。その子に、明日お買い物に行こって誘ったの。そしたらどうなったと思う?」
「……一緒に行くことになったんじゃないかな」
「そうなの! そうなの!」
身を乗り出して叫ぶ千愛。森山は訳がわからないままに、ヨカッタネ、と片言の祝福を口にした。
「えらく嬉しそうだね。特別な友達なの?」
「特別。とても特別だよ。だって、あのクラスでたったひとりのお友達なんだから」
「……え?」
たったひとりの? 顔色が変わった森山に、千愛は眉を下げて笑いかけた。
「千愛のクラスね。いじめがあるの」
「……え、千愛」
「ううん、いじめられてるのは千愛じゃないんだけど」
「ああ、そう……」
ほっと胸をなで下ろす。まあ、千愛みたいな子がいじめられる訳がないだろう。だけど、明らかに穏やかでない話題。
「いじめ、ね、千愛、そういうの嫌だなって。思ったから。注意するでしょう。そしたら、みんなはそれが嫌だったみたいなの」
「……そんなの」
そんなの初めて聞いた。なんで言ってくれなかったんだ、と憤る反面、聞いたところで自分になにが出来るんだろう、と情けない気持ちになる。
「嫌われちゃったかな。なんか、みんなよそよそしくて」
えへへ、と明らかに無理して笑う千愛。
「でも、その、なんだっけ、その子は友達なんだよね?」
「うん。莉子は友達。千愛のところに来てくれたの。嬉しかったなあ」
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