教師と生徒とアイツと俺と

本宮瑚子

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41. 儚き夏の日-10

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    海から帰って来てから数日後。またいつもの生活へと戻った。
 夏休み中とは言えども、後半になるとすでに賑やかになる校内。
 それもそのはずで、講習に参加する生徒もいれば、部活動に参加する者もいる。それに加えて、九月に行われる文化祭に向け、受験を控えた三年生を除いた一、二年生が、その準備に追われ、出入りが激しくなっていた。
 三年は、屋台を担当する事になっているが、一、二年は劇だ何だのと、その準備は今から始めないと間に合わない。
 何しろ、二学期は何かと行事が多すぎる。三者面談に始まり、文化祭、そして中間試験と、間を空かずしてあるのだから、生徒だって大変だ。
 そんな生徒達の夏休みも今日で終わり、明日からは忙しい二学期が始まる。

 俺も気を引き締めてかからないと。何てったって受験生を抱える三年の担任だからな…。

 気合いを入れ直し、明日に備え少し早めに学校を出る。
 湿気の多い暑さがまだ残る中、滲む汗を何度も拭い、奈央が待つマンションへと急いだ。




「敬介お帰り」

 ドアを開けると、出迎えてくれる奈央がいる。
 海から戻って来て以降、奈央の様子が変わった。勉強はしても、決して無理はしなくなった。食事もきちんと摂るし、睡眠も取れている。毎晩一緒に寝るのは当たり前で、夜中に目覚める事もなくなった。何よりこうして、明るい声で俺の部屋で出迎えてくれる。
 そんな小さな幸せが、俺には堪らなく嬉しかった。

「今日はそうめんね」
「おっ、まだまだ暑いし、いいな!」
「好きなだけ流していいから」
「…………流す?」

 早足でリビングへ入ると、真っ先にテーブルを見遣る。

 ……やっぱり。また買っちゃったんだな。

「流し……そうめん?」
「うん。そうめんって言ったら、流しそうめんだよね?」

 そうでもないんじゃねぇか? とは、既にテーブルの上でスタンバっている、家庭用流しそうめん機を見たら、言う訳にもいかず……。

「そうだな。そうめんって言ったら流しだな」

 棒読みの俺は背中に嫌な汗をかいていた。
 流しそうめんは、まだ良しとしよう。ただ、思い出した事がある。大晦日に奈央が作った、年越しそばの大量のつゆを……。
 そうめんと言ったら流しだと言いきる奈央と、流しそうめん機を挟み向かい合って座る。
 そのテーブルの上に、薬味に天ぷら。そして、何よりも俺を喜ばす市販のめんつゆが置かれていたことに気付く。

「敬介、ごめん。ちょっと手抜きした」

 そう言って、めんつゆを俺の器に入れる奈央。

「いいッ! ぜんぜんいい!」
「何か嬉しそうだね。それって、私が作るめんつゆより市販の方が良いってこと?」

 ギロッと睨む奈央に、慌てて大きく首を振る。
 奈央が作るのは文句なく旨いが、但し量だけは問題だ、とは口が裂けても言えない。

「流しそうめんなんて初めてだから、楽しみだって、思っただけだ」

 この発言がいけなかったのか。そんなに嬉しいのならと、奈央は流しそうめんのこだわりを徹底させた。
 奈央のこだわり。
 流しそうめんは、大量に麺をとってはいけないらしい。理由は、本当の流しそうめんとは、滑り台のように流れ落ちるものであり、あまりいっぺんにはすくえないはずとの事。
 しかし、俺達の目の前にあるのは、あくまで家庭用の流しそうめん機だ。勿論、滑り台方式のものではない。流れるプールのミニチュア版みたいなものだ。麺を掬おうと思えば、簡単に掬える。
 ならば、と考えた奈央は、最初から少なく流せば良い、と言う結論に達したらしい。

「流してあげるから早く食べなよ」
「……いただきます」
「どう? 美味しい?」
「あ、あぁ。旨いよ」

 しかし、麺を噛まなくても飲み込めそうな僅かな量で、俺の腹は一体どれだけ時間を掛ければ満たされるのだろうか。
 文句も言わずに食べ続ける俺を見て、やっと気づいたのか、

「いくら何でも少なすぎるか」

 奈央は、流す麺の量を増やした。
 だが、気付くべきところはそこだろうか。箸で掬ったその麺をわざわざ水の中には入れず、おつゆの入ってる器に直接入れて、普通に食せば良いだけの話じゃ……勇気を出して交渉してみるか?
 そう思った時だった。奈央は、首を捻り冴えない表情を浮かべた。

「これは失敗だったね」

 そうか、やっと分かってくれたか。

「普通で──」

『普通でいいんだよ』と、俺が言うより早く奈央が口を挟む。

「そもそも、これが小さすぎたよね。次の時はもっと良い方法考えとく」

 これ、と言いながら指したのは流しそうめん機。
 そして「やっぱり大きくて滑り台みたいにしないとダメか……竹を買おうかな」と、恐ろしい呟きが続く。
 だったら、流しそうめんを喰いに行った方が良くねぇか? 家庭で本格的にやろうと思う方が間違いだろ! そう言ったら怒るだろうか。
 チラチラ窺い見る奈央の顔は、至って真剣だ。海では小さい子相手に、俺を生き埋めにすると真面目に言い切った奈央。どこまで本気なんだか分からなくなる言動は理解に苦しむが、それでもいい。何をしても構わないから、傍にさえいてくれればそれでいい。そう、心底思うのは、もう少し先の事だった。

 その日の夜。いつものようにベッドに入った俺達。頭の下で両手を組み仰向けで寝る俺に、突然奈央がしがみついてきた。

「ど、どうした?」

 珍しい奈央の行動に動揺してしまう。

「ダメ?」
「え……いや、ダメじゃねぇけど……」
「じゃあ、いいじゃない」

 縋りたくなるほどの葛藤を抱えていたなんて、この時の俺はやはり気付いてやれないままで。奈央を包み込むように、そっと優しく抱きしめ朝まで眠りについた。

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