幸せな人生を送りたいなんて贅沢は言いませんわ。ただゆっくりお昼寝くらいは自由にしたいわね

りりん

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 侯爵令嬢ユーリアは、8歳の時に14歳の皇太子アルフレッドの婚約者となった。
 銀色の髪にラピスブルーの瞳をした美しいアルフレッドに、ユーリアは一目で恋に落ちた。

 毎日厳しい皇妃教育が始まったが、アルフレッドと会う日は殆どなかった。
 月に一度か二度、義務的に短時間行われるお茶会の時も話し掛けられる事はなく、時折冷たい視線を向けられるだけ。
 それでも、厳しい教育に耐え努力していれば、いつかは愛してもらえる日がくるかもしれないと、信じていた。
      あの日までは··········

 あの日·····ユーリアは皇妃教育の為に皇宮に上がっていた。
 その時、見てしまったのだ。
 アルフレッドが、ある令嬢に向けている優しい瞳を。ユーリアといる時には笑みさえ浮かべないアルフレッドの笑い声を聞いてしまったのだ。
 その令嬢は、庶子で最近伯爵家の養女になったサーラという令嬢だった。

 柔らかなブルネットの髪にアンバーの瞳の可愛らしい容姿の令嬢だった。
 厳しい皇妃教育の為に表情を変えないユーリアと違って、くるくると表情を変え、朗らかに笑っていた。
 
 ユーリアは自分の黒髪に触れて悲しげに表情を曇らせた。

 ユーリアが出会って一度と向けられた事のないアルフレッドのあんな優しげな顔を、出会って間もないサーラは向けてもらえるのだ。

 厳しい教育なんて、努力なんて、何の意味もなかったのだ。

 それでもユーリアは17歳になればアルフレッドに嫁ぐ。それからは毎日虚しさと悲しみに苛まれながらも、皇太子妃として皇妃となるべく厳しい教育に取り組んだ。

 ユーリアが16歳の時に、アルフレッドの父の皇帝陛下が急逝され、アルフレッドは皇太子から皇帝になった。
 17歳になる誕生日の少し前に、皇城で開かれた夜会に、ユーリアは父の侯爵のエスコートで出席していた。

 夜会の会場に、アルフレッドはラピスブルーのドレスを着たサーラを伴って現れたのだ。
 周囲は騒然となった。ラピスブルーは、アルフレッドの瞳の色だから。
 
 そのラピスブルーのドレスを着たサーラとアルフレッドを見た瞬間、ユーリアは悟った。
 アルフレッドは、ユーリアを皇妃として迎える気はないのだと。

 思った通り、いや、この場で婚約の破棄を告げられるとは流石に思ってはいなかったが、アルフレッドは夜会で、衆人の中でユーリアに婚約破棄を告げ、サーラを皇妃として迎える事を宣言した。
 ユーリアは父と共に会場を後にした。
 涙は、流れていたのかもしれない、けれども心が空っぽになったユーリアには何も感じなかった。

 皇妃教育はなくなり、皇宮に行く事もなく、空っぽの日々を過ごした。

 皇宮から、アルフレッドの側近から書状が届けられるまでは。

 側妃として皇宮に入るようにと、皇帝陛下からの命令書だったのである。

 侯爵は、婚約破棄をして庶子の伯爵令嬢を皇妃にしながら、侯爵令嬢のユーリアを側妃にという命令に、怒り狂った。

 それでも、皇帝陛下の命令となれば聞き入れるしかないのだ。

 17歳になっていたユーリアは、再び皇宮に上がった。皇妃ではなく側妃として。

 相変わらずユーリアには冷たい目しか向けないアルフレッドは、側妃とは形ばかりだと、皇妃に代わり公務を行うようにと言った。
 庶子であったサーラは字が書けなかったのだ。
 読みも簡単な絵本程度のものしか読めず、公務を熟す事は到底無理だった。
 コツコツと公務を熟す気もなさそうであったが。

 「アル?でも、側妃の部屋に行っちゃ嫌よ?代わりに仕事してもらう為だけに呼んだんですからね?」

 「分かっている。そんな気は更々ない」

 「あ、でもユーリア、公務は私がしてる事になってるのだから、口外しないでね」

 「承知致しました、皇妃陛下」

 アルフレッドとサーラが楽しげに見つめ合いながら会話している事を頭を下げたまま聞き、返答をした。
 ユーリアの事など何の関心もないアルフレッドの言葉に胸が酷く痛んだ。
 こんな事になっても尚、捨てきれずにいる恋心が恨めしかった。

 王宮の奥に用意されたユーリアの私室兼執務室。ベッドとソファーセットなど、部屋の体をなしているだけの部屋だった。

 サーラの言葉通り、公務はサーラがしている事になっている為、ユーリアの部屋には侍女もメイドもつけられていない。
 アルフレッドの側近が仕事の書類と共に食事を置いて行くだけだった。

 わたくしは幽霊みたいなものね、とユーリアは独りごちた。限られた人しかユーリアが皇宮にいる事を知らないのだ。
 外に出る事も禁止されている。深夜に暗闇の中で部屋のバルコニーに出て風に当たる事を、側近に許可された時だけ許される。

 国民からの嘆願書や依頼書、領主からの陳情や復興費などの要請、見積書の確認や予算の計上など、公務は多岐に渡った。
 日に日に持ち込まれる書類の量は増える。
 サーラが、アルフレッドと自由に会う時間がなくなるから、アルフレッドの分もユーリアにさせるようにと側近に言いつけた為、本来ならアルフレッドの元にいくはずの書類もユーリアの元に持ち込まれた。

 全ての書類の隅々まで見落としがないように確認し、領主からの要請は各領を調べてもらい資料を貰って精査し、予算の計算、嘆願書や陳情の内容を整理し、アルフレッドの元に決済をするだけの状態まで書類を作成して届けてもらう。

 22歳になったユーリアの睡眠時間は、この2~3年は一日三時間もないくらいだった。

 ユーリアは皇宮にいないものになっている為に、食事は側近が置いていくパンとミルク、たまにスープがあるくらいで痩せ細っていた。

 時折激しく襲う頭痛に悩まされていたユーリアは、その日朝から続く頭痛で食事も取れないでいた。お茶を入れてくれるメイドもいない。
 動くのも億劫で、時計を見れば、書類を取りに側近が来るまで、まだ四時間以上もあった。
 
 断続的に続く痛みに、目も開けていられないほどになり、とうとうユーリアはデスクに突っ伏した。

 もしわたくしが生まれ変われるとしたら、幸せな人生を送りたいなんて贅沢は言いませんわ。普通に、お昼寝が自由に出来るくらいの生活に生まれ変わりたいわね····················

 そんな事を思いながら、──────────

 夕方、デスクに眠るように突っ伏したユーリアに、側近が声を掛け起こそうとした時には、ユーリアの息は絶えていた。

 急いで皇宮医師を呼んだが、ユーリアの死亡が確認されただけであった。
 死因は、おそらく過労であろうと。

 ユーリアの死はアルフレッドにも報告された。

 一応その報せが正確であるかの確認の為に、アルフレッドは初めて、ユーリアの部屋に足を踏み入れた。

 顔色をなくしてベッドに横たえられたユーリアの遺体を、アルフレッドの温度のない目が見つめている。

 「随分と痩せているが、ユーリアはこんなに痩せていたのだったか」

 誰にともなく呟かれた言葉に、側近が答えた。

 「いえ、華奢な方ではありましたが、こんなに痩せてはおりませんでした」

 そうか、と呟くアルフレッドが何を思っていたのかは分からない。
 ただアルフレッドは、数年間同じ皇城にいたユーリアの姿を、覚えていなかったのだ。
 婚約してからも、破棄をした後も、側妃に召し上げてからも、ユーリアに関心を寄せる事は一度となかった。
 愛するサーラの代わりに、公務を執行させる為だけの、都合のいい存在でしかなかった。
 
 「侯爵に報せろ」

 ユーリアの死が侯爵家に報告され、侯爵は娘の亡骸を引き取りに皇宮に訪れた。

 既に棺に入れられたユーリアの亡骸に、侯爵夫妻は泣き崩れた。
 侯爵家にはまだ成年していない後継ぎであるユーリアの弟と、妹もいる為に黙ってユーリアも差し出し忠誠を誓ってきたが

 「ユーリアはこちらで引き取らせて貰います。侯爵家できちんと、手厚く弔ってやりたい」

 侯爵がそう言った事を、アルフレッドは咎めなかった。
 皇家ではちゃんと弔って貰えないというような事を匂わせたのだ、不敬とも言える事だが、ユーリアや侯爵家に対しての後ろめたさであったのか、アルフレッドは黙って頷いたのだった。

 五年間、アルフレッドとサーラに使い潰されたユーリアは、物言わぬ姿となって、漸く侯爵家に帰ってくる事が出来た。
 夫妻も弟妹も使用人達も悲しみに暮れた。
 教会でひっそりと、侯爵家の者達だけで葬儀をあげると、教会の大きな木の木陰に埋められた。

 
 ユーリアの死後、 ひと月もしない間に、皇宮のアルフレッドの執務室では異変が起きていた。
 執務室に積み上がった書類の山、やってもやっても減らないのだ。

 「おい、これはどうなっている?ユーリアは仕事をせずに溜めっぱなしにしていたのか」

 アルフレッドは堪らず側近に問い詰めた。

 「いえ、側妃様はきっちり熟していましたよ。毎日陛下の分まで。お亡くなりになった日も殆どの書類が出来上がっていました」

 「は?俺の分まで?ユーリアがしていたと言うのか?」

 「陛下は側妃様がいた頃、毎日決済をすればいいだけの状態まで仕上げられた書類をどう思っていましたか?だから陛下の執務はスムーズにすぐに終わっていたんですよ」

 「何故?何故そんな事までユーリアがしていたんだ。でしゃばったのか」

 流石にユーリアの尊厳を慮った側近は、アルフレッドに黙っていた事実を口にした。

 「側妃様がでしゃばったのではありません。皇妃様が陛下の分も側妃様に回すように言われたんです」

 「サーラが何故そんな事を?それに、サーラが言ったとしても」

 何故そんな言いなりになったのかと言いたいのか。

 「陛下が公務をしていては、皇妃様が陛下と会う時間が減るからと、側妃様に陛下の分も仕事をさせるように言ってきたのです。何故皇妃様の言う事を聞いたのかと言われれば、あの方は自分の思い通りにならない事があると、周りに当たり散らすからです。皿やカップを投げつけて割ります。熱い紅茶の入ったカップやティーポットを投げつけ火傷を負った女官や侍女メイドも数多くいます。皇妃様の機嫌が損なわれると、被害は下の者達が被るのです。突然首にされて皇宮を追い出された者達だっているんです」

 淡々と一気に言い切ると、それが出来る権力を持つ座に、アルフレッドがサーラを付けたのだ、と側近は心の中で言ちた。

 「··········」

 ガチャッ!!「アルぅ!仕事はもう終わった?」

 アルフレッドが無言になった────────その時に、けたたましい音を立てて扉が開くと、バタバタとサーラが飛び込んできてアルフレッドにまとわりついた。

 いつもなら無邪気にまとわりつくサーラを愛おしそうに頬を緩ませて相手をしているが、今日のアルフレッドにはそんな余裕がないようで、サーラの腕を振りほどくと自分から引き剥がした。
 
 「悪い、公務が立て込んでいて暇がないんだ」

 珍しく素っ気ないアルフレッドに不満気に頬をプウと膨らませるサーラ。

 「えー、何でアルフレッドが仕事してるのぉ、面倒な仕事させる為にユーリアがいるんでしょう?」

 「ユーリアはもういない。死んだんだ」

 「えーー、死んじゃうなんて、ほんと役に立たないんだから」

 二人の会話を聞いている側近は、最期のユーリアの姿を思い出しながら俯いていた。
 ユーリアに別に恨みがあるわけでもなく、ただ二人指示通りにしていただけの側近は、亡くなった後になってまで貶められるユーリアを気の毒に思った。ここにある仕事には、本来なら皇妃であるサーラがするはずの物も多くあるのだ。

 「あ、じゃあユーリアの代わりの側妃をまた入れればいいじゃない。ねえ?」

 側近は最後のサーラの問いかけが自分に向けられたと理解すると

 「·····そうですね」

 機嫌を損ねないように曖昧に返事を返す。

 側近がチラリとアルフレッドの方を見ると、流石に固まって言葉も出ない様子である。
 兎も角今現状溜まってしまっている仕事を仕上げなければならないと、側近は俯いて仕事を再開させた。今、この執務室にいる皇妃が、ユーリアであればどんなにか良かっただろうと実感しているのであった。

  「側妃の話しは、そんなに簡単にはいかないんだ」

 さっき側近からサーラの機嫌が悪くなれば、使用人達など下の者が被害を受けると聞いたばかりのアルフレッドは、機嫌を損ねないようになるべく刺激しないようにと思いながら

 「私は公務で離れられないから、仕立て屋でも呼ぼう。次回の夜会に着るドレスの相談でもしておいで」

 サーラはそれを聞くと、大好きな華やかな夜会が開かれるのだと、パッと顔が歓喜に輝く。
 
 「そうね、夜会があるならドレスを新しく作らなきゃ。それに合う宝石も探さないと」

 機嫌が良くなるとクルリと回って執務室を飛び出して行った。
 アルフレッドは侍従を呼んで、仕立て屋を皇妃の宮にすぐに呼んでくるようにと指示した。
 

 
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