少女たちの地獄(カレイドスコープ)~価値なしと言われた令嬢たち~

宮野夏樹

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第1章 等価の地獄(エコノミック・ヘル)~国家を売却した令嬢は、瓦礫の山に金の雨を降らせる~

第3話 3つの才能と誤算

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 アストライア・フォン・オズワルドがまだ八歳だった頃。世界は今よりも、ずっと小さく、そして透明だった。

 国境を隔てた二つの領地は、表向きこそ敵対しながら、水面下では奇妙な均衡を保っていた。その要となっていたのが、オズワルド公爵家の離宮だ。そこには、病弱ゆえに王都を離れ、療養の名目で預けられていた隣国皇太子ヴァレリアンと、隣国の情報貴族ヴァニエ伯爵家の嫡男シリル、そしてアストライアの三人がいた。

 オズワルド家とヴァニエ家。国こそ違えど、実務と情報を握る両家は、無能な者たちを操り、大陸の均衡を裏で支配する「真の共犯者」として、血縁よりも濃い絆で結ばれていたのだ。

 その子供たちは、あまりに「早熟」すぎた。魔法盤を囲めば、一手で互いの意図を読み、数秒後には同じ最適解に辿り着く。大人の醜い外交工作を聞けば、目配せだけでその欺瞞を共有し、皮劇を笑い合えた。

「ねえ、アストライア。どうして大人は、わかりきった嘘を“外交”って呼ぶの?」

 ヴァレリアンの問いに、八歳のアストライアは本から目をなさずに答えた。

「呼び名を変えれば、罪悪感が薄れるからでしょう。あるいは、愚かさの証明書を装飾しているだけ。……陛下も、お父様も」
「……ふふ。好きだよ、君のそういう容赦ないところ」

 ヴァレリアンが満足げに目を細め、アストライアの髪を一房、まるで宝石の検品でもするかのように指に絡め取った。傍らで茶を淹れていたシリルが、その様子を羨望と悦楽の入り混じった眼差しで見つめ、くすくすと笑った。

「じゃあ僕は? アストライア様、僕はどう見える?」
「貴方は───とても優秀な『道具』になると思うわ。私が使いやすく磨き上げれば、ね」

 それは、少女が放つにはあまりに非情な言葉。しかし、シリルはその言葉に、これ以上ない悦びを見出したかのように、陶酔した面持ちで彼女の影を踏みつけた。

「光栄です、将来のご主人様。……どうか、手加減などなさらず。僕の心が磨り減り、形を失うまで、あなた専用の刃として使い潰してくださいね」

 それが、ただの子供の遊びで済んでいた頃の話である。



 八歳の冬、均衡は破られた。アストライアに届いたのは、自国の王太子アドニス・カスティエロとの婚約内定。

(きっと、話の合う方なのでしょう。一国の世継ぎなのだから)

 淡い期待を抱き、初めて応接室で彼と対面した時。

「君が、僕のお妃候補? ふうん。思ったより、地味だね」

 それが、アドニスの第一声だった。造作だけを見れば、彼は確かに最高級の美術品だった。だが、アストライアは瞬時に理解した。この男は磨けば光る原石ではない。最初から中身のない、空洞の宝石だと。

 それでも、彼女は七年、諦めなかった。彼を教育し、導き、一国の主としての自覚を持たせようと、あらゆる手を尽くした。しかし、返ってくるのはいつも同じ。

「難しい話は、アストライアに任せるよ。君は便利だな」
「でも、可哀想な彼女を放っておけないんだ。君は心が冷たすぎるよ」

 注いだ努力は、すべて底の抜けた器から零れ落ちていった。



 十五歳のある夜。深夜まで続く政務の書類の山を前に、アストライアはふとペンを止めた。

(ああ……もう、無理ね)

 それは、あまりに静かな悟りだった。王家は、この男の器のなさを、アストライアという「有能な付属パーツ」で埋めようとしている。自分を人間ではなく、便利な帳簿として一生使い潰すつもりなのだ。

 ───ふざけないで。私の価値を決めるのは、私自身だ。

 その夜、彼女は二つの魔法通信を送った。

 一通は、隣国で「覇者」への階段を登り始めたヴァレリアンへ。

 もう一通は、ヴァニエ家の闇で、彼女に捧げるための「毒花」として開花したシリルへ。

『商品価値が損なわれる前に、棚卸しを始めましょう。買い手は、準備できているかしら?』

 返信は、すぐさま空中に浮かび上がった。

 一通は、傲慢なまでに力強く。

『全財産、全兵力、そして俺の全生涯を賭けて。君という最高級の資産を、この手の中に競り落とそう』

 もう一通は、狂おしいほどに丁寧に。

『お迎えに上がります。あなたの足元へ、地獄を敷き詰めてお供いたします。……ああ、早くあなたに踏みにじられたい』

 ───だから。あの夜会で、アドニスが「婚約破棄」を叫んだ時。アストライアだけが心からの歓喜に震えていた。

(ご苦労様、アドニス殿下。……あなたが私を「捨てた」のではないわ)

 私が、あなたとこの国を「売却」したのだ。

 ヴァレリアンが、奪い去るために堂々と扉を開ける。
 シリルが、踏み台になるためにその美貌を晒して跪く。

 三人にとっては。八歳のあの離宮で、互いの「怪物性」を認め合い、同じ最適解を見出したあの日から───必然として、約束されていた「再会」だった。
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