教師と生徒とアイツと俺と

本宮瑚子

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87. カウントダウン-1

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 お互いの気持ちを理解し合っても、俺達の関係は何も変わらない。
 卒業と言う、俺達が離れる日へと向かって、刻一刻と時が流れようとも、俺達は何一つとして変わらなかった。
 同じベッドで朝を迎え、俺の淹れたコーヒーを飲んで、別々に学校へと向かう。
 学校では、教師と生徒として線引きをして、全体的に受験に向け張り詰めた緊張の中、それぞれが今と言う大切な時間を過ごした。

 高校生活残り僅かな奈央は、今までの距離を埋めるように、奈央との時間を持とうとする林田と、それなりに今を楽しんでいるように見える。
 一方で、俺は忙しい毎日に追われていた。
 クラスの生徒の人数分だけ、それぞれの道があり葛藤がある。それを真正面から受け止めたかった。
 俺が出来ることなんて些細なもので、手助けにもならないかもしれないけれど、それでも向き合いたい。教師として、生徒達一人一人と。
 必死に生きる生徒達を前に、俺もまた教師として必死にやり遂げたい。そう心から思えた。

 そんな俺を理解してくれてる奈央は、毎晩毎晩、残業続きの俺に大量の夕飯を作って待ってくれていた。
 奈央にとっても大事な時期。
 夕飯は作らないでいいと何度も言ってはみたが、訊き入れる気はないらしい。
 それどころか、俺が帰って来るまで奈央は夕飯を食べずに待っている。
 前からそうだったように、自分一人だと、どうも食に対する欲というものに欠けているらしい奈央は、下手したらまた青虫生活を送りかねない。
 そんな生活をさせるよりはマシかと、奈央と一緒に毎晩遅い夕飯を摂る。

 眠りにつくまでの二人の時間。自ら進んで話をするタイプの女ではないが、俺が話題を振れば、にこやかに笑って答える顔は、以前より随分と柔らかくなった。それが嬉しく、俺の明日への活力にもなる。
 そうやって一日を終え、二人でベッドにもぐり込む俺達の間には、それ以上の関係は何もない。
 腕枕をして寄り添って寝るだけなのは、お互いの気持ちを分かり合えた今でも変わりはしない。




 そりゃ、俺だって健全な男だ。
 惚れた女が隣にいれば、頭と身体のバランスが乱され、統一性を崩しそうにはなる。だが、今はこれだけでいい。
 今は温もりに包まれる関係だけで充分だ。
 我慢を強いられる息子は哀れだが、これだけ訓練されていれば、その忍耐力も相当なものだ…………と、思う。多分。
 寧ろ、いざという時に役に立つのか、若干のデリケートな心配はあるが、それでも良かった。
 もし、奈央を抱いてしまったら……。
 本気で愛する女をこの手に抱いてしまったら……。
 きっと、俺は溺れてしまう。遠い未来より、絶対に今に溺れてしまう。手放したくなくなってしまう。
 そう思っているのは、俺だけじゃないような気がする。一線を超えて今に留まらぬようにと、奈央もそう思っているのではないかと……。
 だから、俺達は何も言わない。
 お互い想い合っても口にはせず、将来の約束さえもしていない。
 口約束ならいくらでも出来るが、そんな不透明で不確かなものに縛られ、また縛ろうとは思わなかった。
 口にしなければ伝わらない時もある。でも今の俺達にはそれは必要ないと思えた。
 お互いを想い合う気持ちは、口にしなくても充分理解し合えている。
 今抱えてるこの想いだけが、何よりも二人にとって確かなものだった。
 その確かなものを持つ俺達は、きっと自分自身に賭けている。どちらかに託すのではなく、自ら決断した道に賭けている。
 時間に追われ厳しい環境に身を置くことになる俺達。中途半端にはこなせない。それが分かるからこそ、相手を縛りつけたりはしない。進んだ道が正しいんだと我武者羅に突き進むだけだ。
 そして、突き進み最後に辿り着く場所は、二人一緒だと信じている。
 例えもし、時間と距離に邪魔され確かな想いが形を変えたとしても、決断した今の想いだけは嘘じゃないと確信している俺達は、きっと、お互いを責めたりはしないだろう。これだけの想いを持ってした決断を、俺達が悔やめるはずがない。その時は、潔く想いを断ち切るしかない。縁がなかったと諦めるしかない。
 もっとも、そんな最悪のシナリオは、少なくとも俺の頭には微塵もない。
 万に一つ、最悪な事態が訪れようとも、最大の力をつけ奈央を掻っ攫ってやる! と企み捲りだ。
 奈央にしてみれば、約束を持たせないのも俺に対する優しさ。縛りつけないことで、俺に別の選択肢も与える、奈央らしい優しさ。
 生憎、そんな優しい女を手放す気はさらさらないと、必ず未来で証明してみせる。



 これは別れなんかじゃない。俺達にとってのスタートだ。
 一抹の寂しさはあっても、打ちひしがれる必要はない。揺るぎない決意を持って、ひたすらに突き進めばいい。確かな想いを、絶対のものとするために。
 だから今は、せめて今だけは、変わる必要なんてない。
 学校での完璧なる優等生としての奈央も。家では、優しいけれど時折チラリと顔を出す小悪魔的な一面を持つ奈央も。奈央が奈央のままで変わらずいてくれるだけで充分だ。
 そんな変わらない奈央が、変わらなさすぎるほど負けず嫌いだと、まんまと証明して見せたのは、二学期末テストを一週間前に控えた時のことだった。
 その変わらなさに巻き添いを食った林田とオマケの俺は、ヒヤリとさせられ、胃までもがキリキリする羽目となる。

 それは、大量の資料や用具を資料室に運ばなければないない時の出来事だった。
 テストを一週間前に控え、足早に帰宅しようとする生徒達の中に、俺は荷物運びを手伝ってくれそうなターゲットをいち早く見つけ声を掛けた。

「悪いけど、手伝ってもらえるか?」

 俺の読み通り、綺麗な顔で微笑し、差し出した荷物を快く受け取ってくれた優等生。

「やっぱり、おまえなら手伝ってくれると思ったんだよなぁ」

 しかし、優等生の瞳の奥は全く笑っちゃいない。
 断れないのを承知の上で頼んだ俺の姑息な魂胆が、ムカつかせたと思われる。

 そして、もう一人。

「はぁ? 何で私まで?」

 優等生と一緒にいたばかりに、優等生から半分の荷物を差し出され、あからさまにしかめっ面をする不良娘。
 でも、流石は幼馴染だ。微笑しながら荷物を差し出す優等生の瞳の奥が、ちっとも笑っていないことに気付いたらしい。
 無言の圧に負けた不良娘は、頬を引き攣らせ、渋々ながらも重たい紙袋を受け取った。

「悪いな、じゃ頼むな!」
「チッ、ったく」

 無言の圧力には屈したくせに、教師の俺には舌打ちも屁ではない不良娘は、苛立ちを満載に乗せた視線を遠慮なくぶつけてくる。
 分かりにくいけど、笑っているからこそ恐怖を煽る冷たい視線と、分かりやすいほどの容赦ない視線。
 串刺し状態で突き刺さる視線をビシバシと感じながら、人選ミスだったか……と、内心ヒヤリとしつつも、気付かぬフリを徹底させるしかない。

「よし、行くぞ~」

 目を反らしながら陽気に言う俺と、狙いを定めて静かに視線を刺す二人。

 そんな優等生奈央と、不良娘林田を引き連れ資料室へと向かう途中に、それは起こった。

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