浮舟のフィオナ―若き女王と終末の方舟―

河野彰

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第四章

第三章:閉ざされる門、愛しい女王への訣別

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 王城の崩壊は最終局面に達していた。  
 凄まじい浸水が廊下を奔流となって駆け抜け、傾斜する床を這うようにして、ルークはセリーヌの腰を抱き、方舟の最終脱出ハッチへと急がせた。 
「急いでください、セリーヌ様! 気密隔壁が閉じるまで、あと三十秒を切りました!」  ハッチの縁に辿り着いた瞬間、ルークは彼女を船内へと力強く押し込んだ。だが、彼自身がその足を踏み出すことはなかった。
「……ルーク? 何を、来い! これは私の命令だ!」  
 セリーヌが叫び、必死にルークの手を掴もうとハッチから身を乗り出す。だが、ルークは静かにその手を拒み、ハッチ横の非常閉鎖レバーを握った。 
「私がお供できるのは、ここまでです。島が沈没する際、内部から物理的にシステムを完全遮断し、方舟を負の重力の引きずり込みから切り離す者が一人、残らねばなりません」
 それは、死を意味する。それも、ただの死ではない。沈みゆく鉄塊の深奥で、永遠に海に溶けることを意味していた。
 「ふざけるな! お前は私の夫だろう!? 私を独りにするつもりか!? ──ルーク!!」  
 セリーヌは一人の女として、なりふり構わず泣き叫んだ。夫を失いかけた女は涙ながらに愛を叫んだ。彼女の頬を涙が伝い、ルークの指先に落ちる。その瞬間、初めて、ルークの鉄のような自制心が崩れた。彼はハッチの隙間からセリーヌを抱き寄せ、その唇を強引に奪った。
 その接吻は、潮の香りと、消えゆく命の灯の味がした。セリーヌは彼の首に縋り付き、行かせまいと衣を掴んで離さない。 
「私の役割は、貴女をこの古い世界の呪縛から解き放つこと。これ以上、貴女をフィオナにさせはしない。貴女の胎内にはきっと『彼ら』の種が宿っている。彼らとともに生きなさい」  
 ルークはセリーヌの濡れた頬を片手で包み、かつて図書館の地下で出会った時と同じ、穏やかで慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。 
「行ってください、私の、愛しい女王。……新しい世界で、自由に。それこそが、私の唯一の救いなのですから」
「嫌だ……!!嫌だぁ!! ルーク!!」  
 セリーヌの指先がルークの頬を掠め、虚空を掴んだ。  
 ガガガ、と無慈悲な音を立てて厚い鋼鉄のハッチが閉ざされる。覗き窓の向こう側、浸水しゆく暗闇の中で、ルークは最後まで背筋を伸ばし、深く、優雅に最期の礼を捧げていた。  直後、島が深海へと引きずり込まれる轟音がすべてを飲み込んだ。『アーク・ノア』のエンジンが青白い光を放ち、爆発的な推力で沈みゆく大地を蹴り飛ばす。セリーヌは閉ざされたハッチに額を押し当て、声にならない絶叫を上げ続けた。
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