教師と生徒とアイツと俺と

本宮瑚子

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32. 儚き夏の日-1

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    予想通り車は渋滞に巻き込まれ、通常の二倍の時間を要した。

「奈央がさっさと用意しないからだ!」と、文句を垂れれば、「勝手に人の予定狂わしといて何言ってんのよ!」と、応戦する奈央。

 仕舞いには、ちんたら走る前の車を追い越せだの、なかなか先に進まない高速では、覆面に見つかるまで路肩を走れ!などと、イラつきに任せ鬼のような事を言う始末だ。

 ……俺の職、奪う気か?

 大人しくなったと思えば、いつの間にかバッグから取り出した単語帳を捲っている。透かさずそれを取り上げて窓から投げ捨てる振りをしてみるも、バッグからはまた別の単語帳が取り出された。

 ……どんだけ詰め込んできたんだよ、そのバッグに。

「勉強は休みだって言ったろ!」
「無駄な時間を有効活用して何が悪いのよ」

 ったく、旅行に行く時ぐらい勉強なんて忘れろよ。俺との会話を楽しもうとか、運転してる俺を労うとか、色々あんだろうが!

 いつまで続くか分からない渋滞も重なって、遂には俺もイラつき始め、ハンドルを意味なく指先で叩く。

 こうなりゃ、奈央の言うとおり路肩走っちゃう? なんて法破りな考えまで浮上した時、奈央の指がスーッと俺の口元に伸びてきた。

「敬介、怒ってんの? そんなイライラしてると事故っちゃうよ? はい、これあげる」

 勧められたのはアメ玉だ。ニッコリ笑う奈央に、気持ちはあっさりとコントロールされ、苛つきは瞬く間に影を潜めた。

 少しは悪いって思ってくれたとか? それにこれって、食べさせてくれるって事だよな? 何だよ、可愛いとこあるじゃん!

 こんな事くらいで喜んでしまう自分は、馬鹿がつくほど単純な奴だったと思い知らされる。
 浮かれて口を開けアメを食わせて貰うと、奈央は覗き込むように俺を見た。

「ね、どう?」
「どうって言われ……うっ!」

 ───な、何だコレっ!

「嘘っ! もしかして当たった?」

 当たったって、コイツ……。目を見開き驚いてるけどよ、俺の方がびっくりだっつうんだよ!

 慌ててティッシュを一枚引っこ抜くと、そこにアメを吐き出し包んで捨てた。

「辛っ! 奈央、水よこせ、水っ!」
「凄い。この確率で当たるなんて」
「いいから感心してないで、水だーーっ!」
「クスッ、欲しい?」

 ペットボトルをフラフラと揺らす奈央は、俺の苦しみを楽しげに見ている。
 奈央がくれたアメは、一袋に一粒だけ入っていると言う激辛アメ。どうやら、その貴重な一個を俺は頂戴したらしい。

「水くれ! 早くしろって」
「水……くれ? 早く……しろ?」

 舌はヒリヒリし喉も熱くむせそうなのに、この緊急事態を無視して強要するな! 誰のせいでこんな思いしてると思ってるんだ!

 と、言いたいところだが、背に腹は代えられん。

「奈央ちゃん。お願いします、水下さい」

 すぐさま態度を改め水を乞う。

「ちゃんは余計」

「はい」と、手渡された水を大急ぎで口へと流し込んだ。

 どうにか最悪の状態から脱すると、激辛アメがなくなった袋の中から、残りは全部まともな味であろうアメを取り出し、口に運ぶ奈央を睨みつけた。

「うまいか?」
「おかげさまで」
「何か言うことは」
「敬介っておもしろいね」
「他には」
「敬介って馬鹿だね」
「ちげぇーだろ!」
「あっ、前動いた」

 謝罪のないまま動き出した車の中で、俺と奈央の攻防戦はずっと続けられた。
 低レベルな言い争いは、怒ったり笑ったりと忙しい。長いと思われた道のりすら、あっという間だったと感じさせる。

 いつしか、手にしていた単語帳はしまわれ、そして、バッグごと後部座席に置いた奈央は、それから単語帳を開くことはなかった。
    ずっと、俺との会話を楽しんでいるように見えたのは、決して自惚れではないと思いたい。





 俺の記憶にあるのと変わりのない白亜の建物。約十年ぶりに見るその建物の前で、俺はアクセルからブレーキに足を移動し、車を一旦停車させた。

「ここは?」
「俺んちの別荘。二日間ここで過ごすから」

 ガレージが開き中まで車を進めると、久し振りに見る懐かしい顔が、玄関先で俺達を待ち受けていた。

「敬介坊ちゃま、お久しぶりでございます。まあまあ、こんなにご立派になられまして!」

 車から降り立った俺に、瞑ってんのか? と思わせるほど目を細め、本気で喜んでいるだろう笑顔を振り撒くのは、うちのこの別荘を管理してくれている木村と言う女性だ。

「元気そうだな。それより、この年で坊ちゃまはないだろ」
「申し訳ございません。つい呼び慣れているものですから。こんなに綺麗なお嬢様をお連れするくらい、大人の男性になられたんですものねぇ。坊ちゃまなんてお呼びしたら、敬介坊ちゃまの顔が立ちませんわよねぇ?」

 顔が立たないと理解しながら、まだしっかり坊ちゃまって呼んでんじゃねぇかよ。と、突っ込む前に、視界は良好なのか心配になるほど細めた目のままで、木村は奈央に視線を移した。
 木村は、奈央に向って自己紹介をすると、俺が小学生の頃は、この地でひと夏を過ごしていたと過去を語り、続けざまに今度は俺達の出会いを知りたがる。
 そんな木村に、奈央は嫌な顔一つせずに挨拶をすると、

「出会いは行きつけのお店です」

 要望に応え、間違いではなくとも正確でもない二人の馴れ初めを付け加える。

「坊ちゃまったらナンパでございますか~?」
    
    投げつけられたウィンクが鬱陶しい。

 ……しかも、声を掛けられたのは俺の方だ。

 そんな反論をする余地もないほど、そりゃあもう一人勝手に盛り上がっていた。

「なぁ、その辺で勘弁してくれよ」

 漸く見つけた隙に、急いで木村の止めにかかる。

「あらあら、私とした事が。すっかりお邪魔しましたかしら?」

 俺達の関係を勘違いはしているが、その口の動きを止めてくれるなら、勘違いすらもうどうでもいい。それに、俺の教え子だと、本当のことを告げて腰抜かされても厄介だ。

「奈央も疲れてるし、部屋でゆっくりさせてやりたいから」

 俺がそう言えば、身に付けていたエプロンの裾を目元に持っていった木村は、流れてもいない涙を拭う仕草を見せ、

「本当にお優しい男性になられまして……」

 本気なのか冗談なのか分からない振る舞いで、奈央を苦笑させた。

「大げさな」
「いーえ。本当に嬉しいんですよ。でも、いつまでも邪魔しちゃ悪いですからね、どうぞゆっくりお過ごし下さいませ。お風呂の準備もしてございますし、落ち着きましたらリビングにお越しくださいませね。お茶の用意をしておきます」
「悪いな」
「いいえー。あっ、それよりお部屋の方は、ご一緒で宜しいんですのよねぇ? 敬介坊ちゃまが使っていた子供部屋では手狭なので、隣の客室をご用意しておきましたの」

『ああ』と、頷くには躊躇してしまうほど、ニヤついた木村の顔。
 一緒の部屋でも別に違和感を覚えない関係だが、木村が考えている仲でもない俺達。そんないやらしい顔で眺められても困る。
 俺は、木村に何も返事をしないまま「行くぞ」と、奈央の手を掴むと、追いかけてくる「ごゆっくり~」の言葉にも無言を貫き、喜色満面あふれる木村に背を向けて、二階にある部屋へと向かった。

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