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33. 儚き夏の日-2
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二人で手を繋ぎ階段を上りきると、部屋に着く直前で奈央が急に立ち止まる。その手に引っ張られるように重心が後ろへと傾いた。
「どうした?」
「敬介が使っていた部屋見てみたい」
「んなの見たってつまんねぇぞ?」
そう言いながら荷物をその場に置くと、用意されていた部屋の一つ手前のドアを開けた。
そこには、昔と何一つ変わらない俺の部屋が存在した。
子供の時に使っていた学習机に、その隣には本棚。当時読んでいた本も、そっくりそのまま並べられている。まるで昔にタイムスリップしたような感覚だ。きっと、ずっと木村が手入れをしてくれていたのだろう。壁に貼り付けられた、サッカー選手のポスターだけが色褪せ、時間の流れを知らしめていた。
「ちょっと、いつまで手握ってんの?」
懐かしさに浸っていた俺は、すっかり奈央の手を離すのを忘れていた。
「あ、悪い」
「へぇ、ここが敬介が子供の頃過ごした部屋なんだ」
「あぁ」
繋いでいた手を解けば、奈央はぐるりと部屋を見回し、窓を開けると海が見えるバルコニーへと出た。
「ひと夏別荘で過ごすなんて贅沢だね」
水野家の人間の奈央がそんなことを言うなんて不思議な気もするが、贅沢と呼ぶには少し違う。
長い髪をゆらゆらと風に揺らされている奈央の隣に並んで立つと、俺も海を見ながら口を開いた。
「贅沢でも何でもねぇよ。忙しい親が都合良く預けられる、託児所的なとこって感じだ」
「敬介、一人でここにいたの?」
「ああ。でもここに着いてからは、木村がずっと俺の面倒を見てくれてたけどな」
「……そう」
「奈央、疲れただろ? 木村の相手して。もう60位になるって言うのに、ホント大人しくなるどころか、更にパワーアップしてるし」
奈央は答える代りに、穏やかに笑っていた。その表情から、木村に対して嫌悪感を抱いていないのが分かりホッとする。
「奈央、風呂でも入って今日はゆっくりしろよ。海は明日な。それとさ……」
さっきの木村の顔を思い出し、口ごもりながら奈央に尋ねた。
「部屋、別に用意するか? 何か、木村の奴変な眼で見てたし、あれじゃお前も遣りづらいだろ」
奈央はクスッと笑って俺を見ると、
「別に平気。一緒がいい」
そう言って、バルコニーを後にしようとする。
──今、何て言った? 一緒がいいって言ったか? 『が』って、言ったよな! 妥協ではなく望まれたのか?
鼓動が跳ねる俺を振り返り、もう一度チラリと見た奈央は、
「いいでしょ? 敬介坊ちゃま!」
小悪魔な笑顔を浮かべながら、さっさとこの部屋を出て行った。
……ぼ、坊ちゃま!?
「ふ、ふざけんなッ!」
怒ったふりして奈央の後を追いかけてはみたが、俺の顔には迫力の欠片もないだろう。
『坊ちゃま』って呼ばれたムカつきより、『が』を使って意志表示してくれた嬉しさがあまりにも勝って、それが意識しなくても表情に表れているに違いなかった。
それからの俺達は、到着したのが午後を回っていた事もあり、庭を散歩したり、穏やかに流れる時間を楽しんだ。
庭では、当時俺が乗っていた古ぼけた小さな自転車を奈央が見つけて、
「敬介にも可愛い頃があったんだね。それが今じゃ……」
溜息交じりに視線を寄越し、しみじみと失礼を語る。
「今じゃ何だよ。今は、カッコいいとでも言うつもりか?」
「それ、何の冗談?」
一緒がいいって言った女の台詞とは思えない酷い切り返しを受けながら、別荘の裏手にある神社にも足を延ばした。
大きい木に取り囲まれた境内。
木を見上げて、昔はカブトムシを捕ったりしたもんだ、と思い出話をすると、一本のクヌギの木に狙いを定めて蹴りを入れてみる。
運が良ければクワガタでも落ちてくるか? と、いい年して期待してみたものの、結果はパッと見は似ているのに、その嫌われ度具合は雲泥の差のGが落下。
「サイテー」
足下に落ち、素早い速さで逃げ行く黒いそれを一瞥した奈央は、驚くでもなく声を低くする。
間違っても、『キャー』なんて、女の子らしい反応はしないらしい。
その後も俺達は、この地元では有名な湧水の名所に行って冷たい水を飲んだり、森の中にポツンとある、老夫婦が営んでいるカフェでお茶をしたりしながら、静かな時の流れに身を委ねて過ごした。
「時間が過ぎるのが遅い気がする」
カフェを出て、ゆっくりと歩く帰り道。遠くに視線を置きながら奈央が呟く。
「そうだな……」
遠い昔。幼かった俺もまた、この地にいると時間が経つのが遅いと感じた。
──いつまでも夏が終わらず、一人取り残される寂寥感。
「いつもは時間が足らないと思うのに、ここなら勉強もいつもの2倍は出来るかも」
ゆっくり流れる時間を勉強に直結させる、その思考が歯痒い。
「話をすぐに勉強に結びつけるなよ」
「だって、時間の使い方なんて、他にあまり知らないもの。こんな風に時間を過ごすのも初めてだし」
か細く言う奈央に、俺は取ってつけたように明るい声を出した。
「じゃ、明日は海で、もっと楽しい時間を過ごそうな!」
その言葉に奈央は、さっきの声音は錯覚か? と、思わせるほど、今にも舌うちしそうに顔をしかめた。
夕暮れ色に染まる中。
ヒグラシの声を浴びながら、自然に囲まれ歩調を合わせ歩くこの場所で。かつては、寂しいとさえ思ったあの頃が嘘のように、オアシスの如く満ちたりた安らぎを覚える。
それは、喧噪の都会に住み慣れているから、この自然に癒されただけじゃない。奈央がいるから、こんな気持ちになれるのだと感じていた。
隣を見れば、しかめた顔はもうどこにもなく。朱色に染まった光に包まれた奈央の横顔は、柔らかなものへと変わっていた。
それが、俺の心を一段と穏やかなものへと導いて行く。
今なら、この夏に取り残されても構わない。本気でそう思った。
奈央が隣にいるならば、と……。
「どうした?」
「敬介が使っていた部屋見てみたい」
「んなの見たってつまんねぇぞ?」
そう言いながら荷物をその場に置くと、用意されていた部屋の一つ手前のドアを開けた。
そこには、昔と何一つ変わらない俺の部屋が存在した。
子供の時に使っていた学習机に、その隣には本棚。当時読んでいた本も、そっくりそのまま並べられている。まるで昔にタイムスリップしたような感覚だ。きっと、ずっと木村が手入れをしてくれていたのだろう。壁に貼り付けられた、サッカー選手のポスターだけが色褪せ、時間の流れを知らしめていた。
「ちょっと、いつまで手握ってんの?」
懐かしさに浸っていた俺は、すっかり奈央の手を離すのを忘れていた。
「あ、悪い」
「へぇ、ここが敬介が子供の頃過ごした部屋なんだ」
「あぁ」
繋いでいた手を解けば、奈央はぐるりと部屋を見回し、窓を開けると海が見えるバルコニーへと出た。
「ひと夏別荘で過ごすなんて贅沢だね」
水野家の人間の奈央がそんなことを言うなんて不思議な気もするが、贅沢と呼ぶには少し違う。
長い髪をゆらゆらと風に揺らされている奈央の隣に並んで立つと、俺も海を見ながら口を開いた。
「贅沢でも何でもねぇよ。忙しい親が都合良く預けられる、託児所的なとこって感じだ」
「敬介、一人でここにいたの?」
「ああ。でもここに着いてからは、木村がずっと俺の面倒を見てくれてたけどな」
「……そう」
「奈央、疲れただろ? 木村の相手して。もう60位になるって言うのに、ホント大人しくなるどころか、更にパワーアップしてるし」
奈央は答える代りに、穏やかに笑っていた。その表情から、木村に対して嫌悪感を抱いていないのが分かりホッとする。
「奈央、風呂でも入って今日はゆっくりしろよ。海は明日な。それとさ……」
さっきの木村の顔を思い出し、口ごもりながら奈央に尋ねた。
「部屋、別に用意するか? 何か、木村の奴変な眼で見てたし、あれじゃお前も遣りづらいだろ」
奈央はクスッと笑って俺を見ると、
「別に平気。一緒がいい」
そう言って、バルコニーを後にしようとする。
──今、何て言った? 一緒がいいって言ったか? 『が』って、言ったよな! 妥協ではなく望まれたのか?
鼓動が跳ねる俺を振り返り、もう一度チラリと見た奈央は、
「いいでしょ? 敬介坊ちゃま!」
小悪魔な笑顔を浮かべながら、さっさとこの部屋を出て行った。
……ぼ、坊ちゃま!?
「ふ、ふざけんなッ!」
怒ったふりして奈央の後を追いかけてはみたが、俺の顔には迫力の欠片もないだろう。
『坊ちゃま』って呼ばれたムカつきより、『が』を使って意志表示してくれた嬉しさがあまりにも勝って、それが意識しなくても表情に表れているに違いなかった。
それからの俺達は、到着したのが午後を回っていた事もあり、庭を散歩したり、穏やかに流れる時間を楽しんだ。
庭では、当時俺が乗っていた古ぼけた小さな自転車を奈央が見つけて、
「敬介にも可愛い頃があったんだね。それが今じゃ……」
溜息交じりに視線を寄越し、しみじみと失礼を語る。
「今じゃ何だよ。今は、カッコいいとでも言うつもりか?」
「それ、何の冗談?」
一緒がいいって言った女の台詞とは思えない酷い切り返しを受けながら、別荘の裏手にある神社にも足を延ばした。
大きい木に取り囲まれた境内。
木を見上げて、昔はカブトムシを捕ったりしたもんだ、と思い出話をすると、一本のクヌギの木に狙いを定めて蹴りを入れてみる。
運が良ければクワガタでも落ちてくるか? と、いい年して期待してみたものの、結果はパッと見は似ているのに、その嫌われ度具合は雲泥の差のGが落下。
「サイテー」
足下に落ち、素早い速さで逃げ行く黒いそれを一瞥した奈央は、驚くでもなく声を低くする。
間違っても、『キャー』なんて、女の子らしい反応はしないらしい。
その後も俺達は、この地元では有名な湧水の名所に行って冷たい水を飲んだり、森の中にポツンとある、老夫婦が営んでいるカフェでお茶をしたりしながら、静かな時の流れに身を委ねて過ごした。
「時間が過ぎるのが遅い気がする」
カフェを出て、ゆっくりと歩く帰り道。遠くに視線を置きながら奈央が呟く。
「そうだな……」
遠い昔。幼かった俺もまた、この地にいると時間が経つのが遅いと感じた。
──いつまでも夏が終わらず、一人取り残される寂寥感。
「いつもは時間が足らないと思うのに、ここなら勉強もいつもの2倍は出来るかも」
ゆっくり流れる時間を勉強に直結させる、その思考が歯痒い。
「話をすぐに勉強に結びつけるなよ」
「だって、時間の使い方なんて、他にあまり知らないもの。こんな風に時間を過ごすのも初めてだし」
か細く言う奈央に、俺は取ってつけたように明るい声を出した。
「じゃ、明日は海で、もっと楽しい時間を過ごそうな!」
その言葉に奈央は、さっきの声音は錯覚か? と、思わせるほど、今にも舌うちしそうに顔をしかめた。
夕暮れ色に染まる中。
ヒグラシの声を浴びながら、自然に囲まれ歩調を合わせ歩くこの場所で。かつては、寂しいとさえ思ったあの頃が嘘のように、オアシスの如く満ちたりた安らぎを覚える。
それは、喧噪の都会に住み慣れているから、この自然に癒されただけじゃない。奈央がいるから、こんな気持ちになれるのだと感じていた。
隣を見れば、しかめた顔はもうどこにもなく。朱色に染まった光に包まれた奈央の横顔は、柔らかなものへと変わっていた。
それが、俺の心を一段と穏やかなものへと導いて行く。
今なら、この夏に取り残されても構わない。本気でそう思った。
奈央が隣にいるならば、と……。
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