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めんつゆ

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第六章 ベクトル

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「なんてことなの」

黒いモヤモヤが破裂した。衝撃となって心に落ちてきた。そうだ。気づいてしまった。「噂」を失えば、「可哀相」でなければ、私は「柊 莉子」ではなくなる。

「どうしよう……。わたし、本当は復讐なんて、自分の存在を確かめる道具なんじゃ……」

 親友が自殺して。濡れ衣を着せられて。
噂に人生を壊されて。そんな特殊な過去に溺れていた。苦しみが心の支えになっていた。
それだけが自らのアイデンティティだった。過去を消せば、ただの何も出来ない高校生。何も残らない。空っぽになった胸の奥に、風が吹きぬける。フィルター越しでない私自身。
それを見られて「大したことないじゃん」と言われてしまうのが怖い。ここからスタートすることを、自分は恐れている。

「なあにを今更」

「へ……?」

 落とされたその声は、森山のものじゃない。

「……なんでいるの?」

「お久しぶりの要くんでーす」

 生徒会室の開いた窓から、要が覗いていた。複雑に絡み合っていた感情の糸がほどけて、一気に不快感に変わる。要はいつも、余計なことしかしない。

「いらないんだけど」

「ひどーい!」

 言葉とは裏腹にゲラゲラ笑う要。それに森山は冷ややかな視線を送る。

「他校の生徒が勝手にうちの敷地に入らないでくれる?」

「俺、フリーターだから『他校の生徒』じゃないんすよねー」

「普通にめんどくさいよ。なに? 用があるなら手短にね」

「はーい。大学受験に萎えて来たらオープンキャンパスとか行ってモチベーション上げるでしょ?」

「は?」

 手短にって言ったよね? 

「俺があなたたちの計画をプロデュースしますよ。思い出巡りの旅に出ましょう」

「だから、何が言いたいの」

 あからさまに不機嫌な森山を、要は意に介さず話を続ける。

「ズバリ。俺の提案は、みんなでミナミ中学校に行こうよって訳なんですね!」

 京都に行こう、ぐらいの軽さで言い放たれたそれに、森山は眉を寄せた。柊も、要を怪訝そうに見つめる。

「前にも行ったけど」

「いや、中まで入らなくちゃ意味無いでしょ」

「なんのために」

「だから。復讐心が曖昧になってるんでしょ。だから、モチベーション上げてこうよって」

 楽しそうに言う要を、柊は怯えながら見つめた。いつの間に復讐のことがばれているんだろう。

「モチベーション作りかなんか知らないけどさ。そんな所に柊が行く訳ないでしょ。わざわざトラウマに向かっていくなんて馬鹿だよ」

「トラウマに馬鹿。さて、動物は何匹隠れていますか?」

「うるさい」

「柊さんにとっても悪い話じゃないと思いますよ? 俺は。だってほら、自分の気持ちが迷子になっているようだし? 始まりの地で自身が望むものを見極めてみるのもアリじゃない?」

「ナシだよ」

柊に向き合う要の頭を軽く叩く。

「いいから早く帰ってよ」

「待って森山。私、行く」

「はあ!?」

絶句する森山の奥で、要が満足げに頷いた。

「待って、柊、なんで?」

 焦る森山に、彼女は強い目を向けた。

「ごめんなさい。だけど、要くんの言う通りだわ。
私、知りたいの。自分がどうしたいのか。行けば、少しはなにか変わるかもしれない」

 迷子。その言葉は的を射ている。目の前に幸せをちらつかされた今、自分が飛びつきたいのはどちらなのか。すべてを忘れて、生徒会という場所で生きていくのか。真実を突き止めて、自身を散らすのか。

「だとしても、何もこいつと一緒に行くことないじゃん。今は断って、俺と二人でこっそり行くってことも出来たし……」

「あ、そっか」

「聞こえてまーすよー」

 手のひらをメガホン代わりに、要が不満を口にする。森山は、彼が乗り出している窓を閉めた。何やら、さらに文句を言っているらしいが、ガラスに遮られて聞こえない。

ただ、これでハッキリした。要は、復讐を続けて欲しいのだ。理由はわからないが。
 
「土曜日に学校が開いてるの?」

「思いっきり開いてますよ。教師は職員室に籠ってるし、生徒も部活で校舎内には居ないはず。絶好のチャンスです」

**

 あの突然の提案から数日。
ミナミ中学校への道を歩きながら、へえ、と相槌を打つ。
変な状況だ。森山はため息を漏らした。

要は前を歩きながら、鼻歌を歌っている。なぜか演歌だ。
柊はといえば、隣でひたすら黙りこくっている。辿り着く前からこんな状態で大丈夫なのだろうか。
心配はあるが、本人が行くと言っているのだから止められない。

「さーて、みなさま。左手に見えますのが、今日の目的地でありながら、我らが母校。ミナミ中学校でございまーす」

「そういうテンションもういいから」

「すみませんけど、クセなんでえ」

 カラカラ笑う。クセ。その言葉を咀嚼する。そうだ。彼のこれは、持って生まれた性格とは違う。小さな切なさが、胸をうずいた。この気持ちは、共感だ。

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