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エピローグ
どくそう
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深く広がる空の青。木々に宿り始めた緑。少し乾いたアスファルトの黒とか。そこらじゅうに散らばる色という色を。全部、ぐちゃぐちゃにかき混ぜたい。ただ汚いだけのシンプルな世界で、座り込んでいたい。
森山 有にとって、千愛という少女は完全な存在だった。社会の規範や道徳を守ることよりも、「千愛」をなぞることが正解だった。絶対だと信じた。だけど。
そんな彼女が最期に犯したのは、あまりにも愚かな過ちだった。真実を知ったとき、森山の中で千愛は「もう一度死んだ」。
アルミの取っ手を引っ張って、森山はドアを開けた。電気が点いているのは、奥にある職員室だけ。
静かに階段を上っていく。不安か緊張か恐怖か。どれも違う。冷たくて飾り気のない感情が、体の中心に佇んでいた。校舎の中は薄暗くて心地いい。
森山の、ムラの無い歩調が止まる。これまで何度、この扉の向こうを求めただろう。いつだって、迷子の感情をぶらさげながら、自分はここに立っていた。屋上への、一歩を踏み出す。
先客がいた。自分で呼びだしておいて何だが、予想外だった。
「ちゃんと来てくれたんだな」
森山の声に抑揚はなかった。
「なんだ、意外か? 指名手配くん。君が来いと言ったんだろう」
目の前の男は穏やかな表情だった。彼を纏う殺気が消え失せていた。
まるで、そこから「蛯名 敏也」を奪ってしまったかのように。
「指名手配なんかされてない」
「でも警察に追っかけまわされているじゃないか。ほら、下を見てみな。町中警官だらけだ。みんな君を捜してる」
「…………」
町に目はやらなかった。森山は蛯名を見つめた。言葉にならない違和感。想定していたのは張りつめた空気だったのに。
「あいつら、お前のことも捜してるんだぞ?」
「ああ、そうだな。君も、俺も。こんな所に居ていいのか?」
「俺はいいよ。逃げようなんて思っていない」
「捕まるのか?」
「……どうだろう」
「はっきりしないんだな」
まるで雑談だ。こんな予定じゃなかった。自分自身に拍子抜けした。この期に及んで心は妙に静かだった。
「おかしな話だよ。千愛を目指していたのに、いつの間にかアンタと同じ道を辿ってる」
は、と息を吐く。
「蛯名。お前今、なに考えてる?」
興味があった。彼に。彼の中身に。興味を持った。
「……なんだろう。もう、何に抵抗する気もない。そんな感じだ。君も俺を殺し終えたら、この感覚がわかるだろう」
力なく笑う彼は、そのすべてを森山に預けていた。この時初めて、森山は蛯名 敏也を見た気がした。
「なあ、森山君。俺は、もう疲れたよ」
死にたいと訴えるその中に、初めて生きた人間を見つけた気がした。
「お前だけ、逃げるなんて……、今更、むしが良すぎるだろ……」
「…………」
「…………」
自分はなにを言い出すのだろうか。結局何だったのだろうか。沈黙が重なるほど、考えられなくなる。
「なら、一緒に行くかい?」
ふいに突き出された言葉に、森山は息を呑んだ。目の前に佇む、殺人鬼が、何度殺しても満たされないぐらい憎いそれが、菩薩に見えた。苦しかった。叫びたかった。でも、どんなに助けを請うたとしても。その先に居るのは、彼だけなのだ。
「終わりにしよう」
震える右手でナイフを取り出した。ぎらぎらとうめくこの刃物だけが真実だ。その光に吸い寄せられるように少年は腕を振り上げた。
私、森山が好きだよ。
「千愛」を越えてはいけない。そう言った筈の女の、透き通るように綺麗な声が、響いていた。
完
森山 有にとって、千愛という少女は完全な存在だった。社会の規範や道徳を守ることよりも、「千愛」をなぞることが正解だった。絶対だと信じた。だけど。
そんな彼女が最期に犯したのは、あまりにも愚かな過ちだった。真実を知ったとき、森山の中で千愛は「もう一度死んだ」。
アルミの取っ手を引っ張って、森山はドアを開けた。電気が点いているのは、奥にある職員室だけ。
静かに階段を上っていく。不安か緊張か恐怖か。どれも違う。冷たくて飾り気のない感情が、体の中心に佇んでいた。校舎の中は薄暗くて心地いい。
森山の、ムラの無い歩調が止まる。これまで何度、この扉の向こうを求めただろう。いつだって、迷子の感情をぶらさげながら、自分はここに立っていた。屋上への、一歩を踏み出す。
先客がいた。自分で呼びだしておいて何だが、予想外だった。
「ちゃんと来てくれたんだな」
森山の声に抑揚はなかった。
「なんだ、意外か? 指名手配くん。君が来いと言ったんだろう」
目の前の男は穏やかな表情だった。彼を纏う殺気が消え失せていた。
まるで、そこから「蛯名 敏也」を奪ってしまったかのように。
「指名手配なんかされてない」
「でも警察に追っかけまわされているじゃないか。ほら、下を見てみな。町中警官だらけだ。みんな君を捜してる」
「…………」
町に目はやらなかった。森山は蛯名を見つめた。言葉にならない違和感。想定していたのは張りつめた空気だったのに。
「あいつら、お前のことも捜してるんだぞ?」
「ああ、そうだな。君も、俺も。こんな所に居ていいのか?」
「俺はいいよ。逃げようなんて思っていない」
「捕まるのか?」
「……どうだろう」
「はっきりしないんだな」
まるで雑談だ。こんな予定じゃなかった。自分自身に拍子抜けした。この期に及んで心は妙に静かだった。
「おかしな話だよ。千愛を目指していたのに、いつの間にかアンタと同じ道を辿ってる」
は、と息を吐く。
「蛯名。お前今、なに考えてる?」
興味があった。彼に。彼の中身に。興味を持った。
「……なんだろう。もう、何に抵抗する気もない。そんな感じだ。君も俺を殺し終えたら、この感覚がわかるだろう」
力なく笑う彼は、そのすべてを森山に預けていた。この時初めて、森山は蛯名 敏也を見た気がした。
「なあ、森山君。俺は、もう疲れたよ」
死にたいと訴えるその中に、初めて生きた人間を見つけた気がした。
「お前だけ、逃げるなんて……、今更、むしが良すぎるだろ……」
「…………」
「…………」
自分はなにを言い出すのだろうか。結局何だったのだろうか。沈黙が重なるほど、考えられなくなる。
「なら、一緒に行くかい?」
ふいに突き出された言葉に、森山は息を呑んだ。目の前に佇む、殺人鬼が、何度殺しても満たされないぐらい憎いそれが、菩薩に見えた。苦しかった。叫びたかった。でも、どんなに助けを請うたとしても。その先に居るのは、彼だけなのだ。
「終わりにしよう」
震える右手でナイフを取り出した。ぎらぎらとうめくこの刃物だけが真実だ。その光に吸い寄せられるように少年は腕を振り上げた。
私、森山が好きだよ。
「千愛」を越えてはいけない。そう言った筈の女の、透き通るように綺麗な声が、響いていた。
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