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31. 傷跡-5
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それからも奈央は、時々夜中に目を覚ますようになった。
そして、以前にも増してストイックなまでに勉強をし、自分を追い込んでいるようにも見えた。
今朝も早くから起き出しては、朝食を食べる前に参考書を開いている。俺は、その手から参考書を取り上げると、ポイと後ろへ放り投げた。
「ちょっと、何?」
そんな俺に向けられたのは、勿論鋭い眼差し。
奈央が本気で怒った時は、ちょっとばかり尻込みするが、今日だけは負ける訳にはいかない。
「今日から3日間、勉強は休み!」
言い切る俺を完全に無視した奈央は、床に落ちた参考書を拾い上げる。それをまた取り上げては放り投げた。
……うっ、奈央の目が、めちゃくちゃ怖ぇ……。
後頭部を貫通させそうなほどの視線で射抜かれ、フリーズしそうになる自分を鼓舞して、めげずに話しかける。
「分かんねぇ奴だな。勉強はなしだって言ってんだろ!」
「理由は?」
「俺、今日から夏休み」
「だから?」
「海行こうぜ!」
馬鹿じゃないの? と憐み交じりの冷めた目で俺を見つめること数秒。
「お一人でどうぞ」
眼差し同様、冷たい言葉が返ってきた。
「男一人海行ってどうすんだよ」
「向こうで、可愛い子でも捕まえたら?」
……なんだそれ。すげぇ、ムカつくんだけど!
「あったまきたっ!」
そう言うと、俺は距離を縮めて、奈央が座る椅子に手を掛けた。
こうなったら担いででも連れってってやるっ!
椅子を動かし、向き合った奈央に触れようとすれば、
「ちょっと待ってよ! 海って本気で言ってんの?」
流石の奈央も少しばかり慌てた様子だ。
「当たり前だろ?」
「何でそんな急なのよ」
「前から決めてた」
「勝手に決めないで」
「言えばお前嫌がったろ? 勉強、勉強って、ろくに睡眠も取らずに、青白い顔して机に向かうのは目に見えてる」
奈央は、髪をかき上げながら、ため息交じりに「何考えてんのよ……」と、ぼやくと、俺を見ながら真っ当な弁を繰り出す。
「ねぇ、受験生にとってこの夏がどれだけ大事か分かってるわよね?」
最もらしい奈央の言い分だ。
でもな……。
「そんな勉強の仕方で、本番までお前の体もつのか? 本番どころか、この夏にでも体壊したっておかしくねぇだろ。今のお前に一番必要なのは休養。じゃ、そう言うことだから、無理やりにでも連れて行く。あっ、ところで奈央って水着持ってるか? なけりゃ、買ってやるぞ!」
わざと明るく振舞って、本心を隠した。
受験のために勉強してるようには見えないって本音も、余計なものを考えたくなくて、勉強に逃げているだけじゃないのか? って疑念も。それじゃお前が壊れそうで見てらんない、なんて言ったら、余計に無理しそうで。体も心も、奈央がバラバラになって消えてしまうんじゃないかって、俺の中に芽生えた不安も一緒に、悟られないよう全てを隠す。
「おい! いつまでそこに座ってんだよ。そんなに担がれたいのか? だったら、お望みどおりそうしてやるよ。必要なものは全部あっちで買えばいいし」
再び奈央に手を伸ばそうとした俺に待っていたのは、顔をしかめるほどの足の痛みだ。
「いてっ!」
遠慮も迷いもなく、俺の脛に蹴りを命中させた奈央は、そのまま何事もなかったように席を立つと、
「ある」
とだけ告げて、別の部屋へと歩き出した。
「ある」の前に、ごめんとか大丈夫とか言うことはねぇのかよ。っつうか、あるって何がだ!
奈央が消えて行った部屋へと、痛みの引いた足で後を追う。
その部屋を覗けば「ある」と言ったものが床に散らばっていた。
諦めて海に行く気になってくれたのか?
「奈央、ひとり水着ショーでもやる気か?」
「敬介を前にして、何でそんな馬鹿しなくちゃならないのよ」
天と地がひっくり返っても、そんなサービスはしてくれそうにない奈央の前には、無造作に沢山の水着が広げられていた。
「にしても、随分と持ってるな。もしかして、ホントは奈央も海行きたかったとか?」
「……そう見える?」
──いえ、見えません。
スッーと細められた奈央の眼を見て、体が勝手に後ずさりする。どこからまた攻撃をかけられるか分かりゃしない。
奈央は床に広げられた、新作のものと思われる水着をつまみ、一つ一つ見ながらため息を吐いた。
「実家から送られてきたの。無駄なだけなのに、すぐに何でも送ってくるんだから。こんなの着て海に行って何が楽しいんだか」
「そう言うなって。たまには外の光を浴びるのもいいだろ? お前は少し部屋にこもり過ぎなんだよ。絶対、今回は連れてくからな!」
「何なの、そのしつこさは。敬介だって海なんか全然似合わないじゃん」
「いいから早く水着選べよ。遅くなると道が渋滞すんだろ? 何なら俺が選んでやろうか?」
……失礼だな、その目。変態でも見るかのような軽蔑の眼差ししやがって! 俺の優しさを、勝手に下心に変換するんじゃねぇよ。どっちかって言えば、俺は極力露出が少ないものを選んで欲しいくらいだって言うのに。
「もう、これでいいだろ?」
軽蔑の眼差しに耐えながら俺が指さしたのは、上も下もカットが深い白のビキニ。
本当はこんなもの着てもらいたくなんかない。でも、奈央の性格を考えると、俺が選んだものを素直に受けるはずもないだろうと、深読みの末に選んだのだが……。
「分かった」
あっさりと受け入れられ、途端に焦りだす。
「あっ、いやちょっと待て。やっぱそれは……」
「ふーん、敬介はこんなのが好きなんだ。やらしい~」
「ば、馬鹿言うな。俺はガキに期待なんかしてねぇっ!」
思わず大きな声で否定する動揺した俺を見て、フッと笑った奈央は、手にした水着を置き、違うものを手に取った。
「うそ。残念ながらこれは無理」
ホッとしながらも、でも着れば絶対に似合うと思うぞ! と言う本音は、俺の身の安全を守るためにも口に出すことはなかった。
奈央が選んだのはスカート付きで、鮮やかなブルーに白い小さなドットがプリントされている水着だった。スカート付きだし、露出度もいくらか控え目だ。
海には獲物を狙う狼男がわんさかいるだろうから、その餌食にならないよう、控えめなデザインが好ましい。
「そっちの方が奈央には似合うな!」
「似合う似合わないはどうだっていいの。ただ、ビキニだけだと傷が見えちゃうから」
奈央は散らばった水着をかき集め、クローゼットにしまった。
「傷って?」
「子供の頃に盲腸やってるから」
そうか……。奈央だって女の子だ。そんな傷は隠したいもんなんだろう。
「隠せない傷もあるけどね」
「隠せない?」
クローゼットを閉じると、奈央は無言で自分の左腕を俺の前に突き出してきた。
左の二の腕内側に、目を凝らさないと分からない、今まで気付きもしなかった小さな傷跡。決して目立つほどのものではないが、その一部分だけが他の皮膚とは少し違う。
「火傷か?」
「なんだろ。気づいた時にはもうあったから」
「そっか。でも気にすんな。全然、目立たないから。それより他の荷物も用意しろよ。あと5分以内に」
「もう、めんどくさいな」
うんざりとした顔を隠す気はないらしい奈央は、渋々ながらも用意を始めた。
そして、以前にも増してストイックなまでに勉強をし、自分を追い込んでいるようにも見えた。
今朝も早くから起き出しては、朝食を食べる前に参考書を開いている。俺は、その手から参考書を取り上げると、ポイと後ろへ放り投げた。
「ちょっと、何?」
そんな俺に向けられたのは、勿論鋭い眼差し。
奈央が本気で怒った時は、ちょっとばかり尻込みするが、今日だけは負ける訳にはいかない。
「今日から3日間、勉強は休み!」
言い切る俺を完全に無視した奈央は、床に落ちた参考書を拾い上げる。それをまた取り上げては放り投げた。
……うっ、奈央の目が、めちゃくちゃ怖ぇ……。
後頭部を貫通させそうなほどの視線で射抜かれ、フリーズしそうになる自分を鼓舞して、めげずに話しかける。
「分かんねぇ奴だな。勉強はなしだって言ってんだろ!」
「理由は?」
「俺、今日から夏休み」
「だから?」
「海行こうぜ!」
馬鹿じゃないの? と憐み交じりの冷めた目で俺を見つめること数秒。
「お一人でどうぞ」
眼差し同様、冷たい言葉が返ってきた。
「男一人海行ってどうすんだよ」
「向こうで、可愛い子でも捕まえたら?」
……なんだそれ。すげぇ、ムカつくんだけど!
「あったまきたっ!」
そう言うと、俺は距離を縮めて、奈央が座る椅子に手を掛けた。
こうなったら担いででも連れってってやるっ!
椅子を動かし、向き合った奈央に触れようとすれば、
「ちょっと待ってよ! 海って本気で言ってんの?」
流石の奈央も少しばかり慌てた様子だ。
「当たり前だろ?」
「何でそんな急なのよ」
「前から決めてた」
「勝手に決めないで」
「言えばお前嫌がったろ? 勉強、勉強って、ろくに睡眠も取らずに、青白い顔して机に向かうのは目に見えてる」
奈央は、髪をかき上げながら、ため息交じりに「何考えてんのよ……」と、ぼやくと、俺を見ながら真っ当な弁を繰り出す。
「ねぇ、受験生にとってこの夏がどれだけ大事か分かってるわよね?」
最もらしい奈央の言い分だ。
でもな……。
「そんな勉強の仕方で、本番までお前の体もつのか? 本番どころか、この夏にでも体壊したっておかしくねぇだろ。今のお前に一番必要なのは休養。じゃ、そう言うことだから、無理やりにでも連れて行く。あっ、ところで奈央って水着持ってるか? なけりゃ、買ってやるぞ!」
わざと明るく振舞って、本心を隠した。
受験のために勉強してるようには見えないって本音も、余計なものを考えたくなくて、勉強に逃げているだけじゃないのか? って疑念も。それじゃお前が壊れそうで見てらんない、なんて言ったら、余計に無理しそうで。体も心も、奈央がバラバラになって消えてしまうんじゃないかって、俺の中に芽生えた不安も一緒に、悟られないよう全てを隠す。
「おい! いつまでそこに座ってんだよ。そんなに担がれたいのか? だったら、お望みどおりそうしてやるよ。必要なものは全部あっちで買えばいいし」
再び奈央に手を伸ばそうとした俺に待っていたのは、顔をしかめるほどの足の痛みだ。
「いてっ!」
遠慮も迷いもなく、俺の脛に蹴りを命中させた奈央は、そのまま何事もなかったように席を立つと、
「ある」
とだけ告げて、別の部屋へと歩き出した。
「ある」の前に、ごめんとか大丈夫とか言うことはねぇのかよ。っつうか、あるって何がだ!
奈央が消えて行った部屋へと、痛みの引いた足で後を追う。
その部屋を覗けば「ある」と言ったものが床に散らばっていた。
諦めて海に行く気になってくれたのか?
「奈央、ひとり水着ショーでもやる気か?」
「敬介を前にして、何でそんな馬鹿しなくちゃならないのよ」
天と地がひっくり返っても、そんなサービスはしてくれそうにない奈央の前には、無造作に沢山の水着が広げられていた。
「にしても、随分と持ってるな。もしかして、ホントは奈央も海行きたかったとか?」
「……そう見える?」
──いえ、見えません。
スッーと細められた奈央の眼を見て、体が勝手に後ずさりする。どこからまた攻撃をかけられるか分かりゃしない。
奈央は床に広げられた、新作のものと思われる水着をつまみ、一つ一つ見ながらため息を吐いた。
「実家から送られてきたの。無駄なだけなのに、すぐに何でも送ってくるんだから。こんなの着て海に行って何が楽しいんだか」
「そう言うなって。たまには外の光を浴びるのもいいだろ? お前は少し部屋にこもり過ぎなんだよ。絶対、今回は連れてくからな!」
「何なの、そのしつこさは。敬介だって海なんか全然似合わないじゃん」
「いいから早く水着選べよ。遅くなると道が渋滞すんだろ? 何なら俺が選んでやろうか?」
……失礼だな、その目。変態でも見るかのような軽蔑の眼差ししやがって! 俺の優しさを、勝手に下心に変換するんじゃねぇよ。どっちかって言えば、俺は極力露出が少ないものを選んで欲しいくらいだって言うのに。
「もう、これでいいだろ?」
軽蔑の眼差しに耐えながら俺が指さしたのは、上も下もカットが深い白のビキニ。
本当はこんなもの着てもらいたくなんかない。でも、奈央の性格を考えると、俺が選んだものを素直に受けるはずもないだろうと、深読みの末に選んだのだが……。
「分かった」
あっさりと受け入れられ、途端に焦りだす。
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「ば、馬鹿言うな。俺はガキに期待なんかしてねぇっ!」
思わず大きな声で否定する動揺した俺を見て、フッと笑った奈央は、手にした水着を置き、違うものを手に取った。
「うそ。残念ながらこれは無理」
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奈央が選んだのはスカート付きで、鮮やかなブルーに白い小さなドットがプリントされている水着だった。スカート付きだし、露出度もいくらか控え目だ。
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「そっちの方が奈央には似合うな!」
「似合う似合わないはどうだっていいの。ただ、ビキニだけだと傷が見えちゃうから」
奈央は散らばった水着をかき集め、クローゼットにしまった。
「傷って?」
「子供の頃に盲腸やってるから」
そうか……。奈央だって女の子だ。そんな傷は隠したいもんなんだろう。
「隠せない傷もあるけどね」
「隠せない?」
クローゼットを閉じると、奈央は無言で自分の左腕を俺の前に突き出してきた。
左の二の腕内側に、目を凝らさないと分からない、今まで気付きもしなかった小さな傷跡。決して目立つほどのものではないが、その一部分だけが他の皮膚とは少し違う。
「火傷か?」
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